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能勢農業みらい塾 報告

の米作り、その継承を目指して

中山間地農業
農村の将来へ向けた模索

 農家の高齢化と離農が全国的に進んでいる。とくに顕著なのが、営農条件の厳しい中山間地だ。大阪や京都の中山間地でも、長らく水田稲作を中心に営まれてきた農業や農村の姿は徐々に変貌を遂げており、5年後、10年後の状況を想像することは難しい。そんな中、大阪府能勢町において、若手農家の発案により、米作りの継承に取り組む模索が始まった。若手、中堅、ベテラン、経験も背景も異なる人々が地元の米作りの現状と課題、今後についてどう考えているのか、お話をうかがった。


 春には水を張った田んぼが鏡面のように輝き、秋には黄金色の稲穂が風に揺れる――。農村の原風景とも言える光景だ。実際、水田稲作は長らく日本の農業の柱であり続けてきた。

 ただし、こうした光景が今後も続くとは限らない。たとえば、農水省が5年ごとに行っている農林業センサスによると、2020年の全国の農業従事者は152万人だという。5年前の前回調査と比べて45万7000人、割合では23.1%の減少だ。バブル景気の1990年に480万人だったことを考えれば、30年で1/3以下に減少したことになる。

 一方、同省の生産農業所得統計によると、農業生産額全体では1990年の11.5兆円から2010年の8.1兆円、2020年の8.9兆円と、劇的な減少は見られない。ただし品目別で見れば、米が1990年の3.2兆円から2010年の1.6兆円、2020年には1.8兆円と半分近くに下がっている一方、畜産と野菜が米を上回るようになっている。稲作の地位低下は否定できない状況である。

 この間、政府の農業政策は基本的に大規模化と集約化を通じて生産性の向上を目指すものと言える。もちろん、農業には産業としての側面があり、生産性の向上のために政策資源を振り向けることは間違いとは言えない。

 しかし、農業にはそれ以外に地域社会の維持・再生産、食料の安定確保・自給といった重要な側面もある。営農条件の不利な中山間地、小規模な家族農業が打ち捨てられるに任せれば、身近な地域で食べものを賄うことができない歪な社会となるはずだ。

 にもかかわらず、現実に進行しているのは、中山間地農業の持続に向けた支援というより、高齢農家の離農による農地の集積を通じた、いわば自然淘汰による農業構造の変化への期待ではなかろうか。

 実際、稲作で見れば農家の平均年齢は70歳を超えるだろう。その多くはこの10年で確実に引退を余儀なくされる。では、その後を継ぐ者はいるのか。いたとしても、恐らく激減するだろうし、地域によっては、営々と受け継がれてきた米作りの経験や技術が途絶えてしまう可能性も少なくない。

 2021年4月、大阪府能勢町で、こうした状況に危機感を覚えた一人の若手農家が、一つの試みを呼びかけた。近場の都市住民を対象に、地元農家が受け入れ先となって米作りのイロハを学び、新たな米農家の育成を目指す「能勢農業みらい塾」である。 今回、北摂協同農場・安原貴美代さんに紹介いただき、能勢農業みらい塾の関係者3名に地域の米作りの状況や問題意識などをうかがうことができた。以下に紹介したい。
                                         (山口 協:当研究所代表)


安田 翔さん
北摂協同農場で1年間研修の後、能勢町山田地区で新規就農


地に足の着いた生活を求めて


 ――簡単に就農に至る経緯をお願いします。農業に興味を持つきっかけは?

 
安田:大学卒業後に自分の力を試してみたくて海上自衛隊に入り、5年ほど勤めました。その後、漠然と就農を考えて北海道の十勝に行ったものの、結局就農には至りませんでした。3年ほどして実家の箕面に戻ることを決めた際、箕面でも農業をしたいと考えて、近場で研修できるところを探した結果、北摂協同農場にたどり着きました。いま33歳です。

■安田翔さん
 海上自衛隊では、1年の1/3くらいは海の上で暮らして、しかも毎年のように転勤の繰り返しでした。そういう中で地に足の着いた生活がしたいと思うようになりました。上司もほとんど単身赴任だったんで、結婚して家庭を持つことになったらどうかな、と。そう考えたときに、地に足の着いた生活なら農的な暮らしかな、と思ったんですね。

 ――北海道でどんな研修を?

 
安田:実は、農業の研修ではなくて、農業資材の営業をしていたんです。そうした仕事に携わりながら、あわよくば就農のきっかけが開けないかと思って役場に問い合わせたりしたんですが、北海道の農業って大阪と比べると面積も資金も一ケタ違うんですよね。向こうで新規就農しようとすれば5000~6000万はかかります。これはシンドイな、ということで大阪に帰ることにしました。

 ――最初から米作りを考えていたんですか?

 
安田:そうです。でも特別にお米が好きだったわけじゃなくて、それまでいた北海道の十勝が気候的にお米が作りにくいところだったんです。それで、お米に対する憧れというか、せっかく大阪に戻るならお米が作りたいと思ったのがきっかけです。採算が合うかどうかなんて考えませんでした。

 ――北摂協同農場で研修した際、最初から米作りはできたんですか?

 
安田:野菜作りがメインでしたが、米作りもできました。もともとクワの使い方一つ知らなかったんで、農業の基礎について学ぶことができましたね。

 北摂(北摂協同農場)の田んぼのほかに、田んぼを使わせてくれる知り合いがいたんで、機械も借りて、北摂の仕事が終わった後に作業したりして、いろいろ勉強させてもらいました。研修の間に今住んでいる家と圃場を借りることができて、1年間が過ぎて独立して就農した形ですね。

 ――農業の現実を知るにつれて、米作りで生計を立てるのは難しいと思いませんでしたか? 実際、独立して米作り中心でスタートできたんですか?

