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   香害・化学物質過敏症をめぐって 報告

    孤立する者の
ない社会のために

    よつ葉の配送現場の
事例から考え

 香害・化学物質過敏症は決して他人事ではない。関西よつ葉連絡会の業務の現場においても、日々の配達で被害者と出会うことがあり、担当者はそれぞれ工夫して対応している。過敏症被害者はかなり増加しているという現場の実感も伝えられる。近いうちに香害は文字通り新しい公害として語られることになるのかもしれない。私たちは被害者のメッセージとして何を受け止め、どのように私たちのメッセージを返すべきだろうか。ともに考えたい。



はじめに


 香害・化学物質過敏症は、香料入りの柔軟剤や洗剤、消臭剤、除菌剤など、生活の様々な場面で多用されている化学物質への被ばくによって、頭痛、めまい、吐き気、腹痛、意識障害など、多様な症状を引き起こす。場合によっては学校や職場などでの社会生活が困難になるほど厳しい状況に追い込まれる。しかし、疾病としての認知は進んでおらず、被害者の多くは私的な対応に追われているのが現実だ。たとえば、転校、退職、田舎への転居、防毒マスク、引きこもり、などなど。

 当研究所がその母体とする関西よつ葉連絡会(以下、よつ葉)は、旬の野菜や無添加で安心できる食べものを戸別に玄関口までお届けしている。会員は現在、4万人弱。ほぼ近畿圏を配送エリアにし、自前の生産現場も含めて、生産と消費をつなぎ、安心・安全な食べものをお届けして、多くの共感をいただいている。しかし一方で、この香害・化学物質過敏症被害者の人たちへの対応は十分だろうかという危惧がある。というのは、ある会員からよつ葉事務局に届いたメッセージによって気づかされたことがあるからだ。

 その会員は、Kさん。元の住まいは奈良市内だが、化学物質過敏症を発症し、香害を逃れて、奈良県郡部の山中に暮らしている(当時)。バブル全盛期のころに別荘地として開拓されたが、うっそうとした木々に囲まれたところだ。よつ葉ホームデリバリー奈良南の会員としてよつ葉を利用しているが、配達員もいろいろ気を使ってくれていると感謝されている。スーパーなどで買い物をすると、レジに並ぶあいだに前後の客から柔軟剤の匂いなどが漂ってきて苦しい思いをすることになるからだ。

■古庄弘枝『マイクロカプセル香害』
 香害の被害者として、Kさんは、香害問題を精力的に啓発されているジャパンマシニスト社の松田博美さんが出版に尽力された『マイクロカプセル香害』(古庄弘枝著・ジャパンマシニスト社発行)をよつ葉で取り扱うことを推薦している。この本によって、香害に苦しんでいるのは自分だけではないのだと自信がもてて、自分自身も世の中に発信できていることにも感謝していると言う。また、香料自体とマイクロカプセルという危険なものが日用品に添加されて住環境を汚染していることをみなさんに知ってほしい、いちはやく気付いた発症者として働きかけを続けたいと思っている。


配送現場ではどんなことが

 よつ葉には、配送や生産、物流、企画の各現場で働く職員自らが計画を立てて学習・研修などを行う研修部会というのがある。世話人会を中心にして、20人ほどがメンバーだ。その研修部会の場で、Kさんの存在が紹介された。奈良南でKさんへの配送を担当している小城さんに、配送時の対応について話していただいた。


●よつ葉・奈良南の場合

 小城さんによると、Kさんは電磁波過敏症も併発されているので、携帯電話は使えないという。メッセージのやり取りは奈良市在住のKさんのお母さんを介して、伝言ゲームみたいな状態になっている。Kさんは人と会えないということなので、留守セット(ドライアイスや保冷剤を使用)で玄関先に置いていた。しかしそれでも体調が悪くなって、自宅から5メートルほど離れた小さい倉庫の中に商品を置くようになった。あらかじめKさんが準備した段ボール箱に、ドライ物の袋、冷蔵物の袋、冷凍物の袋、それぞれ口を開けて箱の中に入れる。カタログの通い袋もいろいろな人が触れて匂いがついているので、カタログだけを抜いて置いておく。倉庫の中で、しばらく香りを飛ばしてから回収される。夏場は解凍が心配だが、それは仕方がないと納得していて、このような配達になっている。

 以前、さつまいもに匂いがして、体調が悪くなったことがあったそうが、そこまで生産者に言えるかなと悩むところだ。今までのところ、配達に関しては無理なことは何もないので対応できているが、今後、対応しきれないことが出てくるかもしれないと考えることもあると言う。


 研修部会で簡単なアンケートを取ったところ、いくつかの配送センターで化学物質過敏症の会員への対応をしているという応答があったので、それも紹介しておきたい。


●京滋センターの場合

 元京滋センターの矢板さんは、当時、過敏症の会員二人を担当していた。一人は症状があまり重くなかったようで、コロナ以前はカタログの通い袋を抜く程度で、あとは普通に手渡ししていた。ただコロナ以降はカゴで置き配になった。その人は本のインクの匂いが気になると言って、よく本を広げて家の前で干していたそうだ。

