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市民環境研究所から

やりがいの中にある「コモンズ」


 やっと秋が深まり、京都でも紅葉の季節を楽しむ観光客が溢れている。短い秋を楽しみたいが、前任校での難題に付き合わされている。心も安まらず、時間もゆったり取れないままに秋が通り過ぎて行くようだ。難題の主題はハラスメント。それ自体の重大性は言うまでもないが、そこから見えてくる人の問題が悩ましい。

 関係者の一人が話題提供者となった研究会に出席した。この研究会は先の見えない現代社会に一筋でも光明を見出そうとする人々の集まりだから、筆者も参加させてもらっている。今回の話題は「コモンズ」や「コモンズの悲劇」などだった。「コモンズ」とは、日本語で言う「入会」の英訳だそうな。ただし、「ウィキペディア」には、日本の入会地はほとんど入会団体などの特定集団によって所有・管理されているため、誰の所有にも属さない放牧地などを意味するコモンズとはニュアンスが異なる、とある。

 コモンズの悲劇(共有地の悲劇)という言葉もよく使われるが、もう一つ理解できず、筆者は今まで使ったことがない。話題提供者の先生はこの言葉が大好きなようで、カントやデカルト、マルクスなどを引用しながら、最後は自身の名を並列してコモンズを論じてくれた。難解であった。彼は、職場では一応の義務を果たすことしかせず、自らの正当性だけを言いつのり、正しいことは何回でも言うのだ、と小学生のように繰り返す。

 研究会では質問する気も失せ、コモンズの悲劇とはあなたの存在そのものではないのか、と言いたくなった。そんな研究者がコモンズや里山を論じてほしくない。彼が論ずれば論ずるほど里山の価値が低下し、言葉遊びの道具としかみられなくなってしまうようで寂しい。

 前任校のある町は田舎そのもので、農業都市として生き残る模索をしている。日本のどこにでもある問題山積の地域である。その自治体が実施する地域力再生事業の支援委員会のメンバーに加えてもらい、退職後も関係している。道路沿いに花を植える事業や野市の再建にかける老人たちの活動もあれば、若者が地域の伝統工芸の再生拠点を開いた事例などを支援するものだ。支援額は、数万からせいぜい二百万円程度の少額である。

 この中で「村の水車復興」事業が幾つか申請され、採択されている。その現場を見に行った。手作りの水車小屋に水が引かれ、水車の力で米を搗いている。50才台から70才以上の男たちが一所懸命に調整しているが、杵の落下力が強くて米が割れてしまうという。水車で地域の経済活性がどれほど進むのか、それは分からない。しかし、男たちの嬉々とした様子を見ているだけで、百万円程度の支援なら安いものだ、と思った。

 地域力再生は金勘定ではなく、人々のやりがいである。彼らこそ、コモンズを実践的に示している。近くの田圃の畦では、街からやって来た親子が握り飯を食べながら水車を見ていた。いろんな財産が地域に残っていく。

                                          (石田紀郎:市民環境研究所)



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