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市民環境研究所から

祇園祭で始まり送り火で終わる夏はどこに


 毎年7月の末、大学が夏休みに入る頃の年中行事は、和歌山県にある省農薬ミカン園へ出向き、病害虫の発生状況の調査をすることである。害虫の個体数が最も増加する時期であり、数十本の調査木を1本ずつ丁寧に観察し、害虫8種類、病気3種類と果実数を記録する。1978年から始めたこの活動は、45年間途切れることなく夏と秋に実施し、省農薬栽培の可能性を証明している。

 筆者も毎回同行していたが、視力が低下した15年ほど前から調査は学生諸君に任せて、後方支援といえばカッコいいが、周辺でウロウロしながらミカン園を楽しんできた。コロナが始まってからは、往復の車に定員いっぱいで行くのは止めようということになり、年寄りは同行しないことにしていたが、この夏は久しぶりに調査に参加した。

 その理由の一つは、今まで発生していなかったミカンナガタマムシ(以下タマムシと略記)が見つかり、その発生状況とミカンの木の枯死状況を観察することと、高温多雨で園を覆ってしまった雑草を刈り取ってほしいという現場からの要請があったからである。

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 滞在時間は短かったが、筆者はほとんど鎌を振るっての草刈りに徹し、それなりの働きができた。しかし、この園で45年間も発生しなかった前述のタマムシの登場とその被害(木や枝の枯死)にはショックを受け、この対策を真剣に考えないといけないと思った。ミカンの樹齢が60年近くなり、順次更新(苗木植栽)を始めていたが、新人農民だけでは十分にできないでいた。また、今まで検出しなかったこの害虫が登場した過程を把握することができず、コロナ禍での右往左往でミカン園の十分な状況把握が欠落してしまっていた。新規就農者だけのせいではないと思いつつの帰洛だった。

 いくつかの発生要因が考えられるが、一つは耕作放棄された廃ミカン園でこの害虫が生き残り、増殖し、周辺の現役ミカン園に拡散侵入したのではないか。もう一つはこの異常気象・地球温暖化によってこの害虫の活動領域が広くなったのではないかと推測したところ、他の農園関係者も同じように考えていた。いずれにしても、ミカン木を個体ごと枯らすゴマダラカミキリとナガタマムシ対策を真剣に取り組まなければと思う。

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 異常気象の今年も3分の2が過ぎようとしている。3年ぶりの大文字送り火を会議の後で見ましょうと集まった北陸新幹線京都延伸計画阻止の仲間と市民環境研究所で会議をしていると、今夏で最も激しいと思われる雷と雨が、送り火点火の準備を完了した五山を襲った。10分遅れの点火にするとテレビが伝えたが、無理だろうと思っていたのに、何とピッタリ豪雨は止まり、3年ぶりの送り火は何事もなかったかのように、しかも例年よりも綺麗に燃え、五山全て無事に終了した。

 ところが、送り火が酷暑の夏の終わりを告げてくれたと思っていたら、翌々日の真夜中4時から半時間ほど、雷が途切れることなく鳴り響き、閃光と豪雨が京都市を襲った。我が家の犬が稲光と轟音に逃げ回っていたので、我が寝室に連れてきて鎖を持ちながら寝させた。

 40分ほどで雷と豪雨はどこかに移動し、朝のテレビによると京都市内でこの30分間の降水量がなんと35ミリだったという。いくつかの地区では避難警報が発せられたとのこと。

 6月から続く異常気象に諦めてきたとはいえ、本当に夏が終わるとはとても思えない。発達した雨雲(積乱雲)が線状に伸び、長さ50~300km程度、幅20~50kmもある線状降水帯という雨域が発達し、京都にも来るとか言われビクビクしていた矢先の深夜の豪雨だった。

 連日のように線状降水帯の襲来に遭っている秋田や青森の人々はどんな気持ちで過ごしているのだろう。昔のように7月の祇園祭で始まり、8月16日の五山の送り火で終わってゆく京の夏に戻ってほしい。地球温暖化は身近な事象となっていることを再認した夏である。

                        (石田紀郎:市民環境研究所)



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