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関西よつ葉連絡会の畜産をめぐって

能勢農場の目指すも
の(下)
畜産・農業・林業――地域内循環を取
戻すために

 関西よつ葉連絡会の畜産部門を支える㈱能勢農場。設立時には畜産そのものより自然と関わる中で自らの思想や価値観を捉え直し、社会に向き合うための場として構想された。その後、年月を重ねる中で畜産の専門性についても問われることになり、さまざまな試行錯誤を経て現在に至っている。そうした経験の中で培われた、畜産に対する農場の考え方、自らの今後の方向性などについて、寺本陽一郎代表にうかがった。なお、上下2回のうち、畜産の現状把握を中心にした(上)には本誌188号(2020年8月31日)に掲載済みである。今回は、それを踏まえた農場の取り組み、とりわけ里山を利用した土佐あかうしの放牧、畜産と農業、林業との連携といった新たな事業構想を中心に紹介する。(文責は当研究所にあります)


放牧に注目したわけ


 2000年以降の能勢農場の取り組みをお話ししましょう。

 まず、2006年に「畜産ビジョン」
(注1)を策定し、2007年に稲わら回収(注2)を始めました。その後、2013年にはトレーサビリティの関係で仔牛の調達方法を変更しています(注3)

 稲わら回収を始めたことで自給飼料を入手できるようになったので、「地場牛」と銘打って配合飼料を与えずに自給飼料のみで飼う試みを試験的にスタートさせました。当初は、配合飼料もなしにまともな肉ができるか疑問もあったんですが、フタを開けてみれば通常の飼い方とほとんど変わらない仕上がりにはなりましたね。

■寺本陽一郎さん
 1964年、大阪府出身。1984年、関西よつ葉連絡会で配送の仕事を始め、複数の配送センターに勤務。2005年、能勢農場に入り、2006年に同代表就任。
 特徴的な飼い方なんで、その点で関西よつ葉連絡会の会員さんからも支持もあったんですが、肉質や味の点では通常の牛肉との違いを出すことができませんでした。最初は興味を持ってくれても、食べてみればとくに違いがない。そんなこともあって次第に衰退して行ったんですが、独自の試みの第一歩を踏み出した点で、農場としては一定の意味があったと思っています。

 畜産ビジョンを策定した当時、関西よつ葉連絡会の中には鶏、豚、牛それぞれの生産者が集まって、お互いの近況を共有し連携を模索するための畜産部会がありました。その中で論議しながら畜産ビジョンが策定されたわけですが、それを具体化する形として「放牧」をイメージし始めたと記憶しています。ただ、そのころは漠然としたものでしかありませんでした。

 2015年になって、ようやく土佐あかうしの放牧を試験的に始めるわけですが、そこに至る過程には大きなきっかけがありました。

 それは上田孝道さんの本
(注4)に出会ったことです。それまでは、北海道のように大きな放牧場に乳牛を放すような、そんな放牧にいつかチャレンジしてみたいと、漠然と思っていました。それが、上田さんの本に出会って、放牧の形が多様に存在していたことや、さらに日本の畜産の歴史の中で、その地域地域に合った独自の牛の管理の仕方が存在したことも分かりました。結局、もともと牛は食用よりも役用として使われていたんですよね。

 能勢農場が兵庫県丹波市での取り組み
(注5)を始めるにあたって、当時、丹但酪農農業協同組合の組合長だった塩見忠則さんに何くれとなく尽力いただきました。その塩見さんによると、小学生の時分は丹波地域では水田酪農が盛んで、ホルスタイン牛で代掻きなどをしていたそうです。ホルスを手なずけるのはなかなか難しいそうですが、丹波地域にはそうした技術があったんでしょうね。

 そんな感じで、いま各家庭に車があるように各農家が牛を飼い、役畜として使っていたわけです。農繁期には田んぼに入れて仕事をさせ、農閑期には家の牛小屋に入れたり、もしくは地域ごとに集団牧野をつくって、そこで牧人たちが牛を管理していた。こういう歴史が長かったんだと、上田さんの本には書かれていました。

 それを読んで、いろんな放牧の形がある、能勢でもできるんや、と思いましたね。それで、上田さんを訪ねて高知に行き、放牧の具体的なイメージが固まっていったわけです。それまでは本当に漠然としていて、岩手
(注6)に見に行ったりして、やりたいけどできへんな、と思ったりしたんですが、その本には高知での林間放牧とか育林放牧とか載っていたので、実際にやっている人の所に訪ねて行きました。山口県で元きこりの人が畜産と出会って、牛を山の管理に利用できないかと考えて林間放牧を始めた事例も、その本に出てきます。そういう現場や人たちを訪ね歩いたのがこの事業をスタートする一年前、2014年ぐらいです。

 できるとなったら早くやりたい気持ちが出てくるので、高知に行った後、荒廃地になっていた農場の隣接地を調べて地主に交渉し、うちに管理させてもらえないかとお願いしたところ、許可が下りました。雑木の撤去から始まってノシバを設置するなど試行錯誤を重ねた末、ようやく2015年に牛を導入することができたんです。