 もう一人はオリコン(折り畳みコンテナ)に全部を入れて手渡ししていたが、コロナ以降は玄関脇の棚にオリコンごと置いて呼び鈴を押すと、ちょっと時間をおいて取りに出てくるようになった。いつもガスマスクをして出てくるそうだ。地域で毎月、オーガニック・マーケットを開催しているが、安心して出かけられるところがないので、楽しみにしていた。コロナ禍で中止になった時には、行く場所がなくなったという話もしていた。オーガニック・マーケットが開催されたときに、コロナ対策の消毒液を問題にされ、主催者で議論した末に、市販の消毒液を置かずに、ただの水を置くことにしたこともあった。この方は毎週手紙をくれて、そういう意味では孤立感があるのかなと考えている。

 センター全体では化学物質過敏症の会員さんは他にも何人かいるが、感情的に行き違うこともあるので、経験豊かな事務員が電話対応することが多い。


●川西産直センターの場合

 川西産直の大野さんによると、川西のエリアにも過敏症の会員が何人かいるそうだ。配送の者にははっきりとは言わないけれども、この人はたぶんそうなのだろうと思う人もいる。人それぞれでいろいろ症状があって、ある人は電磁波過敏症も併発していて、配達の時は必ず携帯の電源を切るという対応をしないといけない。今はコロナなので、どの人も置き配だが、カタログのインクがダメなので、玄関の外で通い袋から抜いて、納品書と請求書だけを渡す人もいる。他には、品物をピックの袋から出しておく、などの対応をしている。

 ある症状が重い会員は、前に担当していた人の匂いがダメだと直接センターに何とかしてほしいという要望があって大野さんに担当を交代したが、確かにその担当者は煙草を吸うし、自家用車も強い芳香剤を使っていた。それは10年ぐらい前のことで、その頃はまだ化学物質過敏症というのはあまり知られていなくて、そんな人もいるのだなという感じで受け止めていたそうだ。


●大阪産直センターの場合

 大阪産直の松本さんは、去年の2月に社員になったのだが、煙草を吸っていたので、引き継いだ会員から配送を代わってほしいと言われた。過敏症の会員だと聞いていたが、「まぁ大丈夫だろう」と思っていたが、やはり匂いがしたようだ。しかし、人員の関係上配送を代わることは難しいので、会員の方には話をして、納得してもらっている。布手袋をはめて、個別対応をして配達している状態だ。手袋をするのは、直接物を触らないようにするためだ。手を洗っても、今まで染み付いたものもあるだろうと考えてのことだ。朝の積み込みで、箱の中に品物を詰める時も、ピックされた袋を触るのも、手袋をした状態で触るようにしている。配達時もその会員宅の付近になると手袋をする。今のところはそれで会員は納得してくれている。始めはその会員の要望が受け入れがたい部分もあったが、本人はかなりしんどそうな感じだったので、松本さんも会員から渡された資料や本を読んで、柔軟剤なども含めて、過敏症のことを考えないといけないと思ったと言う。


  香害・化学物質過敏症の概要について
           松田博美さんの講演か


 研修部会では、以上のような配送時の経験などを踏まえて、『空気の授業―化学物質過敏症とはなんだろう』(柳沢幸雄著・ジャパンマシニスト社発行)や前出の『マイクロカプセル香害』を読み、またDVD『香害110番』(日本消費者連盟制作)を鑑賞し、学習を進めた。その上で、実際に香害・化学物質過敏症の被害者の実態や発症のメカニズム、対応として求められることについて聞きたいという要望があった。

 そこでKさんの推薦もあって、子育てや暮らしの本を出版するジャパンマシニスト社の編集者であり、特に香害に関するパンフレットや書籍を編集されている松田博美さんにオンラインでの講演をお願いした。以下、その概要を報告する。


松田さん自身の経験から

 松田さんは最初に自己紹介を兼ねて、自らが香害の被害者として、どのような経過をたどったかを語った。それによると、ごく普通の生活をしていて、ある時に「あれっ?」と何かふとした違和感があり、それから1ヶ月ぐらい後の2014年2月24日、夕刻4時ぐらいに突然発症したという。

 ある時、突然スイッチが入るというような形で、満員電車で20分ぐらい出るに出られない状況で、全身がしびれて息ができないような状態になり、パニック障害のような形になった。それからはしびれ、頭痛や腹痛、動悸や、粘液、鼻血など、いろいろな症状を体験した。また、咽頭炎の症状も出ることがあり、強く暴露した時に、喉にポリープができて、2ヶ月ぐらい筆談生活を余儀なくされた。

 当時住んでいたのは東京都町田市郊外の住宅地で、隣近所からも香料臭が届いてきて、いつもアレルギーのような状態で、ひどいときは寝込んだりもした。夜も部屋にまで香料臭が入ってくるので、痺れて眠れない。夜の公園でベンチに座って、懐中電灯で仕事をしながら、昼間にちょっと眠るという暮らしを続けたそうだ。

