●砂の海に浮かぶ漁船
●2008年10月5日
●アラル海の面積の歴史的変遷
●アラル海と周辺諸国の位置関係
●石田紀郎さん
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活動報告―アラル海問題から見る人・水・農業


20世紀最大の環境破壊から何を学ぶか

 7月9日、本誌のコラム「市民環境研究所から」でもおなじみの石田紀郎さんをお招きし、関西よつ葉連絡会との共催で、アラル海問題に関する講演会を開催した。石田さんは、農薬や合成洗剤などが環境に与える影響を研究する環境毒性学をご専門とする傍ら、20年以上にわたってアラル海問題に携わり、人間と水の望ましい関係について考えてこられた。以下、講演の内容を簡単に紹介する。

はじめに

 今日のテーマは「人・水・農業」です。これは私の終生のテーマでもあります。かつて琵琶湖の調査にも携わりましたが、琵琶湖の水が安全で飲める、あるいは魚がたくさんいる状態になるような農業にしていないと、農産物人もだめになってしまう。私は農学部出身ですから、農業から出発して考えていくと、水の話になって、湖の話になっていったわけです。そこから、いつの間にか中央アジアのアラル海へ行くことになって、20年以上にわたって砂漠の中を歩くようなことを続けています。
石田さん
 さて、昨日は鹿児島で1時間に100ミリという、とんでもない雨が降りましたね。1時間100ミリの雨は、僕も大台ケ原で1回経験したことがありますが、息をするのも困難なほどです。日本の年間降雨量は1800ミリくらいですが、今年はこれだけの梅雨なので、2000ミリ近くになると思います。一方、今日お話しする中央アジアは1年間に100ミリほど。とくに、私が活動の中心にしているところでは50ミリ、1年間で雪も含めて5センチくらいしか降りません。

 つまり、地球上の淡水の分布は非常に不平等と言えます。世界の年間降雨量の平均は、およそ880ミリ。先進国で1000ミリ以上の雨が降る国は、日本とカナダくらいじゃないでしょうか。フランスで600~700ミリくらい。アメリカは800ミリくらい。ドイツも600~700ミリくらい。イギリスもそれくらい。だから、日本は水という一番大事な資源で見れば資源大国なんです。我々人間はこの水を使って生きているわけですから、水について十分知らないと、今後の世界や地球、人間について考えられないという思いがあります。


不平等な水の分布

 水の分布が非常に不平等だと、水を使える所と水を使えない所との間で対立関係が生まれる可能性があります。大陸なら、一つの川でも上流と下流で国が違うことも多く、国と国との対立や紛争にもつながる。実際、20世紀の中ごろから、対立や紛争が増えています。たとえば、ガンジス川、ヨルダン川、ナイル川、チグリス・ユーフラテス川。最近はメコン川が怪しくなってきました。上流の中国がたくさんのダム造って水を取ったため、下流のタイやラオスでは水がなくなってきた。中国は国内でも、長江や黄河の上流地域と下流地域で水争いを抱えています。こういうことは、今後ますます起きてくるでしょう。

 その背景にあるのが、世界人口の急増です。2000年の世界人口は62億人でしたが、現在は68億人になっています。2025年になると、12億人増えて80億人になると予想されています。つまり、これから15年間で、中国がもう一つ地球上に現れる計算です。もちろん、増えた人々は飯を食べるので、さらに食料が必要になる。米も小麦も野菜も、豚も牛も羊も、食料はすべて、水がなければできません。その意味で、水の重要さは年を追うごとに高まっていくはずだし、同時に水をめぐる争いも増えていくでしょう。

 たとえば、米1トンを収穫するためには、300トンの水が必要とされています。小麦なら250トンくらい。ただ、川から田圃へ引いてくる間に蒸発したり地中に浸透したりして、田圃に入る水は当初の3分の1くらいに減ってしまいます。その意味では、水が1000トン要ることになる。水の制約があるので、農業の生産量はそれほど急増しない。人口増加の速度とは比べものにならない。だから、不平等に分布している水を、どのように平等に分配していけるのか。今後の我々にとって、最も重要な課題だと思います。

