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市民環境研究所から

彼岸花の咲く田圃を見て思うこと


 もう言い飽きたと思えるほどの「酷暑」がようやく過ぎて、季節がやっと先に進んだ。今後、生まれて初めてのきびしい夏の疲れが出るかもしれない――。そんな口実で、少々サボリ気味の毎日である。秋冬野菜の播種時期にもかかわらず、播いた種が暑さで煮えそうなため、10日から2週間近くも遅らせてやっと種子を播き、子葉が出てきた。スパーマーケットで調べると、キウリ1本が80円も90円もしている。恐ろしい値上がりだが、播種時期の遅れた秋冬野菜も品不足で高騰するのでは、と心配である。

 それでも延々と続いた夏が終わり、10日ほど遅れて彼岸花が咲き出した。前任地の亀岡市の水田地帯は、この彼岸花の群生で有名である。いつもはボンヤリとしている一枚ずつの田圃の形が、土手に咲いた彼岸花の真っ赤な線でくっきりと浮かび上がり、条里制の時代のままに残る日本の田圃の美しさが一段と映える。

 4月以降は愛知県岡崎市にある大学に、1週間に1~2日勤務している。京都から名古屋駅を経て、私鉄で走る出勤時の車窓から、春~夏を経て稲刈りが終わった田圃を楽しんでいる。今朝は彼岸花の群落が散見できた。畦の彼岸花の赤色に囲まれた田圃の中は、田植え後のように一面の緑である。秋に入ったとは言え、例年よりも暖かいために、稲の切り株からヒコバエが繁茂している。

 今年の米の作況指数は103と発表され、豊作であるが、米余り現象で農家にはきびしい秋である。ヒコバエの緑と彼岸花の赤のくっきりと見える生きた田圃よりも、雑草が生い茂った悲しい田圃の方が多い地帯もある。放棄田には酷暑を乗り切った喜びも、豊作の秋の充実もなく、日本農業の衰退を彼岸花の季節が教えてくれる。

 以前、中国に仕事で出かけて帰国し、関西空港から京都まで帰って来た電車の車窓で、中国よりも日本の方が大きな国なのかもしれない、と思った。どうしてかと言えば、中国では放棄田はまったくなく、田舎でも都会でも屋敷の塀ぎりぎりまで耕され野菜が植わっていたのに、日本では空き地の多いことに気がついたからだ。有り余る耕地がある日本である。

 2025年には、世界の人口は80億人になると予測されている。これから10年で、地球上にもう一つの中国が出現する計算である。その分食糧はどこで生産するのだろうか。空き地や放棄田で農地を荒らしているこの国は、そんな時代にどのように対処するつもりなのだろう。亀岡でも、愛知でも農業が衰退していくのは、生産量が低下していくだけではなく、その地の風土にあった農業技術を身体で覚えている農民が居なくなり、その技術が喪失していくことである。

 彼岸の頃に咲くからヒガンバナと言われているが、異名も多く、死人花とか地獄花とも言われ忌み嫌われる花でもある。農地の荒廃と農民技術の喪失が同時に進行している恐ろしさを、真っ赤な彼岸花の咲く田圃を見ながら思った。

                                                 (石田紀郎・市民環境研究所)



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