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自分の頭で考えるためのテツガク茶話会 報

「生きる」思想について考える

   再び「大きな」思想を問う
ために

 当研究所では現在4つの研究会を定期的に開催しています。今回はその1つ、「自分の頭で考えるためのテツガク茶話会」で、9月に行った例会について取り上げます。テツガク茶話会ではここ数年、専門家である田畑稔さんの解説に従って代表的な哲学者の著作を読み進めています。現在はヘーゲルの『精神現象学』に取り組んでいますが、今回は番外編として、いわゆる「哲学」や「思想」そのものではなく、私たち自身の中にある「生きる」思想をめぐってお話しいただきました。以下、例会でお話しいただいた内容を文字に起こし、田畑さんに手を入れていただいた内容を紹介します。
                                                                                  (山口協:当研究所代表)


 今日は「生きる」思想について考えてみることにしましょう。まずは事例をいくつか紹介し、ついで「生きる」思想の形成・変容の条件について考え、さらに私のケースを紹介して、最後に「生きる」思想と「大きな」思想との相互関係について若干の理論整理を行いたいと思います。


「生きる」思想:3つの事例から

①森友事件の三者三様

 まずは森友事件の赤木俊夫さん、その直接の上司、そして佐川宣寿元国税庁長官の事例です。

 森友学園の籠池さんが「安倍晋三記念、瑞穂の国小学院」を作ろうとしました。安倍元首相のパートナーの昭恵さんが応援したことで、役人が忖度して、理由もなく法外な割引をして国有地を払い下げようとした事件ですね。

 疑惑を追及された当時の安倍首相が「そんなことがあれば、議員をやめます」と言ったために、忖度した佐川は赤木さんの上司に改ざんを命じた。上司から改ざんへの協力を頼まれた赤木さんは、承服できなかったけれども、最終的に屈して協力せざるを得ませんでした。良心の呵責に耐え兼ね、心を病んで自死に至ります。

田畑稔さん
哲学者、季報「唯物論研究」編集長。専門はドイツ哲学、マルクス主義。1942年、大阪市生まれ。大阪大学大学院博士課程修了。富山大学助教授、広島経済大学教授、大阪経済大学教授を歴任。著書に『マルクスとアソシエーション』(新泉社、1994年、増補新版2015年)、『マルクスと哲学』(新泉社、2004年)ほか。
 「公僕」として頑張ってきたことを自負していたのに、「生きる」思想が崩壊したわけです。

 あくまでも推測ですが、佐川は“知らぬ存ぜぬ”で逃げとおし、「そんなことでいちいち良心の呵責に悩んでいたら、権力社会なんか生きられない。役立たずに終わる」。これが佐川の「生きる」思想だったのでしょう。

 一方、赤木さんの上司は組織の人間として権力者との衝突は避け、上層の不正義にも目をつむり、自分の無力を自覚しつつ、何とか嵐が過ぎるのを待つという姿勢だったのでしょう。

 公務員は権力者への忖度と市民への奉仕という分裂を背負うのですが、この三人の「生きる」思想は、職務上の葛藤を背景にもちつつも、非常に大きな分岐を示しています。

 赤木さんのパートナーの雅子さんは、当初は上司への配慮もあって声を挙げられなかったけれど、最後は政府を相手取って裁判を起こして闘うわけです。不正に抵抗した夫が死に、不正を命じた人間が、権力者の利益を守ったという理由で、処罰されない。あからさまな不条理です。

 「パートナーの死の意味」は二重の危機体験であり、たった一人でも政府権力と闘うという行動となったのかもしれません。つまりこの不条理体験が「生きる」思想の改造の背景に浮上してきます。


②雨宮処凛、普遍尺度の獲得

 別のケースに移りましょう。雨宮処凛『生き地獄天国』(2000年)は25歳の雨宮が書いた「自分史」です。小学校でいじめにあい、バンドの追っかけで母と衝突、「自分など生きていること自体が罪」という深刻な自己攻撃でリストカットなどを繰り返しました。この地獄から脱出するうえで決定的だったのは、攻撃の矛先を自分自身から「世の中」へ向け始めたことです。

 「生きる意味のためにドラマが欲しい」。これにきっかけを与えたのは元オウム信者や右翼団体との接触でした。右翼街宣車に乗り演説し始めますが、あるときある隊員が、先に道路わきで物売りしていたおじさんを、自分たちの街宣に邪魔だと暴力的に追い散らすのを体験して、右翼とも切れることになります。

