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アソシ研リレーエッセイ
『タカセがいた』余摘



 前回、津田道夫さんが取り上げた高瀬幸途追悼文集『タカセがいた』は、私にとっても思い出深い本だ。高瀬さんは複雑な人だった。80年代、ビートたけしの本を編集し、一冊で一億円以上の売り上げをたたき出し、さらには太田出版という非常に物議をかもす出版社の社長をやった。『完全自殺マニュアル』という本を覚えているだろうか。100万部以上売れたが、さまざまな自治体で有害図書指定された。同時に、高瀬さんはすぐれた人文系、運動系の書物も出版した。柄谷行人の論考の編集もおこなった。柄谷さんは昨年、哲学のノーベル賞と言われているバーグルエン賞を受賞したが、そのきっかけとなった本の一つ、『世界史の構造』は高瀬さんが編集をやっていた雑誌『at』に連載された。『at』は、ネグロスバナナのフェアトレードなどを行っているオルタ・トレード(Alter Trade=『at』)ジャパンが期間限定(2005~2009)で刊行した雑誌だ。『有機農業は誰のものか』という特集号(2008年6月)には、アソ研事務局の田中昭彦さんも「関西よつ葉連絡会の現状と課題」という文を寄稿している。

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 高瀬さんは『at』が終刊した後、生活クラブ生協のシンクタンク、市民セクター政策機構の機関紙『社会運動』の編集を頼まれ、2014年から2015年まで6号編集した。その中の特集の一つが、能勢農場だった。津田道夫さんが「能勢農場とは―悪くなる社会の中で輝きを増す農場=コモンズ」、寺本陽一郎さんが「自然の前には人の能力差なんてちっぽけだ」という題でインタビューを受けている。津田さんは「関西よつば連絡会や関係する人たちも心の中に能勢農場を持ってほしい」「資本主義経済としてはどんどん危機的な状況になっていくだろうし、そこに足を置いてぼくたちの事業はあるのだから、中途半端な僕たちの事業が追いつめられるのは避けがたいだろう。そこで、どう持続的な形にしていけるのかが問われている。」と述べている。

 高瀬さんは2019年4月に71歳で逝去したが、この振れ幅の大きい稀有な人物が忘れられてしまうと私は焦った。何せ、私の結婚パーティにも来てくれた人だ。そこで結構リサーチして「高瀬幸途という“歴史”」という文章を書いて公開した。それもきっかけの一つとなって、高瀬さんのお連れ合いが中心となって、サンデー毎日の編集をやっている向井徹さんが編集して『タカセがいた』という追悼文集が生まれた。嬉しい限りだ。知らないことも多かった。映画『仁義なき戦い』の主人公のモデルとなった美能幸三とも親交があったのには驚いた。津田さんが高瀬さんを組織者といっていたが、よつ葉も扱っているルカニ村のフェアトレードコーヒーの辻村英之さんから美能幸三まで幅広く親交があったわけだ。さらには高瀬さんはベストセラーを連発する幻冬舎の社長見城徹氏とも20代から友人だった。見城徹は、80年代にロックスターの尾崎豊をプロデュースし、小説家の中上健次とも親しかった人だ。

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 向井さんに津田さんの文を送ったら、大変喜んでいた。そして、ここから自慢話となるが、「見城氏は、「『タカセがいた』でいちばん凄いのは、なんと言っても吉永さんの文章だよ。彼は僕以上に高瀬のことを知っている。いったい彼はどういう人?」としきりに訊いてきました」とのこと。大変光栄だ。 

 とはいえ、見城氏は、表紙にある「本で世界をつくり変えようとした男…」という文句がいたく気に入らなかったようだ。「そんな日共的プロパガンダが嘘だってこと、誰よりも分かっていたのが、高瀬と僕だ。2人とも、影響力のある本を出すことは資本主義を強化することだとよく知っていた。だからこそ、高瀬の革命は魅力的だったんじゃないか」と言ったそうだ。食えない人だ。

 確かに、見城氏はベストセラーを連発した。が、百田尚樹の『日本国記』やその方向の本もたくさん出版している。安倍政権にもメディア対策担当としてがっちり食い込んでいた。「影響力のある本を出すことは資本主義を強化することだ」の言葉通りに、見城氏は振る舞い、飲み込まれた。

 が、「高瀬の革命」の魅力的だったところは、そういう見城氏の権力迎合的なところと危険に共振しながらも、それとはまったく違うものを模索していたところだろう。その模索を継承し、さらに広げていきたい。

                     (吉永剛志:㈱安全食品流通センター)



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