HOME過去号>203号  


市民自治の実践としての
「遺骨土砂問題」運動



 沖縄県の玉城デニー知事は11月25日、名護市辺野古での新基地建設計画について政府が申請した設計変更に対する不承認を表明した。同基地をめぐっては、重ねて建設反対の民意が示されているにもかかわらず、国は建設に固執し続け、沖縄戦で斃れた戦没者の遺骨が含まれる南部戦跡の土砂を使ってまで、埋め立て工事を強行しようとしている。こうした国家の横暴に、市民はどのように抗するのか。ヤマトンチュ(日本「本土」人)として「遺骨土砂問題」に取り組む大学生・西尾慧吾さんに問題提起していただいた。


まずは自分の足元から

 現在防衛省・沖縄防衛局は、沖縄島南部の土砂を用い、辺野古新基地建設のための埋め立てを行うことを計画している。沖縄島南部は凄惨な地上戦となった沖縄戦の激戦地だ。沖縄住民のみならず、日本兵・朝鮮半島出身者・米兵など、様々な戦没者のご遺骨が今も「染み込んで」いる。

 戦没者の遺骨収集が全く終わっていない当地から採取した土砂を新たな戦争に繋がる新基地建設に利用することは、戦没者遺族の宗教的人格権に対する侵害だ。沖縄戦の戦没者遺族は日本中・世界中にいるので、この「遺骨土砂問題」は外交問題にも発展しうる国際的な人権問題だ。

 「遺骨土砂問題」は、決して沖縄が作り出した「沖縄問題」ではなく、国が沖縄に押しつけている問題だ。ましてや、その一番の被害者である沖縄戦遺族は全国にいる。日本が国民主権に基づく民主主義国家だとすれば、国がこれほどの人道上の過ちを犯しているとき、その問題に抗議し国の横暴を止める責任は全日本国民にある。

 しかし、この問題に対する市民の関心や全国メディアの注目度は低すぎる。沖縄の遺骨収集ボランティア・具志堅隆松さんは、3月・6月・8月の計3回に及ぶハンガーストライキで「遺骨土砂問題」の問題提起を行われ(特に8月14日~15日は、靖国通りでヤマトンチュに直接訴えられた)、4月・9月には防衛省や厚生労働省に対する直接交渉も行われた。しかし、市民の無関心とメディアの報道寡少が悪循環をなし、国政に対する問題提起の負担すら沖縄に押しつけることになってしまった。私も今年、具志堅さんのお話を会議や後援会で何度かお聞きしたが、具志堅さんはその度に必ず「沖縄に比べて本土の認知・関心が低い」との問題意識を強調された。

 コロナの影響で沖縄現地の運動に加われない今こそ、地元で草の根の民主主義を実践し、国に抗議すべきだ。その考えで、私は「沖縄戦戦没者の遺骨を含む土砂を埋め立てに用いないよう国に求める意見書」を各地の地方議会で上げる運動に取り組んできた。

 まずは自分が暮らす大阪府茨木市議会で意見書採択を目指そうと、今年4月から運動を始めた。地元で平和運動・労働運動に取り組んできた「サポートユニオン with You」の方々と協働して、沖縄映画上映会・学習会を開催し、毎月19日の総掛かり行動でこの問題と意見書採択運動に関する周知を行った。同時に市議会に対する意見書採択の陳情や、総掛かり行動に参加する市民派市議との交流、保守系会派も含めた市議へのロビイングを行い、6月議会での全会一致採択を実現した。

 6月議会では茨木市以外でも、大阪府吹田市・石川県金沢市・東京都小金井市・奈良県議会などで同様の意見書が採択された。しかし7月には、国会・地方議会が閉会し、コロナの蔓延で抗議活動も出来ない間隙を突き、沖縄島南部の熊野鉱山付近で重機を用いた整地作業が開始された。既に土砂搬出路と思しき道路が完成したように思われる。

■茨木市議会事務局に陳情書の趣旨説明(2021.4.28)
 地方自治をこれほど軽視する国政への危機感もあってか、9月議会では北海道から鹿児島まで100を超える沖縄県外の地方議会で意見書可決が実現した。埼玉県議会や、大阪市(83議席中40議席が維新!)・堺市・福岡市という3つの政令指定都市の議会でも全会一致採択が叶った。

 具志堅さんらは、12月議会以降も「遺骨土砂問題」意見書の運動を継続して欲しいとおっしゃっている。そもそも、遺骨収集が未完の地での土砂採取は、2016年に超党派の議員立法で全会一致成立した「戦没者遺骨収集推進法」の精神に反する。「遺骨土砂問題」意見書は、自公維新にとっても「自分たちが賛成した法律くらい遵守せよ」と求めるものに過ぎず、全会一致可決されて当然だ。一ヶ所でも多い可決を目指し、全国的な呼び掛け・ロビイングを急ぎたい。

 もちろん、意見書採択運動の自己目的化は危険だ。10月5日、松野博一官房長官は「遺骨土砂問題」意見書採択の全国展開に関し、「地方議会における個々の取り組みについて、政府としてコメントすることは差し控えたい」と答弁した。「意見書の量産だけしても仕方ないのでは?」との不安も募る。

