●伝統的な田植えの風景
●伝統的な牛による耕起
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ネパール・タライ平原の村から ③

村の田植えについて

今年からネパールの農村で生活を始めた、元よつ葉農産社員の藤井君による、ネパールの人々の暮らしや農業に関する定期報告。その三回目です。

 前回、タライ平原は現在、「水牛に変わり、トラクターが走る風景の方が多く見掛けるようになった」、「山岳部と比べ、村の中での互酬的な関係が崩壊しつつある」という内容を記しました。

 ところが…、これまで一時的にしか降らなかった雨が毎日降るようになり、カラカラの土が息を吹き返したかのように柔らかくなった7月。田園地帯のあちこちで、牛が犂を引いているではないか! 村の人達が、一緒になって田植えをしているではないか!

 「これは一体どういうことよ?」と尋ねると、「それでもやはり、以前と比べ、村の田植えは、変わって来た」と村人の返事。今回、ずいぶん変化したという田植えを見てみたい。

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 雨季の直前、種モミが播かれた田畑の一角(苗代)が淡い緑一色に染まる頃、学校は田植え休み。いつもは町で商売している人も、この時期は水田へ。そして、畦を高くし、崩れた部分を修復する畦塗りが始まります。「いつ植えるか」「誰に手伝いに来てもらうか」「十分な水があるか」と、それまでのんびりしていた村中が、急に田植えの話題で持ちきりになり、騒がしくなって来ました。そして除々に大雨が降るようになり、天水田の水かさが増えたことを確認し、田植えが始まります。前回も書きましたが、水については、モーターで地下水を利用する揚水潅漑もあります。

 田植え当日になると、二頭の牛による耕起を行なう者、トラクターで耕す者、苗代の苗を引き束ねる者、水田を均す者……。これまで乾季の間には、家畜が放牧され、閑散としていた田んぼが人でにぎわいます。とくに、トラクターの運転手は、この時期、非常に忙しい職業となります。そしてどの水田も5~10人が集まり、苗は3本くらいを目安に、適当(適度)な感覚(間隔)で植付けられていきます。
 田植えとなると各戸、どうしても人手不足になります。そのため、今日は私の水田、明日はあなたの水田と、共同作業が続きます。自分の家の田植えが終わったから終了ではなく、翌日、翌々日は他の家の田植えという具合です。

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 数十年前まで、こうした村の共同作業の仕組みは、無償の労働力を交換して行なわれるのが当然だったといいます。ところが、現在では、お互いに無償で人を出すことは常識ではなくなってきたとのことです。ある世帯は「日当いくら」とか、短時間であれば「時給いくら」という具合で、そのほか、ご近所・顔見知りかどうかで日当も違ってくるそうです。いずれにせよ、無償の共同作業も、さまざまな条件で相手と交渉するように変わってきたようです。

 このように互酬的な関係が変化した背景には、出稼ぎによって現金収入が増えたこと、農業以外にも多様な職業選択の機会が増えたことなど、経済の変化を指摘することができます。また、タライ平原は異なるカーストが集まってきた移住地であるため、仕事の仕方や考え方の相違もあると思われます。
 もう一つ、牛による耕起が減り、現金を支払って、トラクターによる耕起が増えたのは、機械化や経済的な理由だけでなはないようです。というのも、タライ平原には自然保護区に指定されている部分があり、上からの規制によって牛を養うための牧草地帯が減少したからです。地元の人によれば、昔と比べて相当減ったとのことです。

 このように、村の中から外から、様々な変化に対応しながら、村の田植えは続いています。
                                                             (藤井牧人)



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