 ただ、いつも学生諸君に言っていますが、人類は80億人くらいまでは知恵を絞れるけども、今から40年後、2050年の100億人なんて状況になったら、分からないですね。そんな人口の中で、世界中が仲良く生きていくイメージが湧いてきません。だから、せめて80億人になるまでには、人口の急増を抑えたり、食料の生産を増やしたり、生産量は変わらなくてもうまく分配して、仲良くできるようにする努力が必要です。現在の世界では、飽食で大量に食料を捨てている日本のような国がある一方で、餓死者が続く国がある。こんなことでは、どうしようもない。それは国内でもそうです。こうした構図をどのように変えていくのか、私たちにとって、その努力が問われていると思います。


消えゆくアラル海

 前置きはこれくらいにして、アラル海の話をさせてもらいます。アラル海というのは、中央アジアのカザフスタンとウズベキスタンに跨って存在する湖です。いわゆる「中央アジア」は、地理的には中国の西側、ロシアの南側の地域、カザフスタン、キルギス、タジキスタン、ウズベキスタン、トルクメニスタンの5ヵ国を指しています。この5ヵ国は、1991年のソ連崩壊まではソ連邦を構成していました。5ヵ国の南側にはアフガニスタン、パキスタン、イランがあります。
アラル海
 アラル海は、1960年くらいまでは、世界で4番目に大きな湖と言われていました。日本の人にとって分かりやすく言えば、およそ琵琶湖100個分、九州と四国を合わせたくらいの面積です。ところが、次頁の図を見ていただければ分かるとおり、年を追うごとに小さくなっていきました。私が初めて訪れたのは1990年。10年後の2000年には、かなり縮小しています。そして一番右は08年の衛星画像です。2000年に存在した右の部分が一気に干上がっています。言わば、昔は京都くらいの場所にあった湖岸線が、年を追うごとに干上がって、米原、岐阜羽島、名古屋と後退し、今は浜松の辺りまでになってしまった。このスケールは現場を20年歩いても、なかなか実感できません。琵琶湖100個分の面積があった湖が、琵琶湖10個分を残して干上がり、砂漠になった。こんな短期間に、こんな大規模に地形変化が起こったのは、地球上ではここしかありません。
アラル海
2008年 私は、2012~2013年くらいまでは、何とか水が残ると思っていました。しかし、あっと言う間になくなりましたね。下の写真にあるような風景になっているはずです。というのは、まだ乾燥していないので自動車が近づけず、どんな状況か実際に見られないからです。とはいえ、それまでに干上がった旧湖底から類推すれば、そのうち砂漠になるでしょう。それがこの写真です。昔に使っていた漁船も貨物船も、冬季に避難していた間に水が干上がって動けなくなった。こんな船が何十隻、何百隻とあります。かつては、キャビアを産むチョウザメ、大きさ2メートルくらいのナマズなど内陸国では重要なタンパク源となる魚がたくさん獲れましたが、漁獲高は年々減少しました。とくに、南の大アラルは塩分濃度が海よりも濃くなって、魚が生息できなくなり、1980年代に漁業が壊滅しました。
船
アラル海問題の発端

 ところで、そもそもアラル海の水はどこから来ていたのか。中央アジア5ヵ国のうち、カザフスタン、キルギスと中国の国境地帯には天山山脈が、タジキスタン、アフガニスタンと中国の国境地帯にはパミール高原があります。いずれも平均標高5000メートル以上もある高山帯で、氷河が続いています。天山山脈の氷河の水は流れ出してシルダリア川となり、パミール高原の氷河は溶けて出してアムダリア川となり、この二つの川が砂漠の中を通って流れ着いた先がアラル海です。この山から北海までは、もう高い山はありません。北海の方から来た風は天山山脈、パミール高原にあたって氷河になって水分を失う。だから、低地は年間50ミリしか雨が降らない。

 そういう雨が降らないところで、人々はどう暮らしていたかと言えば、遊牧です。カザフスタンはもともと全体が遊牧民の国です。だから、カザフの人は昔からモンゴルと往来しており、モンゴルにもカザフ人がたくさんいる。隣接する中国の新疆ウイグル自治区にもたくさんいます。要するに、草が生えたところに家畜を持って行く遊牧の民だった。内陸部ですから、夏はとてつもなく暑く、冬はとてつもなく寒い。冬の平均気温はマイナス10度~15度、最低でマイナス35度か40度くらいになります。逆に夏は50度くらいまで上がります。でも雨が降らずに乾燥しているから、過ごしやすい。

