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アソシ研リレーエッセイ
外部の声と「内発的発展」



 昨年9月にはジョニー・デップ主演の『MINAMATA』が劇場公開され、それを追うように年明けからドキュメンタリーの鬼才、かねてよりのファンである原一男の『水俣曼荼羅』が公開された。
 6時間に及ぶ超大作になるが、鑑賞料も3600円となっており、情けない話だが、正直迷っているところである。

 結局、多分映画を観に行くと売っているだろう関連本(シナリオと監督インタビュー、批評が載っている)を先に買ってしまうという倒錯的な行動にでてしまった。

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 ここ1、2年くらいだろうか、水俣に関心を寄せている。水俣関係の本や石牟礼道子などを読んでいるうちに「内発的発展」という概念を提唱した鶴見和子という社会学者にも出会った。

 鶴見和子は1976年から不知火海総合学術調査団として水俣に入った。総合調査団は各分野の学者が集まる調査団になる。

 呼びかけ人の石牟礼道子はその依頼の手紙の中で、「水俣をあらゆる学問の網の目にかけておかなければならない」また「網目にかけるということは逆にまた、現地にひとびとの目の網に学術調査なるものがかかるということでもあります」と書いている。

 石牟礼道子は文学者であり、著作やメディアなどにも訴えたが、経済復興の真っただ中の日本社会では思った以上に広まらなかったという経緯がある。外部から人を招くことによって、内部に刺激が起こり内発的なものが喚起されるのである。

 一方、学術調査団の方も水俣に来て、酒の席になるたびに、調査団の関わり方について喧嘩になったそうである。単なる研究者として報告書を書けばいいのか、なにを目的に関わるのかという議論があったそうだ。

 「内発的発展」は行政や企業が政策など策定し、地域を発展させるのではなく、あくまでも地域住民の側から風土的個性や地域文化を背景にしながら地域の共同体に対して一体感をもち、発展していくことをいう。その上で、行政などを巻き込むことができれば、ミュニシパリズムというものとつながってくる。

 水俣においてはやはり石牟礼道子が風土的魅力や地域文化を最大限に発信し、地域環境を守ることの重要さを訴え、水俣の運動を全国的に拡げたと言っても言い過ぎではないだろう。それは人間の自然に対する関わり方という思想的な提示も含まれている。

 また先日、相思社の水俣病患者相談の窓口をしている永野三智さんが京都に講演に来ていて新潟水俣病との関わりの話をされていた。

 当時は水俣地域での差別構造のようなものが水俣病の隠蔽や終息へと向かわせた。支援団体もなく被害者が孤立していくなか、新潟水俣病の患者が水俣を訪れ、開口一番に「自分たちは絶対に曖昧に解決しない。共に闘いましょう」と言ったそうである。

 水俣のなかに支援団体もなかったが、その新潟水俣病患者の言葉がきっかけで、支援団体が立ちあがったそうである。地域という閉塞した空間のなかに風を吹き込む外部の存在がある。外部からの風によって、内的な発展が促されるということがあるのだ。

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 このような水俣の事例はローカリズムとグローバリズムというものを考えるうえでも重要なことに思える。学問というものはある意味、グローバルに拡がるものだろう。ローカリズムにこだわりすぎても、閉塞感をともない、前に進めなくなることもある。また運動を俯瞰して、整理することは新たな展開を示す役割ももつ。

 石牟礼道子のように風土や地域性に基礎を置きながらグローバルに拡がるローカルな活動の実践を学び、連携していくこと。

 映画だって同じである。撮影隊がはいることによって、他者の視点がはいり歴史を振り返り、整理されることにもなる。やはり観に行かねばと思えてくる。

                     (矢板 進:関西よつ葉連絡会事務局)



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