 
安田:たしかに、同世代の知人と話しても「新規就農に米って選択肢があったんか」って驚かれました。1年目は野菜も作って、北摂に出荷させてもらいましたが、僕の技術的な限界もあって、かけた労力に対してトントンの収入だったんですね。

 だから、2年目の昨年は米作りはしても出荷用の野菜は作らずに、野菜にかける時間を能勢町内で草刈りの請負に回して収入を確保することにしました。新聞の折り込みチラシを3回ぐらい入れましたね。あと、借りた家がとても大きかったんで、有効活用を考えてゲストハウスも始めました。

いまやらないと手遅れに

 ――昨年の4月に能勢農業みらい塾が設立されましたが、安田さんの発案ですね。

 
安田:そうです。いま住んでいる地域も米農家は健在といえば健在ですが、平均年齢は70代初めから中盤。たぶんこれから3年ぐらいは大きな変化はないと思いますが、5年後あたりから尋常じゃない形で(耕作できない)田んぼが出てくると思います。そうなってから教わろうと思っても遅いんですよ。80くらいの農家さんからは「俺も長くないから、後は頼むな」と言われたりしますね。

 ――これまでなら、その人の子供が60代で定年になって、米づくりを受け継いできたわけですが。

 
安田:これからも、そういう人はいると思いますけど、少なくなるでしょうね。だから、僕のイメージとしては、昔のように米作りをする人が増えるというよりは、とりあえず、ある程度の面積をこなせる人が各地区に一人いるだけでも、かなり違うんじゃないかと思うんですね。現状では、能勢でお米専業でやっている人は4~5人だと思います。

 
安原(北摂協同農場):安田君みたいに若い人が一生懸命やっていると、周りから「うちの田んぼもやってくれへんか」って声がかかるんですよ。でも預かれる面積には限りがあるんで、断らざるを得ない。このままだと耕作放棄地が増えていくばかりだし、5年もすれば米作りの技術や経験を持った人がいなくなっちゃうんじゃないかって危機感を持つようになって。

 それで、安田君が先頭に立って、経験と技術を継承する機会をつくろうと。ただ、複数の人に教えるような形は農家にとっても負担だから、マンツーマンで教えてもらうことにして始めたんですね。安田君は研修希望者の募集を担当してチラシをつくったり、SNSで呼びかけたりしてくれました。

 ――安田さんの耕作面積はどれくらいですか?

 
安田:今年で2町半ですね。僕としては、それほど面積を広げるつもりはなくて、無農薬で作っているんで技術的に難しいんですが、技術面でレベルアップして収量が上がってくれば、たぶん5~6町で採算はとれるんじゃないかなと考えています。宿野(しゅくの)(地区)は田んぼ一枚もうちの山田(地区)より広いし、効率も倍ぐらいいいと思うんで、こちらで増やしたら手が回らなくなるでしょうね。

 山田の場合、一枚は一反ぐらいです。2町半のうち、2町が山田で、5反が山辺
(やまべ)(地区)です。実は、山辺の方が一枚が広くて効率がいいから山辺で増やしたいんですが、地元との関係が微妙で、増やせないかもしれません。同じ能勢でも集落が違えば完全によそ者になっちゃうんですよね。

 ――研修者を受け入れた農家は何軒ですか?

 
安田:僕も含めて全部で5軒で、僕以外は地元の昔からの農家さんです。研修生も5人で、一対一でマッチングと考えて始めたんですが、仕事の都合で途中でリタイヤした人もいたし、実際にやってみると、素人に大型機械を扱わせたくないって農家さんもいたりして、問題点も浮き彫りになりましたね。

 受け入れ農家さんは皆さんボランティアで引き受けていただきました。教える手間はかかるけど、研修生が毎週1回来て草刈りとかしてくれれば、winwinの関係が作れるんじゃないかと考えたんです。僕のところには夫婦で毎週1回来てくれました。お米作りは1人でできる作業も多いけど、やっぱり2~3人ほしい場合もあるんです。そんな点で助かったし、どちらもメリットがあったかなと思いますね。

 ただ、兼業でも専業でもいいから能勢で就農する米農家を増やすという最終目標は、やっぱりハードルが高いなと。僕自身がそこで行き詰っている面もありますし。研修に来てくれるのはいいけれども、そこから自腹を切って米作りに踏み出すってなったときにハードルが高すぎて……。

 初期投資もそうだけど、田植えの後は毎日水の具合を見ないといけないんで、時間面でも縛られます。だから、能勢に移住した人がこの研修を通じて米作りで就農するんなら、ほかの仕事と掛け持ちでもできますけど、去年研修に来てくれた人は宝塚とか池田とか町外の人が多くて、スポットで来るならともかく、毎日水の守もりをするのは難しいですよね。

 ――研修生はいわゆる都会のサラリーマンみたいな方が多いんですか?

 
安田:実は女性が多いですね。僕の(農産物の)お客さんもそうですけど、女性の方が食や農に関心が高いんですよね。うちに来られた夫婦も、もともと奥さんが申し込まれ、旦那は奥さんに引っ張られて来られたんですね。ほかには、能勢で野菜農家として就農した人も来てくれました。

新規就農者には高いハードル

 ――能勢は新規就農者が結構いますが、その間で米作りの今後について話は出ますか?