 出張中や会議などでどうしても我慢しなければならない状況で、強い暴露ではなくて、うっすらとした匂いで数時間、数日我慢してしまうと、深夜に突然、虚血性大腸炎のような、脂汗が出るほどの腹痛になるという。検査をしても所見がなく、原因不明になってしまう。工事現場の有機溶剤などの臭いは誰でも苦手だろうが、松田さんの場合は、胸のつまりや、動悸、目眩、呼吸困難になる。工事現場の横を通った時に意識を失いかけたことがあって、危険なので防毒マスクは必需品だという。

 香害被害のひどい時期が3年ぐらい続き、そのあと諦めるような、共生できるような時期も少しあったが、子どもたちも半ば独立したので暮らし方を思い切って変えてみようと決断し、現在は栃木県那須の、ほとんど無人の別荘地で暮らしている。こういう場所にいると症状はかなり緩和されるそうだ。


さまざまな症状や事例

 当時は香害被害者の実態について、50歳以上の女性で、神経質でヒステリックでというような偏見があったのだが、松田さんが実際に出会い、あるいはSNSなどを通じて教えられたのは、そのような通俗的な理解にはとうてい収まらない実態だった。

 その一人が田口君という青年だ。彼は中学二年生の時に学校のプールで、耐震工事の塗装が生乾きだったことで化学物質過敏症を発症した。そのため中学を転向せざるをえなかった。高校時代は私立の学校で、彼だけ教室の外のベランダから、窓ガラスを開けて、授業を受けた。このクラスだけエアコンがなくて、冬は皆がコートを着ていた。彼はその後大学に進学したが、高校時代を振り返って、「自分はすごく理解を得られて大学に行くこともできて感謝している。だけど、世の中に目を向けると、まだまだ偏見や、理解がなくて苦しんでいたり、将来を閉ざしてしまった人たちがいるので、ぜひその人たちに自分のことを伝えてほしい」と言われて、松田さんが初めてつくったのが『香り、化学物質で苦しむお友だち』という本。彼の場合、いわゆるシックハウス、シックスクール症候群でその発端は香害とは違うが、彼も柔軟剤や匂いのあるものに反応するので、困っている。シックハウス症候群を発症した人たちも、部屋の壁などにホルムアルデヒドが出ないものを使ったにもかかわらず、柔軟剤、香料剤が出回ってきて自分の家の窓が開けられない、室内の換気ができないという状況になり、症状が進んでしまうことがあるのだ。

 もう一人、京都の老舗の食事処でオーナーシェフをされている中塚さんの例を挙げたい。彼は普段、防毒マスクをして厨房に立っている。職場で何度か倒れて救急車で運ばれたり、ひどい腹痛に襲われるというということを繰り返しているうちに、従業員のヘアムースが発症の原因であるという結論に自分でたどり着いた。その後は他の匂いにも反応するので、防毒マスクが必須だ。このように男性の方たちも何人も発症しているし、その職業もいろいろだ。

 さまざまな症状や事例のもう一つの例として、松田さんは日本テレビのドキュメンタリーを紹介した。実際に化学物質過敏症になった人たちの被害の実態について、テレビ金沢が7年間かけて作ったドキュメンタリーを、4分間ぐらいに編集したものだ。

 化学物質過敏症には、予備軍も含めるとおよそ13人に一人が発症する可能性があると言われている。小学生のあかねさんは化学物質過敏症で学校に通えない。妹も母も過敏症だ。外ではいつも4重マスク。他の子どもたちの匂いに反応するから、ひと気のない夕暮れの公園で遊ぶ。2年生の時に持ち回りで着る給食着に付いた柔軟剤の香りで、頭が痛いと言いだした。目の下にくまができて、「しんどい、しんどい」と言って帰ってくるようになった。学校を休んで、自宅での勉強が続いている。プリントは洗濯物のようにインクの臭いを飛ばしてから使う。人との関わりができなくなったことが辛いと母は言う。学校側は特別支援学級として、空き教室を用意して、エアコン2台、空気清浄器4台を設置した。しかし、「やっぱり、頭が痛い」と、あかねさんは泣きながら訴える。学校側は教室のリフォームを決めた。アルミ箔を挟んだ特殊な壁紙を使い、化学物質を遮断した。特別支援学級の一室だけが安心できる場所だ。あかねさんは教室の窓から校庭で遊ぶ同級生たちを眺めている。

 子どもは絶対に化学物質過敏症を発症させてはいけないのだと、松田さんは強調する。


無香料でも影響が?

 香害は文字通り香りの害だが、被害者にとっては無香料でも影響はあると松田さんは言う。香料の化学物質だけではなく、ほかの何らかの化学物質が症状に影響しているのではないかと考えられている。

 柔軟剤は1962年の花王ソフターが始まりだが、それ以来、数多くの種類が出てきている。さらに、消臭・除菌剤のファブリーズなど、この10年ぐらいで私たちの生活にはなかった商品が大ヒットしていく。それが年々増えていったのがこの10年間ぐらい。香料だけ見ても、日本香料工業会が「香料統計」を出しているが、2009年から2017年には全体で1.8倍、輸入のものが1.7倍に増えている。

 香料に関しては、3000種類ほどあるらしいが、ほとんど石油由来だ。「天然」と謳われていても、抽出に有機溶剤が使われている。ひとつの香料に10種類から数百種類の化学物質が使用され、発がん物質や環境ホルモンに関係があるという理由でEUでは禁止された香料もあるが、日本では自主規制のみで、基本的には禁止されていない。

