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ロシアによるウクライナ侵略戦争をめぐって

  ぜ戦争を始めたのか
    ロシアの戦争目的を問う

 2月24日、ロシアによるウクライナへの侵略戦争が始まった。21世紀のこの時代、国連安保理常任理事国が主権国家に対して全面的な軍事侵攻を行うとは! 多くの人々が虚を突かれた。それから半年以上が過ぎたものの、戦争は未だに続いている。なぜこんな戦争が起きたのか。何時になったら終わるのか。恐らく誰にも分からないのかもしれない。専門家でもない素人が頭をひねったところで、何かが見えてくるわけではないのかもしれない。しかし、専門家に下駄を預けるだけで済む話でもない。不幸にも起きてしまった戦争、その背景に何があるのか、他に可能性はなかったのか。一人一人が考え、問い続けることが、次の戦争を起こさないための土台を形づくる。そんな思いで、以下、不十分ながら考えてみた。


戦争の終結を考える

 ロシアによるウクライナ侵攻から半年以上が経過した。ウクライナ側の頑強な抵抗によってロシア側の進軍が阻まれ、一部ではウクライナ側の反転攻勢も伝えられている。しかし、依然としてロシア側はウクライナ領土の2割ほどを占領し続けている。東部、南部を中心に毎日のように戦闘が行われ、犠牲者や避難者の報道は絶えることがない。一刻も早い停戦が望まれてはいるが、その糸口は見出しがたいのが現状だ。なぜ戦闘は止まないのか。

 表面的な構図は単純明快と言っていい。ロシアによる一方的なウクライナへの侵略戦争である以上、ロシアがウクライナ領内から軍を撤退させ、開戦前の現状復帰が停戦の基本的な条件となるだろう。しかし、それが困難な場合、あとは戦場の力関係が決め手となる。つまり戦況の優勢な側が主導権を握るわけだ。

 『戦争はいかに終結したか』(中公新書、2021年)で、第一次大戦からイラク戦争にわたる事例を分析した千々和泰明によれば、戦争終結のモデルは「紛争原因の根本的解決」すなわち対戦相手の全面的な降伏、あるいは「妥協的平和」すなわち部分的な戦果の獲得のいずれかに集約されるという。その際、判断材料となるのは「将来の危険」と「現在の犠牲」のバランスである。対戦相手を壊滅しない限り「将来の危険」が防げないとの判断が強ければ「根本的解決」を選ぶ度合いが高くなり、軍事・外交・政治・経済などの面で「現在の犠牲」が過大だと判断すれば「妥協的平和」を選ぶ傾向が強まるという。いずれにしても、判断の主体となり得るのは戦況が優勢な側である。劣勢な側は戦闘継続か降伏するか以外に選択の余地がなく、降伏した場合は「妥協的平和」では済まなくなる可能性が高いからだ。

 今回の戦争で言えば、やはり優勢なのはロシア側だろう。経済や外交面で制裁を加えられ、戦場では兵士が多数戦死し、膨大な戦費や兵器を消耗しながらも、自国領内に戦火が及んでいるわけではなく、攻撃を加えているのがロシア側であることは変わりがない。仮にウクライナ領内から撤退したとしても、「妥協的平和」の範疇に収められるかもしれない。

 そう考えると、差し当たって問題となるのはロシア側の戦争目的である。ロシア側が何を獲得しようとしているかによって、そもそも「妥協的平和」が可能なのかどうか、可能とすればどのような条件が考えられるのか、想定の余地が生じるからである。


想定外に始まった戦争

 ここで、改めて2月24日に至る流れを振り返ってみよう。ウクライナとロシアとの間で緊迫した状況が生じたのは、元をたどれば、ウクライナでの「マイダン革命」、それを受けたロシアによるクリミア併合、さらに東部2州(ドンバス地方)での親露派勢力による「人民共和国」建国が行われた2014年にさかのぼる。それ以降、8年にわたって戦争の「火種」が存在していたと言うことができる。

 とはいえ、この8年の間、一貫して高い緊張が持続していたわけでもない。クリミア併合は世界に衝撃をもたらしたとはいえ、ロシアの周到な作戦によって短期で成功を収める一方、国際的な非難や制裁が奏功したとは言い難い。ドンバスの紛争についても足掛け2年ほどは戦闘が激化したものの、それ以降は膠着状態が続いてきた。そうした状況が変化する兆しは昨年春まで、少なくとも一般的には、感知されなかったのが実情である。

 情勢がにわかに緊迫したのは昨年4月、ロシア軍がウクライナ国境に大規模集結したことによる。その後、バイデン米大統領がプーチン露大統領に首脳会談を提案したため、ロシア軍はほどなく撤退した。6月にはスイスで首脳会談が行われている。