 当初は放牧に慣れている牛が欲しかったんで、高知で知り合った人たちの中から放牧牛を選抜してもらい、譲ってもらおうと思ってたんですよ。当時は、仔牛の市場としては開放されていたので、誰でも買うことができました。ただし、繁殖するには雄の精子が必要ですが、精子については県が完全に管理して県外に出さないと条例で定められていたんです。もっとも、僕はどちらかというと、よつ葉の畜産ビジョンを現場で具体化していくときの一つのモデルケースとして、まずは放牧がどういうものなのか実際に経験してみたかったので、繁殖できなくてもかまわない、山を管理する目的で牛を入れてもいいだろうと思っていたんです。とにかく、この荒れ地に牛を放したら5年ぐらいで本当に草地になるのかどうか試してみたい、可能な限りやれることはやろう、そんな気持ちが先に立っていましたね。

 そこで、高知県の畜産試験場に行きました。試験場がやっている芝草地造成法を能勢でもやりたい。ついては、あかうしも同時に導入するので、放牧の仕方などを教えてほしい。そんなふうにお願いして、一度だけですがこちらにも来てもらって、指導もしてもらいながら、あかうしを放牧場に馴致させていく試験をやりました。

 人間だと引っ張りまわされるので、逃げないように機械を持ってきて括り付ける。馴致させるために電柵を張り、鼻先をちょっと当てて痛いことを分からせる。それを無理にやって暴れられたりとか、いろいろ苦労もありましたが、いまから思えばわりと順調にいきました。もともと高知のあかうしは非常に放牧に適している牛だったんですね。

 
(注1)「よつ葉がめざす畜産ビジョン」
 ①地域の気候・風土・人々の生活とむすびついた畜産を常に求め、地域の農業と一体化した畜産をめざします。
 ②飼料の地域内自給、糞尿の地域内還元をめざし、環境負荷の少ない畜産をめざします。
 ③繁殖・哺育・肥育・屠畜・解体加工・パック詰めの全ての過程で個体識別が可能で、履歴が追跡可能となる畜産・食肉加工システムをめざします。
 ④動物としての家畜に、できる限りストレスがかからない、自然な肥育環境づくりをめざします。

 (注2)地域の米農家から稲刈り後の稲わらを回収し、農場の牛に粗飼料として給餌する。牛が排出した糞尿を堆肥化し、稲わらを提供してくれた米農家の田圃に散布する。こうして地域における有畜複合的な循環が形成される。

 (注3)2002年9月、日本初のBSE(牛海綿状脳症)発生をきっかけに、BSEの検査体制確立と合わせて牛の生産履歴を厳格に管理する必要が生じた。翌年6月、いわゆる「牛肉トレーサビリティ法」が成立し、すべての飼育牛に10桁の個体識別番号が付けられる仕組みができた。関西よつ葉連絡会では、牛の生産履歴をさらに明確化するため、能勢農場で肥育するすべての仔牛の調達を通常の生体市場から、長野県と兵庫県の畜産農家との相対取引きに切り替えた。

 (注4)上田孝道『和牛のノシバ放牧―在来草・牛力活用で日本的畜産』(農文協、2000年)

 (注5)注3で記したように、能勢農場では兵庫県丹波市に拠点を置く丹但酪農農業協同組合所属の酪農家に仔牛の提供を引き受けていただくようになった。2009年には同組合から春日町の廃業した畜産施設を斡旋していただき、春日育成牧場を設立するに至った。

 (注6)岩手県では、和牛の一種「短角牛」を夏季に山に放牧する飼育法が盛んである。


予測できない10年後の畜産情勢


 改めて整理してみると、あかうしのプロジェクトには二つの側面があると思います。一つは経済的な側面です。要するに、今後も安定してF1
(注7)の仔牛が導入できる見通しが成り立たなくなっているわけです。

 というのも、F1の仔牛を導入するには酪農家が不可欠なんです。酪農家があってF1の肥育
(注8)が成り立つんですね。では、酪農家の世界は一体どうなっていっているのか。

 ■現在、能勢農場で主に肥育されて    いるF1の牛
 僕らがF1の仔牛の取引きを始めたのは2007年ぐらいでした。兵庫県は以前から関西よつ葉連絡会との間で部分的に牛乳の取引きをしていた経緯があり、酪農組合の組合長と知り合いの職員がいたこともあって、話がしやすかったんです。当時、酪農組合で出荷できるF1の仔牛を出荷していた酪農家は37軒ぐらい。出荷頭数は年間最大限で雄150頭ぐらい、雌130頭ぐらいでした。

 それが、いま出荷してくれている農家は5軒。すごい勢いで減少しました。もっとも、廃業した農家が飼っていた牛はすべて大規模な酪農家に系列化されたんで、兵庫県の酪農家の軒数は激減しても、ホルスタインの頭数そのものはそれほど減っていません。でも、だからF1の仔牛が出てくるかといえば、系列化された中で自己完結されてしまうから、市場には出荷されない。まして、特定の酪農家と庭先渡しで取引きするなんてことは、まずできないようになってしまいました。

