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連載 ネパール・タライ平原の村から(119)
帰国して1ヶ月が経ちました

ネパールの農村で暮らす、元よつば農産職員の藤井牧人君の定期報告。その119回目。


 帰国して1ヶ月。妻ティルさんがコロナで亡くなり半年。僕の心は折れてしまったままで痛みは消えそうにないけれど、もう治さずにゆっくり歩いてみようかなぁと。……でもやっぱりまだ痛すぎるから、片膝だけ立ててみようと思っております。

 それにしても帰国後1ヶ月間、あちらこちら目にしたのがカラフルなSDGsの宣伝。ただ、姉が「いらんわ」と使い捨てるようにエコバックを2枚僕にくれたから、このキャンペーンの“Goals”だけは、世間よりも先に到達できました、多分。

 それで先日は、このアソシ研の総会に出席させていただいたところ、隣席の方が斎藤幸平氏のすごく話題の書を持っていて、初めの方に載ってある痛烈な一文を紹介してくれました。そんな一文をヒントに僕も、同等かそれ以上に美学的喚起的なポエムを作ってみました。

           
 それどころじゃない
           
 どうしようもない
           
 現実路線に
           
 しょんな言葉の意味など知る気もない

                                             ◆      ◆      ◆

 ようやく、しょうもないことも考えられるようになってきました。他にもニューノーマル、ウィズコロナ、スマートシティ、スマート農業、新しい資本主義……。そんな最先端でおしゃれ過ぎる言葉の数々をほぼ一律に、新しいおカネの儲け方という感じに解釈というか勘違いしてしまった僕は、予想通り、予定通り、お上手に、世間並にちゃんとついていけそうにないのです。

 僕には拠りどころのなさそうな言葉で世間は溢れているようです。でも他方では、涙が溢れそうな言葉とか、ヒトを明るい気持ちに変えてくれる言葉とか、心にしみる生の言葉とかにも、この1ヶ月会うことができました。

 「読んでるで」「オレもう泣いた」「泣いたで」「そんなことなるなんて」「もう何て言ったらええんかわからん」。「ティルさんは太陽やったんや」「先のことばっかり考えてんと今を生きとったんや」。

 お茶を飲んでいる僕にビールを淹れたカップを渡して「ティルさんの分やで」と、よつ葉の人たちの言葉です。同じく、食事に招いてくれた知人もジュースをグラスに注ぎ「ティルさんにも」と何気に僕の隣に置いてくれたり。鍋をつつきながら「ティルさんが亡くなったと便りを読んで僕らも泣いた」「ずっと心配やった」と顔をくしゃくしゃにして言ってくれた知人も。

 そんな泥まみれのような、生の言葉が僕の折れた心にしみ込んで来て、嬉しいような悲しいような。

                                                 ◆      ◆      ◆

 ■帰ってから会ったのは犬、カラス、獅子(近所の神社)
 次号からしばらく、タライ平原の村からではなく吹田の実家から。農業を営みながら暮らした12年を下地に、いつものようにその立ち位置から見えた風景にこだわり、特にティルさんから聞いた話から。ネパールの急速な社会変動の時代を生きたティルさんの生活史、近代化の一断片を書き留めてみたいと思っております。本人がいなくなってしまい、細かいところの精度が若干落ちるかもしれないけれど。

 また2000年代当初、数千人だったのが2020年には9万5982人に上る、日本で暮らすネパールの人たちにも先々触れることができればと思います。

                                                                               (藤井牧人)



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