読書記録2000年7月
『サロメの乳母の話』
塩野七生(中央公論社)/短編小説/★★★
聖書やギリシア、ローマの偉人などの舞台裏を想像力豊かに描き出す、ショートストーリー十二作。偉人の知られていないような違った側面、人間味のあるとこを楽しく空想してみよう、といった感じ。
語り部がイエスの弟だったりネロの双子の兄だったり、フィクションと言ってしまえばそれまでだがそれはそれで楽しい。へぇそうくるか、おいおい、とか思わず感心したり笑ってしまったり。
一番面白かったのは地獄に集った歴史に名を残す悪女たちが、宴を開いて井戸端会議、という話。クレオパトラもフツーのどっかの知的な叔母様と化している。視点を変えてものを見るのはやっぱり面白いな、と思わせてくれた。
『日本共産党の研究』(文庫で全三巻)
立花隆(講談社)/歴史・共産主義/★★★
戦前、日本共産党の結成から崩壊までの歴史を膨大な資料をもとに振り返り、権力対革命組織の構図や、当時から現代(1978年頃まで)の共産党の本質が考察される。
緻密、とにかく詳細。人物名、情報量の多さ、初めて目にする言葉の数々…頭がパンクした。情けなや。私に読めるような本ではなかったが、少々雑感を。
コミンテルンに操られた、労働者や大衆の支持を獲得できない、現実離れしたインテリ集団の共産党なんて共産党じゃない。いや、これがそもそもの「共産党」の姿なのか…。
特高が党員に拷問を加えたことは有名だが、党員同士でも査問という名のこれほど凄まじいリンチがあったとは!特高と治安維持法によって激しく弾圧されたことは知っていたが、党が崩壊した理由はそんなことだけが原因ではない、と知った。
党の大原則のひとつ、民主集中制…革命組織や軍隊には最適だが、これで政治をやるのはどう考えてもおかしい。共産党はプロレタリア独裁、暴力革命路線を捨て変化した(ここにも矛盾があるのだが)とはいえ、その組織の根本的な部分が変わっていないことがよくわかる。オウム真理教がアレフと改名したが、その体質が実のところ変わっていないことに似ている気さえするが…。
立花氏はこれを書いて党からかなり攻撃されたそうだ。共産党の触れられたくない問題点や矛盾点、過去の汚点がこれでもか、とばかりいくつも挙げてるからねぇ。共産思想には惹かれる面もあるが、良くない面もたくさんあるだろう。片方だけでなく両方とも知る必要があるだろうし、日本共産党の裏側を知ることができて、読んでよかった。
共産党、これが書かれてから二十年経った現在はどうなのか、と興味がわいた。
『心と脳の科学』
苧阪直行(岩波書店)/科学・認知科学/★★★
中高生向けの一冊。著者が子供の頃持った疑問「色はなぜ見えるのか」を起点に、「見る」ことを中心に解明されている脳の働きがわかりやすく語られる。
目次を紹介すると…
「心」って何だろう
脳から「心」を探る
「見ること」のしくみとはたらき
「記憶」の不思議
「感情」はどこからうまれるのか
「21世紀に残された謎」
の全八章。
脳の大部分が視覚の分野で占められるというが、ただ「見る」動作だけに脳内でどれほど高度な情報処理がされているのか知ることができた。三章で語られる「見ること」の三つの基本性質は、思い込みに陥らないようにするためにも役立つかもしれない。
他にも脳の働きが紹介されていたが、「心と脳」と聞いて自分が一番興味を持ったのは「感情」。しかし五感で得た情報を視床下部の扁桃体や海馬で快不快など価値判断し、前頭葉で決定する、などと言われても、どうもピンとこなかった。
これからも脳の働きの解明は急速に進んでいくのだろうが、あまり解明されてしまってもなんだか味気ないようなつまらないような…。
この後立花隆著『脳を鍛える』の関連部分を読んで、難しかった立花さんの講義にも理解を深めることができた。
『エコロジー的思考のすすめ』
立花隆(中央公論社)/科学・環境学・社会学/★★★★★
立花さんの事実上の処女作だそうだ。初版が1971年、三十年も前にこういうものが書けるとは、やっぱり立花隆という人物は凄い。エコロジーの重要性、そして様々な事柄にエコロジー的マクロな思考は応用できる、と、いうことが説得力抜群に説かれる。
プロローグ「思考法としてのエコロジー」
一部「人間の危機とエコロジー」・四章
二部「エコロジーは何を教えるか」・八章
エピローグ「自然を恐れよ」
という構成。
一部では環境学、生態学とはなんたるかと、その重要性が語られる。二部ではそのチエを人工システムのありとあらゆる事柄に当てはめて考察される。
