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市民環境研究所から

オンラインでは掴めない自然


 長年の連載で、編集者も読者も筆者の拙文にお疲れだろうなと思い始めると、ますます筆が進まない。いつ何時でも編集者から連載打ち切りの打診か通知があってもおかしくない内容が続いているのではと、今月も思い始めた。しかし、こんなに長く連載を許してくれる機関紙は他にはなく、「筆が進まない」などと言い訳できる立場ではないと十分に承知し、一番身近な出来事を記させてもらう。

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 1970年代に始めた農薬ゼミという自主ゼミは、省農薬ミカン園という実践の場に関係させてもらっているおかげで、今年も病害虫発生と収量の調査を終え、収穫物の省農薬ミカンの販売作業中である。自主ゼミを始めてから45年になるが、新入生がほぼ途切れることなく、今年も男子3名、女子3名が参加してくれた。筆者が京大を去ってから20年にもなるのに有難い現象である。最初の頃は学生とは兄弟くらいの年齢差であった。そのうちに親子になり、今では爺さんと孫である。肉体的にはもはや学生メンバーについていくのは無理であり、京都から和歌山への車移動もすっかり学生ドライバーの世話になって、後部座席でゆっくり休みながらのミカン山行きである。

 そんな関係の彼らと、少しでも雑談したいと思っている。時代はオンラインが先にあり、肉声の会話が少なくなってきていた状況に拍車をかけたのは新型コロナ禍である。大学の講義やゼミは、学生は下宿、先生は自宅からの作業である。そんな事態が1年以上も続いたが、先週から教室での講義がやっと始まったという。昼間も閑散としていた京大横の百万遍交差点は、先週からラッシュアワーのように混雑し始めた。オンライン講義から対面講義になったことで、学生も生き生きし始め、やっと大学に入学していたのだと実感したそうな。側で見ていた筆者もホッとして、どうか第6波が襲って来ないようにと願うのだが、この土日の京都の観光客の増え方は不安を掻き立てるほどで、南禅寺や永観堂の紅葉見物で人や車が急増した。

 農薬ゼミもこの1年半ほどは密にならないようにと、ゼミ室や市民環境研究所に集まる者と下宿などからオンライン参加のメンバーに分かれ、ゼミは途切れることなく続けてきた。省農薬ミカン園調査には車で出かけるのだが、車内と宿泊先の小屋が密にならないようにと2回に分けて実施した。そんな事情もあり筆者が参加しない調査や援農もあった。本当は十数名全員が一つの小屋で雑魚寝をし、一緒に飯を食べ、何班かに分かれて作業をするという全員行動が楽しいのだが、コロナ禍では致し方ないとの決断だった。それでもこの2年間は、やるべきことはやれたとメンバー全員が思っている。

 そして、今年も年末の一大行事である省農薬ミカン販売を迎えた。コロナ以前は京大のゼミ室を早朝から利用して、館外にテントを張ってのミカン受け渡し作業を行っていたが、ゼミ室使用が認められないので、学内での受け渡しは不可能となり途方にくれた。そんな時、筆者が自家用車を使用し出してから50年、車の保守点検の全てをお任せしてきた大学近くの自動車修理業の店主が、土日だけならガレージを貸してくれると言う。こんな有難いことはないと学生も喜び、去年も今年も借りることにした。長い付き合いというのは大事なものである。これで今年もコロナに負けることなく1500箱(15トン)のミカンを完売し、4年目になる新規就農者のミカン山経営は続けられると思う。

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 地球環境の変化は厳しく、6月号に書いたように、今年はミカンの開花が10日も早かったという。その後の気象は8月が多雨で、9月は雨が降らず、斜面園である我がミカン園では水不足となり、何本かの木が枯死した。園の安定的生産を確保していくには、異常気象への対応を真剣に取り組まねばならないだろう。

 一次産業全体が、異常気象・地球環境の変化の下で今までと異なる現象に苦悩する時代に入っている。オンラインでは実態を掴めない自然現象に立ち向かう現場対応と、それを支える社会意識が求められる時代に入ってきたのだと決意して行動しなければと思う。現場で学べる農薬ゼミを閉ざすことなく続けたいと、苦難に満ちたコロナ禍でこそ強く思っている。

                                           (石田紀郎:市民環境研究所)
  


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