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連載 ネパール・タライ平原の村から(124)
一枚の写真が語りかけるもの④

ネパールの農村で暮らす、元よつば農産職員の藤井牧人君の定期報告。その124回目。



 今後しばらく、現地で暮らした12年を下地に、妻ティルさんの生活史に重ねながら、ネパールの急速な近代化の一断片を書き留めたいと思います。

 ティルさんが亡くなって1年。写真を見ながら本人が語った情景を思い浮かべ、書き残す試みですが、だんだん記憶が薄れていくようで。「この写真どんな時に撮ったの」とか、もう聞くことが叶わないから、たまらない気持ちで書き綴っています。

 ただ今回は、生前の本人からの聞書きです。僕がネパールにいた時、個人的に発信していた便りから一部修正して引用しました。ご了承下さい。

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 まだカラー写真がなかった80年代中頃。ティルさんが7年生の時、友だちの家を訪ね、その後4人で写真館に出かけて撮った一枚の白黒写真。

 「ナラヤンガートの町に唯一できた『サンサール・フォトストゥジオ(世界写真館)』。当時そこで撮影するのが流行った。それなりにみなお洒落して、髪をといて、カメラマンに指示されながら身構え、緊張しながら撮影に臨んだの。両脇に立つ2人は、眼鏡を頭の上に乗せ、高級感のあるベルベット風の靴と靴下も履いていた。

 私はというと、学校の白シャツとスカートの制服姿。休日でも着る服がないから制服で友だちの家へ来ていた。そもそもサンダルすら履いておらず、裸足のまま撮影に臨んだの。そう言えばこの写真撮影の2年前、私は初めて父にサンダルを買ってもらい喜んで学校へ履いて行ったわ。ところがその日の昼休み。サンダルを置いて縄跳びをして戻ると、サンダルはもう無くなっていた。だけど大半の生徒がサンダルなど履かず、裸足で学校に通い、両親も何も履いていなかったから、素足でも平気だった」と。

 「サンサール・フォトストゥジオでの撮影が終わった後。何とも言えない嬉しさがこみ上げて来た。それで友だちの家に戻ると、私が裸足なのを見かねて友だちの母親がサンダルをくれたの。すでに履きつぶれて端の方が裂けて穴も空いていたけれども、嬉しくてその日は忘れもしない一日となったわ」。

 感情を高ぶらせてティルさんはそう語ります。
 ■物心ついて初めて撮った白黒写真 前列左がティルさん

 それから数年が過ぎた学生時代。ティルさんはこの写真を再び手にして、じっと凝視した時「自分だけが靴を履いていない姿にふと気が付き、みすぼらしい気持ちになった。だけど思い出の詰まった一枚の写真。捨てることもできず、それでボールペンのキャップの先で足の部分だけこすり、友だちの足先も含めて消してしまったの、だからこの写真の下側には、削った跡が今に残っているのよ」。

     ◆      ◆      ◆

 写真が膨大な画像データとして溢れ、簡単に加工修正され、消費されるようになった現在。実際に手に取って触れる一枚の写真から、過ぎ去った日を思ったり、もどかしく思ったり、しみじみ思ったりすることは稀になりました。そんな一枚の写真に思いを巡らせる時間、惚けた時間までもが削除された、便利な世の中となりました。これはティルさんが今よりモノ・カネがなくて貧しかった時代、今よりモノ・カネがなくても豊かだったかも知れない時代に撮った一枚の写真なのです。 

                               (藤井牧人)



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