 「遺骨土砂問題」は、沖縄の民意を無視した(2019年の2月24日の県民投票で72%の沖縄県民が反対、衆院選直前の琉球新報の世論調査でも56.9%が反対と答えた)辺野古新基地建設強行という根本問題から派生した一問題に過ぎない。しかし、茨木市も含め、「遺骨土砂問題」意見書を可決した多くの自治体議会は、辺野古新基地建設反対の意見書を上げられる状態にはなっておらず、市民の問題意識も、地方議員に「辺野古反対意見書に賛成せよ」と迫れるほど成熟していない。

 11月25日、玉城デニー沖縄県知事は辺野古新基地建設の設計変更申請を「不承認」とする判断を下した。知事は新基地建設を「事実上無意味」と非難、これは沖縄のみならず日本全体の問題だと強調した。特に「遺骨土砂問題」意見書を既に可決した自治体では、新基地建設そのものを止める運動を発展させたい。


「沖縄問題」ではなく「私たちの問題」

 沖縄は日本による構造的沖縄差別に苛まれ続けてきた。これは、1609年に琉球王国が貿易で上げた利益を収奪すべく薩摩が侵攻して以来、400年間手を替え品を替え繰り返されている問題だ。国体護持・本土防衛のため沖縄を捨て石にした沖縄戦も、1947年9月の「天皇メッセージ」(天皇の政治への関与を厳禁した日本国憲法への明白な違反だ)により1952年の本土の主権回復の引き換えに沖縄が1972年まで米軍占領下に置かれたことも、国土面積の0.6%しかない沖縄に全国の米軍専用施設の7割が集中していることも、全て構造的沖縄差別が生み出す問題だ。

 差別の被害者は、それに抗議・抵抗することはできる。しかし、その声を聴き、差別根絶という形で応答するかどうかは、差別加害者の姿勢次第だ。ヤマトで沖縄に関する運動を作る際は、「構造的沖縄差別の加害者として、その差別を終わらせるべきだ」との目的意識・当事者意識を徹底する必要がある。

 構造的沖縄差別を止めるための運動は、決して「沖縄のための運動」ではない。一地方を構造的差別で苛むという国政の歪みが正されない限り、その標的が沖縄に限定され続ける必要はない。先の大戦では、偶然地上戦は沖縄でしか起こらなかったが、九州や四国南部でも米軍が上陸すれば住民を巻き込んだゲリラ戦を行うと計画されていたことがわかっている。「自分たちの生存権・尊厳を守る運動」として、沖縄への不正義を止める運動を育てることも肝要だろう。

 沖縄と問題意識を共有できるのは、「遺骨土砂問題」に限らない。12月1日~13日には、過去最大規模の日米共同方面隊指揮所演習(YS-81、所謂ヤマサクラ)が自衛隊の伊丹・朝霞・座間・相浦駐屯地「等」(その気になれば港湾・民間空港・幹線道路も利用する気か?)で行われる。たった2枚のプレスリリースが公表されただけで、訓練の内実は全く見えてこない。重要土地規制法が成立した今、駐屯地周辺住民や訓練に抗議する市民、その関係者は国の監視の対象になり得る。

 環境問題でも沖縄と繋がれる。例えば、沖縄では米軍基地由来の有機フッ素化合物PFOS・PFOAによる飲料水汚染問題が深刻だが、同様の水質汚染は大阪・神奈川など12都道府県の21地点(特にダイキン工業淀川製作所が原因の摂津市における水質汚染は深刻)で水質管理の暫定的な目標値(50ng/Lという日本政府の基準自体、国際的には緩すぎるそうだ)を超えていると判明した。また、新基地建設が強行されている辺野古・大浦湾地域にはジュゴン・アオサンゴなど262種の絶滅危惧種が棲息し(確認された生物種の合計は5806種に上る)、2019年にはアメリカのNGO「ミッションブルー」により日本初の「ホープスポット」に指定された。SDGsや環境保護意識が高まる今、環境問題を切り口に基地反対運動を全国化する意義は大きい。


市民の抵抗力を育てる好機に

 何より心配なのは地方自治の蹂躙と軍国主義化だ。日本国憲法が独立した一章(第8章)を割いて地方自治を重視するのは、戦前・戦中の地方自治体が中央の下請けに堕した結果、国政の全体主義・軍国主義的暴走を止められなかったという戦争体験に基づいている。知事の「不承認」会見の翌日である11月26日ですら辺野古新基地建設工事が行われたが、沖縄の抗議も、全国の自治体が上げた意見書も無視する現政権は、戦前の全体主義独裁体制と同じだと言わざるを得ない。

 戦後76年間、ヤマトンチュは日米安保体制の矛盾を沖縄に押しつけ等閑視してきたが、今やその実害を日本全体が日常生活レベルで味わうことになった。「沖縄問題」などと他人事のようにしている暇はない。