 香料や化学物質は私たちの日常生活において、様々な場面に浸透している。たとえば、歯磨きやシェービングでも、残念ながら影響があるのだと松田さんは言う。松田さんにとって、卵やスギ花粉などアレルギー症状を起こす原因物質は、現代の社会でみんなが普通に使っていたり、必要としたりするものの中に含まれているのだ。


マイクロカプセルとは

 香り以外の問題としてマイクロカプセルという新技術がある。香料による化学物質過敏症の増加の原因として、この技術との関係が疑われている。マイクロカプセルという技術は、テレビCMなどで表現されているように、香りが繊維の奥まで入って、ぱんぱんと叩いたり、スポーツなどで熱が加わることによって、香りがふわーっと広がり、香り効果が長くもつというものだ。

 分かりやすくたとえると、お菓子のチョコボールを考えると良い。だいたい1センチぐらいのボールで、マイクロカプセルは表面のチョコの部分がプラスチック樹脂でつくられている。中身のナッツの部分に、実際はもっと小さいらしいが香料が入っている。メーカーによると、マイクロカプセルの大きさは直径が10 μm から30 μm ぐらい。 μm は1000分の1 mm だが、比較すると、髪の毛、鼻毛が70 μmぐらい、肺胞は100~200 μm 。P&B社によると柔軟剤1カプセルに1億個ものマイクロカプセルがはいっている。

                                ■マイクロカプセルのしくみ(富士フィルムホームページから)

 松田さんが調べたところ、マイクロカプセルに関する特許は、だいたい2005年前後に各メーカーが特許申請をしている。マイクロカプセルの中に何を入れて、どういう用途に使用するか、カプセルを柔らかくしたり、壊れやすくするにはどうしたらいいか、というような研究だ。もともと考えられていた用途は、マイクロカプセルをもう少し硬い素材にして、薬を定時的に服用しなければならない場合に、穴を開けたカプセルに薬を入れて、少しずつ体内に出すという技術だ。他には、コピー用紙の発色を良くするために使用するなど、多岐にわたって使われている。その一方で、柔軟剤や洗剤の香りを長持ちさせるために技術開発が行われていたというわけだ。被害者の人たちが各メーカーの商品を調べたところ、CMやスーパーで見かけるような柔軟剤や洗剤、消臭剤などにはほとんどマイクロカプセルの新技術が使われている。さらに、P&G社は「はじける/消臭/マイクロ/カプセル」というのを商標登録している。それで、ライオンや花王は、マイクロカプセルとは言えないので、マイクロビーズなどと別の言い方をして、長持ちさせる商品だということを売りにしている。


第二のアスベスト?

 最近、プラスチックと人間の関係で、マイクロプラスチックによる環境汚染が大問題になっているが、マイクロカプセルも下水に流され、海洋マイクロプラスチックの一因になっている。また香害としては、香料だけではなく、このマイクロカプセルが人体に悪影響を与えているのではないかと疑われている。マイクロカプセルが壊れると、その破片はPM2.5ぐらいの大きさ、2.5μm ぐらいになってしまう。だいたい人間の肺胞の中には40μm 以下ぐらいのものが入っていくと言われている。ものすごく微細なプラスチックであるマイクロカプセルやその破片が空気中に飛散し、人体に入っている状態だ。早稲田大学の大河内博教授と東京農大の高田秀重教授という、環境の専門家がこちらの問題にも注意を喚起している。

 香害の被害者とは誰のことか。化学物質過敏症を発症している人、窓を開けることができないとか、就学、就労ができないという、非常に困難な状況に追い込まれている人たちはもちろんだけれども、さらに視野を広げれば、マイクロカプセルを肺胞に吸い込んでいる多くの人たちも潜在的な被害者になっているのだと言える。マイクロカプセルによる被害は今後どうなっていくのか分からない。第二のアスベスト公害になるのではないかという研究者もいるのだと、松田さんは言う。


香害被害のメカニズム

 香害による体調不良に関して、科学的な根拠がないとして、各省庁でたらいまわしの状況なのだが、日本消費者連盟を始め7つの団体で構成される「香害をなくす連絡会」がアンケートを呼び掛けたところ、9000人の方たちの回答が寄せられた。そのうち7000人以上の人たちが何らかの不調や健康被害を訴えていた。中には、就学、就労が困難な人が多数出ているということも判明した。

 では、香害による体調不良の原因はなにか。シックハウス症候群の時にはまだ研究が進んでいなかった脳神経学の分野からいろいろなことが分かってきた。香害、化学物質過敏症の発症のメカニズムが、仮説として唱えられている。

 一つは、原因物質が体の中に貯まるという発想だけではなく、血管脳関門という脳の中に有害物質を通さないようにする関門があるのだが、そこを通り抜けるのではないかと言われている。香料を形成する化学物質はとても小さいので関門を通りやすいのだと考えられる。化学物質が関門を通り抜けると、脳の中で免疫反応が起きる。それが様々な症状を引き起こす。脳の中で免疫反応が起きても血液の中には現れないので、調べても原因不明になってしまうのだ。脳髄液を調べるとそれが分かると言われるが、まだそこまで調べた研究は現在のところ、ない。