 では、アラル海はなぜ干上がってしまったのか。アラル海から流出する川はありません。かつては、アムダリア川とシルダリア川から流れ込んだ水が蒸発していくことで、バランスが取れていたわけです。ところが、1950年代の終わりから、旧ソ連では「自然改造計画」が実施され、農地開発の潅漑用水をとるために、二つの川の中流域に運河が張り巡らされるようになり、農業用水の大量取水が行われるようになりました。運河と言っても2キロや3キロではなく、100キロくらいの距離があります。そこまで行けば、水が本流に戻ることはありません。その結果、流量が激減して、川幅300メーターくらいだったのが150メーターくらいに、さらに下流では50メーターくらいになってしまった。アムダリア川からは、「カラクム運河」と言う世界最長の運河が延びています。総延長は当初1100キロ、今は1400キロ。そうした運河で緑化され、農地となった部分を全部足すと、900万ヘクタールくらいになります。日本の耕地面積は水田も畑も果樹園も牧草地も入れ約470万ヘクタールですから、ちょうど倍くらい。それだけの農地を雨の降らない砂漠の中に作ったわけです。栽培しているのは、ほとんど綿花、それから米が少しです。


「アラル海は美しく死ぬべき」

 なぜそんなことをしたのか。実は、第二次世界大戦後に東西冷戦が激化したとき、ケネディのアメリカを筆頭とする西側陣営は、フルシチョフのソ連が率いる東側陣営に経済封鎖をしました。バターや小麦、綿花を買えないようにしたわけです。綿は衣類だけではなくタイヤの裏地などにも使う重要なものなので、ソ連は大きな影響を受けました。何としても自力で綿を生産する必要に迫られた。それで「砂漠を緑に」というスローガンを掲げ、砂漠に水を引いて綿畑の灌漑農地面積を一挙に増やしました。この結果、綿の生産量は急上昇します。最終的には、中央アジアがソ連の綿花生産量の95%を担うことになり、それを東欧の衛星国に輸出して、いわゆる社会主義陣営を維持していった。こうした農業政策によって、フルシチョフは比較的長い間、安定した政治権力を確保したと言われます。

 もちろん、そうした成功と引き換えに、アラル海は干上がってしまったわけです。この点をどう考えるか。上手いこといったじゃないか、水のない砂漠に水を引いて綿がいっぱいできたんだから、湖が一つくらいなくなってもいいや――、そう考えるかどうか。ソ連の場合は、明らかにそう考えました。実際、ある議員が最高会議(国会)の演説で「しかし社会主義の勝利のためにはアラル海はむしろ美しく死ぬべきである」と述べたと言われています。水を取ったらおそらくアラル海は干上がるだろう、魚も獲れなくなるだろう、船も動けんようになるだろう、嵐も起こるだろう、多少住みにくくもなるだろう、と。でも、そのおかげで、綿花の畑がたくさんできる。たとえば、魚を獲ってもせいぜい10億にもならないのが、綿花で1000億儲かるとしたら、よっぽどいいだろう。こういう考え方が続いてきたわけです。ソ連の内部資料を見ていると、無駄に空気中の中に蒸発していく水だったら、ここで全部水を取って、農業やった方が得やないかという言い方をしています(ただ、まだ掘り起こせてない文献があるので、今後の研究を期待したいところです)。

 ただし、そうした考え方がソ連だけに特有のものだったかと言えは、そうではないでしょう。日本だって似たり寄ったりの考え方だったと思います。たとえば、かつて東京が水不足になった際、東京都知事はこんなことを言った。新潟の信濃川の水は無駄に日本海に流れている。南アルプスの下にトンネルを掘って信濃川の水を東京へ流せば、東京は水不足を解消する。その分のお金は払う、と。実際、新潟県知事に申し入れをしています。しかし、新潟県知事は断固拒否しました。

 東京都知事の考え方は、フルシチョフとほとんど一緒ですよね。信濃川が新潟に流れて魚が獲れたって、せいぜい10億、20億の世界。大したことない、東京の水不足が解決すれば、100億、1000億儲かるじゃないか、と。日本はかろうじて断念したけれども、ソ連はそのまま進めてしまった。工業生産のために自然を省みない、そんな価値観が支配的だったという点では、ほんのわずかな違いに過ぎません。