 ところが10月下旬、ロシア軍は再びウクライナ国境などで部隊の増強を行う。これに対し、12月7日に行われた米露首脳のオンライン会談で、米側はロシアと米・NATO(北大西洋条約機構)主要国との高官協議を提案。さらに11日にはウクライナへの米軍派兵を否定する発言を行った。

 同15日、今度はロシア側が米国に条約案を提示。欧州におけるNATO軍の配備を1997年5月27日以前の状態に戻し、いわゆるNATO東方拡大の撤回を求める内容だった。

 年を越して2022年1月、米国はこの条約案を拒否すると書面で回答。ただし、その後も外相・首脳レベルで電話会談を行い、対話の継続を求め続ける。

 一方、ロシアは2月10日から、隣国ベラルーシで大規模な合同軍事演習を開始する。2月17日には1月の米国の書面回答に返答し、ロシア側の要求を拒否するなら「軍事技術的措置」を行うと警告。その翌日にはバイデン自ら「プーチンはウクライナ侵攻を決断した」との警告を公表する。

 同21日には、プーチンがビデオ演説を公表し、ドンバスの2つの「人民共和国」を国家承認。その3日後、24日にはウクライナへの全面侵攻が開始されることになる。

 振り返ってみれば、軍事専門家の中には、早くから軍事侵攻の可能性を指摘する意見もあった。衛星画像の分析などを通じたロシア軍の編成や展開に基づく技術的な判断とされる。しかし、「戦争とは他の手段をもってする政治の継続にほかならない」(クラウゼヴィッツ)と言われるように、実際に武力行使に及ぶ以上、そこには何らかの政治的な合理性が存在する必要がある。その点から見たとき、地域研究や国際政治の専門家であればあるほど、ロシア軍による侵攻が不可避と結論づける根拠は見出しがたかったようだ。


ロシアにメリットはなかった

 例えば、旧ソ連地域を対象に未承認国家やハイブリッド戦争などに関する研究で知られる廣瀬陽子は、「研究は戦争を止められないのか」と題するエッセイ(慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス『おかしら日記』2022年4月5日 )で次のように振り返っている。

 「これらの(自身のこれまでの――引用者)研究成果に基づけば、ロシアがウクライナに侵攻するはずはなかった。紛争勃発前夜まで、私は「侵攻はない」と自信を持って主張していたのだ。しかし、侵攻は起きてしまった。その時、「私が知っている」ロシアは消滅し、私が構築してきた議論も崩壊した。」

 すなわち、「国家の体裁を整えながらも国際的に承認されていない「未承認国家」をロシアが近い外国(ロシアにとっての旧ソ連諸国)を勢力圏に置くために利用」してきた実績、あるいは「ロシアの周辺国がロシアと欧米、そして中国の狭間でバランス外交を強いられ、しかしそのバランスを崩すと、つまり親欧米になりすぎるとロシアから懲罰を受ける」諸事例の分析、「さらに、ロシアが勢力圏を維持するため、また勢力圏を脅かす欧米に対峙するためにハイブリッド戦争を利用している」現状を考えれば、ウクライナに対する全面的な武力侵攻はこの間のロシアの対外戦略に背いており、およそ政治的合理性に悖るものだと言わざるを得ないからだ。

 実際、廣瀬は侵攻直前に行われたネットメディアとのインタビュー(「ウクライナ危機、専門家はこう見る。プーチン大統領が得た「5つのお土産」とは?」『ハフィントンポスト』2022年2月20日)で、複数の理由からウクライナへの全面侵攻は、「ロシアに全くメリットがない」と指摘していた。

 理由の一つは、他国領土を侵攻し併合する際のコストである。

 「当地に住む住民にとって「ウクライナ領からロシア領に移って良かった」という状況を作らないといけません。ウクライナより良くしなきゃいけない。それには相当な資金が必要になります。」

 また、親露派が「人民共和国」を設立した東部2州についても、こう述べる。

 「攻撃の可能性は否定できなくなってきましたが、併合の可能性は低いと思います。(中略)あそこをウクライナに残すからこそ意義があるんです。ロシアはずっとウクライナによる「ミンスク合意」の履行を主張していますが、ミンスク合意の中で特にロシアが重視しているのは、ウクライナ東部に相当高いレベルの自治を与えることです。」

 「ミンスク合意」とは、2014年に生じた親露派勢力とウクライナ軍との紛争に関する停戦合意を指す。2014年に第一次合意が成立した後ほどなく紛争が再燃し、改めて2015年2月、ロシア、ウクライナ、ドイツ、フランスの4ヶ国による首脳会談で合意されたものだ。親露派の「人民共和国」に広範な自治権を持つ「特別な地位」を付与するとの規定が含まれており、中央政府の政策を大きく制約しかねない内容である。ウクライナ側は事実上の連邦制とロシアによる実効支配につながると警戒し、合意の履行に難色を示してきた。