 もう一つは、脳の中における情報伝達は、化学物質と電気信号がめぐらされて行われているが、一定の弱い刺激が続くと神経の興奮状態が続いて、やがて痛みや痺れという全身症状を引き起こす。一度神経の回路が形成されてしまうと、弱い刺激でもただちに全身症状を引き起こすようになる。これはキンドリング現象として知られているところだ。


嗅覚のメカニズムと特徴

 人間はどうして匂いを感じるのか。匂いを識別するメカニズムに関して、いろいろなことが分かってきたのが1990年頃からで、2004年のノーベル生理学賞につながっている。

 鼻の奥に嗅脳という匂いを判別する部位があり、動物にとって一番大事な部分として脳の突端に出てきている。なぜこれが大事かというと、古代に私たちが生き抜くために、山火事の臭いを嗅ぎ分けるとか、食べものが腐っているか食べられるか、危険かどうか、命に係わるかどうかということを判断する脳だったからだ。嗅脳から鼻毛のように嗅小毛が伸びていて、その先についている嗅覚受容体が発見されたのがノーベル賞の授賞理由だ。

 嗅覚受容体として、いろいろな匂いに対応する400種類の形の受容体があるのが分かってきた。動物でこの受容体の種類が一番多いのが象で、1200と言われている。ただし嗅小毛の先にぶら下がっている嗅覚受容体の総数はまだ分かっていない。ものすごくたくさんあるのだが、その比率も分からない。研究者によると、指紋は二人同じ人がいたとしても、嗅覚受容体がぴたりと合う人はいないというぐらいの比率だ。だから非常に個体差がある。

 また、嗅覚には順応という特徴があり、2分から3分ぐらい嗅いでいると、匂いに鈍麻して、同じ匂いが分からなくなってしまう。自分の匂いはおおむね感じない。なぜなら自分の匂いは体温とともに鼻先に上がって、つねに嗅いでしまっているからだ。自分が臭いと訴える人は自臭症といって、精神的な疾患だと言われている。

 年齢差が激しいのも嗅覚の特長だ。老化によって、20代に比べて70代では匂いを嗅ぎ分ける力が半減している。アルツハイマーの症状として家族が見逃しやすいのが、たとえば味噌汁の匂いが分からなくなるなど、匂いが嗅ぎ分けられなくなることだ。逆に、匂いの感受性に刺激を与えることによって、アルツハイマーの症状を遅らせる研究もある。

 ■香害を引き起こす製品の内訳(アンケート結果から)
 また、匂いの感受性というのは、嗅覚受容体というDNAで多くが決まるが、体験、記憶によっても左右される。例えば、糞尿の匂いなども、ある夏休みに田舎のおじいちゃん、おばあちゃんのところに行って、すごく楽しい経験をしたという子は、糞尿の匂いをあまり嫌がらないことがある。記憶と経験が合わされて、匂いとして認識されているのが2、3割あるのではないかと言われている。


消臭スプレーがダメな理由

 香害被害者の多くは消臭スプレーにも反応する。それはなぜか。

 消臭には、匂い分子を化学分解するとか、嗅覚の特長を利用して、より強い匂いを嗅がせて、もともとの匂いを分からなくさせる方法があるが、さらに有効な方法がある。有名なファブリーズには、布製品にシュッと吹き掛け、ハウスダストをまとめて固め、そのあと粘着クリーナーで取り除くと説明が書いてある。これは柔軟剤に使っているマイクロカプセルと同様の素材を応用しているのではないかというのが松田さんの見解だ。たとえば、猫のおしっこの匂い分子にプラスチック樹脂を吹きかけて、くっ付けることによって匂い分子の形が変わって、嗅覚受容体との結合ができなくなる。鼻の中に匂い分子が入っても、電気信号が送られないので、まるでなかったかのように感じないのだ。

 松田さんのように化学物質過敏症の人たちが、たとえば新幹線の座席に座って困るのは、柔軟剤で洗った人のズボンや下着から出てきた香料がマニキュアのような素材になって張り付いているからだ。そこに座ると、これがまたズボンに付着して、これは叩いたぐらいでは取れないので、松田さんは、それをつぶさないように、慎重にコロコロクリーナーで取るそうだ。これはプラスチック樹脂なので、洗っても取れない。お湯をかけてもダメ。なぜならこのプラスチック樹脂はお湯をかけて気化させてしまうと、そこからいろいろな物質が出て、非常に有害なイソシアネートという物質も出てきてしまうからだ。イソシアネートはネズミに皮膚炎や喘息を実験的に起こす時に使うような溶剤で、トルエンの1万倍の悪影響があると言われていて、工場などでは厳重に管理されているものだ。