 最近では、小規模な酪農家が継続できなくなった場合、大規模な酪農家が牛舎も牛も丸ごと全部買い取って、当の酪農家は労働者として雇われ、形だけは以前と同じように牛を繁殖させて乳を搾る、そんな事例が出始めています。やっていることは同じでも裁量の余地はなくて、仔牛も含めて副産物はすべて買収したところに持って行かれてしまう。だから、「ごめん。牛は残ったけど、そちらには出せへんようになった。申し訳ない」と。

 買収した大規模な酪農家はどうするかというと、食品加工会社などと組んで、直接その会社にF1の仔牛を渡すわけです。会社はあらかじめ価格を決めて買い取って、たとえば雌のF1に和牛の受精卵を入れて和牛を産ませたり、それを肉にして自分のところで販売する。そういう契約ができ上がっているんですよ。要するに自己完結してしまうわけで、それ以外のところに出てきようがない。結局、こんな形で大きな企業に牛耳られてしまう状況が、これから進んでいくと思います。

 ただ、長野県はまだそこまでは行っていません。兵庫県でよく聞く話も今のところほとんど聞かないし、酪農家自体の規模が大きくて100頭とか150頭とか飼っているから、働き手もいるし、法人化して世代交代もできていたりして、まだなんとかやれています。兵庫県にはそんな規模の酪農家はわずかで、40頭から70頭の規模が圧倒的に多かったんですね。それぐらいなら家族経営でできたんですよ。でも、そこから大きくしようとすると、設備投資もしないといけないし人も雇わないといけない。だから、大きくしようとするところは少なかった。最終的に、やれるところまでやって辞めてしまう。ほとんどがそんな感じでした。

 こんなパターンを繰り返している中で、コロナ禍になって原乳の需給バランスが崩れ、この3年間ほど乳が余ったり足りなかったり、右往左往させられているんです。一応、農水省も補助金を出してはいるけれど、これまで40頭飼っていた農家が補助金を使って、たとえば60頭や70頭にするかといえば、そうはなりません。設備や機械や人手、諸々の負担が乗っかってくるからです。結局のところ補助金をうまく使えるのは、もともと200頭、300頭の規模でやっていた、余力のあるところです。

 実は5~6年前、畜産関係者の間で噂されていた話があります。どうやら国は国策として「和牛は南、ホルスは北」みたいな形で日本の畜産を集約するつもりらしい、と。いま、それが現実になっていると感じますが、その当時、真に受ける人は多くありませんでした。10年前にいまの状況が予測できたかといえば、ほとんど誰も予測できなかったでしょう。だとしたら、今後の10年を予測する場合、最悪の事態を想定した方がいいんじゃないか。僕はそう思ったんです。

■関西よつ葉連絡会各社の協力を受けて放牧場を整備
 もちろん、そうならないかもしれません。10年後、15年後でもF1の仔牛が手ごろな価格で導入できるかもしれない。でも、買えなくなる事態も起こり得るし、そうなった後で見直しても間に合わない。その前段で、最悪の事態を回避するための手立てを取らないといけない。それが現状だと思っています。まして昨今の餌代の高騰とか、どんどん輸出を強化している流れを考えると、日本の畜産で国内向けの供給を支えるような取り組みなんて、国は考えていないように思います。

 (注7)ホルスタインに和牛を掛け合わせた交雑種。

 (注8)牛の飼育は繁殖・哺育・育成・中期・後期に分かれ、中期・後期が肥育に相当する。月齢では9ヶ月以降。



大規模化と輸出主導がもたらす危機


 もともとF1の牛は酪農の副産物で、高価な和牛の二番手というか、手頃な価格でそこそこの肉質、そんな領域を担ってきたわけですよね。ところが、海外からさらに安い牛肉がどんどん入ってくると、あえてF1を国内に供給する意味がなくなってしまうわけです。

 実際、F1よりも下の価格帯にあるホルスタインの市場は、すでに影響が出つつあります。安い国産牛としてホルスタインに注目が集まった結果、品薄感がずっと続いています。3年ほど前なら、市場で枝肉キロ当たり1000円を超えることはまずなかったんですが、今では1000円超えが当たり前だし、しかもほとんど出てこない。屠場とセリがセットになっている大きな食肉市場には仲買いがいっぱいぶら下がっていて、仲買いは消費者の要求にできるだけ応えたい。昔も今も消費者に受けるのは国産の安価な牛肉なんですよ。だから、ある程度の市場があると分かればみんなやるはずなんだけれども、それがどんどん品薄になっている。

 とくにホルスの場合は産み分け(雌雄判別)の技術がカギになります。搾乳に必要なのは雌なんで、受精卵の段階で雌だけ選別して残せれば、それに越したことはない。そうした技術が向上した結果、北海道ではかなりの確率で産み分けができるようになったと聞いています。いま、それが本州に入り込んでいる。