 つまり、ロシアとしては2つの「人民共和国」がウクライナに残留する方がウクライナの内政に関与できる余地が大きく、併合すれば、逆にウクライナへの取っ掛かりを断つことになる。

 加えて、廣瀬によればロシアはウクライナ国境への部隊展開の段階で、すでに以下のような「お土産」つまり外交上の利益を得ていたという。

 ①「ロシアに世界的な注目が集まり、米中対立ばかりが目立っていた国際政治に割って入った」こと。②「NATOにウクライナが将来的に入ることについてロシアは強硬に反対するも無視されてきたが、ついにNATO諸国を交渉のテーブルに着かせることができた」こと。③「ウクライナがNATOに加入すれば、ロシアにとっては軍事侵攻をしかねないほど深刻な問題だとアピールできた」こと。④「「旧ソ連地域にNATOが入ってくることは許さない」というロシアの勢力圏をアピールできた」こと。⑤「武力侵攻の恐怖でウクライナ政治を混乱させ、親欧米派の失脚に向けて足がかりができた」こと。

 そうだとすれば、全面侵攻はせっかく得た「お土産」をわざわざ廃棄するものであり、およそ合理性のない愚策となる。


分かりづらい戦争目的

 この点に関し、もう一例として、現代ロシア政治外交を専門とする溝口修平の考察を取り上げたい(「ロシアによる非合理的な軍事侵攻とプーチンの「世界観」」『SYNODOS』2022年5月2日)。ここでは考察の目的として、ウクライナ侵攻に関するプーチン露大統領の判断が「合理的には説明できない」点を明らかにした上で、とすれば「何がそのような決定をもたらしていると考えられるかを検討すること」が挙げられている。

 まずは開戦に至る昨年来のロシアの動きを振り返った上で、「米国・NATOに対するロシアの要求は、①NATOの東方拡大停止、②ロシアを脅かす軍や兵器の配備の撤収という2つにまとめられる」とまとめられる。「要するに、ロシアはウクライナを軍で包囲しつつ、欧州の安全保障秩序全体の見直しを米国とNATOに要求したのである」。

 ところが、「一方、「特別軍事作戦」の直接の理由は、「ドンバスにおけるジェノサイド」であった」との指摘がなされる。溝口によれば、プーチンは2つの「人民共和国」を国家承認した2月21日の演説で、ウクライナ側がミンスク合意の不履行を重ねるばかりか軍事的な攻勢を画策しており、その結果ロシア系住民が「ジェノサイド」の危機に直面していると主張したという。24日の開戦演説でも、ジェノサイドを止めるために「他に手段はない」として、武力行使を正当化したとする。

 つまり、ウクライナ国境への部隊展開の理由である「欧州の安全保障秩序全体の見直し」と、その部隊を実際に行使する理由となった「ドンバスにおけるジェノサイド」は、直接には重ならない。それゆえ、溝口は「そこには一種の断絶があり、そのことにこの戦争の目的をわかりづらくしている一つの原因がある」と指摘する。


2月21日の演説を読む

 実際に2月21日および24日の演説を見てみよう。前者については、ロシア大統領府が公表した英文に基づく、仏在住の研究者・ジャーナリスト、今井佐緒里による邦訳がある(「Yahoo!ニュース 個人」欄で2月24日から6回にわたり連載)。「英語で約4万6400語(字――引用者)」にのぼる長文であり、細々とした内容が述べられているが、大きくは3つに分けられるだろう。

 ただし、基本的な前提となるのは冒頭にある以下の主張である。前提であり結論と言ってもいいかもしれない。

 「ウクライナは我々にとって、ただの隣国ではないことを改めて強調したい。私たち自身の歴史、文化、精神的空間の、譲渡できない不可分の (inalienable)一部なのです。我々の同士であり、我々のもっとも大切な人々なのです。同僚や友人、かつて一緒に兵役に就いた人たちだけでなく、親戚や血縁、家族の絆で結ばれた人たちなのです。」

 その上で、まずはロシア革命以来の歴史からロシアとウクライナの関係が振り返られている。

 「現代のウクライナはすべてロシア、より正確にはボルシェビキ、共産主義ロシアによってつくられたものであるという事実から説明します」。

 ところが、ウクライナの権力者たちはソ連崩壊に乗じて脱ロシア化を画策した、と糾弾される。

 「私は強調したいことですが、ウクライナ当局者たちは、我々を結びつけているすべてのものを否定した上に彼らの国を建設し、ウクライナに住む何百万人もの人々、すべての世代の人々の精神と歴史的記憶を歪めようとすることから始めたのです。」