 
安田:なかなかないです。皆さん野菜をメインにしているんで、とりあえず米は二の次なんですね。ただ、野菜で何とか生計の基盤ができて、次にどうしようかって時に米作りを始める人はいます。

 
安原:私の知る範囲でも、今年は3人の若手が米を出荷したいと言っています。安田君が言うように、野菜がある程度軌道に乗ってきたこともあるし、そういう状態を見て、周りで圃場を貸してくれる人が出てくることもあるし、出荷先としてうち(北摂協同農場)があるからっていうのもあるし、そういう実例がでてくると、自分もやってみようかなって思うんでしょうね。少しずつですけど。そういう人がもっともっと増えてくれたらいいんですけど。

 
安田:田んぼって、やっぱり面積あってのものなんで。野菜なら、とりあえず2反3反あれば何とかなりますけど、米は面積がないと収入にならないですから。僕はたまたま運よく1年目で1町2~3反(1.2 ~ 3ヘクタール)借りられましたが、たとえ作り手が減ったからと言って、いきなり新規就農者がまとまった面積を借りられるわけもないし。

 それに機械や倉庫も要るけど、僕もまだ倉庫はありません。乾燥機とか籾摺り機は塚原さんにお借りしたり、別の農家さんにお借りしたりしています。

 ただ、この(みらい塾の)仕組みがきちんとした形になれば、新たに米作りを始める人たちが共同で使えるような機械や倉庫を用意することも考えられると思います。そうすれば、個々人の初期費用は少なくて済みますから。

 ――御自身は昨年で何作目ですか? 出来高は?

 安田:去年で2作、今年が3作目です。収量は少なくて、一反で3俵(1俵= 60kg)くらいですね。5俵あったらやっていけると思うんで、5俵はほしいんですが……。

 課題は明確で、今は草に負けているんですよね。そこさえクリアーできれば5俵とれると思います。やっぱり無農薬って百人百通りやり方が違って、結局正解は自分で探すしかないんですよね。

 ――販売は口コミですか? 売れ行きは?

 安田:口コミ、SNS、あとお米屋さんや飲食店においてもらったり、いろいろですね。まだ在庫は結構残っています。心境としては集中宣伝してとっとと在庫をなくしたいんですが、でも、本来お米は1年通じて食べるものなんで、スポット的にたくさんの人に食べてもらうより、継続して食べてもらいたいんですよね。だから、次の秋までに在庫が捌けたらいいかと思って、営業をかけるにもセーブしながらやっているんです。幸い、ぼちぼち顧客もつくようになりました。

 全国的に見ると、無農薬のお米を作っている人はそれなりにいるんですが、皆さん販売が課題みたいです。ネット通販もありますけど、どうしても一見さんが多くなっちゃいますね。僕の場合、お客さんは北摂圏内なんで自分で配達しています。配達してコミュニケーションしながら、作り方も情報発信しているんで、そういう関係を深めていければ継続的に買ってくれる人も増えるし、経済的にも安定すると考えています。

新たな米農家を1 人でも増やす

 ――今年の研修生の募集は?

 
安田:かけてるんですけど、応募が来ないんですよ。地元のスーパーの掲示板に貼ったり、SNSでも流したんですけど、反応がないんで、このままいったら開店休業になってしまうかもしれません。
 ■研修希望者の募集チラシ

 兼業でも専業でも米農家を何軒か作るのが目標ですが、ハードルが高いのも確かです。だから、そこまでいかなくても、去年うちに来てくれたように興味をもって定期的に手伝いに来てくれる方がいれば、後々すごい戦力になってくれる可能性もあるし、そうなれば受け入れる方としても助かるし。

 去年うちに来てくれた夫婦で言うと、今年も来てくれる予定ですが、今年は教えたり手伝ってもらうだけじゃなくて、3畝(3アール)くらいの田んぼを自由に使ってもらって、水の管理は僕がやりますが、そのほかの作業は任せたいと考えています。

 能勢に移住を希望している人は多いし、能勢の自然豊かな環境に魅力を感じていると思うんで、そういう人たちとうまくつながれたら、僕らの取り組みに興味を持ってもらえると思うんです。

 ――昨年の反省は?

 
安田:一つは、研修希望者も農業経験がバラバラで、ある程度の作業経験がある人もいれば、刈り払い機を触るのが初めての人もいて、そこから始めないといけないのは、受け入れ農家にとってもしんどかったと思いますね。4月1日からスタートだったんですが、そこからトラクターの乗り方を教えていると、助けが欲しいときに間に合わないんですよね。だから今年は少し早めて、作業のタイミングに間に合うようにしたいと思っています。

 やっぱり農家として米作りをするなら、機械を使えないと話にならないですね。田植え体験みたいなイベントだったら幅広く人も集まるけれども、そこから就農へはなかなか……。

 地域的にも車で1時間以内のところでないと難しいし。あと、農業は天気に左右されるので、ほかの仕事の都合に合わせられないことも多いです。そう考えると、女性の方がやりやすいでしょうね。

 実は最後の稲刈りまで通して研修を受けたのは、うちと塚原さんのところしかなくて、やっぱり仕事の都合なんかでウヤムヤになっちゃいました。そのあたりも課題ですね。

        (聞き手:山口 協、2022 年1 月17 日 北摂協同農場事務所にて)