 ファブリーズは今爆発的に売れている。


柔軟剤は洗剤ではないので

 さて、香害被害者にとって、実際に被害に苦しむ実態があり、その原因も明らかになってきているが、実は今まで何らかの規制が行われたことはない。

 なぜ法規制がないのかというと、これは実際に松田さんたち「香害をなくす会」が5省庁との意見交換会(2020年12月21日)で、消費者庁からの見解として言われたことだが、「柔軟剤は洗剤ではないので「家庭用品品質表示法」の品目には入っていない。ファブリーズも洗剤には入っていない。法に依る規制がないと表示しない、ということであれば法で規制する必要があるが、自主的にきちんと表示しているので、法律にする必要はないと思う。様子を見たい。ダメならまた検討する」という返答だったという。


対応はどうしたらいいか


●暴露させないこと

 たとえばアロマなら、香りによって痛みの症状は出るが、香りそのものは時間とともに消えたり、洗えば落ちるが、柔軟剤や合成洗剤を使用した服で配送員が来れば、玄関先がマイクロカプセルで汚染されてしまう。だから、配達でドアを開けて、いきなり嫌な顔をされるという経験があるかもしれないが、香水をバケツで頭からかけられたようなもので、しかもそれがただの香りではなくて、ペンキの中に含まれていて、家の中にそれが残されてしまう、というような感覚だという。

 だからまず暴露させないことが大事だ。物質によっては瞬間的にNGで、そのまま倒れてしまうような人もいる。絶対的に有効なのはフレグランスフリー(無香料)にすることだ。マイクロカプセルを使っているかどうかにかかわらず、発症してしまった人にとっては、どんな香り、刺激臭でも同じ症状が起こってしまうのだ。


●我慢させないこと

 次に大事なのは、我慢させないことだ。化学物質過敏症の人やその疑いのある人には申告をしてもらう。化学物質過敏症に関しては、全国で5人いるかいないかぐらいしか専門医がいない。そこに行って受診しようとしても、まず電車に乗れないとか、体調の悪化が心配だとか、いろいろなハードルがあって、実際には自己申告を尊重するしかない。被害者の人は日常的にかなり我慢をして暮らしている、だから急に不愉快な態度を取ったり、攻撃的になる人も多いが、そこはいろいろな事情で仕方がないと理解することが必要だ。


●判断しないこと

 それから、自分で判断しない、自分の鼻を信用しないことも大事だ。私には匂わないとか、まわりの人がみんな嗅いでみたけれど分からないというのは、嗅覚受容体の性質からしても意味がない。過敏症の人が、「この匂いはどうしてもダメ。この匂いでこういう症状が出る」と言ったことに対しては、そこに手当てをするしかない。そのためには、考えられる方法を使って、何にどうダメなのか、どうしてほしいのかを伺うしかない。


フレグランスフリーのために

 フレグランスフリーは簡単なようで難しい。洗濯など家庭での習慣は身に染みついているので、なかなか変えられないものだ。人工香料は、1960年頃に香水から始まっているが、タバコもその頃から問題になって、50年ぐらいかかって、ようやく非常に厳しいマナーとルールができた。今後、香料についても同じようにルールが出来上がっていくのではないかと考えている。すでにアメリカやカナダでは、学校、大学、研究施設などで香害を認知して、公の所では無香料でという申し入れがあって、フレグランスフリー・ポリシーを順守しているところがある。

 松田さんが今住んでいるのは栃木県の那須町で、「那須町づくり広場」というサ高住(サービス付き高齢者向け住宅)、を中心にした多世代のコミュニティーづくりをしているところだ。そこの旧校舎を利用した2階に、松田さんはジャパンマシニスト森の編集室を置いて仕事をしている。校庭に50世帯、介護が必要な方が10数世帯、合わせて100人ぐらいの規模のコミュニティーになるので、そこで、フレグランスフリー宣言をして、皆さんに無香料を呼びかけようとしている。

 フレグランスフリーに移行することで、数十人のスタッフに生活の見直しを呼びかけている。ひとつひとつ具体的に、「切り替えてほしいもの」「使用をやめてほしいもの」「その他配慮してほしいこと」「広場で配慮してほしいこと」をあげて、フレグランスフリーを実現するためのロードマップをつくった。職員に関しては、あと2ヶ月ほどでフレグランスフリーを達成する予定だ。

 那須町づくり広場には、高齢者になれば誰もが障害者になるのだから、障害を負っていることで社会から排除されるのは、自分たちにとっての問題でもあるという考え方がベースにある。誰でもが困ったことがあるのだから、その困ったことを排除ではなくて、みんなで受け止めようという発想だ。香害についても、誰もが被害者になる可能性があるのだから、自分たちの問題として、自分たちの社会の問題として考えるべきだし、そのような発想をベースに持ちたいと思う。


問題を共有するために

 香害に関する問題を多くの人に共有してもらうために、どのようなことが考えられるかという当日の質問があった。

 それに対して、松田さんはまず啓発のために本をつくった。しかし、本を読む人は限られているので、さまざまなチラシをつくって配布したという。幼稚園・保育園や介護施設、学校などで、それぞれの場所で困っている人がいるのだということを伝えるチラシをつくった。たくさんの人たちが配布に協力してくれた。