 かくして、独立後のウクライナに関して、政治の腐敗、オリガルヒ(新興財閥)の暗躍、経済の停滞、過激な民族主義の台頭、ロシア的なものに対する抑圧(脱ロシア化)といった否定的な事例が列挙される。そんなことになったのも「ソ連時代だけではなく、ロシア帝国時代から受け継いだ遺産を使い果たし、使い込んだ」からだという。

 「ウクライナの人々は、自分たちの国がこのように運営されていることを認識しているのでしょうか。自分たちの国が、政治的・経済的な保護国どころか、傀儡政権による植民地に落ちていることに気づいているのでしょうか。」

 すなわち、ウクライナの脱ロシア化の背後に米国を先頭とする西側諸国による介入、その実体的な裏付けとしてのNATOの東方拡大が想定される。驚くことに、ドンバスの2つの「人民共和国」に対する国家承認に関する演説にもかかわらず、全体の1/3近くがNATOに関する言及で占められており、国家承認に関する直接的な言及は最終部分のわずかな箇所に過ぎない。


24日の演説に見る被害者意識

 一方、24日の演説はNHKによる邦訳で読むことができる(「【演説全文】ウクライナ侵攻直前 プーチン大統領は何を語った?」2022年3月4日)。ロシア大統領府公表の英文で比較すると、こちらの文字数は21日の演説の半分以下となっている。

 冒頭で「きょうは、ドンバスで起きている悲劇的な事態、そしてロシアの重要な安全保障問題に、改めて立ち返る必要があると思う」と述べられ、「まずことし2月21日の演説で話したことから始めたい」と続く。言及されるのはNATOの東方拡大およびその脅威だが、すでに説明済みということか、内容の展開はない。脅威が「ロシアの国境のすぐ近くまで迫っている」と指摘した上で、その根拠としてソ連崩壊後に米国を先頭とする西側諸国が恣意的に世界秩序を牛耳ってきたことが糾弾される。セルビア空爆、イラク、リビア、シリア……。

 「世界の多くの地域で、西側が自分の秩序を打ち立てようとやってきたところでは、ほとんどどこでも、結果として、流血の癒えない傷と、国際テロリズムと過激主義の温床が残されたという印象がある。」

 これに重ねて、米国の「約束違反」が俎上に上がる。巷間、東西ドイツ再統一の際に米国が当時のソ連に対してNATOを東方に拡大しないと約束したとの説が存在するが、その後、実際には東方拡大を続けていることをもって、米国の不実を批判する考え方である。

 「繰り返すが、だまされたのだ。/俗に言う「見捨てられた」ということだ。/確かに、政治とは汚れたものだとよく言われる。/そうかもしれないが、ここまでではない。/ここまで汚くはない。」

 「ソビエト連邦崩壊後、新生ロシアが先例のないほど胸襟を開き、アメリカや他の西側諸国と誠実に向き合う用意があることを示したにもかかわらず、事実上一方的に軍縮を進めるという条件のもと、彼らは我々を最後の一滴まで搾り切り、とどめを刺し、完全に壊滅させようとした。」

 深刻な被害者意識に基づく極めて感情的な表現であることに驚かされるが、それはそのまま強烈な脅威認識と危機意識へと反転する。

 「NATOが軍備をさらに拡大し、ウクライナの領土を軍事的に開発し始めることは、私たちにとって受け入れがたいことだ。」

 「誇張しているわけではなく、実際そうなのだ。/これは、私たちの国益に対してだけでなく、我が国家の存在、主権そのものに対する現実の脅威だ。」

 その結果、ウクライナへの侵攻が宣言されるに至る。

 「きょう、これから使わざるをえない方法の他に、ロシアを、そしてロシアの人々を守る方法は、私たちには1つも残されていない。」

 実務的な手続きとして、2つの「人民共和国」からの要請に基づき、国連加盟国に対して武力攻撃が発生した場合「安全保障理事会が必要な措置をとるまでの間、加盟国は個別的・集団的自衛権を行使できる」とする国連憲章第7章51条、さらに2つの「人民共和国」との間で締結された「友好および協力に関する条約」を履行するため「特別な軍事作戦」を実施する、との形をとっている。

 「その目的は、8年間、ウクライナ政府によって虐げられ、ジェノサイドにさらされてきた人々を保護することだ。/そしてそのために、私たちはウクライナの非軍事化と非ナチ化を目指していく。」

 以上、改めて2つの演説を読み返すと、米国・NATOに対する言及も「ドンバスにおけるジェノサイド」も盛り込まれてはいるものの、先の溝口の指摘どおり、開戦理由は明確に後者となっており、米国・NATOに対する言及は直接的には出口を失っているように見える。