塚原洋平さん
父親の後を継いで就農、能勢で数少ない大規模米農家


気がつけば12 ヘクタール

 ――簡単にプロフィールをお願いします。

 
塚原:出身は能勢で、いま住んでいるのは亀岡市の畑野町ですが、実家のある宿野(しゅくの)1区で農業をしています。現在43歳です。

 しばらく前に父親が早期退職して、この辺りで米作りができなくなった人の田んぼを引き受けて圃場を拡大し始めたので、その手伝いをしていました。父親が年をとるにつれて体力も衰えていくので、自分の仕事の休暇を使って手伝いをしていたんですが、3年前の今ごろにそれまでの仕事を辞めて、専業農家になったんです。

 それまでは、農業とはまったく畑違いの仕事をしていました。以前は物流会社の倉庫管理をしていましたし、父親の手伝いを始めてからは時間の融通がつきやすいタクシーに転職しました。最終的には3年前、(田んぼの)面積もそれなりの広さになって、作業量の面でタクシーとの両立が難しくなったこともあり、思い切って専業農家になりました。だから、今年で4年目です。

 米作りについては、それまで手伝いをしながら一通りのことはやってきたんで、改めて研修に行ったりすることはなかったですね。

 ――現在は米作り一本ですか。

 
塚原:作物としてはお米がほとんどです。この間初めて白ネギを本格的に作ってみました。実は、専業農家でやり始めて2年ぐらい、お米の出来があまり良くなかったんですよね。それで、お米だけに集中するのも(経営面で)まずいし、ほかに(作物の)柱が必要だと考えたからです。お米とネギと、もう一品くらいあったらいいなと思っています。この冬はネギばっかりで、11月の末からひたすら出荷作業の繰り返し、2月の終わりまで続く予定です。

■塚原洋平さん
 米作りの傍らで野菜も作るのは難しいですね。お米の作業が忙しい時期に野菜の収穫期がくると、手が回らなくなるんですよ。とくに、トマトみたいに手のかかるものは無理で、やれるとしたら枝豆とかネギとかですね。

 ――水田はどれくらいの面積されていますか。

 
塚原:いま面積は12町(12ヘクタール)です。ただ、田んぼの面積ってのり面とかも含めて考えるんで、実際に水を張るのはもう少し減ると思います。最初に専業農家として始めたときは8町くらいだったんで、1年で1~2町くらいずつ増えていますね。ただ、増えたからって直ぐに収益が増えるわけでもなくて、逆に急に面積が増えるとしんどい部分があります。機械とか作業の態勢を整えるよりも面積が増えるスピードの方が早くなりがちなんで。

 圃場はこの辺り(宿野1区、2区)に限定しているんで、かなりまとまっています。1.5~2km の範囲で60 枚(区画)ぐらい連なっていて、横へ横へと(作業を)移動していけばいいんで、能勢の中では作業効率はいい方だと思いますね。

10 年で大きく変わった地域の米作り

 ――この限られた地区でも、所有者が耕作できない田んぼがそれだけ出てくるんですね。

 
塚原:そうなんですよ。だから、ほかの地区からも田んぼを預かってくれないかと頼まれるんですが、とても対応できません。たぶんこれからも(この地区で)出てくるんで、ある程度集中していないと無理です。いま能勢では、飛び飛びの圃場で大きな面積をやっている人もいますけど、これからは「この地域は誰々、あの地域は誰々」というように、まとめていく必要が出てくると思いますね。結局トラックが要るとか、作業効率が悪いから大きな機械が必要になるとか、余計なコストがかかるんですよ。

 ―― 10年前と現在で、地域の米作りはどう変わりましたか。

 
塚原:この宿野1区で見ると、うちを除いて、いまお米を作っているのは5~6軒ですかね。作ってはいても自家用の1枚だけで、それ以外はほかの人にお願いする人も含めてです。10年前だったら数倍はいましたね。この10年は、それまで作っていたおじいちゃんが亡くなったり、体が動かんようになったり、そういう世代交代の時期に重なりました。その流れはいまも続いていると思うんで、たぶん10年後になったら、ほぼいなくなると思います。

 これまでは、先祖が守ってきた田んぼだから受け継ごうって人がいたんですが、その人たちが引退すると後がいないんですよね。それに、機械を更新しないといけなくなれば、(設備投資できないので)体は動いても辞めざるを得ないんです。

 僕の世代で言うと、兼業農家が難しくなっていますよね。安定した仕事を見つけるのも一苦労だし、仕事の傍ら農業をするような時間も見つけにくい。住宅ローンや車のローンを抱えながら、農業機械まではとてもじゃない。別の人に作業を頼むとしても、そうなると赤字かトントン。結局やらん方がマシってことになっちゃいますね。僕自身、この面積をやっていても利益出そうと思うと正直大変なんです。まして昔ながらの小さい面積でやろうとしても、利益なんて出ませんよ。ほとんど趣味の世界です。

自前で配達、そろそろ限界も

 ――穫れたお米は、どんな形で出荷していますか。

 
塚原:実は、これまで出荷はせずに、すべて個人販売でやってきたんですが、今年から一部を北摂さん(北摂協同農場)に出荷することになりました。今年は160本(1本= 30kg)、来年は300本ほどの予定です。あと、今年はJAにも出荷するかもしれません。というのは、急に面積が増えてきたんで機械が追い付かなくて、全部自分で作業すると刈り遅れの可能性もある。それよりは、JAに収穫してもらってライスセンターに放り込んだ方がいい。本当は自分で全部販売できればいいんですが。