 雨宮の「生きる」思想の改造でもっとも注目すべきは、攻撃対象が自分から「世の中」に変わったこと、その結果、善悪や正義不正義という普遍尺度で自分自身をも見つめる目が形成されたという点でしょう。


③DV被害者たちの自助組織

 もう一つ、DV被害者の「セルフ・ヘルプ・グループ」のケースを見ておきましょう。DV被害者たちは、被害を表ざたにできず、法や警察への介入要請をためらい、被害に耐えることを愛情と見てしまうケースが非常に多いわけです。これまた地獄の生活でしょう。

 夫の暴力から子供を連れて逃げること、追っかけてくる夫から身を隠し続けること、その間生活も確保しつづけること、そのためには避難所が必要であり、また自分自身の「生きる」思想の改造も不可欠です。

 専門家や当局のサポートは当然必要ですが、決定的に大事なのは被害者たち自身の連帯組織であって、これは「共同苦悩のアソシエーション」と呼ぶことができるでしょう。苦悩は絶望的に孤独ですが「共同苦悩」はまさに「生きる」ための思想です。この自己改造も決して容易なことではないでしょうが、DV被害体験者たちの連帯は広く実践されているものです。


「生きる」思想の形成と改造の条件

 私たちはそれぞれ、①特定の時代に、②特定の「社会的位置」を占め、③他者たちとの特定の諸関係を再生産しつつ、④転変する特定の「状況」の中で、「状況」の意味を限定しつつ、「適切」と思われる行為を選択し続け、⑤action-reaction-interaction-counteractionの連鎖・交差する現実過程を生き続けています。

                            ■「生きる」思想の特質(例会資料から)

 「状況の意味」の限定や「適正」な行為選択には、当の個人がもつ①一定の認識パタン、②一定の価値判定基準、③一定の行為規則が働いており、これらは個別経験を超えるある種の規則性・一般性を持っていて、その限りである種の「思想(thought, Gedanke)」を含んでいます。

 ただしこの「思想」は、通常は「身体化」「センス化」「コモンセンス化」されている。寝過ごして「もう9時や!」というのは、単なる認識でも、単なる価値判定でも、単なる行為コントロールでもなく、瞬時になされるそれらすべてです。これが「状況の意味」の限定と呼ばれるものですが、状況に応じた「適正」行為の選択と直結しています。朝食抜きですぐ駅へ走っていくわけです。

 しかし、赤木俊夫さんや赤木雅子さんが置かれた危機的状況は、そういう単純な「状況の意味の限定」を拒むものです。複数の対立する認識パタン、価値判定基準、行為規則が分裂状態で「生きる」思想を構成していて、俊夫さんは苦悩し、動揺し、加担し、加担した自分を責め、自死という形態でむしろ自分の行為を裁いたのです。

 雅子さんは動揺していた自分を脱し、権力者の犯罪に抵抗した人間が自死し、命令した人間が生き延びるような、あまりの不条理体験をバネに、一人で政府との闘いを決意します。肚が括られ、「生きる」思想の改造がなされたわけです。

 上にあげたいくつかの例を見ただけでも、「生きる」思想の変容や改造を理解するためには危機との出会い、そして運動との出会いに注目しなければならないことがわかります。

 人生は反復的時間、段階的時間、そして危機の時間の三つの時間(変化モデル)からなっています。反復的時間は日常性を支える生活のベースです。しかし生まれ、学校へ通い、就職し、結婚し。子育てし、退職し、死ぬという段階的時間も流れます。

 そして、人生で何度か訪れるのが危機の時間で、反復的時間や段階的時間が、ずたずたに「切断」された迷走状態に移ります。危機からの出口は赤木俊夫さんのような悲劇的結末となるケースも多くありますが、雅子さんの場合は、自己改造による危機脱出という形をとったわけです。

 雨宮処凛やDV被害者たちの「共同苦悩のアソシエーション」の場合は、この危機脱出は社会運動との出会いによる自己改造の面を持っています。この出会いは現在は少なくなっていますね。これは不幸なことだと思います。

                              ■「生きる」思想の形成条件(例会資料から)