 しかし、2つの「人民共和国」を国家承認する際にNATOの東方拡大とその脅威に言及し、開戦演説でも米国の欺瞞や裏切りに対して口を極めて非難したように、プーチンの当事者意識としては明らかに両者は一続きのものとして捉えられている。この点は後に触れたい。


合理性を欠いた戦争発動

 ここで再び溝口の論考に戻る。溝口は「戦争目的をわかりづらくしているもう一つの要因」として、前掲の廣瀬と同じく「軍事侵攻、ましてや東部だけでなく首都キーウを含んだ全面的な軍事侵攻を行うことはロシアの利益になるどころか、逆効果であると考えられるからだ」と指摘する。

 この点では、「ウクライナがNATOに加盟するのは「時間の問題」だとプーチンは述べたが、実際にはウクライナが短期間のうちにNATOに加盟する見込みは高くなかった」とされる。その最大の根拠はドンバスにおける紛争の存在である。

 「ウクライナが国内に紛争を抱える限りは、NATOがウクライナの加盟を認める可能性は低かった。たとえロシアが長らくNATOを脅威とみなしており、ウクライナとNATOの接近に対して警戒を強めていたとしても、軍事侵攻というリスクを負ってまでそれを防ごうとすることは合理的であると言えない。」

 多くの識者が指摘するように、確かに2008年のNATO首脳会議で「ウクライナの将来的な加盟を支持」されてはいたものの、10年以上にわたって具体的なプロセスが動いた形跡はない。そもそもNATOに新規加盟するには既加盟国の全会一致が必要だが、NATO既加盟国には中東欧諸国のようにウクライナの加盟に積極的な立場もあれば、ドイツやフランスのように消極的な立場もあり、短期的に加盟交渉が進むような状況でなかった。

 その際、消極的な立場の国々が懸念していたのが、溝口の指摘するドンバス紛争の問題だ。紛争相手である2つの「人民共和国」に対するロシアの後押しが明白である以上、ウクライナの加盟承認はロシアを刺激する可能性が高く、欧州の安全保障を脅かす行動を招きかねない。

 付け加えれば、ウクライナの政治体制のあり方も加盟のマイナス要因となっていたようだ。ウクライナは新興財閥(オリガルヒ)と政治家の癒着、腐敗汚職について長らく欧州諸国から懸念を持たれており、NATO やEU(欧州連合)が要求する民主主義の水準に達していないと見なされてきた。それまで政治に無関係だったゼレンスキーが2019年、唐突に大統領選挙で当選した要因の一つが、ほかならぬ政治腐敗への大衆的批判だったとされる。

 いずれにせよ、懸念材料の多いウクライナの加盟承認はNATOにとって「火中の栗を拾う」に等しく、加盟の可能性は決して高くなかった(近い将来ではなおさら)。その点はロシアも重々承知のはずである。現に21日の演説では、ウクライナの政治腐敗についてしつこく言及している。にもかかわらず、切迫したNATOの脅威を言い募るのは、たしかに合理性を欠いている。

 続いて溝口は「では、ウクライナとの関係においてはどうであろうか」と問い、「こちらもやはり軍事侵攻はロシアの利益になるとは考えられないし、ましてや全面侵攻は逆効果であり、ロシアに不利益となるとすら言える」と結論づける。

 この点に関する分析は、先の廣瀬と重なるところが大きい。溝口によれば、ロシアがドンバス2州をクリミアのように「併合」しなかったのは、「ミンスク合意」によって「脱集権化」(広範な自治権を獲得)し、それを通じて「ウクライナの政策決定に間接的に影響を及ぼす」戦略をとってきたからだという。

 ウクライナとしては国内に不安定要因を抱えることになるため積極的に合意の履行を進めるのは難しく、2つの「人民共和国」も望んでいた独立やロシアへの併合が実現できないため、やはり合意の履行には積極的になれない。そうした中でドンバスでは膠着状態が続き、ロシアの財政支援も拡大したが、「「人民共和国」をコントロールしつつ、ウクライナを不安定化させるというロシアの目的からすれば、それほど悪いものではなかった」という。

 他方、独立を承認してしまえば、ウクライナに影響力を及ぼす手段もなくなり、むしろロシアからの自立を後押しすることになる。すなわち「これまでのロシアがとってきた政策に反する行動である」と言わざるを得ない。

 「要するに、どのような観点から見ても、ロシアによる軍事侵攻はロシア自身が行ってきた要求に見合うものではないと言える。したがって、ロシアの行動を「利益」という観点から合理的に説明することはできない。」