 ただ、そろそろ販売の仕方も考え時なんです。いままでの面積なら自分で販売することもできたんですが、面積が増えると作業も増えて、配達が大変なんですよね。忙しい時期だと配達する時間がもったいなくて。だから、そろそろ出荷も考えていく必要があると思っています。

 ――ご自分で配達するのは大変ですね。

 
塚原:配達先もけっこう遠いところが多くて、一番お客さんがいるのが(兵庫県)尼崎なんです。尼崎には週に2~3回ぐらい行っています。最初は1軒のお宅に配達していたんですが、そこから「友達にも持って行ってくれへん?」とか口コミで増えて。

 この間ずっとお米の値段は下がっていますけど、うちはもともとそんなに高い値段じゃないんで、比較的安定していると思います。もちろん、安い方(の米)に移る人も少なからずいますが、ほかの農家ほど世間の米価に左右されないんじゃないですかね。

 うちはこれまで地元で(米を売っていますという)看板を上げてこなかったんですが、近くの人に食べてもらえたらと思って、今年初めて看板を出しました。近場なんで買いに来てくれる人も多いし、配達するのも知れていますからね。現状だと、まだ作業をしたいのに、午後4時頃には配達に出ないと配り切れないんですよね。

これまで通りではキツい

 ――現在作っているお米の品種は。

 
塚原:あきたこまち、キヌヒカリ、コシヒカリです。同じ系統ですね。僕はあまりそう思いませんが、いま周りではキヌヒカリが作りにくくなったと言われますね。暑すぎて品質が悪くなっているって。今年、試しにツキアカリっていう新しいお米を作ることにしました。

 あきたこまち、コシヒカリは背が高くて倒伏しやすいんで、低くて、おいしくて、いっぱい取れるお米があればいいんですが。ただ、全国的に多収米の導入を目指しているみたいですが、これだけ米価が下がっているときにこれ以上収量が増えても、どうかなって思いますね。

 今後で言えば、転作の補助金なんかも含めて、全体として維持していくやり方を考えていくべきなんでしょうけど。転作するにも資金が必要なんで、そのための基盤を作る意味でも現状は頑張って利益を上げて、融資を受けやすいようにしていきたいというのが第一の目標ですね。

 ――米作りで、どんなこだわりを持っていますか。

 
塚原:いま僕は基本的に慣行栽培でやっていて、現状では自分のこだわりを出すよりも、逆にマニュアル通りに作ることが重要だと思っています。最初から100点を狙うと病気にかかるリスクも増えるんで、むしろ70点狙いです。

 ただ、ほかの人に比べて施肥量を1~2割減らしてはいます。品質のためには化成肥料を極力減らした方がいいんで、チッソ過多にならないように。土づくりをしっかりやって化成肥料は極力減らして、土壌分析とか土の状態を見ながらやっています。最初はやみくもにやっていたんですが、2年ほど病気が多かったんで気を付けるようになりました。

 土づくりは堆肥をしっかり入れることです。もみ殻が大量に出るんで、もみ殻に木のチップを混ぜて堆肥にするとか、自分でも作りたいなと思うんですけどね。そうすれば化成肥料も減らせてコストも落とせるし。ただ、切り返しの機械とか高いんで、なかなか取り組めないんですよ。

 ――塚原さんのように大規模にやっている方は、能勢でほかにもいらっしゃいますか。

 
塚原:年配の方が何人か、僕と同じくらいの(年齢の)方も何人かいらっしゃいますね。それぞれ、ご自身で販路をもって何とかやっておられます。ただ、やっぱり機械の更新とか、しんどいところは共通していると思います。

 ――そうした人たちが集まって、能勢の米作りの今後について論議する機会などは。

 
塚原:みんな自分のところで精いっぱいで、そういう機会はないんですが、それぞれ連絡したり話したりはしています。ただ、この先を考えていかないと、と思うことはありますね。政策(政府の農業政策)もどう転ぶか分かりませんし。

 ■降雪の中、整然と広がる塚原さんの圃場
 この10年くらいを乗り切れば一息つけるような気がしますが、今までのやり方をそのまま続けていたらキツいなとは思いますね。どうにか付加価値をつけるために、無農薬は難しくても、自分なりに工夫しておいしいお米を作るとか。どのみち量で勝負しても生産地には勝てませんし。

 お客さんに選んでもらえるお米を作るか、ギリギリまで省力化してコストを下げるか、どちらにしてもこれまでと同じやり方でこの先10 年やろうと思ったら、キツいのは目に見えています。

将来のきっかけづくりとして

 ――そんな中で能勢農業みらい塾の取り組みがあり、研修生の受け入れをされたんですね。

 
塚原:安田君から話があって、受け入れることにしました。僕自身は(全体の)運営については何もしていなくて、(研修希望者に)来てもらって、いろいろ教えるだけです。うちに来たのは北摂協同農場のY君で、基本的には一緒に作業をしながら学んでもらいました。初めは、うちのように専業で広い面積やっているところより兼業の方がいいんじゃないかと思っていたんですが、実際に始まると十分に受け入れは可能だと考え直しましたね。

 ただ、研修に来てくれた人が来年から自分でお米作りできるかと言えば、なかなか敷居が高いじゃないですか。圃場の問題以前に、やっぱり機械や設備ですよね。でも、きっかけづくりになってくれたらいいかなと思っています。実は、僕自身もこれからずっと一人でやっていけるとは思っていなくて、例えば年配の方が週末にアルバイトに来てくれるとか、そういうつながりも作りたいと思っているので、今後の展開が期待できるのはありがたいです。

