中学生の「給食現場での石けん洗浄」研修

 梅雨入りをこれほど待ち望んだ6月もめずらしい。5月の降水量はたぶん記録的に少なかったためだろうが、どの河川も流量が少なく、保津川の川底の岩も石も泥で覆われ、アユが食するコケは生育できず、アユ釣りの解禁日が近づいているにもかかわらず、アユは放流されたままの体格であるという。
 雨を待ち望んでいた頃、静岡の中学校から学校給食現場での石けん洗浄の様子を見学したいとの申し込みが届いた。5月の京都は、修学旅行の季節でもある。最近の修学旅行は様変わりしてきたようで、神社仏閣の見物の合間に半日ほど社会見学を組み込んでいる。京大を見学したあとに、大学や研究についての話を聞きたいという申し込みも時々ある。今回は、水汚染と合成洗剤と給食という相当に絞り込んだテーマを、中学生自身が立案してきた。なぜなのかと問い合わせたら、静岡県由比町の中学校で、有名な桜エビの漁港の町にある。陸からの汚染物質が海に流れ込んでは町の産業・生活に直接影響がでる環境の中で、中学生が自ら問題を立てて、自らの学校生活との関係で創り上げた研修課題である。
 いたく感激し、教育委員会とも掛け合って、嵐山の小学校で見学が実現した。毎日の給食で使われる食器を合成洗剤ではなく石けんで洗浄している調理員も出席しての交流会と洗浄過程の見学は中学生達を十分に満足させ、由比での取り組みに参考になったようである。きっとよい修学旅行レポートを仕上げてくれると期待している。
 ちょうど20年前に「京都水問題を考える連絡会」として取り組んでいた課題が、「給食食器の洗浄を石けんに変える」ことであった。市議会への請願から始めて、7つの学校での実験、石けん洗浄に適する洗浄機の開発などを進めた結果、10年後には京都市の小中学校全校での石けん洗浄を実現した。調理員の組合、教育委員会、そして私たちの市民団体が、時には大げんかもし、時には妥協しながらも実現できたのである。全国の100万人都市での最初の実現であった。中小都市では所帯も小さいから石けん洗浄をすでに実施していたところもあるが、当時の京都市は1日の給食数が13万食と巨大であった。
 それぞれの関係者がそれぞれの苦労をしたが、大きな成果は10年という年月をかけて得られた。市民運動側でがんばっていた人達の子供達はとっくに中学校を卒業してしまったあとで石けんに切り替わったと、苦笑した会員も多い。
 由比の中学生達が帰った翌週、ひとりの市民運動の関係者がこの世を去った。松尾よう子さんである。小さな身体で、はにかみやであった彼女は、人前で目立つことは好まないが、市民運動のもっとも重要な仕事である会報の発行を十数年支えていた。もちろん石けん洗浄運動の中心として、いろんな学校給食現場にも一緒に出向いた。彼女の思いと成果は、図らずも同じ週に由比の中学生たちに引き継がれた。真夏のような暑い日に告別式でお別れをした。