何が合理性を超えるのか

 しかし、ロシアの行動を合理的に把握することができないとすれば、事態をどう考えるべきなのか。というのも、今回の軍事侵攻は決して敗れかぶれで行き当たりばったりの暴発ではなく、むしろ一定の目的に基づき、相応の準備を経て行われたことがうかがえるからだ。他者あるいは一般的な見地からして、その目的が一般的な合理性の範囲に収まらなくとも、当事者にとっては十分に合理的なものと捉えられることはよくある。

 この点について、廣瀬は前掲文書で次のように述べている。

 「だが、戦争を起こすのは人間だ。全ての人間がそれぞれのバックグラウンドを持ち、それぞれの思考、独自性を持っている。全ての人間の思考、行動を網羅できるような研究が行えるはずもない一方、ウラジーミル・プーチン大統領1人のせいでこのような惨事が起こってしまった現実を受け、今後は1人の人間が歴史を動かすという現実を分析に取り入れてゆく必要が出てくるのかもしれない。承認欲求で歴史は動く、とフランシス・フクヤマが『アイデンティティ』で説いたように、施政者の個性に踏み込んだ分析が必要となりそうだ。」

 短いエッセイでもあり、内容を展開しているわけではないが、方向性は明確である。国家権力を掌握した「施政者の個性」が、政策決定にあたって死活的な要因を占める場合がある以上、それを含みこんだアプローチが求められるということだ。

 一方、溝口はこの点について前掲論文で掘り下げた考察を行っている。

 24日の開戦演説で、プーチンは戦争目的として、「ジェノサイドにさらされてきた人々を保護することだ。/そしてそのために、私たちはウクライナの非軍事化と非ナチ化を目指していく」と述べていた。だが、「ロシアの軍事侵攻が東部に限定されたものではなく、首都キーウを含むウクライナ全土に及んだこと」から考えて、「ウクライナに対する3つの要求のうち、「非ナチ化」すなわちゼレンスキー政権の転覆こそがプーチンの狙いであり、それが短期間のうちに実現できるという計算がプーチンにはあったと考えられる」と指摘する。その上で、「軍事侵攻がロシアの「利益」に見合わないとすると、その決定にはプーチン個人の「価値観」や「世界観」が影響していると考えられる」と問題提起を行う。

 ここで参照されるのが、2021年7月12日付でロシア大統領府のホームページに掲載された「ロシア人とウクライナ人の歴史的一体性」と題するプーチンの論説である。英語版も同時に掲載され、在日本ロシア連邦大使館がフェイスブックで邦訳を公開している。

 日本語で文字数2万字近いこの論説の内容は、題名どおりと言っていい。前半では、東スラブ人による最初の国家「キエフ・ルーシ」以降の歴史を紐解きながら、もともとロシア人とウクライナ人およびベラルーシ人が祖を同じくする同一民族であり、ながらく一体となって暮らしてきたにもかかわらず、ロシア革命後にボルシェビキ(共産党)が実施した民族政策によって別々の民族、民族国家に分割され、それがソ連崩壊後も続く間違いのもとになったと主張される。

 後半では、政治の腐敗、オリガルヒ(新興財閥)の暗躍、経済の停滞、過激な民族主義の台頭、ロシア的なものに対する抑圧(脱ロシア化)といった事例を例示しつつ、独立後のウクライナのありようが否定的に総括されている。同時に、そうしたウクライナの混乱の背後にはウクライナをロシアから引き離そうとする米国を先頭とする西側諸国の関与があるとする。

 最終的に示される結論は、次のとおりである。

 「ウクライナの真の主権は、ロシアとのパートナーシップにおいてこそ実現可能であると、私は確信しています。ロシアとウクライナとの精神的、人間的、文化的つながりは数百年間にわたって築き上げられたもので、ひとつの源泉から生まれ、共通の試練や成果、勝利によって強化されてきました。(中略)これまでも、そしてこれからも、共にいることによって私たちは何倍も強くなり、何倍もの成功をもたらすことができるでしょう。なぜなら、私たちはひとつの民族だからです。」

 一見して既視感を覚える内容だ。基本的な主張の軸は2月21日、24日の演説と変わらない。というより、時系列ではこの論説を背景に2つの演説が成立しているのだから当然ともいえる。

 ともあれ、溝口は一渡り論説を紹介した上で、次のように述べる。

 「プーチンの「世界観」の実現が軍事侵攻の真の目的だと考えると、ウクライナを全面攻撃してゼレンスキー政権を打倒しようとしたことの説明もつく。上述したように、「ウクライナ東部のロシア系住民の保護」のためには首都キーウに侵攻する必要はなかった。それに対し、「ロシア、ウクライナ、ベラルーシの一体性の回復」のためには、ロシアから離れて欧米諸国に接近しようとするゼレンスキー政権は何としても排除されなければならない対象となる。」