 また、環境や健康の問題を重視する生協や食の問題に取り組んでいるグループに事実を伝えることが必要だと考えている。聞く耳を持つ行政の人たちにも伝える必要がある。そのためにも、被害者が個々バラバラな状況では声が伝わらないので、いろいろな考え方の違いはあっても、被害者はネットワークをするべきだと考えて、去年、カナリア・ネットワーク全国という被害者の組織をつくった。共同代表の一人は社会学者の斎藤吉広さん。現在、会員が500人を超えている。

 しかし、それでも多くの香害被害者がいるなかで、まだぜんぜん伝わっていないと実感している。松田さん自身も、生協の配送の人に、「ちょっときついんですよ」ということを手紙で伝えようとしたけれども、なかなか伝わらなかった。香害というのは感覚の問題で、分からない人に感じろというのは無理があるが、自分たちの仕事を活かしてこの事実を広めるのは、人と人とをつなげることでもある。うまい方法はないけれども、一人の人が10人に、例えばチラシを配ることで、認知が広がっていくことを期待している。発信力がなさすぎるのがもどかしいが、こうしてよつ葉さんで取り組んでいただけるのは、すごく大きな力になる、と松田さんは講演を締めくくった。


 私たちは問題にどう向き合うか


生協の香害対策について


 それでは、よつ葉と似たような仕事をしている生活協同組合(以下、生協)の取り組みはどうなっているだろうか。前出の「香害をなくす連絡会」は昨年、全国の生協に対してアンケート調査を実施した。香害被害者の切実な声が上がる一方、柔軟剤や合成洗剤を扱わない生協でも、配送員から発せられる化学物質の匂いが問題になることが多いからだ。

 136の生協にアンケートを送り、回答があったのは41の生協。生協名で目につくのは生活クラブ、パルシステム、グリーンコープ、コープ自然派などだが、環境問題や食品添加物に敏感な生協が多いようだ。解答のなかった生協については、そもそも香害に関する意識は薄いのかもしれない。

 配送員からの匂いで困っている組合員がいることについて36%が「深刻な問題」と回答し、「問題があると認識している」と合わせると80%が問題だと回答。その対応については、31%が「生協全体で取り組んでいる」と回答し、「個別の状況に応じて対応している」と合わせると、85%が対応していると回答している。具体的な対応策では「配達員に石けん、合成洗剤、香り製品などについての指導をしている」が59%に上っている。(『消費者リポート』NO.1648、2021.8.20)

 回答のあった生協の多くは、もともと柔軟剤や合成洗剤を販売していないところが多い。合成化学物質に対する拒否感が強く、香害に関しても一定の理解があるものと考えられる。しかし、一方で、配送員の日常の洗濯については、個人のプライバシーとして踏み込めないという事情もあるようだ。それでもさまざまな機会をとらえて、合成洗剤や柔軟剤の問題を啓発し、石けんへの切り替えを働きかけているようだ。また、一方で、配送員の問題だけではなく、生産者から流通過程を経て消費者に届く過程で、移香が起こっている可能性もある。多岐にわたる対応が必要となるかもしれない。

 よつ葉のいくつかの配送センターからの回答にもあったように、通い袋への移香は多くの会員から指摘されているところだし、カタログのインクの匂いに対して反応する会員もいる。それぞれの配送センターで、それぞれの配送員が会員と意思疎通を取りながら対応をしているのが実情だ。そういう意味では生協へのアンケート結果とよつ葉の取り組みはそんなに大きな違いはなく、それぞれが対応を模索しているというところだろうか。

 研修部会でのまとめの討論で、いろいろな会報やニュースなどでこの問題を発信していくことが大事で、当事者の人同士をつないだり、また発症していない人にも問題を伝えることが大事だという意見があった。対会員の一対一の対応も大事だけれども、そこからさらに視野を広げて、人と人とがつながることによって、香害問題の解決の方向を模索することも大事だろう。また那須町づくり広場が紹介されたけれども、香害被害者にとって、居場所づくりが大事だという意見があった。具体的な場所ではないけれども、よつ葉というつながりがある種の居場所になることもありうるのではないかと思った。今後の課題だろう。


自治体への働きかけ

 香害・化学物質過敏症について、自治体の取り組みはどうなっているだろうか。よつ葉・川西産直センターの元代表で、元川西市会議員の谷正充さんにお話を伺った。

 谷さんは市会議員としてこの4年間、香害・化学物質過敏症に取り組んできたが、その発端はよつ葉の会員であるAさんとの出会いによるものだった。Aさんはもともと高槻市在住だったのだが、過敏症のために川西市の山間部へと移住してきた。そこでも隣近所の殺虫剤や柔軟剤の匂いに悩まされていたという。また、野焼きの煙にも困っていた。香害被害への対策を求めて、直接川西市長へも掛け合ったことがあった。

 市会議員として谷さんはAさんと所管する保健センターとの懸け橋として活動した。面会を取り持った際には密閉の空間は厳しいので、物置のような部屋で窓を開け放って話をしたそうだ。議会での一般質問も含めて、苦労の末、市のホームページに化学物質過敏症について、症状やその原因と考えられるもの、一人ひとりに求められる対応などが掲載された。さらに市の広報への掲載、市独自の啓発ポスターやチラシの作成・配布などが実現した。それぞれの内容に関しては、市の立場として当初は当たり障りのない表現だったものを、Aさんとのやり取りの中で改善していったという。幾度かの交渉で、最低限の表現として求めたのは、「誰でもがなりうる」ということ、誰もが当事者であるということだ。