 ――米作りは機械化が進んでいるだけに初期投資も大きく、そう簡単に踏み出せません。

 
塚原:正直、研修から農家に移るのは簡単じゃないですよね。実際のところ、米作りは機械が要なんで、新規就農者にはハードルが高すぎますね。ちなみに、安田君のトラクターとコンバインは元々うちが使っていたものです。

 でも、一緒に作業したことをSNSに上げてもらったりして、それを見た人が新しくつながったり、その中から本気で就農しようという人が出てくるかもしれない。そういうきっかけづくりが必要だと思っているんで、今年も(研修生を)受け入れるつもりです。米作りの勉強ももちろんですが、ますは人のつながりができることが一番かなと思っています。

 ――受け入れた研修生は1人だけですか。

 
塚原:そうです。もともと1軒の農家に1人という方針だったので。ただ、コロナの関係で、途中ほかの農家さんの受け入れ体制が整わなかったときに、一時的に作業を手伝ってもらった方がもう1人いらっしゃいました。その方は、その後もちょくちょく寄ってくれるし、今年も来てくれる予定です。僕もこれまでと違ったことをやるつもりで、特別栽培米に挑戦してみようかなと思っているので、それを手伝ってもらえれば助かります。

 いろんな人がどんどん来てくれて、トラクターに乗ってくれたらいいと思いますね。農家の中には他人が機械を使うのを嫌がる人も多いんですが、うちは素人の方でもどんどん乗ってもらって構わないんで。ぜひ一緒に作業してもらえたらと思っています。

 そういう中から、できれば能勢で米作りを始める人が出てきてほしいですね。実は、能勢で生まれ育った人ほど米作りや農業に冷めていたりするんですよ。逆に、いま都会で暮らしている人の方が興味持ってくれているようなんで。やっぱり、興味持って楽しいと感じる人に来てもらうのが一番です。

 実際やってみてだめだったらそれでもいいし、今すぐには難しくても、子供の手が離れたからやってみようとか、そういうきっかけになってくれたらいいなと思っています。いま能勢には新規就農する人が結構いるんで、その中の何人かでも米作りしてみようかと思ってくれればうれしいですね。そのサポートは今後もしていきたいと思っています。

           (聞き手:山口 協、2022 年1 月15 日 塚原さん作業場にて)


原田富生(とみお)さん
能勢における有機農業の先駆者として新規就農者を多数育成


抗いがたい変化の趨勢

 ――主な品目、栽培面積はどのくらいでしょうか。

 
原田:野菜が2ヘクタール、米が7ヘクタール、全部で9ヘクタールほどです。父親の後を継いで農業を始めたんですが、その時は米は1ヘクタールから1.5ヘクタールの間でした。7ヘクタールまで増えたのは、自分で積極的にというより、周りから頼まれての方が多いですね。

 この辺り(能勢町倉垣、和田地区)は20年ぐらい前に基盤整備(圃場整備)が入って1区画が大きくなったんですが、それに合わせて農業機械も大型化していきますね。ところが、自分が小型機械で1日かかって稲刈りしているのに、隣は大型機械で1時間で終わってしまう。

 そんなのを見ると、やる気がなくなってしまうようで、刈り取りだけ他の人に頼むとか、田植えだけ頼むということが増えていく。最終的には機械も(耐用年数が過ぎて)潰れてしまって、土地ごと誰かに作ってもらう状態になっちゃうみたいです。

 ―― 7 ヘクタール、作り方は全部同じですか。

 
原田:いえ、4ヘクタールぐらいは有機で、あとの3ヘクタールぐらいが除草剤を一回使っています。売り先は基本的には有機農産物の卸問屋さんとよつ葉さん(関西よつ葉連絡会)とで、だいたい今のところ全部です。ごくわずか、知り合いに送ったり買いに来てもらったりしていますが。

 ――かつてこの集落でも、皆さんお米作りをされていたと思います。原田さんが始められた時から現在へ、どんな変化があったんでしょうか。

■原田富生さん
 原田:僕がやり始めた頃は、農業と言っても一種兼業、二種兼業、専業と3つぐらいあって、この地区では全体で40軒近くある中で、非農家は2~3軒ぐらいだったでしょうか。だから9割以上は一種兼業か二種専業で、農業をしておられたと思うんです。現在でも兼業も含めて5割ぐらいはおられるんじゃないでしょうか。65歳以上で年金生活をしながら農家をしている方を除くと、専業はうちと新規就農者の1軒ぐらいしかないですね。

 ――兼業の方は親を手伝いながら作業を覚え、後を継いだ方が多いと思いますが、今後そういう継承の可能性は非常に薄いですね。10年後はどうなるのか。そういう危機感はどうでしょう。

 
原田:農業ができなくなったからといって、自分の生活が成り立たなくなるわけではないです。今やっておられる方のほとんどが定年退職組で、子や孫、親戚に食べてもらって、おいしいと言ってもらえばいいとか、生活は年金、農業はお小遣い程度という人たちですから。だから危機感はないと思いますね。ダメだったら誰かに渡せばいい。それを受けてくれるところがあるかどうかというだけですね。

 ――受け手は見つかるんでしょうか。見つからない場合、自分の田んぼはどうなるのか、生計とは別に感じるものがあると思うんですが。

 
原田:この辺りは秋鹿さん(秋鹿酒造)がいるんです。秋鹿さんは自分のところで酒米(山田錦)を作って、すべて賄おうとしておられます。現状では100%自給できていない状態なので、まだしばらくは拡大路線だと思います。とくにここは秋鹿さんの地元なんで、こちらの土地を使っていただけるだろうと思います。