 人は社会運動や歴史運動、政治運動や宗教運動などを通じてさまざまな「大きな」思想(比較的体系的な思想)を知ったり、人間関係を結んだり、かなり密度の濃い出会いを経験します。もちろん、それは不幸な出会いだったり、ラッキーな出会いだったりしますが、そうした経験が「生きる」思想の形成や改造にあたって大きな役割を果たしていることは、しっかり確認しておかねばなりません。

 「生きる」思想は、社会体制や歴史運動を支える「大きな」思想と、直接同じではありません。「大きな」諸思想を「織り込む」場合であっても、諸個人が個別状況下で不断に行為を選択し、行為連鎖・交差の現実過程を生きる際に働いている次元の個性的「思想」であり、その意味で「生きる」思想なのです。社会運動は「大きな」思想、「大きな」視界、「大きな」世界を「生きる」思想に織り込むうえで媒介者の機能を果たしているわけです。


自分の「生きる」思想を探ってみよう

 「生きる」思想は完成形でなく過程的なあり方をしているし、「傍目八目」のことわざどおり「自分のことは自分が一番よくわかっている」という信念もかなり差し引いて考えないといけません。しかし自分の「生きる」思想に接近する方法はある。たとえば次のようなものが挙げられるのではないでしょうか。

                 ■「生きる」思想と「大きな思想」の関係(例会資料から)

 ①自分史を書いてみる。
 ②自分の原点、初心、人生の転機と思われるものについて頭を整理してみる。
 ③自分のアイデンティティー(自我同一性)、つまり自分はこれこれの存在として周りから認められているという自己了解を反省してみる。
 ④過去の危機体験で失ったことと得たものを確認してみる。
 ⑤日頃確認している自分の行為格率(こういう状況に置かれたら自分は必ずこうするぞという自分が自分に立てている規則)を列記してみる。
 ⑥社会運動や宗教団体との「出会い」を通して「大きな」思想を自分の「生きた」思想に「織り込んだ」際の自己変容、コミットの深さ、葛藤、離反などについて反省してみる。
 こんなものが挙がると思われます。


「生きる」思想の諸断片:私のケース

 ここで上の⑤を利用して、断片的ですが、私の事例で「生きる」思想をさぐってみましょう。これは言うまでもなく事実確認であって、賛同や評価、まして同調を求めるものではまったくありません。

 私の日々の「行為の格率」や「モットー」を列挙してみると、断片的であれ私の「生きる」思想が浮かび上がりますよ、ということ。それ以上でも以下でもありません。

①人生、出会い半分、闘い半分

 これは私の実感です。ことわざではなく自家製ですが、いつごろからか自分で反復するようになり、「はなむけの言葉」としてもよく用いました。

②愚直でよい

 これは自分の個性への基本了解です。自分のような愚直タイプの人間は、無理して華々しいことをやろうとせず、愚直さの積極的価値を自覚して生きるべきであるということでしょうか。

③インディペンデント(独立・無党派)で生きる

 私は昔、ごく小さな政治グループに参加していていました。狭い世界でしたが、おかげで先輩や友人たちから現状分析や政策討議や運動組織化や文献学習などについて多くを学びました。先輩たちからも期待され、未熟なことに自分自身も期待されていることをむしろ励みにしていたところがありました。

 しかし、やがて「期待する側」と「期待される側」のギャップがどうしようもなく大きいことを思い知らされました。そうした苦しい経験を経てインディペンデントで生きると肚を決め、その小さな政治グループから離れました。哲学面でも私の「批判前期」に終止符を打ったのです。

 もちろん、党派そのものがダメだと言うつもりはありませんし、党派には党派のポジティブな役割があるとは思います。しかし人生一度きりであって、自分のケースとして言えば、あの時インディペンデントに生きる決断をして本当によかったと思っています。

④ひと(他者)の期待で動かない、期待でひと(他者)を動かそうとしない

 ③挙げたように、私は昔、周囲の人たちから「期待していたのに」と、よく言われました。そういう体験があって、いまも心がけていることなんです。

 期待どおりに動いてくれなかったとか、期待どおりの成果が上がらなかったとか、それで落胆しても仕方がない。期待された方もたまったものじゃありません。自分自身が何をやるべきか、まずはそれぞれが背負わないとダメです。

