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連載 ネパール・タライ平原の村から(130)
チョジェの解体① 予定通り遅れたと畜

ネパールの農村で暮らす、元よつば農産職員の藤井牧人君の定期報告。その130回目。



 ネパールに滞在して13年目、イノシシ型の在来豚「チョジェ」を飼うのをやめることにしました。それでネパール最大のお祭りダサインの時期に合わせてまず1頭、と畜することに。

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 町の豚肉屋の店主に、白豚でないから「チョジェはダメ!」とまず断られ、親戚のクマール君から「2~3日中に人を送るから」と言われ、“さすがクマール君”と思ったけど誰も来ない。

 数日してご近所2人が見に来て「あと2人探してくるわ」と言ったきり。「午後3時、4時に来るから」と他の人から聞いたけど誰も来ない。また別の2人組が見に来ただけで帰っていき、再び先のご近所2人から「明日来るから」と伝言も、翌朝やっぱり来ない。この間、あらかじめ注文していた近所の人も家の前を通る度、「もう終わった?」「いつ捌くの?」と何度も聞きに来ては無言で帰られました。

 そして他のご近所さんから「11時頃来るから湯を温めとくように」と指示されるも、やっぱり来ない。12時過ぎて薪で沸かしたお湯がすっかり冷めた頃、ようやく豚をと畜すると言っていた近所のマガル人2人とオジサングループが続々やって来ました。午前中は別の豚に時間がかかったそうで、予定通り遅れてチョジェの解体が始まりました。

 ただ、当初は雌の予定だったものの“近隣で注文を受けた重量に足りないのでは?”と心配になり、直前に種付け用だった雄に変更。

 豚舎に入り、僕が雄を後ろからさすってなだめるのを見計らい、マガルのオジサンが斧を一振り、斧頭(刃の反対側)で眉間を激しく叩きます。チョジェの悲鳴が近隣中にとどろき、もうろうとしながらも頭を激しくふっては必死に起き上り、まさに最後の力を振り絞って錆び付いた戸口の柵下をへし曲げて豚舎の外へ逃げました。

 これにはみな一瞬あっけにとられたけれど、オジサンが再び斧頭で激しく何度も眉間を叩いて、ようやく息の根を止めました。

 責任ない議論の場所から見たら、食品衛生法違反、アニマルウェルフェアに反する、むごいと叱られそうですが、素人が豚をさばくとなれば、どこでもだいたいこんな感じなのです。

 その後チョジェの四肢を4人で、すでに水牛がいない牛舎の床まで運びます。チョジェを寝かせ、鉈で喉元を切って血を抜き、頭を切り離します。再度沸かした湯をかけ、羊毛の敷物や裂けた麻袋を被せて保温することで毛をそぎやすくし、ステンレスのコップの先で擦るように毛をむしり、また湯をかけ敷物を被せて毛をむしる。

 最後にガスバーナーで焦がして毛を落とします。以前は焚火で炙っていました。ようやく、鉈で腹部を慎重に裂いて内臓肉を引き出します。

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■チョジェの毛をバーナーで焼く
 あるご近所さんが僕に言いました「日本ではどうやって殺すの?」と。毎回聞かれている気もしたけど、スタンガンの電気ショックで気絶させ、工場みたいにベルトコンベアにのせ機械で解体していく感じなどと、いかにも洗練された日本的テクノロジーを強調した、期待されそうな返答をしてしまいました…。でも実は、ほぼ誰も見たことがないのです。

 周囲では大人や子ども18人、2匹の犬と猫が解体を見守っていました。
                                                                             (藤井牧人)


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