 自家繁殖でなくて、素牛
(注9)ごと北海道に預託に出して、種をつけて孕んだ状態で返してもらうというやり方があります。こうしたやり方をする本州の酪農家が増えました。北海道で預託すればほぼ確実に雌が産まれるから、わざわざ自分のところで種付けせず、孕んだ状態で返してもらう。ただし、価格の問題があります。2年前、コロナで畜産関連の規模が一時的に縮小したことがありました。そうなると、預託の値段が跳ね上がって、とても採算が合わない。だから預託に出さずに自分のところで種をつけて自家繁殖した酪農家もいます。そうなると、本州ではまだそんなに産み分け技術が浸透していないので、雄も出てきます。それでも半分。北海道ではもうほとんど雄が出てこないと聞いています。その結果、北海道で安価な肉を大量に肥育しようとしても、場所はあっても牛がいない状態なんですね。

 例えば、うちの姉妹牧場の興農ファーム
(注10)は、これまで北海道中でホルスの雄をタダで集めていました。酪農家からすれば雄なんて厄介者ですから引き取ってくれればありがたいわけです。ところが、いつの間にか10万、15万なんて値がつくようになってしまい、さらには産み分けが進んで雄自体が少なくなった。そこで、仕方なしに本州へ乗り込んで行くんですよね。10トン車をチャーターして雄の仔牛を片っ端から買っていく。ちょうど6、7年ぐらい前の北海道の状況が、いま本州で起きています。北海道にはほとんどいなくなれば本州に乗り込む、本州で買いあされば値が上がる。上がり始めて3年ぐらい経ちますが、そのうち本州でも産み分けの技術が進んで、ホルスの雄の仔牛はなくなっていくでしょう。

 あと、これまではホルスの卵子に和牛の精子をかけてF1を産ませていたんですが、ここ20~30年でホルスの腹を借りて和牛の受精卵を移植し、仔牛を産ませる技術が広がっています。これがどこまで広がるのか、興味深いところです。基本的に、価格の高い和牛の国内市場全体に占める割合は80%以上ですが、供給が多すぎて需給バランスが崩れたら、それ以上広がらない。

 ところが、いま盛んに言われているのが輸出です。牛肉や果物が牽引役になって、輸出がどんどん伸びています。日本国内では不況が続いているし、だいぶ前から需要は頭打ちですが、その代わり、これまで牛肉を食べなかった国でも経済成長で需要が増えていくから、和牛をつくっても売れる。そういう話ですね。
 ■導入直後、未だ緊張感が見えるあかうしたち

 少し前の『日本農業新聞』
(2022年6月6日)に、和牛の価格が70万円から60万円台に落ちたと載っていましたけど、あれは飽和状態になったからだと思います。しかし、世界的にコロナ禍が明けて需要が高まり、海外の市場がどんどん増えていけば、さらに輸出は伸びるはずです。だったら、そちらに向けて出せばいいという話になって、さらに和牛の繁殖は受精卵移植も含めて拡大すると思います。そんな流れがどこまで行くか。これはF1を扱っている者にとっては死活問題です。

 (注9)肥育を開始する前、または繁殖牛として育成する前の仔牛。

 (注10)北海道は知床半島の付け根、標津町に位置し、独自の飼料設計で牛・豚の飼育から精肉、加工品の生産に取り組む畜産農場。



地元に根を張る必要性


 もっとも、現状ではF1はまだ壊滅状態ではないし、市場にも潤沢に出ているように見えます。これはなぜかと言うと、F1を買っていた肥育農家が和牛に乗り換えているからです。これまで市場からF1を買って肥育して出荷したら、またF1を買っていたんですが、最近は和牛が安くなったから和牛を買うようになって、F1を買わなくなっているんです。だから、いまは市場が飽和状態で価格も少し下がっているけれども、遠からず需給バランスは是正されていくと思います。むしろ、和牛は国内でそこそこ販売して、あとは全部海外に出せばいい、いくら増やしても大丈夫という話になってくると、誰もがどんどん繁殖させるようになる。そうするとF1の需要がなくなって、市場流通が激減していく可能性も出てきます。

 それが市場だ、需要と供給だ、そう言われればそうかもしれません。でも、もともと食べものは自然のサイクルの中でできるものですよね。だから、それなりに時間もかかるし、どれだけ科学が進歩したって牛の出産は1年に1回ですからね。にもかかわらず、そういう自然のサイクルから離れて、速く回転させよう、手っ取り早く儲けようとする動きがどんどん強まっています。僕は、これは危険だと思う。そうした動きに乗っかっていくと、第一次産業全体がそうだけれども、とくに畜産なんか非常に偏った生産現場になってしまう。というか、もうなってますよね。

■1年後、すっかり馴染んで草を食むあかうちたち
 植物でも動物でも、自然と対峙する事業は自動車や機械をつくるのとは決定的に違っていて、地域の多様性の中で相互につながり合い、補完しあいながらやっている。これは本来どこまで行っても崩れないものなんですよ。目の前にある草を抜いて牛にあげても、輸入した草をあげても、草を与える行為そのものは同じです。でも、それぞれの背後にある関係は全く違う。それが見えなくなることは危ういと思います。まして、国は日本国内に生産地があるにもかかわらず「食べものなんか輸入すればいい、輸出すればいい」という考えです。でも、自給率40%未満の国が輸出に力を入れるなんて、あり得ない発想じゃないですか。

