●土地なし農民の耕作地(水田)
●村の風景
●ネパールの位置関係
HOME過去号>76号  


ネパール・タライ平原の村から ②


どんなところに暮らしているのか


 今年からネパールの農村で生活を始めた、元よつ葉農産社員の藤井君による、ネパールの人々の暮らしや農業に関する定期報告。

 8000メートル級の山が14座あるヒマラヤ山脈に位置するネパール。山の尾根から谷底まで段々畑というような地形条件の中で、多くの人々が農業を営んでいます。ネパールでは、人口2600万人のうち、9割が農村で暮らしています。しかし、いま僕が住んでいる地域は、こうした山岳部とは異なる、「タライ」と呼ばれる平野部です。

 タライは1960年代、DDTの散布でマラリアが撲滅された後、政府の移住政策によって山岳部のあふれる人口の受け皿として開拓されました。生産性が伸びない山間部に対して、米・小麦・トウモロコシなど主食作物の穀倉地帯と呼ばれています。インド国境沿いにあり、ガンジス平原の一部を形成しています。

 首都カトマンドゥから、インドへと続く幹線道路沿いを約8時間。渓谷沿いに下ったタライ平原内の、カワソティ(ルンビニ県ナワルパラシ郡)という小さな町の近くが、僕の住む村です。

 村の中は、山岳部の過酷な暮らしから逃れて来た人々や、安い土地を買い漁った様々なカーストや少数民族からなる移住者主体の集落が形成されています。当初、数十件だった集落が、今では何千件という規模に膨れ上がっています。近年は、富裕層による土地の切り売りや建設ラッシュに沸く一方、人口圧によって貧困層の農地は細分化が進んでいます。

 また、1年を通して米が自給できる家と、そうでない家があり、不足分は国有地を耕作して担っている人もいます(いわゆる不法耕作地)。
 先住者主体で形成される集落の方は、田園地帯付近で、移住者と混じることなくタルー族が暮らしています。タルーは、移住して来た教育のある高位カーストの人々に農地を騙し取られる等、開拓により様々な変容を迫られた人々です。

 農地を多く持つ者/持たない者、移住者/先住者。それぞれに共通するのは、どこの家も水牛を飼い、稲ワラを餌に与え、糞を堆肥として再び水田に返す農業を基本としているということ。さらに農地を持つ者は、農地を持たない者を労働力として雇い、お礼は現金や収穫した野菜で支払う。同一民族間であれば、互いの田畑に出向いて労働力を交換する。農耕は食糧の供給だけでなく、村の人々をつなげる役割も担っています。

 そして近年、すべての人々が避けて通ることができないのが、近代化の波。平坦な地形は、水牛に変わってトラクターが走る風景の方が多く見掛けるようになりました。強い日射量と高い気温に恵まれた亜熱帯は、水さえ確保できれば米の二期作や三毛作を可能とするため、モーターによる揚水灌漑も進んでいます。

 小規模農家、つまり自給するために充分な農地を所有していない人々にとって、土地の生産性を上げようと機械化による灌漑を望むのは、素直な思いでしょう。何ヶ月と雨が降らない乾季の間、カラカラに乾ききった硬い土を、二頭の水牛を使って何日もかけて耕し続けるのは重労働で、数分内にトラクターを使って耕したいと思うのも、素直な思いです。ところが、効率と生産性が向上した一方で、「お金がたくさんいるようになった」、「農業だけでは喰って行けなくなった」、「山岳部と比べ、村の中の互酬的な関係が崩壊しつつある」という……。

 暮らしの中に、新しいモノ・考え・知識がどんどん輸入されて来る。これからどこへ向かうのか? 村の中で考えてみたい。

                                                          (藤井牧人)



©2002-2019 地域・アソシエーション研究所 All rights reserved.