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アソシ研リレーエッセイ

若い頃にもらった宿題を想い出す


 仕事の関係で20代・30代の若い人と話をする機会が多い。何か別の紙面に書いたことがあるが、関西よつ葉連絡会では、毎月1回「研修部会」というのをやっている。配達や生産の各職場から職員が1~2名ずつ集まって、自分たちで研修の計画を立て、それを実行するという取組みである。多いときは40名近くの会議になる。

 今年の研修部会は、本読み勉強会と体験学習会を軸に職員が研修計画を立てている。本読み勉強会では、毎月1冊ずつ全員(または各職場)で読んできて感想を述べ合うというのをやっている。体験学習会は、「屠場見学をして牛や豚が解体されるところを見る」「地場の農家と交流し農作業をする」など。こちらは経験し実感することを目的にしたものである。

 参加している職員は、朝早くから日が暮れるまで現場で働いたあと、関西一円の事業所から集まって夜の7時から9時くらいまで議論して、翌日も朝早くから働いているが、どちらの研修も大まじめに取組んでいる。

 今年55歳になった自分が若い人たちに混じって議論するのだから、少なからず世代の隔たりみたいなものを感じ、つい会議中に「自分は20代の頃どうだったのか」ということを考えてしまうときがある。最近、このリレーエッセイの紙面では「1972年」をテーマにした文章が続いているようだが、1972年の自分は17歳。過去の美しい思い出でも書きたいところだが止めておく。昔の自分を知っている人が読んだら恥ずかしい。自分はどちらかと言うと頭でっかちで経験不足、まだ子供っぽい言動が多かったような記憶しかない。20代になってもあまり成長しない人間だったが、そんな自分でも少しくらい変化があったとしたら、あの頃出合った人たちのおかげだろうか。

 「反体制の牧師」や「革命を信じて死んでいった脳性マヒの友」、そして「国賊と言われた親を持つ目の大きい女性」など、自分ときちんと向き合ってくれた人が周りにいた。「人に分ってもらおうと思っているなら難しい言葉で言わないで、相手に分るように言わないと通じないでしょう。分りやすく伝えられないのは本当に分っていないからよ」と大きい目でじっと見ながら言われたのを覚えている。今でも自分にとって、彼女のこの宿題が一番難しい。

 いつのまにか自分もあの頃の彼女と同じくらいの年齢になっていた。研修部会で若い人の議論を聞きながら、たまにイライラして説教じみた言い方をしているのに気がつく。「言葉を覚えて真似するだけではダメだ。人に伝えたい何かが自分の中にあるのか」と、自分があの頃大嫌いだった「説教じみた言い方をする年寄り」になりつつあることは間違いないようだ。あの世で先輩たちに会ったら、みんなにまたまたダメだしされそうな気がしている。それでも私は大まじめな若い職員たちの中でちょっと幸せな気分でもある。

                                 (田中昭彦:関西よつ葉連絡会事務局)



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