 こんな政権の横暴に非暴力・平和的に抵抗できるか疑問に思う時もあるが、市民に無力感・倦怠感が蔓延することこそ、国の思う壺だ。確実な戦略を描けずとも、何かしら抗議し続けるしかないのだ。

 その点、「遺骨土砂問題」運動に取り組む意義は大きい。駅前での街宣や署名運動で毎回感じるが、「遺骨で基地を作るという計画は許せない人道上の過ちだ」との訴えは、行き交う市民の共感を得やすい。11月に何度かJR高槻駅前で署名運動を行っているが、たった1時間で100筆以上を集められた日もある。自分の店で署名を呼び掛けると、署名用紙を持ち帰って下さる市民もいた。
 ■茨木市議会あてに陳情書を手渡す(2021.4.28)

 イデオロギーや安全保障に対する考えの違い以前の人道上の問題なので、意見書可決という成果を生み出せる確率も高い。憲法第16条が保障する請願権は未成年者・日本国籍を持たない人でも行使できるので、選挙権を持たない市民にも開かれたエンパワーメントの場を作ることができ、「政治=選挙」だとの誤解や政治運動へのスティグマ(負の烙印)の解体にもつながる。

 市民と(特に市民派野党の)地方議員とが運動の現場で協働すれば、「市民と野党の共闘」を強められる。幅広い世代の市民が同じ問題に取り組むことで、運動論や運動戦術の世代間継承も可能だ。戦後76年間、日本の市民運動は退潮してきたとされるが、世代・イデオロギーを超えた連携が可能な「遺骨土砂問題」運動はその流れを逆転させ、「市民の、市民による、市民のための政治」を取り戻す契機になる。

 「遺骨土砂問題」意見書ですら、常に可決されるわけではない。相乗り首長の悪弊や党本部への忖度が蔓延る地方議会では、立憲野党の会派すら意見書提出に後ろ向きな場合もある。国会議員が地方議員に圧力を掛ける場合すらある。実際、維新の足立康史議員は、茨木市での意見書全会一致可決が報じられた直後、「維新市議団の判断ミス」とツイートしたが、その言行は北摂の他の自治体の地方議員を萎縮させ、ロビイングを難航させた。

 地方自治の担い手として独立した意志決定を行わない地方議員と、彼らの意志決定に介入する国会議員は、戦争の教訓を基にした憲法を裏切っている。憲法第99条は公務員に「憲法を尊重し擁護する義務」を負わせており、地方自治の原則を守らない議員は失格だ。意見書運動を続ければ、政治家への監視も日常化出来、政権交代への道を開くことにもなるだろう。

 「遺骨土砂問題」意見書可決が実現すれば、そこで満足せず、意見書の活用術を考えたい。周辺自治体への呼び掛けへの利用にとどまらず、意見書を可決した自治体の首長に対し、全国市長会・知事会で国に「遺骨で基地を作るな」との要求を発議するよう要望することも可能だ。「遺骨土砂問題」意見書を可決した全国の自治体首長が連携し、辺野古新基地建設の外堀を埋めることも可能なはずだ。地方議員も、自らの市政報告会などで意見書について取り上げることで、沖縄の現状に対する市民の関心を一層高めることができる。

 仮に意見書可決に至らずとも、市民に採りうる選択肢はまだある。当然可決されるべき人道上の意見書が通らなかったことに抗議する市民集会を行ったり、メディア(記者に取材をさせるほか、自ら投書するのも一手だ)を通して経緯を発信したり、特に運動体内部に宗教者・弁護士・地方公務員がいるなら、各自の組合・協会組織を通じて声明を出したりすることだ。

 衆院選の「勝利」に酔いしれた自公政権は、その傲慢さを悪化させ続ける。沖縄県知事の辺野古新基地建設計画「不承認」には、行政不服審査制度を悪用した法廷闘争を突き付ける構えだ。今年8月末、熊野鉱山の鉱業権を持つ沖縄土石工業は、土砂採取を巡る沖縄県知事の「措置命令」を不当な私権制限として国の公害等調整委員会に裁定申請し、総務省はそれを受理した。県知事と県内業者を分断し、知事を悪者に仕立てる印象操作に欺されず、「根本悪は国だ」との認識を維持するためにも、「遺骨土砂問題」にこだわる価値はある。国政に抗議する多様な運動体と連携する可能性も開けてくる。

■沖縄県知事による埋め立て設計変更の不承認を受け、阪急茨木市駅前で緊急街宣(2021.11.26)
 先の衆院選で政権交代が果たせなかったと言って、市民自治を諦める必要はない。市民の抵抗力を育てる好機として、「遺骨土砂問題」運動を発展させたい。

西尾慧吾
1998年生まれ。米イェール大学に在学し、哲学・人類学を専攻。現在はコロナ禍のため、大阪府茨木市の実家に帰省中。高校の修学旅行で沖縄を訪れ、沖縄戦について知る。2017年4月より沖縄戦遺骨収容国吉勇応援会・学生共同代表。




©2002-2022 地域・アソシエーション研究所 All rights reserved.