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市民環境研究所から

カザフの記憶からウクライナを想う


 消滅するアラル海調査のために中央アジアのカザフスタンへ行き始めて30年以上にもなるが、この2年半はコロナ禍で全く渡航できない状態が続いている。時々はカザフスタンの最大都市アルマティ市(人口170万人)に住む知人に電話をしてカザフの様子を教えてもらっているが、コロナ禍はまだまだ収まらず、厳しい生活環境に耐えているという。

 そんなカザフで今年1月にガソリン代が倍に値上がりしたことに市民の不満が爆発し、各地で暴動が発生したことは1月号の本欄に記載させていただいた。この暴動をロシアやキルギスなど旧ソ連の6ヶ国で作っている集団安全保障条約機構(CSTO)が平和維持部隊をカザフに派遣し、死者を出すような手法でデモ隊を鎮圧し暴動を終わらせた。

 当時はロシアがウクライナに進撃し、とんでもない殺戮を繰り返す直前であり、暴動鎮圧によりカザフをウクライナでの暴虐に巻き込もうとしているかに思えたが、ロシアと中国に挟まれたカザフが簡単にロシアのウクライナ侵略に加担などできるわけがない。

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 そんなロシアとカザフの関係を考えながら、一度も訪ねたことのないウクライナの風景写真をネットで探していたところ、カザフの北部と類似した風景がいっぱい出てきた。カザフからモスクワ経由の空路で帰国する際に上空からはウクライナの国土を見られないため、全く知らない国である。

 何が類似しているかと言えば、大規模な小麦畑が地平線まで広がっているウクライナの風景が、カザフの北部地域:北カザフスタン州、アクモラ州、クスタナイ州とよく似ており、このような平原の中にロシアとの国境があることに気づいた。両国とも小麦の大産地で、小麦輸出が国を支える一大経済活動である。この小麦栽培を支える土壌がチェルノーゼムで、ウクライナ、ロシア南東部からカザフスタン北部へと続いている黒土地帯と呼ばれる。

 カザフスタンの中央部は年間降水量が100ミリ前後の沙漠地帯で羊の遊牧地帯が広がり、それよりも南部は天山山脈やアラタウ山脈の裾野に広がる牛などの牧畜地帯で、山脈の中に中国との国境がある。

 ソ連邦が崩壊し、ロシアを初めとして14ヶ国が独立国となったのは1992年のことである。カザフがカザフスタン共和国として登場する前からカザフ通いをしていた筆者は、アルマティ市を根城にアラル海問題の調査活動に取り掛かっていた。独立したカザフスタン共和国政府と交流計画の交渉を始めたのは1992年からである。

 それなのに、1997年にカザフの最大都市であるアルマティ市(人口108万人)からカザフスタン北部のアクモラ市(人口27万人)に首都を移転することが決定され、どうしてそんなことをするのかと驚いた。

 その理由はいくつか挙げられていたが、その中で、ロシアがカザフスタン北部の小麦地帯にある国境を変えて、前述の3州をロシアに渡せと要求していると政府関係者から聞いたことがあった。

 なぜそんなことを要求するのかは筆者には分からなかったが、カザフスタンは多民族国家で、カザフ人とロシア人が40%ずつで、残りの20%に128民族がいると言われていた。とくにロシアが要求した北部の3州ではカザフ人が34%なのに対してロシア人が50%を占めることもロシアの要求の根拠となっていたようである。

 もちろんカザフはこんな要求を拒否し、さらに首都をその3州の一つであるアスタナ州のアクモラ市に移転し、アスタナ市と名前を変えた。現在はさらに名前がヌルスルタン市に変わり、黒川紀章さん設計の近代都市に変貌し、人口も100万人になっている。

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 こんな経緯を思い出した。ウクライナ侵攻でロシアが奪おうとしている地帯はロシア人の人口比が40%ほどの地帯(ドネツク州、ルガンスク州)であり、小麦の栽培風景も連続しているため、ロシアのものだと思っているからだろう。

 カザフスタンがこのロシアの暴挙に加担せずに、この戦争が1日も早く終結し、コロナの終息でカザフに渡航できる日が来ることを毎日願っている。

                         (石田紀郎:市民環境研究所)



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