 たしかに、輸出の促進が一時的には業界を活性化させる起爆剤になっているのも事実です。傍目からは、みんなそれに乗っかっているように見えます。でも、腹の中では「どこかで抜け出さないと」と思っているはずです。とくに、小規模でも長く続けたいと考えている人は、地元に根を張ろうとしている。輸出もしますが、決してメインにしない。僕が付き合っている長野県の畜産農家は、自分のところで育てた牛を自分のところで処理して売る、もしくは地域の焼肉屋に卸していく。これが基本で、その上で少しは地域外の要望に応えたり、輸出もやるという考えです。息の長い事業を続けようと思っているところは、一時的な流行り廃りに左右されず、地元に根を張ることを常に考えています。


役畜の長い歴史

 これが経済的な側面だとすると、あかうしのプロジェクトにはもう一つ、理念的な側面もあります。先ほども触れましたが、農業も畜産もどこまで行っても自然からは離れられないし、地域とも結びついている。牛を飼うことを通じて、そうした農地、山、森林の連携を取り戻そうと考えています。

 畜産の長い歴史を振り返ってみると、基本的に家畜は食用よりも、重労働を手伝ったり残渣を処理したりする役畜として人々の生活に寄り添ってきた時間の方が圧倒的に長いことが分かります。そうした長い歴史を通じて、人々の生活の中で家畜を役畜として活用してきた知恵が蓄積されてきました。

 それが近代畜産に変わって、日本では60~70年ぐらい経つわけですけど、そうした知恵は欠片も残っていない。その問題点については以前にもお話したと思います
(注11)。そのほかにも、例えば気候変動の問題で言っても、世界の農地の8割ぐらいが畜産用の飼料作りに使われていて、そこからCO2を排出するリスクが高いとか。牛のゲップの話だけではないんですよね。

 経済活動をする上で大規模に展開するのは大事なのかもしれないけれども、農業とか第一次産業に求められているのは、何よりも持続可能性ですよね。能勢で田んぼや畑がなくなったり、牛がいなくなったらどうなるか。工場がなくなるのとは訳が違います。仕事がなくなるのはもちろん、獣害、水害のリスクも高まります。要は、人が生きていく上で、どちらが長続きするのかということです。

 畜産を持続可能なものにしていこうと考えたときに、かつての家畜と人間のあり方を見直してみることは、理に適っていると思うんですよ。工業の歴史なんて高々300年ぐらいでしょう。あと1000年続くかと考えたら、このまま続くわけないですよね。でも家畜と人間の歴史は1000年以上続いてきたわけですからね。そういう歴史的な関係を現代に合う形で再び蘇らせていく、これが理念にあたる部分かなと思っています。

 山口県で放牧をしている元きこりの方が言うには、木は植えたら伐採するまでに50年かかる。この先50年後の世の中なんて誰も分からないけれども、少なくともこれまでは50年間以上という時間を幾度も繰り返しながら、地域地域で山を管理してきた。たくさんの人が山に入って間伐して、陽光が入るようにして木を育てて、次世代の家の素材にしてきた。そういう営みを繰り返してきたし、その技術はいまでも通用する。採算を考えたら厳しい面はあっても、自然を更新していくと考えれば十分にやる意味はあるし、それ以外にも保水力を確保したり、獣害を防いだり、いろいろな意味があって、それを牛の役畜能力が支えていく――。そんなふうに言われていました。また、高知県の畜産試験場も、放置・荒廃山林の問題を解決する一つの手段として畜産の活用について発信をしています。そうした考えや取り組みが実際に存在することが、この事業を形にできると思った根拠です。

 (注11)「能勢農場の目指すもの(上):日本の畜産の現状と安全・安心な食べものとは」(本誌第188号所収)参照。


まずは山を知ることから


 ただ、山を管理すると言っても、現状では知らないことばかりです。だから、山に関する知見を獲得していくことに時間をかけたいと思っています。数年前に大雨で農場の裏山や向いの山が崩れたことがありました。これは明らかに山の管理が行き届いていない結果なんですが、逆に行き届いた管理って何なのか、それが分かっていないといけないわけです。要は事業の基礎の部分ですから、知り合いの山師の若者を軸にして、まず林業について5年ぐらいかけてじっくり学び、山に関する知見を獲得するつもりです。これは能勢農場だけでやるのではなく、農場を舞台にして関西よつ葉連絡会で取り組む研修の中に取り入れていきたいと考えています。
 ■リラックスぶりが窺える1枚

 では、山についてどういった知見を学んでいくのか。山師の彼が言うには、山が崩れたりするのは陽光が入らなくなって土地が痩せてしまったからだそうです。本来はもっと間伐して、陽光が入るようにすれば下草が生えてくるし、一本一本の木も太い根を張ることができる。間伐しなければ陽光が入らないから草も生えなくて、草刈りの手間が省けるわけですが、結果的に土地が痩せて土砂崩れなんかが起きやすくなっている。それを解決する方法として僕は「牛を放したらどうか」と提案したところ、彼も「面白そうですね」と意気投合したわけです。林業からも畜産からも新しい取り組みとして関与できるから、知見を積み上げるには面白いと思うんです。