放棄田の拡大と住民の健康悪化

 いずれにせよ、こうしてアラル海は干上がりました。干上がったこと自体も大変ですが、それに伴って、さまざまなことが生じてきました。なかでも深刻なのが「塩」の問題です。実は、古代の中央アジア地域は、地中海からモンゴルあたりまで大きい海だったと言われています。その後、インド大陸がユーラシア大陸に衝突してヒマラヤ山脈が隆起した際に天山山脈が形成され、中央アジア地域も陸地になったとのことです。大昔は海だったために、もともとアラル海の塩分濃度は海水の3分の1程度あったし、このあたりの地下水や土壌そのものも塩分を多く含んでいるわけです。ところが、そういう土壌の土地に潅漑をすると、毛細管現象で土の中から塩が噴き出してくるんですね。これを「塩類集積」と呼びますが、大きな問題になっています。

 せっかくアラル海を犠牲にしてまで作った灌漑農地ですが、年を追うごとに塩類集積が進んで地表に塩が噴き出してくるようになりました。作物の生育にとっては阻害要因です。栽培している綿の木も、塩のせいで30センチくらいしか伸びません。だから、作物を育てる前段階として、種を播く前に地表の塩分を洗い流す作業が必要となってきました。最初は一回で洗い流せた塩も、集積が進むと二回、三回と繰り返す必要が出てきます。それでも塩が洗えず、ついには放棄田となってしまう。放棄田では雑草も生えず、放牧地にもなりません。結局、農地をつくったにもかかわらず、潅漑農地として使えたのは、わずか20~30年に過ぎませんでした。

 塩害は、塩類集積だけではありません。アラル海の最近になって干上がった部分は、塩分濃度が海水の3倍以上あります。まだ乾燥していませんが、やがて間違いなく瀬戸内海の塩田のように塩が噴き出して、風で飛ぶようになる。おそらく綿花地帯に飛んで、綿花を上から塩が叩きだす。そうなると、また放棄田が増えてくるはずです。

 放棄田の面積は100万ヘクタール以上と言われています。ところが、正確な統計は出てきません。というのも、放棄田の面積を公表すれば、その分だけ運河からの取水量を減らすよう圧力がかかってくるからです。中央アジア5ヵ国はソ連が崩壊して各々独立国になりましたが、ソ連時代に割り当てられた水利権は依然として維持しています。だから、国と国との利害関係もあって、どれだけ放棄されたか、よく分からないのが実情です。

 それから、アラル海の干上がった部分は砂漠、しかも塩砂漠となって、強烈な嵐が頻繁に起こるようになりました。私も体験しましたが、口を開けなくても口の中がザラザラになるくらい砂と塩が飛んでくる。遮るものは、林はおろか木すらありませんから、砂と塩が押し寄せて小学校を潰したり、民家を潰したりする。私が行った村は完全に潰れてしまい、少し移動して新しい村を作らざるを得ませんでした。

 あと、水の流れが変わりましたから、飲み水の質も変化しました。アラル海周辺にある村の人々は、ソ連が住民対策で掘った井戸の水を汲んで使っていますが、もともと塩分を含んだ水だったのが、さらに塩辛くなってしまいました。私は京大に勤めていた時代に60ヵ国600ヵ所の水を集めて、塩分濃度を分析したことがあります。世界保健機構(WHO)が決めた塩分濃度の平均値は200ppmです。ところが、カザフにもウズベクにも、平均値以下の水がありません。一般的なイメージと違って、アフリカの水の方がかなり良質なんです。

 砂嵐は起こる、塩は飛んでくる、悪い水しかない――。こうなれば当然、住民の健康にも影響がでてきます。とくに影響を受けるのは、女性と子どもです。特別な病気が現れるわけではありませんが、全体的に悪化します。たとえば、乳児死亡率。これは第二次世界大戦後、どの国でも減少していますが、アラル海周辺だけは逆に増えていました。最近の医療の進歩によって、やっと減るようになりましたが、子どもの病気を見ると、水が悪いために消化器関係、砂と塩のために気管支関係、これらに関わる病気が増えています。乳児は死ななくなったけれども、子どもの病気は増えている。さらに、女性の貧血の割合が非常に高い。8割は貧血で、1割くらいが重度の貧血。私はかつて順天堂大の千葉先生を中心にしたチームと一緒に、住民の健康状況を調べたことがあります。残念ながら、現在はチームが解散したので、長期的な影響については分かっていません。一部はウズベクにある国境なき医師団が担当していますが。ほとんど誰も手をつけていない部分も多い。だから、人間の被害に関しては、分からないことだらけです。