大筋を解釈しながらまとめてみる。
部分部分をいかに正確に知り尽くしても、全体を知ることはできない。重要なのは知識より知恵、得た知識をいかに活かすか。生態学は、その「チエ」を教えてくれる。人工システムは自然システムを破壊しつつある。しかし人工システムを捨てることはできない。文明に飼い慣らされた我々は、もはや文明なしではやっていけない。人間が自然のような完全循環型システムを構築できないなら、人工システムはエコシステムを破壊しない範囲で構築すべき。人工システムは自然のトータルシステムの範囲内において機能するサブシステムであるべき。そのサブシステムのあり方を、生態学のチエを利用して構築するべき。
ひとつのことが局地的に通用してもそれが全体的に通用するかはわからない、インプット以上のアウトプットはあり得ない…等々の環境学、生態学の知識の応用は、政治経済、会社組織の形態、人間のあり方、善悪の基準まで可能…ひとつひとつを見ると全くそのとおりのことばかりだが、けっこう普段は忘れている。
「宿主の死に付き合っていれば自分も死ぬ」…人間は寄生虫より頭が悪いかもしれない。あるときは自然に対し卑劣に接しながらも、相利共生、マクロの視点でのトータルな循環型への転換、か。
エコロジー、生態学がよくわかっていないのに理解できるか不安だったが、順序立ててわかりやすく解説してくれていてしっかり読めた。それにしてもエコロジー的な思考法がこれほど広く応用できるとは驚きだ。自分の好きな曖昧な言葉「バランス」、これを論理的に説明すると見事にこういうことじゃないだろうか。とてもしっくりきた。
蛇足…「弱者は卑劣に生きよ」の一節が一番感銘を受けたかもしれない。
『青春を山に賭けて』
植村直己(毎日新聞社)/紀行・登山/★★
マッキンリー登頂後消息を絶った、有名な冒険家自身による体験談。ストレートな飾り気のない文章。
年輩の方は皆さんご存じだろうが、私は知らなかった。これも世代のギャップか、それとも私が無知なだけか…。
著者はとにかく凄い行動力。ただ隊を組んで高峰登山成功ではなく単独で、というのは普通じゃ真似できないだろう。それなのに、この人にかかるとどんな高峰登山も冒険も、どんな困難があろうとも、わりと簡単に遂げてしまったようで…。そんな人なのに、意外と小心者の一面もあったりして面白い。その土地土地の知らない文化も語られていて興味深かった。放浪、冒険、登山…こういう人生もいいかもなぁ…。
ちょっとケチつけると、大変そうでもけっこうあっさりできちゃった、みたいな感じで、いまひとつ臨場感や緊張感が伝わってきにくい。ストレートすぎて捻った表現がないから?あぁ、私に想像力がないからか…。
『毛沢東の私生活』(上・下)
李志綏、協力:アン・サーストン,訳:新庄哲夫(文藝春秋)/伝記/★★★★
二十年以上毛沢東の主治医を務め、その死も看取った人物が毛の素顔を暴く。筆者自身の自伝でもある。
毛沢東が狂いだしたのは文化大革命の頃からだろう、と思っていたが、国家主席就任当初からそういう人物だったようだ。読んでいて、彼の横暴で乱れたプライベート生活や独裁体制、妻の紅青のわがままぶり、共産党上層部の陰謀だらけの権力争いにムカムカして、途中でやめようか、というほどハラが立ったが最後まで我慢して読んだ。
権力を維持するための毛のやり方はさすが。大躍進の失敗、文化大革命による混乱が、上層部でもどれだけ凄まじかったかよくわかった。文革後の権力を持った紅青の狂乱ぶりもまた凄まじい。
そういう状況下で、プライベートでも政治的にも著者がひどく苦労したのがよく伝わってくる。主席の主治医とはいえ、比較的裕福な家庭に育ち、外国帰りの知識人である著者がよく無事でいられたものだ…。毛の晩年、たとえ治療をしても衰えていくのは仕方がないことなのに、本人も治療を拒否するし、外部から主席が良くならないのは医師の陰謀だ、と騒がれては、著者の心労も大変なものだったろう。
毛沢東死後の遺体保存計画裏話も興味深かった。
こういうことが表沙汰になってしまった現在でも、天安門広場に毛の肖像がでかでかと掲げられているのはなんとも…。
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2000/12 追記
この本では毛の悪い面ばかり強調されていてそれが印象に残ったが、優れた革命家、思想家であることもまた事実。何時、何故、こうなってしまったのか、それともそもそも人間とはこういうものなのか…。ゲバラやマンデラとの違いは一体どこからくるのか…。