 育林放牧や林間放牧、実際にそういうことをやっている人がいるわけだから、山を管理するのに牛を使ってみようじゃないか。そんなイメージで、まずは5年ぐらい取り組んでいきたい。

 そうした取り組みを実際に行う場所として、現状では農場と隣接するネイチャーランド
(注12)との間の山が荒廃しているので、関西よつ葉連絡会の職員研修などの取り組みに活用したいと思います。こうした取り組みを地域の人たちに見てもらい、理解してもらえたらと考えています。農場の奥の方にも山林は膨大にありますが、伐採しても採算がとれないから今でも放置状態です。そこに人と牛が入って管理できる実績を積み上げることができれば、まだまだ広げられる余地はあるはずです。

 放牧地を確保するには一定の面積が必要なんですが、最初から木を伐って芝を植えたりするんではなくて、木を残しながら山の中に陽光を入れて、林業と畜産が共存できるような環境づくりを目指していく。そこが当面の目標です。

 ただし、その段階までは収入にはなりません。だから、収入はあかうしの繁殖で賄っていくつもりです。繁殖用に牛舎を建てたり借りたりすれば経費も餌代もかかりますが、放牧主体なら大した牛舎も要らないし、餌代も半分以下で済む。土地代を払ったとしても安くつくと思います。しかも、伐った木は地元に還元するような仕組みをつくればいいし、あるいは伐った木で木工教室をやってみたり、よつ葉の会員さん向けにリフォームを担う事業を立ち上げて、その素材に使ってみたり。これまでまったく関りがなかった林業に関わることで、新たな事業を生み出す可能性も出てくると思います。

■仔牛も無事に生まれた
 将来的には、この事業は繁殖一辺倒の事業ではなくて、牛の繁殖もすれば木も扱う、農業にも取り組む、そんなイメージを持っています。つまり、分断して特化していくんではなく、融合させてトータルに取り組む事業に発展させていきたい。木も伐る、牛も育てる、米も作る、そんな人を育てながら長い歴史の中で培われてきた役畜の時代を現代に蘇らせてみたいと思っています。

 (注12)子ども向けに移動動物園を行う能勢農場の部門。


これまで7頭を繁殖


 現状については、2015年に土佐あかうしの試験放牧を始めてから、現在まで7頭が生まれました。そのうち3頭は高知県の室戸市にある「室戸あかうしの丘牧場」に預託し、2頭は市場に出荷、1頭は先日屠畜して関西よつ葉連絡会の職員向けに配布し、試食してもらいました。残りの1頭は肥育中です。最初に導入した2頭は、現在も母牛として頑張ってもらっています。

 一時は、母牛をもう1頭増やそうと思ったこともありましたが、2頭で安定していた関係の中にもう1頭入れると、規律が乱れるんですよね。最初から10頭くらいいれば、それほど影響はないんですが、2頭のところに1頭入れて、しかも親子となると、偏った関係になる可能性が高いんですね。そういうこともあって室戸に預託しているんです。

 室戸ではほかに市場から仕入れた3頭も預託しています。預けた牛に種付けしてもらって生まれた仔牛を例えば9ヶ月まで育ててもらい、規定の価格でうちが買い取る形です。事前に価格の折り合いがつかない場合は引き上げ、うちで肥育することになります。

 それ以外に、滋賀県の朽木村にあかうしの預託をやりたいと手を挙げてくれている新規就農者がいます。もともとは障害児を担当する学校の先生で、関西よつ葉連絡会の会員でもあります。うちの『農場だより』であかうしの放牧プロジェクトを知り、自分でもやってみたいと思っていたところ、職場が滋賀県に移ったのを機に、具体化に踏み出されました。朽木村で牛の繁殖をされていた農家さんが昨年の豪雪で牛舎が潰れて廃業を決意されたことがきっかけだそうです。設備を借り受けて修繕し、廃業した農家さんもサポートしてくれるとのことで、ぜひ農場のあかうしを預託してほしいと働きかけてくれました。

 実務的にはこれからですが、ベテランの繁殖農家さんがついていただけるので、技術面での不安はありません。問題は、種付けをするためには精子を預けないといけませんが、それを高知県(畜産試験場)に認めてもらえるかどうかです。預託とはいえ第三者に広がると流出の可能性もあるので、管理の仕方などを詰めないといけないんですね。

 際限なくあちこちに広がったり、大規模に事業化されたりするとたちまち市場が乱高下したりして立ち行かなくなる。むしろ、小規模でも着実に持続的な展開を考えている事業者に限定したい。高知県はそう考えて精子を管理しているわけです。だから、農場との関係でも、最初に母牛を導入する際にこちら側の考え方や実績、事業計画などを説明して認めてもらいました。とくに上田さんの本を例にとって畜産と林業の連携を力説したところ、すごく積極的な反応をしていただいて、結果的に県外への精子提供第一号になったという経緯があります。