アラル海問題が示す教訓

 さきほど、「アラル海は美しく死ぬべきである」という言葉を紹介しましたが、現地の実情を見るにつけ、むしろ「断末魔の苦しみで暴れている」と言うべきだと思います。

 それにしても、もともと雨が降らないからといって、こんな形でなければ農業は不可能なのか、あるいは、果たしてこれがこの地域で一番賢い水の利用法だったのか。昔のオアシス農業とか、大規模な運河を造らず、川の水量が変わらない範囲で潅漑をしておけば、100年、200年と続くような農業ができたのではないか、等々。まさに、我々が21世紀に解決しなければならない課題が数多く含まれています。私がアラル海に関わったのは、こうした課題をもう一回考え直すための機会を提供してくれているような気がしたからです。そんなことを考えながら、気がつけば20年ほどになりました。

 最近でこそ、我々は「持続可能な開発」とか何とか言うようになりました。しかし、その「持続」は、いったい何年を想定しているのか。私たち研究者同士では、年数を示さない「持続的」など信用できない、と言っています。100年ならともかく、わずか20年~30年ではとても持続的とは言えない。そんないい加減な言葉では、何も解決できません。

 中央アジアの場合、少なくとも数百年にわたって遊牧が営まれてきたわけだから、遊牧を続けていれば、これから何百年も生活していけたと考えられます。ところが、こんなことになってしまえば、ラクダも食えない植物しか育たない。

 この地域は、遊牧はしなくなりましたが、現在でも牧畜はやっています。牧畜の場合、一番良好な環境で育てるのは牛と羊です。牛は水がある程度ないと生きていけません。その次が山羊。羊と山羊だったら山羊の方が強い。だから、環境が厳しくなるにつれて山羊が主流になってきます。さらに、山羊でも厳しくなるとラクダの世界になります。ラクダは砂漠でも充分生きていける。しかし、塩が噴いてしまえば、さすがにラクダも育てられません。こんな状況でどれほど生活していけるのか、危うい限りです。


「木のない九州」に木を植える

 だから、我々がここから何を学ぶのか、世界とまではいかなくても、せめて日本で発信し続けたいと思って通い出し、20年ほど各地を歩いてきたわけです。その中で、かつては湖底で現在は砂漠となった部分をどうするか、ということになりました。砂漠になったために嵐の発生する頻度が非常に高くなり、砂や塩が広範囲に飛び散り、人々の生活を蝕んでいく。それを防ぐためには、木が必要です。木が生えれば砂の移動も緩和され、草も生えてくる。種も落ちて芽が出る。それが積み重なれば、人も住めるようになる。そう考えて植林を始め、現在も続けています。

 植えているのは、サクサウールという木です。これは最高の炭になります。この地域には、中近東にあるシシカバブと同じような「シャシリク」という羊肉や牛肉の串焼きがありますが、これを焼くのに最高の炭になる。燃料としても使えるので、住民の民生としても大いに役立つ。そう考えて植えているわけですが、なかなか成長しない。年輪が1年に1ミリくらいしか伸びません。だから、薪になるのは30年か40年。でも、非常におもしろい木です。砂漠の木なので、地上部は大きくても3メートルくらいにしかなりませんが、地下は根っこが15メートルにもなる。それで地底の奥にある水を吸って生きているんです。

 ただ、これまでに干上がった旧湖底砂漠の面積は、およそ九州に匹敵するほどでます。それで植物は全く生えていない。つまり、木が1本もない九州を林にするようなものです。そんなことは土台できるわけがありません。いつまでも植えられるものではないし、自然に増えていくのを狙わない限り、植えてなんとかなる面積ではない。日本の総予算をかけても無理。自然の力に頼るしかない。だから、ある程度の段階まで植林をして、あとは自然更新されるのを狙っています。