■川西市の啓発ポスター
 学校での取り組みに関しては、学校給食のエプロンの使い回しについて指摘を行った。すでに事例を紹介したが、柔軟剤の使用によって香害の被害が子どもたちに及ぶことがあるからだ。月一回配布される献立表に、「柔軟剤の匂いでしんどい子どもたちがいます」と注意を書いてもらった。学校ではアレルギー調査を行っているが、過敏症はアレルギーの分類には入っておらず、調査の対象にもなってはいない。教職員も過敏症自体を知らないのが実態だ。

 市と折衝を始めた当初は、保健センターの担当者でさえも過敏症に関してはまったく知らない状態だったという。学校給食のエプロンの使い回しについても、学校側はほとんど認識してはいなかった。公共の機関でさえそうなのだから、一般には香害や化学物質過敏症はほとんど知られていない状態だ。だからまず、認識してもらうこと、啓発がとても大事だと谷さんは言う。


香害が問いかけるもの

 2022年2月16日、衆議員予算委員会 第五分科会で、日本共産党の高橋千鶴子議員が化学物質過敏症患者の壮絶な体験を紹介した後、「一日も早く、標準医療を目指して、どこでも相談に乗れる体制や、せめて全都道府県にひとつ以上の専門外来が必要だと思いますが、いかがでしょうか」と質した。それに対する後藤茂之厚労大臣の返答を紹介したい。

 「…ご指摘の中で、化学物質過敏症について、たとえば標準医療に位置づけてというようなお話がありましたが、この問題の難しさというのは、現時点ではどのような化学物質が関与しているのか、どのような体内の変化が症状を引き起こすのか、病態や発症メカニズムなど、未解明な部分が多いというふうに考えています。…化学物質過敏症については、いまだ確立した診断基準や治療法は存在していないという事態でございます。このため、現時点において、各都道府県に化学物質過敏症の専門外来を配置する状況にはない。まずは病態の解明を進めることが重要であると考えております」

 これのが今の政府の立場だ。厚労大臣のこのような答弁は以前から全く変わってはいない。なにも動いてはいない。谷さんは市行政との交渉の中で、市の「検討します」は、なにもやらないに等しいのだという。だからますます粘り強い交渉が必要なわけだが、そのエネルギーはどこに求められるだろうか。谷さんを川西市との交渉の場へと導き、その背中を押したのは、他ならない香害被害者であるAさんの、やむにやまれない声だった。私たちが香害・化学物質過敏症の問題を考えるにあたって、まずよりどころにすべきなのは被害者の声に他ならない。

 日消連による全国の生協へのアンケート調査によって、生協での取り組みが少しずつ進展していることが分かったが、生協が率先して取り組みを始めたわけではなく、配送現場での香害被害者の切実な声が少しずつ届き始めることによって、生協としての取り組みへとつながったということだろう。しかし、それもまた始まったばかりだと言わざるを得ない。被害者の声は本当に発せられ、私たちのもとに届いているだろうか。化学物質過敏症の問題に取り組む中で、谷さんは声を出せない被害者が本当は多いのではないかと考えるようになったと言う。過敏症に対する周囲の無理解や、無自覚な攻撃によって、口をつぐまざるを得ない被害者が多いのだろう。だから、啓発が大事なのだと、谷さんは強調する。

 よつ葉の配送をしていた時、Aさんが化学物質過敏症だとは谷さんは気付かなかった。ごく普通に配達をしていたのだが、付き合いが深まるにつれて、野菜の傷みや腐りなどが指摘されるようになった。「気を使わんと、もっと言ってよ」と谷さんは声かけをし、言葉を交わす中で、やがて、「実は…」と、Aさんは化学物質過敏症であることを打ち明けたのだ。そこからAさんと市会議員の谷さんとの共闘関係が始まった。

 話を最初のよつ葉の配送センターでの経験に戻すと、今回報告された事例は数件にすぎないけれども、本当はもっとたくさんの被害者がいるのに、出会えていないだけかもしれない。軽症で我慢しているとか、何も言わずに置き配にしているとか、その他、自分でできる対策をしているとか。あるいは、子どもや家族が過敏症で、相談する相手もなくて困っているかもしれない。野菜の傷みや腐りを気軽に訴えられるような関係が問われているのだろう。

 谷さんが強調するように、啓発が大事なのだ。それは配送員が柔軟剤や合成洗剤から石けんに代えるとか、煙草を止めることだけではなくて、ひろく啓発することによって、被害者が自分を知る、自分の症状の原因について自覚すること。香害に苦しんでいるのは自分だけではなく、誰もが被害者になりうるのだということを知ること。そのことによって、声を上げる準備を整えること。そしてそれを受け止める場としてのよつ葉でありたいという願いを発信することだ。

 香害・化学物質過敏症の問題は私たちの社会、身の回りの人間関係の質を問いかけるものでもある。

                                                  (下前幸一:当研究所事務局)
  


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