 ただ、水路の問題とか田んぼの畔とか農道の管理なんかについても秋鹿さんに全部おまかせで済むのか。今でこそ年に二回ぐらい、この地域でそうした作業をしていますが、そこに誰も出られない状態になったときに、維持管理は誰がするのか。そういう問題は確かにあると思います。

 ――農村ではお米作りを基本に、お祭りとか1年間のスケジュールが決まっています。米農家が少なくなると、それも成り立たなくなってしまうのでは。

 
原田:実際のところ、お祭りは厄介ものになっています。お祭りをするには誰か世話役になって、仕事を休んで世話をして、人を集めて神輿(みこし)を出したりしないといけません。好きな人もいますが、若い子になればなるほど億劫に感じているのが実情です。

 昔なら、この地区にもあるお寺で盛大なお葬式を挙げることが(人生の)最後の仕舞い方だったけれども、今ではどこもかしこも家族葬ですから。

 地域の相互扶助みたいなものに関しては、昔からの祭りとかお寺の檀家とか、そういうものじゃない違う形の集まり方がないと、若い人にとって納得がいくものにならないと思いますね。

 ――確かにそうですね。一方で、農業で言えば水管理とかいろんな共同作業にも関わってきます。

 
原田:でも、参加できる人がいるかなという感じです。今でも“協力します” と言って出て来られるのは、主に70代ぐらい方々です。10年後には80代。じゃあ今度は若い人が来られるかというと、皆さんほとんど都会に住んでおられて、年寄りだけがこちらに家があって住んでいる状態です。作ってくれる人に全部まかせようということになると、水路や畦畔、道の管理はしんどくなるでしょうね。

 ――今回、能勢農業みらい塾のサポートをされたのは、そんな状況も念頭にあったんでしょうか。

 
原田:やりたい人がいたら助けますよ、というだけのことです。ここに住んでいる若い人に、“お前は長男坊だからやれ” と言う気はないけれども、やりたい人がいるなら協力します、というだけです。うちへ来られた方は家庭菜園のような農業の一環でお米を作りたいという人だったので、それはそれなりの対応をさせてもらいました。

事業継承の仕組みがあれば

 ――米農家として食べていこうとすると、機械も面積も必要だし、当然投資も必要になるわけで、新規就農にとっては非常にハードルが高いですよね。

 
原田:「居抜き」がいいんじゃないかと思いますけれどもね。これまでやってきた米農家が、もう自分はできない、息子もしないとなったら、100%揃っていなくても、農機具はいくつかある、倉庫も1つはあるわけで、それを安く譲るなり貸すなり、無償譲渡でもいいけれども、やりたい人に継いでもらう。そういう事業継承が、新規就農者にとっては一番いいだろうと思います。誰がパイプを作るのか知りませんが、一から全部揃えると何千万円という金が要りますからね。

 ――北海道の酪農などで聞いたことはありますが、能勢でそういう継承をした方はおられますか。

 
原田:安田君ぐらいですかね。理想を言えば、3町とか5町とか、そこそこの面積をされている農家の手伝いをしながら、そこの信頼を得て継承する形でしょうね。継ぐ方としては、いつまでたっても100%自分の思うようにできないのは面白くないかもしれませんけど、スムーズにいくとは思います。

 農場(北摂協同農場)の近くのAさんは、一時は10町ほどのお米を作っておられました。ところが、息子さんは継がれないんで、結局は徐々に田んぼを整理して他の人に渡したり、大きい機械は地元の大きい農家に渡したりされましたね。

 農場がしっかりしていれば、Aさんと仲良くなって、後を継いでやったらよかったんだけれども、Aさんにとっては、農場から研修に来る人間は日々変わるから、誰が来て誰に教えていいのか分からんようになるわけですよ。“米農家をやりたいんで教えてください”と言って、安田君みたいにやる気のある人がずっと手伝ってAさんの信頼を得られたなら、事業継承は可能だったかなとは思いますね。

 ――これまで新規就農者を数多く受け入れてこられましたが、米農家になりたいとか、今は無理でも将来はとか、そういう方はいましたか。

 
原田:自給指向のある人は自家用とか、親戚や知人に売ることもできるし、ちょっとやってみようかな、とかね。宅配している人だと、1回の配送で運ぶ金額を考えると、野菜に比べて米は値が張りますから、客単価を上げる一つの手段になるし、自分の米を売りたいと思うことはあるでしょうけど、米農家になろうという人はいないですね。
 やっぱり、誰しも最初の資本投下の多さと、5町も10町も面積を確保する難しさを考えますよね。町とか農業委員会が仲介するようなことがないと、なかなかハードルは高いですね。

 ――主食の米を作ってみたいけど、主業とするには二の足を踏む。でも、そういう人が何人も集まれば、圃場の集積や機械の融通なんかできませんかね。

 
原田:お米は作業期間が短いんですよ。品種はいろいろありますが、例えばコシヒカリに集中しちゃうと、コシヒカリは一週間、二週間で収穫しないといけない。誰がいつコンバインを使うのか、大変です。田植もそうです。乾燥機も一回入れると1~2日は占領しちゃいますね。稲刈りはうまくずらせても、乾燥ができなかったらダメです。

 だから、小さい面積の人がたくさん集まるのは、時間的にも労力的にも大変でしょうね。1反(10アール)の人が十人で1ヘクタールだと稲刈りに何日か、乾燥機も何回か回さないといけないけど、1人1ヘクタールなら1日で刈って1日で乾燥できちゃう。損得関係なく、自給を目指すんだったら、やったらいいとは思いますが。

 田植え機が最初に出た頃、この辺でも地域で田植え機の共同利用をしたことがあったんですよ。各集落に実行組合(農協の下部組織)があって、そこで田植え機を買って共同利用するようにしました。最初はよかった。ところが、ちょうどその頃から兼業農家も増えてきて、作業が土日に集中するようになったんですね。それで、そのうち面積の大きいところは自分で買ったりするようになりました。

他人が手を出さないところに何かある

 ――この辺りは、農協(JA)出荷が中心ですか?