 植林をして3年ほど経てば、実ができて飛んでいき、あちこちで芽を出す。それに、植えた木が活着すれば、風が吹いても砂や塩の移動が止まる。種が木と木の間に吹き溜まるようになる。落ちた種が芽を出して一年生の雑草が生え、別の雑草が生え、自然の防砂林ができていく。これを期待するのが我々の仕事だと考え、木を植えています。最初はうまくいきませんでしたが、徐々にやり方が分かってきました。以前はこの土地に穴を掘って、苗木を植えていましたが、土壌に塩が多すぎて定着しなかった。そこで、穴を掘ったあとに塩を含んでいない砂丘の砂を持ってきて入れて、そこに苗木を植えてやると、2年くらい砂の中で大きくなり、3年目くらいには自力で定着できるようになる。そのノウハウをやっと見つけました。


「アラル海再生」の断念

 そんなことをしながら、どうやって生きていけるのか、村の人たちと一緒に考えています。あまり役に立っていませんが。でも、もう漁業を回復するのは無理なんですね。僕も最初の頃は「アラル海再生」なんて言葉を使っていましたが、今ではとても無理だと思っています。というのも、運河で潅漑をした農地には、すでに数百万人が農業で生計を立てているからです。アラル海を再生するためには、取水の禁止か厳しい制限が必要ですが、そんなことをすれば、この数百万人は生計の道を絶たれるわけですよね。だから、アラル海を再生しようと思ったら、大規模な産業開発で雇用先を確保し、その数百万人を集団移動させるようなことが必要になってきますが、それは不可能です。となると、アラル海が干上がるのを止められません。

 では、アラル海周辺で暮らす人々は、どうやって生きていくのか。かつては一つだったアラル海は、1989年頃に南の大アラル海と北の小アラル海に分断されました。ただ、その後も水路でつながってはいました。しかし、未だにシルダリア川の水が注いでいる小アラル海を生かすため、カザフスタン政府は2005年にダムを造り、小アラル海に入った水を大アラル海に流さないようにしました。この結果、小アラル海の水位は徐々に回復し、魚も戻ってきました。だから、多少は漁業もできるようになったんです。

 ウズベキスタンの場合は幸いなことに、旧湖底の砂漠から天然ガスが出ることが分かりました。だから、ウズベキスタン政府は本音では、早く干上がって欲しいと考えているでしょう。天然ガスを掘るときに、地面がぬかるんでいれば自動車で行けないけれども、乾けばトラックですぐに運んで行けますから。だから、この辺の住民に対しては全く手当をしてない。早く出て行け、居たら邪魔になる、という感じです。しかも、天然ガスのプラントというのは、あまり人が要らないから雇用は創出されない。

 そんな状況の中で、大したこともできていませんが、私としては木を植えながら一緒に考えていこうと思っています。


日本も他人事ではない

 最後に、話を戻します。今日お話ししたアラル海の経緯について、皆さんはどうお考えになりますか。やはり水がないところはそれなりに生きて行ったらいい、と思うのか、いや、じゃんじゃん水を使ったらいい、と考えるのか。これは私の問題提起です。

 最初にお話ししたように、すでに世界のあちこちで水をめぐる戦争が起きています。ナイル川は深刻で、上流国が水を取りだしてから下流国には水が来ないようになっています。最近だったら、中国の新疆ウイグル自治区北部からカザフスタン南西部にかけて流れるイリ川も危ない。それから、メコン川の渇水も問題になっています。中国はメコン川の上流でダムを造っています。事態がさらに深刻化すれば、戦争になりかねない。水の取りあいで戦争をするのか、もう少し賢い方法で解決するのか。

 日本も他人事ではありません。日本の食料自給率は、ここ数年40%前後を推移しています。言い換えれば、6割は外国から輸入しているわけです。いまはまだいいとしても、世界人口が70億、80億になった時代に、どこが米を売ってくれるか、肉を売ってくれるか。そういう問題に突きあたるのは間違いありません。少なくとも、いまのような大量輸入なんてできないことは明らかです。でも、そんな時代に備えて水の確保ができているのかといったら、まったく考慮していませんよね。かつては淡路島や明石のあたりにため池がたくさんあった。しかし、その数は年々減っています。これで大丈夫なんでしょうか。

 繰り返しになりますが、人口、農業、食糧、水の関係が今後どうなるか予想したとき、もともと世界に不平等な分布しかない水を平等に使って生きていくことを真剣に考えないと、大変なことになる時代を迎えている。今日のお話で、この点を多少なりとも分かっていただけたなら幸いです。

                                             (終わり)



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