 ともあれ、当面は室戸もしくは滋賀での預託で6頭、これまでどおり農場で2頭の計8頭体制です。順調に繁殖が進めば1年1産で年8頭が生まれる計算になりますが、うちにいる2頭についてはそれほど厳密には考えていません。種付けして十月十日で仔牛が生まれると、預託している分は2週間ぐらいで母牛から離し、人間が授乳して哺育しますが、うちの2頭は2ヶ月くらい母牛と一緒にしています。そうなると次の発情が分かりにくくなったりして種付けが遅れるんですね。下手をすると1年半で1産になったりするから、トータルではうまくいって1年に7頭というところでしょう。

 もちろん、すべて放牧でやらなくても、市場から導入して舎飼いで繁殖させて、たまに外に出して環境に馴致させるようにすればいいわけです。ただ、大阪の場合は悲しいかな、兵庫や京都と違って畜産に対する行政の支援が薄いんですよ。兵庫や京都なら種付けできる獣医がいて、お願いすればすぐに来てくれて安価に種付けをしてくれるし、着床したかどうかの判断までしてくれる。ところが、大阪にはそれがないんです。となると自力でやるしかないんですが、そこをどうするかですよね。僕自身が、あるいは農場の誰かが「家畜人工授精師」の資格を取るか。そのあたりはこれから詰めていこうと思っています。


あかうしへの転換に向けて

 そもそも最初から農場の牛すべてをあかうしで賄えるわけではないので、基本的に農場はこれまでどおりF1を扱いながら、徐々にあかうしの比率を増やしていくことになると思います。だから、一定の期間はF1とあかうし二本立てで繁殖を行いながら、時間をかけて全量あかうしに転換していく形になるとイメージしています。
 ■すくすく育つ仔牛

 通常は、繁殖農家は出産から9ヶ月ほど育成を担い、それを素牛として市場に出荷します。それ以降を担うのが肥育農家です。僕らもそれを基本に、今後の事業のあり方を整理していきたいと考えています。

 現状、関西よつ葉連絡会で扱う牛肉を賄うためには150頭が必要ですが、150頭分の繁殖ができるようになるまでには、とても10年15年では達成できません。一般の繁殖農家の場合、一家族で40頭くらい扱っていますから、四家族弱つまり10人程度人がいれば、数の上では可能と言えるかもしれません。ただし、実際には「計画生産」というハードルもあって難しい。つまり、毎月12頭は出荷しないと現在の(関西よつ葉連絡会の)受注数がこなせないんですね。

 となると、毎月12頭分の種付けをする必要が出てきますが、生き物ですからうまく受精する牛もいれば受精しない牛もいて、毎月必ず12頭というわけにはいきません。ある月は8頭、ある月は15頭なんてことが避けられないんですね。普通は牛に合わせて種を付け、受精すれば出産しますが、それではダメなんです。だから、どうしても外部からの調達が避けられない。そう考えると、繁殖以外に市場からの調達も必要となるでしょう。

 なので、農場だけで繁殖をすべて担うのは無理がある。自分たちで一定の頭数を確保した上で、あとは提携する繁殖農家があれば可能だと考えることもできます。一般的に、家族単位の繁殖農家としては年間30頭ぐらい産ませれば食べていけるんですね。だから、そういう繁殖農家が5~6軒いれば、農場が年間に扱う頭数はクリアーできることになります。農場がすべてやるよりも、むしろリスク分散としてはいいかもしれません。基本的に売り先と価格が決まっているわけだから、農家にとっても安心できます。そういうやり方もありますよね。

 だいたい、新規で繁殖農家を志した人がどこで躓くかといえば、生体市場で売るところなんです。産ませたら必ず売れるわけではなくて、肥育農家との関係ができていないとだめなんですね。もともと狭い世界で顔見知りの中に新顔が入っていくわけだから、信頼を得るにはそれなりにハードルがある。僕らの場合そういうハードルはないし、事前に頭数や価格を協議して合意すれば定額で売買できるわけだから、先ほど言った滋賀の人みたいな新規就農者でもやろうと思えばやっていける。僕としては、うちの自家繁殖と預託で50頭ぐらい繁殖させるのが目標ですが、それが達成できれば、提携する繁殖農家は4軒あれば農場から出荷する頭数は賄えることになります。

 ただ、50頭を自家繁殖で賄うには、年間2~3頭ずつ増やしていったとしても10年はかかります。その間は市場からの仔牛の導入も考えないといけないし、そうなると価格の問題も出てくるでしょう。あかうしは和牛ですからね。しかも放牧でやる以上、頭数に見合った放牧場を確保しないといけない。それを考えると10年では少ないかもしれません。

 まずは5年をめどに、市場からの導入、預託と自家繁殖で全体の半分ぐらい、つまり月12頭のうちの6頭はあかうしに切り替えられるようにしたいと考えています。そこから全頭切り替えを達成し、しかも市場からの導入を脱するには、さらに5年から10年という幅で考えています。それは預託の事業がどれだけ成熟するか、自家繁殖の農場づくりにどれぐらいの時間を要するかにかかっています。それほど簡単に行かないということは分かっています。

