●『とっさのマルクス』
幻冬舎、2009年
HOME過去号>77号  


寄稿―現代社会を見る眼 ⑤


リーマンショック後の世界

    大不況は長期化する

 識者の皆さんによる、現代社会を鋭く射抜くエッセイ。第五回目は、マルクス研究で知られる的場昭弘さん(神奈川大学教授)に、リーマンショックからギリシャ危機や日本の財政赤字といった今日の状況について、マルクスの警句を踏まえ、コメントを寄せていただいた。

                                                  

 マルクスは『資本論』第一巻にこう書いている。

 「株式投機ではいつか自分に雷が落ちるとわかっていても、自分だけは黄金の雨を受け続け、それを安全な場所にもっていって、雷が落ちるのは隣人であると期待するのである。後はどうとでもなれ、これがすべての資本家と、資本主義国民の標語である。だから資本は、社会が対策を立て強制しない限り、労働者の健康と寿命のことなど何も考えない」。

 なるほど後はどうとでもなれ。一昨年のリーマンショック以後の各国のなりふり構わない国債発行による国家資金注入のことを考えるといいかもしれない。大恐慌によって生じた大パニックを避けるには、国家による資金注入に限るということかもしれないが、避けられるのは大パニックだけであり、そもそも大恐慌の原因であった過剰生産、過剰投資、過少消費によって起こった巨大なツケはたらい回しされるだけであり、本質的な問題の解決にはならないことは百も承知である。案の定、労働者の暮らしは企業経営の改善ほどにはよくなっていない。

 とはいえ人々は、少しでも落ち込んだ景気が回復すると、すべてが終わったかのような錯覚と、大恐慌は避けられた、資本主義は勝利したのだというユーホリアにすぐに入っていくから不思議である。

 しかしよく考えるとあの大恐慌のパニック回避策ともなった悲惨な第二次大戦があったにもかかわらず、景気回復は長期化し、結局1950年までそれ以前の経済水準に回復しなかったことを見れば、今回のリーマンショックのような問題は容易に回復するわけではないことに気づくのかもしれない。


                                   ★   ★

 回復のほろ酔いが全身にまわり始めた昨年暮、ドバイの破綻が告げられ、やがてそれが明けて今年の四月ギリシア、スペイン、ハンガリーなどへと国家破綻の問題として駆け巡り始めた。あの大恐慌に比較すると、アメリカ合衆国銀行(連邦銀行ではない)の倒産から恐慌の第二幕に入った。今回は巨額の財政赤字によって企業や銀行の倒産が避けられているがゆえに、企業の破産よりも、国家の財政破綻の方にしわ寄せが来ている。とすると、今回の一連の財政危機の問題は、あの大恐慌の二幕目と考えられるかもしれない。株価は一万円前後で上げ渋ったままである。
本
 つい先日アメリカ連邦準備制度理事会のバーナンキ議長は、経済の先行きを「異例なほど不確か」と述べたが、それはすでに大恐慌の専門家でもある彼自身でさえ打つ手がなくなったことを意味している。大恐慌を大パニックに至らしめないために国家が大量に資金をばら撒く政策は、最終的には国家の財政負担となって、問題が未来に先送りされることを意味する。その間に企業や銀行は財務を建て直し、しかも国家はそれによって得られる税金よって財政を立て直すことが期待されている。しかし財政赤字が巨額であればあるほど長期化せざるをえない。これを短期で解決するには新興国などへの投資と工場移転によって、新たなバブルを創出するしかない。確かにこれを行ったが、ここに来て新興国バブルも悪循環に陥り始めている。すなわち、景気の過熱とそれによる賃金上昇、インフレである。軒並みに熱を冷ましつつある。

 本来資本主義にとって恐慌はプラスに働くものである。悪い膿を出すのと同じように、競争力のない企業をはじき出し、再スタートを開始することで、新たな出発点が生まれる。もちろんツケを払い切れないものは倒産するしかないのだが、そうでないものにとっては新たなチャンスとなる。今回は大パニックを恐れ、再出発の可能性の芽を摘んだ。エンゲルスが『資本論』第三巻の注で、循環型恐慌がなくなったことで恐慌の規模、すなわちエネルギーが巨大化するのではないかと述べているが、それは今でも間違ってはいない。


                                 ★  ★  ★

 もっともなぜこうなるのかといえば、それは世界的なレベルで独占が進み、そうした独占企業を潰せない状態が存在していることに理由がある。「大きすぎて潰せない」という言葉は、世界的独占企業は、国家戦力としても重要で、もはや国家資本の様相を呈しているのである。国内の独占禁止法が存在しえないほど、世界レベルの競争に向けて独占化が進んでいる。そうした企業を潰すと、国家も倒れかねないという懸念が、なおさら国家財政による企業支援へとつながっていく。こうした資本の国家依存についてマルクスはこう述べた。

 「金融市場のすべての人と、金融市場のこの司祭たちにとって、国家権力の安定はいつの時代もモーセと預言者を意味したが、今日のように大洪水が起こり、旧い国家もろとも旧い国債を紙くずにしてしまう恐れがあるような時にはなおさらそうなのだ」(『ルイ・ボナパルトのブリュメールの一八日』)。

 国民もこうした恐怖に怯え、税金や公債で企業を救わんとする。その企業がもし国際競争で勝ち目のない企業なら、こうした救いがある以上無駄に存在するだけである。むろん企業が生き延びるだけ、国家にしわ寄せが来る。先日のG20で日本の財政赤字が問題の外に置かれたということは、国家破綻回避策など日本にとっては無効ということか。


                                 ★ ★ ★ ★

 膨れ上がった国債の赤字をいかに償還するか。もっとも楽な方法は経済成長ということになるが、それには新興国バブルとエコロジーバブル(在庫一層セール)しかない。しかしこれもだめだとなると、低成長下での償還ということになる。そうなると、デフレによる償還額の水ぶくれの懸念がある。日本の場合、条件はかなり苦しい。増税の苦しみに耐えることは個人的には回避できる。法人が海外への本社移転をちらつかせながら、法人税引き下げをせしめ取るように、日本脱出をほのめかすことで税上昇を抑えるか(多分無理)、むしろ脱出するかである。

 すでに高額の税を支払うものの中には、着々とその準備をしているものもいるとか。庶民は最後には国家内部に封印され、戦後20年のように税を支払うまでは海外渡航も禁止となるかもしれない。祭りの後の片付けは大変である。蟄居を心がけるか、それとも滅び行くのみか。最後にマルクスの意味深な言葉をもって締め括ろう。

 「今の世代の人はモーセに導かれ砂漠を越えたユダヤ人に似ている。それはひとつの新しい世界を征服しなければならないだけでなく、新しい世界を処理しうる人に席を譲るために、自分はほろばねばならないからだ」(『フランスにおける階級闘争』、引用は拙著『とっさのマルクス』[幻冬舎、2009年]より)。

                                                             (的場昭弘)



©2002-2019 地域・アソシエーション研究所 All rights reserved.