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アソシ研リレーエッセイ
食の事業が大切にすべきもの



 「食と健康」、「オーガニック信仰」……、う~ん耳が痛い。「食」を基盤とした事業を展開している私たちも、そうした流れに棹さすような側面があったり、拡大する一端を担っているのかもしれない。ただ、先輩たちが事業活動を通じて実現を目指したもの、僕たちが引き受けてさらに次へ引き継いでいくべきものは、そんなに浅はかではないとも思う。

 関西よつ葉連絡会は無農薬や有機栽培、無添加といった結果としての“モノ”というより、それが作られる前提である社会的諸関係に想いを馳せ、大切にしようとしてきた。「優越意識」どころか、その歩みは自分たちの不十分さを自覚し時には打ちのめされ、それでも様々な問題や矛盾を揚棄してきた歴史だと思う。不十分さを自覚しているからこそ、積極的に外部に学び、内部で完結せず常に外に広がるようなあり方を心がけており、参政党が標榜しているような排外主義とは相容れない(と思う)。

 当初の話を聞く限りでは、信仰どころか「食」についてはむしろ、目指す社会を実現するための運動における手段に過ぎなかった、という印象だ。搾取や抑圧からの解放や対等な人間関係の実現が目的であることに変わりないとしても、事業を続けていく中で、いつしか単なる目的と手段の関係とは捉えられなくなっていったのだ、と思う。その証拠に、昔は「安心・安全な食べ物なんてブルジョワ的だ」というスタンスだった人たちも、今では割と食べることを大切にしている(もちろん、今でも好んでインスタントラーメンが主食という人もいるが)。

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 健康を害する要因は農薬や添加物をはじめ環境中に放出された大量の化学物質なのか、それとも社会連帯の欠如なのかという対立的なものではなく、それらは相互に条件づけられており、同じように本当の意味で人々の暮らしに資する食べ物や道具は、それらの生産を可能とする豊かな自然や社会的諸関係からしか生まれない、ということだと思う。社会的視点や自己批判的思考を欠いた矮小な「オーガニック信仰」や「健康第一主義」が排除や対立を深めることにつながるのは確かだが、一方で過度な化学物質や遺伝子組み換え技術を駆使した生産物や生産環境が、恥知らずな蓄積や経済的弱者へのシワ寄せを拡大させ続けているという事実も、決して軽んじてはならない。

 と書いているまさにその時、関西よつ葉連絡会や同業他団体の中にも参政党の支持者が増えてきているよという、うれしくない情報がメールで送られてきた。タイムリー過ぎるぞ!木村真豊中市会議員。そのメールは、「私たちは農と食が国家主義・排外主義の枠内で語られることを拒否します」という声明への賛同呼びかけが目的だ。まさに、綱島さんが「オーガニック信仰」や「健康第一主義」を批判する視点と重なるものだと思う。

 綱島さんが引用した古谷経衡氏の記事によれば、参政党は保守的要素が従で「オーガニック信仰」が主である異形の右派政党とあるが、どちらが主従かに関わらず、「排外主義」や「優性思想」と、僕たちを含め同じような団体・個人が目指している生産・流通・消費のあり方とは相容れない。自分たちだけそうした“モノ”にアクセスすることを目的とした政治的バーターや無関心が「オーガニック信仰」の根幹にあるとすれば、確かに背筋が寒くなる。

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 一方で自分たちの活動がそのような信仰やムーブメントに取り込まれていく側面があるとして、対抗していくために何が必要だろう? ひとつは先輩たちがそうしてきたように、自分たちが求める“モノ”が生産されるための社会的諸関係を重視し注意を払うこと。そして、その具体的表現でもある「人と人とのつながり」、「“モノ”より人にこだわる」など、この界隈では使い古された言葉やあり方が、時代を超えて普遍的な価値を持つことを確認すると同時に、それらをアップデートしていく努力が必要なのかもしれない。

 「混じりけのない純粋で唯一の真実」でもなく、「それぞれのそれぞれがあるだけ」でもない、何かしら普遍的なものを人間は手にしてきたし、これからももっと探していけるのだと信じたい。異質な他者との対話や相互批判的関係は、そこからしか生まれないと思うから。

                  (松原竜生:関西よつ葉連絡会事務局長)




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