■市場への出荷も
 何にしても、結局は人材なんですよ。家族単位でも個人でも、関わってくれる人が出てくれば、そこで事業の可能性が広がっていくのは間違いありません。さっきも言いましたが、畜産に興味を持つ若い人は決して少なくないけれども、多くは市場での売り買いの部分で汲々として神経をすり減らしているわけです。そんなことに終始していても仕方がない。それよりも、いまの異常気象の問題とか、近代畜産の歪さとか、そういったところに目を向けて、古来から続いてきた人間と牛の関係を見直して、今後も持続していけるような畜産のあり方をつくっていく方がやりがいもあるし、長い目で見て事業展開にもプラスになる。そのあたりに共感する人は、たぶんいると思っています。そういうところに届くような発信もしていきたいと考えています。


能勢農場の今後に向けて

 これから能勢農場はどうしていくのか。僕としては、主体となる次の世代の人たちも巻き込んで現状を共有し、それをどう改めていくのか、そこから始めなければいけないと思っています。僕が何か方針を出して、次のあり方を提起していくのは違うんじゃないか。僕としては、前代表の津田(道夫)さんたちの世代から引き受けて、一つの形にしてきたと自負してはいます。簡単に言えば、農場憲章
(注13)を維持しながら畜産ビジョンの具体化に踏み出し、一定の成果を出してきたということです。

 これは何も僕個人がやったわけではなくて、関西よつ葉グループの各所を担っていた同世代の人たちとの共同作業として行ってきたものです。いわば創業世代を引き継いで、創業世代の問題意識を道しるべにしながら、そこに時代の変化や社会の変化をすり合わせる形で事業と理念を継続してきたと言えるでしょう。ただし、それを次の世代につないでいく段階で暗礁に乗り上げている。それが僕の現状認識です。だから、これからの能勢農場のあり方については、次を担う世代に主体的に作ってもらうのが筋だと考えているんです。

 ただ、なかなかそんなことを考えられる余裕がないのが現実です。いま農場では、新たに一緒に働いてくれる人がなかなか集まりません。興味を持って訪ねてくる若者は少なくありませんが、実際の条件が分かった段階で来なくなってしまいます。勤続10年でも新入りでも全員一律の月給9万円、しかもタコ部屋まがいの共同生活、正直言ってキツいことは分かります。そこで、生活環境・労働環境を見直さないといけないといった話になるわけですが、見直せば新しい仲間が集まってくるかと言えば、それだけでは難しいでしょう。やはり、次を引き受けようとする世代が農場の役割をどう考えるか、そこを抜きにはあり得ないと思います。

 繰り返しになりますが、これから10年ぐらいの間に自家繁殖と預託を合わせて50頭ぐらいを農場で賄い、提携する繁殖農家を含めて素牛の供給体制を確保できるようになるのが当面の目標です。さらに、1年間に必要とされる150頭のすべてが山の管理をするあかうしで賄えるようになれば、目標達成と言えるかもしれません。もっと言うと、そうした現場から(関西よつ葉連絡会の)会員さんのところで消費されるまでのつながりとか、畜産と林業や農業とのつながりを含めて、一つの問題として扱えるようになることが理想かもしれません。自分もこういうことをやってみようと思う人がどれだけ出てくるか、そこが勝負だと思っています。できるだけ多くの人がそう思ってもらえるように働きかけていきたいですね。

 放牧はハードルが高い、北海道みたいなだだっ広いところならともかく、こんな木ばっかりの山で放牧なんてできるわけない、みんなそう思っているわけです。でも、実際は技術体系があるし、現に実践している人も少なからずいる。僕もこの数年で放牧場に敷くシバの選定まで含めて知見を積み上げてきました。山での放牧を普及させられる条件は十分あると思っています。

(注13)能勢農場《農場憲章》1991年6月
第一章〈設立目的〉
 人間解放をめざす人が一人でも多く生まれ、育つこと。
第二章〈めざすべき人間解放〉
 人間解放とは、
 ①自立、対等の人間関係をつくり出すこと。
 ②働くことが喜びとなる人間労働の回復をはかること。
 ③地球規模で自然と人間の共生をめざすこと。
第三章〈農場生活七ヵ条〉
 ①汗を流し、ひたむきに日々の労働に励もう。
 ②二四時間の共同生活を通じて、協同して働き、協同して学ぶ。
 ③万人をその能力で差別しない。
 ④仕事を選ばず、責任を限定せず、成果を一人じめしない。
 ⑤畑を耕し、家畜を飼い、自然の中で人間の役割を学ぶ。
 ⑥素直な相互批判をこころがけ、なれあわない。
 ⑦村の人々と仲良くなって、村の生活に根を下ろす。
第四章〈開かれた農場〉
 来る者はこばまず、去る者は追わず、たてこもらずに開かれた農場をめざす。


(2022年6月14日、7月5日、大阪府能勢町、能勢農場にて  聞き手=山口協:当研究所代表)

  


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