⑤他者の魅力に対する感受性を鍛える

 私は研究者の傍ら、季報『唯物論研究』という思想誌の編集者を40年ぐらいしています。当然ですが、自分の研究や執筆の場合には自説にこだわります。でも編集者の場合は、執筆者それぞれの優れたところを引き出すこと、魅力ある原稿や書き手を集めることが役割です。40年間も編集サイドで仕事をして得た最大の報酬は他者の魅力に対する感受性が養われたということですね。

⑥新旧左翼から市民主義リベラルまで、議論の場を自分たちの手で作る

 マルクス主義ならマルクス主義だけ、左翼の中でも自分の党派だけ、そういう狭い範囲に閉じこもるのではなく、「生きる」思想のベースも含めて正々堂々と意見を闘わせたらいいし、そこで得たものをいろんな成果として、それぞれが刈り取ればいいわけです。

 だからといって、お互いに遠慮して批判をしないのは全然ダメですよ。批判する価値のない人を批判しても仕方がないですが、批判する価値がある人なら一生懸命相互に批判し合う。思想や理論の上でいくら批判し合っても、行動では調整し統一する。

 見方によったら、幅広主義だと言われるかもしれないし、私の限界なのかもしれません。それでも自分の信念として、「生きる」思想として、そういう格好でやってきました。

⑦陣地戦は同意獲得をめぐるヘゲモニーと対抗ヘゲモニーの争いであるだけでなく、未来へ向かう失敗と学習、経験蓄積と自己吟味、新しいアソシエーション・生活様式・文化の対抗的形成の場でもある

 これはグラムシの正確な解説ではありません。むしろグラムシを織り込んだ私の「生きる」思想です。もちろん、まず権力を奪取し「上から」社会を強行的に改造するという革命論とはちがうものです。

 現在の日本では政治的支配は強権支配だけなく、民間社会のヘゲモニー諸組織を介して同意形成による支配が行われており、当然、変革側は対抗ヘゲモニーの諸勢力・諸運動を接合して闘うわけです。

 しかし、反対運動を行うだけではなく、対抗的経済組織や対抗的社会組織や対抗的政治組織や対抗的文化組織の対抗陣地をつくり、支配的(主役の)諸形態と対峙していかなければなりません。

 そして、この対抗陣地は未来社会へ向かう失敗と学習、経験蓄積と自己吟味、新しいアソシエーション・生活様式・文化の対抗的形成の場でもなければならないのではないか、というものです。

⑧「ひと(他者)が皆、吾より愚者に見ゆる日は」――シニシズムを選ぶと思想はそこで終わる

 この間のロシア・ウクライナ戦争をめぐっても、“人類は未だに戦争をしている。アホばっかりや”。そんな物言いをする人がいますね。皮肉や冷笑で現実は変わりません。シニカルに構えると現実に介入する思想にはならないし、思想としては終わりです。

 そういう立場はとらない。たとえ微力でも自分なりに正面から立ち向かっていかねばなりません。

⑨「ガラスの天井」の上側で生きる自分を自覚することは至難だ

 これはパートナーの死に際しての遅すぎた謝罪です。今も、毎日感じていることです。

                                 ■「生きる」思想の諸断片(例会資料から)

 以上のように私の「生きる」思想へのアプローチの一つとして、自分の個人的な行為格率を列挙してみました。これらが私の「生きる」思想の全体をとらえるものでないことは明らかですが、少なくとも「大きな」思想とは別に、実は自分がどこで頑張って来たか、どこで頑張っているかがわかるように思われます。


        理論的整理
「大きな」思想と「生きる」思想


 最後に若干の理論整理をしておきましょう。

 我々が生きている「世界」は三層をなしていると言えます。

 ①直接生きている世界、つまり世界の直接層は各人が生きる「生活世界」と言われるものです。我々の周辺で平均すれば人生80年の世界、あれこれの対人関係を構築し、あれこれの仕事をし、個人的危機や歴史的危機にも直面し、死によって退出する世界です。

 ②普通「世界」という言葉は歴史世界の意味で用いられますが、現在の歴史世界は「モダン(近現代)世界システム」と呼ばれ、およそ500年前、西欧の一角から始まり、黒船とともに日本にも押し寄せ、現在、まさに地球全体を覆いつつある世界です。

 21世紀は問題山積だというときも、この歴史世界のことを言っているわけです。これを世界の歴史層と言っておきましょう。

 ③さらに基底層としてあるのはもちろん自然世界です。自然世界は遡ると138億年の歴史をもつ目もくらむ広大な宇宙ということになりますが、しかし生活世界や歴史世界の直接の地盤(エレメント)という意味では、45億年の歴史を持つこの惑星=地球、そしてその上に40億年展開し続ける生命体の体系を指すといってよいでしょう。

