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アソシ研リレーエッセイ

1972年、“タフな季節”への回顧

 1972年、もらっとこ。朝日年鑑『早わかり20世紀年表』からの恣意的抽出。日本の首相は佐藤栄作。政権の末期で、7.7から田中角栄に変わる。米国の大統領はニクソン。72年の正月早々、佐藤栄作が訪米し、その年の5.15に沖縄返還を行うと共同声明。佐藤栄作は沖縄返還の業績を認められ、後年ノーベル平和賞をもらうことになるが、名ばかりの返還と国民を欺瞞した密約が今も沖縄住民を苦しめ続けている。

 2.2:元日本兵・横井庄一氏、グアムから帰国。「恥ずかしながら帰って参りました」。こんなオッサンおったんや! 当たり前の話やけど、著作によれば、さすがに戦争はじめた連中にうらみ骨髄。田舎で仕立て屋の親父やってるはずやったのに、済んませんでしたの一言では済まんわな。嫌々戦争に狩り出された人、その嫌々に嫌々殺された人々。

 2.3~2.13:札幌冬期オリンピック。スキージャンプで笠谷とかの日の丸飛行隊。トワエモアがなんとかというテーマソング歌ってました。

 2.16~3.7:連合赤軍事件。賢い人達が賢くない人達のためにいらんことしようとして仲間を惨殺した。民衆は君らに何の頼みも望みも期待もしてないという簡単な現実が分かりませんか? それ以来、「総括」という言葉を使いたくなくなった。原義では良しとしても、業界用語としての使い方は元々嫌いだった。今だに意識して使っていない。「自己批判」も日本語として美しいと思わなかったのか、それともその言葉を発していた人達を尊敬できなかったのか? 未だ答えはないが、「自問」と「反省」を使っている。

 連赤事件の真っ只中の2.24にモンゴルと日本が国交樹立していたと初めて知った。田中角栄の日中の前に佐藤栄作がやってました。しかも交渉場所は、なんとモスクワです。わざわざ日本代表とモンゴル代表が油たいて二酸化炭素吐いて、クレムリン宮殿までいかな埒あかん時代やったんです。朝青龍がおったら暴れまくるところです。

 3.21:高松塚古墳発掘される。青龍、朱雀、白虎、玄武に護られた壁画は古代朝鮮の壁画と瓜二つであり、晴れた日にいにしえの日本と朝鮮の関係を想像するには最適なスポットです。たまには飛鳥路散策でも。

 3.30:全農発足。

 4.4:外務省極秘電報漏洩問題で、毎日新聞の西山太吉記者が逮捕される。この頃ぐらいまでは骨あるジャーナリストが活躍しとったんや。その後、西山氏は権力に人生ムチャクチャにされたらしい。

 4.27:春闘初の交通ゼネスト。この時は会社辞めて失業保険で食ってたので、印象も思い出もなし。高給取りがストライキするんでねぇ。すぐ引っ込めるくせに伝家の宝刀を気安く抜きやがって、ぐらい。

 5.13:ミナミの千日デパートビル火災、客、ホステスら118人死亡。西淀川の女友達のアパートで、その様子をテレビの実況で見てました。その日、息も絶え絶えに京都にたどり着いた津田氏に拝伏。

 5.15:沖縄返還。「沖縄県」できる。

 5.30:テルアビブ。

 さらーっと1972年の前半だけでも、なんとタフな季節だったんやなと、あらためて気付かされた青春時代への回顧でありました。
                                                            (北野要)




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