融通無碍な民族観

 ちなみに、溝口は24日の演説と論説との間の「民族観の違い」について触れている。

 「前者で言及される「ロシア系住民」とは、ロシアが周辺国への介入を正当化する際にしばしば持ち出される概念であり、ウクライナにおいては東部や南部に多く居住するロシア語話者がその中心である。それに対し、「歴史的一体性」論文で述べられる「ロシア民族」は、ロシア、ウクライナ、ベラルーシの3カ国にまたがるかつてのロシア帝国領に居住する人々を指している。」

 論説の民族観が本心でありながら、それをそのまま軍事侵攻の根拠とした場合、政権転覆の意図があからさまなことを恐れたのか、あるいは国連憲章第7章51条および2つの「人民共和国」との「友好および協力に関する条約」との整合性に配慮したのか。プーチンの意図は判然としないものの、自らの「価値観」「世界観」を実現するため、歴史解釈や民族観を融通無碍に駆使しているのは確かである。

 また、溝口は「このような考えをプーチンがいつ頃から持つようになったのかは、今後検討すべき課題である」とした上で、「プーチンが2012年に発表した論文」と昨年の論説との違いに言及している。

 それによれば、2012年の論文でも「プーチンのロシア民族中心主義を垣間見ることはできる」としながら、「しかし、同時にロシアが多民族国家として発展してきたことも強調されており、ロシアという国家への忠誠を求める「市民的愛国主義」の必要性が述べられている」という。

 この点を示すため、「エスニックな共通性に基づくネイション」に依拠した「エスニック・ナショナリズム」と「一定の領域(国家)内に居住し、同一の政府と法のもとに結びついた人々の共通意識」に依拠した「シヴィック・ナショナリズム」」という軸、および「領域の拡張を求めるか否か(帝国志向か中心志向か)という軸」によってロシアのナショナリズムの4分類が設定される。

 それに基づいて、2012年の論文におけるプーチンのナショナリズムは、ロシア連邦のシヴィック・ナショナリズムの要素が比較的強かったのに対し、昨年の論説は「ロシア民族至上主義的ナショナリズム」が前景化し、なおかつ「ロシア連邦の領域的一体性を志向するものから領域の拡張を求めるものへと変化してきた」と判断される。

 NATOに対する態度も含め、ロシアの対外政策をめぐっては経年的な変化が指摘されている。当然と言えば当然だが、そうした変化がいかなる外的・内的情勢を契機として、プーチンおよびロシアの最高権力層のいかなる認識転換によって生じたのか、それが政策としてどのように反映されたのか、改めて解明が待たれるところである。


歴史認識をめぐる対立

 以上、廣瀬、溝口の考察で基本的な問題の根幹部分は明らかになったと思われるが、あえて屋上屋を架す形で付け加えておきたい。

 2020年6月18日、プーチンは米誌『ナショナル・インタレスト』(電子版)に「第二次世界大戦75年の真の教訓」と題する論説を公表した。ロシア政府系のウェブメディア『スプートニク(日本語版)』が「戦勝75年 歴史と未来に対する共通の責任」との題名で邦訳を掲載している(原文と比べて多少抄訳されている)。題名に見られるとおり、中心論点は第二次大戦に対する総括をめぐるロシア側の視点の提示であり、これこそが「真の教訓」だと主張するものである。

 政治家しかも一国の首脳が歴史解釈をめぐる論説を外国雑誌に公表するのは奇異な話である。だが、そこには背景がある。実は前年2019年9月19日、EUの欧州議会で「欧州の未来に向けた重要な欧州の記憶に関する決議」(以下、欧州議会決議)が採択されていた。第二次大戦の発端を1939年の独ソ不可侵条約、つまりヒトラーのナチス・ドイツとスターリンのソ連との間で結ばれた秘密協定に求め、この「2つの全体主義国家」こそが欧州を戦乱に陥れた元凶だと非難するものである。

 ソ連崩壊後、政治経済的な大混乱に見舞われる一方、共産主義という統合の柱を失い失意の極みにあったロシアでは、新たな統合の柱として第二次大戦での勝利、中でも辛酸を極めた独ソ戦を勝ち抜き、ナチズムから欧州の解放を主導したという「歴史的記憶」が据えられ、求心力を発揮してきた。欧州議会決議はそれに真っ向から対立するものであり、プーチンとしては到底見過ごせない。

 そのため、論説では1939年の独ソ不可侵条約ではなく1938年、ナチスによるチェコスロバキアのズデーテン地方併合に対して宥和策で応えたミュンヘン会談こそが大戦の発端として欧州諸国を批判し、独ソ不可侵条約は当時の戦況上やむを得ない苦肉の策と合理化される。

