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市民環境研究所から

市民と野党の共闘のあり方を考える


 異常としか言いようのない夏がやっと終わり、秋がやって来たのは10月も末のことで、遅れを取り戻すかのように紅葉も銀杏も一気の走りである。それにつられて人間の歩みも全力疾走で、コロナ第8波を引き連れての名所めぐりなのだろうか、今朝の京都・東山界隈の寺々にも人の波が押し寄せていた。人波車波に巻き込まれたくないと思い、朝のうちに畑の手入れに出かけてきた。今年はどんな悲惨な冬になるのだろうかと気分は暗い。

 コロナ禍で暗いだけではなく、ロシアのウクライナ侵攻は終わることもなく来年に続くだろう。ロシアのケシカランさは言うまでもないが、ウクライナのNATO接近もこの事態を引き起こした重要なこととして議論を深めなければ悲惨な事態が地球を覆うことになるだろう。現に日本政府の防衛費の異常な増やし方に対抗する国民側の動きは少なく、支持率が低下したとはいえ、岸田内閣の予算編成はますます右傾化するだろう。市民としてどのような動きをするのかを自分に問いかけ、惑う日々である。

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 先日ある会議に、岸本聡子氏(東京都杉並区長。自民党の現職を抑えて当選)の選挙本部で活躍された東本さんから動画メッセージをいただき、その活動ぶりを聞かせてもらった。候補者の岸本さんが立候補を決意されたのは3月下旬であり、区長選挙は6月19日だったので、投票日までわずか2ヶ月半ほどしかない中での当選であった。この活躍は、素人ながら選挙なるものに少しの経験を持つ筆者にとっては驚きであり、信じられない動きをされたのだろうと思う。もちろん候補者の岸本さんの人柄や考えは、何年か前にお会いして聞いていたのできっと活躍されると期待はしていた。

 また、今回の動画で初めて知った東本さんのキレの良さで、選挙活動には多くの関係者だけではなく、一般市民も加わった選挙を構築されたのだろうと思う。まして、安倍の国葬を強行した現政府や都政に対する怒りが充満している社会状況下で、多くの人々が参加したという話から、イキイキした杉並区民の動きを知った。

 そして、選挙母体には老若男女と全ての野党が対等な関係の下で参加し、候補者も運動員も市民と対話し、「対話の中で共通点を見つける」ことが選挙のポイントだと考えたという。選挙運動の街頭宣伝では、政策のハタは立てるが政党の旗は立てなかった。異なった団体所属の人々が、短い時間の中で交流していく内に変化し、支え合う様を彷彿させるメッセージだった。

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 東本さんの講演を聞きながら、40年近く前に京都市美術館で10日間開催した丸木位里・俊夫妻の「原爆の図」展のことを思い出した。言い出しっぺなので、主催した「原爆の図を見る会」の事務局長を筆者が引き受けた。

 月1回の宣伝活動を1年間ほど続け、毎月の催しごとに企画運営全般を任せる数名の会員を事務局が選任し、それ以降の運営方式など一切を彼らに任せる方式を採用した。選んだ数名の会員は所属団体が異なるようにした。それぞれの所属グループごとで運動課題も運営方式も異なっていることを承知の上で、問題が発生しても事務局が介入することはせず、自分たちの話し合いで解決してもらった。

 こんな方式でいくつもの事前イベントの後に本番の「原爆の図」展を開催することが出来、3万人を超える入場者を迎え、大成功に終わった。その後、図展以前は別々に活動していた人たちが新たな動きをいくつも立ち上げ、相互に交流もしながら、京都の市民運動に大きな影響を残した。

 このような過去の活動を思い出し、杉並区の経験・成果を踏まえて、この京都でも選挙でこの国を変えていくにはどのような連携・連帯を構築しなければならないかを考えている。

 「市民と野党の共闘」以外に現政権・自公との闘いに勝つことはできないだろうし、単なるスローガンではなく、市民が野党と、野党が無所属の市民と共に現政権と戦うためには、所属を一旦脱ぎ捨て、目的に向かって何を話し合い、共に自公政権打倒の闘いを展開できるか考えなければと思う。そのような視点から見えたことを実践すればこの国の明日は明るくなると思わせてくれた杉並区長選挙の成果だった。

                       (石田紀郎:市民環境研究所)
  


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