 
原田:僕は農協には出荷していないです。他の方はどうでしょうね。最大の集荷組織なんで、能勢町全体ではかなり集まっているとは思いますが、大規模なところは自分で販売しておられるんじゃないでしょうか。年間の予定の販売数量は自分で確保して、それを超えたら農協へ出すというような。だいたい親戚関係とか、飲食とか、病院、学校、そんなところに声をかけたりしておられるみたいです。

 よつ葉さんに出す分はストックしなくてもいいんですよね。自分で売ろうと思ったら、今の時代だと1月、2月なら倉庫保管で済みますが、それ以降は冷蔵庫に保管しないといけない。よつ葉さんでも農協さんでも、穫れた時にすっと出せるところがあると作りやすいですね。

 乾燥や調整の設備がない農家、兼業農家は刈り取るだけ刈ってライスセンターへ持って行って、後は農協さんまかせでしょうね。亀岡とかに比べれば、能勢の農協さんはお米を高く買っておられます。(30kgで)2000円ぐらいは違うんじゃないですか。

 ――ここ20 年ほどで、減反廃止など米に関する政策は大きく変わりました。影響はどうですか。

 
原田:皆さん(政策とは関係なく)好きなようにしておられると思いますね。1ヘクタール以下の方はほとんど申請なんかしておられないと思います。

 うちみたいに面積が広くなるほど、1反あたり5000円でも補助金があれば、1町で5万円、10町だと50万円と、スケールメリットが効いてくるんです。だから、面積が多い方はそれを見ながら申請できる線を探しておられるかもわかりません。

 能勢でも10町を超える農家が何軒か出てきていますから、政府の方針がどう変わるか知りませんが、うまく(転作の)大豆を入れてみるとか、上手に使えば経営の足しになるかもしれません。

 ――原田さんご自身の今後はどう考えていますか。

 
原田:僕も70近くなって去年、法人の代表を辞めて、新しい人が代表になりました。新代表は基本的に野菜が中心で、僕がお米を主にやっています。それこそ部門別に収益を出して、これからどうするか相談ですよね。やめるならやめるで、米の部門は誰かやりたい人がいたら経営移譲もありです。

 この先、米価がどうなるか、農機具の価格がどうなるか、いろんなことがありますけど、現状で言えば(稲作を)10町もすれば夫婦で食べていくことはできると思います。贅沢はできませんが、夫婦で会社員一人分の給料ぐらいにはなるでしょう。

 ――この地域では秋鹿さんが今後の担い手の中心になるわけですね。

 
原田:なるでしょうね。地代でいえば、これまで能勢では1反あたり2万円ぐらいが相場でした。それが少し前から1万円ぐらいになって、この辺りだとぼちぼちゼロも出てきています。
 そのうち、お金を払わないと借りてもらえないような状態になる可能性はあります。ただ、さすがに金を払ってまでは、となると、草だらけになってもそのままになるかも分かりませんね。

 ――だとすると、今後の展望は明るくない。

 
原田:世間が明るくないなら、先見の明がある人にとっては明るいと思いますよ。他人が手を出さないところは、見方を変えれば、きっと何かがあるんです。日本中を探せば、米農家で大きいところはいっぱいあるし、米を作るだけじゃなくて、6次産業で米の加工品を作るとか、一部は転作(補助金)で大豆の加工品とか、全体として農業が成り立つようにすればいい。

 もしかすると、今後は国から田んぼの管理賃が出るかも分からない。いまでも中山間地の管理賃とか出たりするんだから。かりに田んぼ1枚1反で2万円なら10町で200万円。そんなにうまいこといくか分かりませんが、希望はあると思いますよ。

 ――お米は一番身近な食べものなのに、食べていこうと思うと、急にハードルが上がりますね。野菜だったら徐々に増やしていけるけれども。
 ■能勢町倉垣、和田地区の風景


 
原田:どういうお米を作るかによって、いろいろあると思うんですよ。普通でいいなら、どこの農協さんも栽培マニュアルみたいなものは持っておられるから、その通りに肥料を入れて、その通りに薬を使ってやれば、それなりのものはできますよ。そうじゃなくて、有機がやりたいとか自然農法がやりたい場合は、自分で一生懸命勉強するなり、失敗を重ねるなりしないと。

 
安原(北摂協同農場):機械のこともあるし、簡単なようで難しい、何をどうしたらいいのか分からないということで、新規就農者はなかなかお米に手を出せないんですが、原田さんがお米もやっておられるから、聞きに行ったり見に行ったりできるのはありがたいですよね。それがあるから、野菜づくりが安定してきたらお米もやってみようという人が出てきたんだと思います。そういう人が増えたり、面積を広げてもらって、よつ葉にも出してもらえたらいいですね。

         (聞き手:山口 協、2022 年1 月20 日 原田ふぁーむ作業場にて)
  


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