 また、ソ連に敗北しながら、なお欧州に残存していたナチスを最終的に追い詰め、殲滅したのはソ連軍だとして、大戦後の世界秩序においては、それに相応しい主導的地位が与えられてしかるべきだと主張する。そこからすれば、ソ連とナチスを同一視し、全体主義と非難する欧州機会決議は受け入れられようはずもない。「解放者と占領者を同等に置くことは許されないと私は思う」。プーチンはそう述べる。

 ただし、こうした欧州とロシアの対立は近年になって始まったことではない。現代ロシア政治を専門とする西山美久によれば(「歴史認識に関するロシアの内在論理」東京大学先端科学技術研究センター『ROLES REPORT』No.8、2021.3)、すでに2000年代初めから、かつてソ連圏に属していた東欧諸国やバルト3国ではソ連を解放者とするロシア流の歴史認識を覆し、むしろ占領者と見なす動きが拡大しつつあったという。それらが欧州の国際機関に波及したことで、全欧州レベルでロシアと異なる歴史認識の確定が進んだのである。


にもかかわらず、だからこそ

 先に溝口の考察で触れたように、ロシアが開戦前にウクライナ国境に部隊展開した際、主に問題にしていたのはNATOの東方拡大だった。一方、開戦演説における結論は、ドンバスにおけるジェノサイドからの救済だった。表面的には重ならない二つの主張は、ウクライナの非軍事化、非ナチ化すなわちゼレンスキー政権の転覆を軸として結びつくことになる。

 この点で、9月14日のロイター通信の報道は興味深い。「ウクライナ侵攻直後に和平合意、プーチン氏拒否で幻に=関係筋」と題する記事によれば、「ロシアのウクライナ侵攻が始まった時点で北大西洋条約機構(NATO)に加盟しないとの約束をウクライナから取り付けていたにもかかわらず、プーチン大統領が軍事侵攻を進めたことが政権中枢部に近い3人の関係筋の話で明らかになった」という。

 「関係筋によると、ロシア交渉団を率いたドミトリー・コザク氏は、ウクライナとのこの暫定合意により大規模なウクライナ領土の占領は不要になったとプーチン氏に報告した。/プーチン氏は当初コザク氏の交渉を当初は支持していたが、同氏から合意案を提示された際に譲歩が不十分と主張し、目標を変更してウクライナの領土の大部分を併合する意向を示した。その結果コザク氏がまとめた合意は採用されなかったという。」

 ロシア側は否定し、ウクライナ側も「交渉の内容に関する質問には答えず、暫定合意があったかどうかも確認しなかった」とのことだが、プーチンの目的がNATOやドンバスといった個別の問題ではないと考えれば、信憑性は低くないと判断できる。

 2月21日および24日の演説、その前提となる昨年7月の論説、さらに一昨年6月の論説を見れば、いずれも色濃くにじみ出ているのは極めて強い被害者意識、その反面としての承認欲求である。

 かつてのロシア帝国やソ連を継承し、世界的大国の位置にあるべきロシアにもかかわらず、米国を先頭とする西側の企みによって自らの「解放者」としての地位を否定され、外交面では爪弾きにされ、かつての勢力圏は浸食され続けている。この上、歴史的に一体であるはずのウクライナまで引き離されては取り返しがつかない。とすれば、後顧の憂いなきよう、再びウクライナが欧州側になびく余地がなくなるほど、徹底的な体制転換を図らなければならない――。あくまで想像に過ぎないが、政治的合理性を凌駕するほどの「価値観」「世界観」あるいは「妄想」の一端を推し量ることはできるだろう。

 しかし、そうなると事態の終結には暗雲が立ち込める。一定の合理性が想定できるならば、交渉と駆け引きの余地が存在するが、上記のようにロシア側の要求を丸呑みするか否かしかなければ、交渉による決着は望みがたい。仮に何らかの段階で停戦あるいは休戦が成立したとしても、それは最終目的に向けた通過点でしかないからである。

 もちろん、当初は思い込みに駆られたとしても、現実の壁に突き当たる中で合理性に立ち戻らざるを得なくなることはある。そこに期待することもできないわけではない。むしろ、そうであってほしいと願う。

 しかし、クリミア併合と同じ見通しで始めた戦争もすでに半年、しかも戦況は停滞を余儀なくされ、決定打も見いだせない。中途半端な部分的成果では国内に対する説明も難しく、自らの政治基盤にも影響する。となれば、是が非でも当初の目的に向かって突き進まざるを得ないのかもしれない。

 現時点では、事態の見通しは暗い。にもかかわらず、否だからこそ、好転させるためにどんな可能性があるのか、私たちは何ができるのか、考え続けていかなくてはならない。

                                         (山口 協:当研究所代表)



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