 これら世界の三層は相互織り込み関係にあります。生活世界は歴史世界と自然世界を織り込みつつしか織り上げられません。歴史世界も生活世界と自然世界を織り込みつつしか織り上げられない。

 自然世界が生活世界や歴史世界を織り込むというのは限定的な意味でしか言えないことですが、人類は分業・協業、知的および物的な道具・機械・装置を介して地盤である自然の改作・改造を巨大規模で進め、人工物や廃棄物が地表や大気圏を覆い、生物種の大量絶滅やパンデミック、「人新世」の気候変動などの形で自然環境は危機的様相を帯びるにいたりました。

 1991年にソ連邦が崩壊したとき、「大きな物語の終わり」や「歴史の終焉」がまことしやかに語られました。しかし21世紀の現実は人類史的規模の課題が山積する事態だと言ってよいでしょう。

 ①地球環境危機、とくに温暖化危機、
 ②南北問題、人口爆発、貧困問題、
 ③民主主義の危機、排外ポピュリズムと権威主義体制の急拡大、
 ④不均等発展と覇権国家の地位をめぐる米中衝突、
 ⑤ウクライナ戦争と国連安保理体制の機能麻痺、軍拡、核軍拡の脅威、
 ⑥情報革命による生活様式、生産様式、コミュニケーション様式、戦闘様式の激変、
 ⑦経済の新自由主義的グローバル化と貧富の較差、資本主義を「超える」挑戦の再活性化、
 ⑧課題の深刻さとグローバルガバナンスの現水準の巨大ギャップ、などです。

                                ■山積する人類史的課題(例会資料から)

 だから、ここで「生きる」思想の生成と改造を問題にするからと言って、歴史世界の現状を分析し批判し実践的変革を志向する「大きな」思想は不要だとか、「大きな」思想より「生きる」思想の方が大事だという意味では全くありません。

 一方のナショナリズム、「新しい」資本主義、保守の思想、帝国の思想、情報革命で再活性化している科学技術主義も、他方のラディカル民主主義、社会主義、フェミニズム、エコロジー、陣地戦の思想も、それぞれが歴史的危機や闘争に直面した諸個人の「生きる」思想を源流にもっているし、理論的整備、社会運動化、制度化、体制の正統思想化が進んでも、常に「生きる」思想により再生産され、更新され続けているものなのです。

 ただし「大きな」思想がそれだけで「生きる」思想を「兼ねる」ということはありえません。「生きる」思想には「生活世界」や「人生」や「個人的(人格的)生活過程」という固有の構造があり、人格的レベルでの危機体験や出会いの体験が「生きる」思想を大きく条件づけています。

 だから「大きな」思想が、社会運動などへの参加などを介して「生きる」思想に織り込まれる場合も、織り込まれ方は決して均一ではありません。歴史世界と生活世界の中間に位置する思想のそういうレベルに焦点を当ててみようということです。


 
追記
           「生きる」思想と
 「生活の吟味」としての哲学



 私は哲学を①ギリシャ哲学とか近代西欧哲学といった地域・時代で、②観念論や実在論といった体系的立場で、③歴史哲学とか自然哲学といった中心課題・中心対象でわけるだけでなく、④現実形態でわけるという視点の重要性を主張してきました。

 ソクラテスの対話的「生活の吟味」の実践、プラトンの哲学学校、エピクロスの園の共同生活、ドルバックのサロンに集う百科全書派、カント以降のドイツ大学哲学、旧ソ連の国家哲学でもある党哲学、などです。

 哲学の現実形態のうち特に注目しているのはソクラテスの「生活の吟味」の対話的実践としての哲学、そしてグラムシの、ヘゲモニー対抗に参加する「全員哲学者」論です。

 これらはともに「生きる」思想をテーマにしていると言えますし、「生きる」思想の吟味、批判、刷新を目指すものだと言えます。

 日本でも現在、哲学学校、哲学塾、哲学カフェなどの実践が盛んになっていますが、この現実形態も、多くは「生きる」思想の批判的吟味を中心課題にするものであろうと思います。                                                              (おわり)

                            ■哲学史の中の「生きる」思想(例会資料から)

  


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