●政府による強制収用に抗する八堂有機農業団地
●原州生命農業のイ・ジンソンさん(後列中央)
●ヌンビサン(雪雨山)農場のイ・ジェファ先生
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訪問報告―韓国ドゥレ生産者会訪問

韓国生協運動に何を学ぶか

 9月3日~5日、関西よつ葉連絡会の呼びかけで、二回目となる韓国ドゥレ生産者会への訪問が行われた。定期的な相互訪問は今回でいったん終了となるが、来年初めには、よつ葉の配送スタッフ一名がドゥレ生産者傘下の生産現場で一年間の予定で実地研修を行うなど、今後とも何らかの形で交流を継続していく考えである。訪問団の参加者から感想を寄せてもらったので、以下に紹介する。

はじめに

 3年前に始まった韓国のドゥレ生協生産者会との交流。定期的な相互往来は今回でいったん終えることになり、最後となるよつ葉訪問団に同行した。私には、一昔前は、「近くて遠い韓国」であったが、今回は「近くて親しい韓国」に触れる機会ともなった訪問であった。


韓国社会の変化

 大雑把な歴史によると、1875年の「江華島事件」頃に始まり、半世紀以上に渡って続いた日本侵略の歴史、世界大戦、大戦終結後の朝鮮戦争の勃発と長年の侵略・戦禍に人々の生活基盤は壊滅的なまでに破壊された。1953年、朝鮮戦争は南北に分断されてようやく終結。その時から社会の復興が始まったことになる。その後、1961年に軍事クーデターが起き、朴軍事政権誕生。軍事政権下で国家主導による社会の工業化が強力に進められた。財閥の形成、重工業化。日本では、朝鮮戦争特需が戦後の復興に寄与したように、韓国の場合はベトナム戦争特需が大きく寄与したようである。その後の経済発展は急角度で右肩上がり。「漢江の奇跡」と呼ばれるわずか40年足らずで、急速な社会発展を成し遂げた。今では、現象的には、日本の社会と非常に似通った社会となっている。

 一方、人々の社会的、政治的自由を求める運動は、軍事政権下で徹底的に弾圧された。1980年、政権の内部の対立を生み出し、朴大統領暗殺事件が発生。続く全斗カン政権時には光州事件が発生した。民主化を求める人々と軍が激突し多くの死者が出た事件である。以後、民主化運動は勢いを増し、やがて、軍事政権内部から「民主化宣言」(1987年6月29日)を引き出し、人々の力が軍事政権を倒した。


韓国生協運動の流れ

 生協運動は20数年前に始まった。多くの人々が結集し軍事政権を倒すに至った民主化運動、それを担った農民、学生、知識人等の中から、運動の過程で生まれた関係を基にして、新たな時代に対応した社会運動として展開された点が特徴的である。都市の膨張と農村の崩壊。社会の変化が速い分、問題の現れ方も速く、矛盾も大きい。ソウルとその周辺に50%近い人々が生活する大都市への一極集中状況は日本以上であろう。

 事業面では日本の生協の経験に学びながら始めた経緯もあり、それぞれの組織の間で交流が今も続けられている。社会の同質化が進み、共有できる課題は多い。大きく異なる点と強く感じたのは二つの点である、


日本の生協と異なる点

 一つは、社会の民主化が人々の底力で達成されたこと。「民主的な社会」が「上」から棚ぼた式にもたらされた私たちの社会との違いを感じ、また、人々の政治意識の違いも相当大きいのでないかと思われた。

 二つ目は、従来根付いてきた伝統的な価値観がまだ色濃く韓国社会に息づいている点である。社会のインフラが大きく変化しても、人々の社会観は同じ速度では変化しない。もちろん、社会の土台が変わってしまっている以上、資本主義的な価値観がますます支配的になっていくのではあろうが。一方で、世界的には資本主義の限界と多くの人々に不幸を強いる社会の仕組みだということがはっきりと意識される時代にもなっている。伝統的に形成されてきた価値観の中には、次の社会を展望する上で重要な考え方がいっぱい詰まっているのである。

 最近では、生協運動が発展するに連れて、各組織の間で運動面での違いが顕著になっているとのことであった。当然の成り行きとも思われるが、なにを社会的課題の中心に据えて活動していくのかは運動にとって最も重要なことだろう。たとえば、「消費者運動」としての側面が強くなっていく組織がある。そこでは、生産者運動という側面は二次的な問題になる。一方、本来生産と消費は一体のもの、そうではなくなっている社会のあり方そのものを問題と考えることが重要で、そこに至る過程を批判的に検証するなかから、新たな社会の仕組みを模索しようとするグループもある。そこでは、生産者の運動は一次的な課題である。こうした形で分岐しつつあるようだ。

 韓国でも前者が主流となりつつあるようであったが、ドゥレ生協と生産者会の活動は後者に属するグループの代表的な存在である。


生協運動とは何だったのか

 日本においては、生協運動は、その当初から「消費者運動」という側面が強く、生産者の運動を重要視するグループは少数派であった。「消費者運動」が社会運動として力を持った歴史的な評価を否定するつもりはないが、今後を考えるとき、今のままでは心もとないばかりである。「社会批判の先進性」は常に資本の運動の中に取り込まれ、やがては力を失う。そんな過程を繰り返しながら、運動の死を迎えるのであろうか。それとも、新たな先進性が発揮され、再び力をもつことができるのであろうか? 昨今の日本の生協運動を見る限り前途に不安を覚える。その原因を深く検証されるべき時なのであろうが、動きは鈍い。

 「消費者運動」は社会変革の上でいつまでも有効であり続けることが可能なのか?「消費者」という存在、そのあり方を否定することで見えてくる事柄の方が今後は重要になってくるのではないか。消費者運動の否定は事業の否定、組織の解体につながるわけだから、簡単にできることではないであろうが、できあがったものを「守る」ことに汲々とせず、いったん組織を壊しても構わないぐらいの、もう一度新たに構築するぐらいの気概でやらないと社会運動としては役に立たない。資本と同じ土俵に上がって競争に勝てたとしても(勝てる力があるとは思えないが)、何か意味があるのであろうか。よく分からない最近の日本の生協事情である。


韓国の運動に学ぶ局面

 韓国での運動も、日本同様の問題を抱えるときがくるのであろうが、その問題はすでに意識されている。それを越えて進む可能性を強く感じた。その根拠を?と問われれば、先に記した大きく異なる二つの点ということになる。今後とも韓国のグループとの交流を何らかの形で進めていければと考える。こちらが学ぶ局面がふえてくると思うからである。

     (鈴木伸明:関西よつ葉連絡会事務局)

      【今回の行程】

●9/3(金)
 ウリコン食品(豆腐、大豆もやし)
 ヌンビサン(雪雨山)農場(お菓子、有精卵)

●9/4(土)
 原州生命農業生産者会(米、野菜、畜産)
 八堂生命サルリム生産者会
(野菜、農産加工、四大河川開発事業反対)

●9/5(日)
 ソン・チャンラクの長寿話(発酵食品)



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