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市民環境研究所から
みんなで語る「山科カフェ」
2020年の夏頃、筆者が山科区住民の市民運動仲間に、山科に住み始めて50年以上にもなるが山科のことをほとんど知らない。人生最後までここと決めているから、それまでに山科のことを知り、あの世に行く時には空の上から山科を見て懐かしみたいと話したことがある。それは面白いし、人生最後の勉強には適したテーマだと友人も賛同してくれた。
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大学闘争時代の1968年に京都市東山区山科に住居を移し、それから1度だけ転居したが、山科には住み続けている。東山区から山科区へ区割りは変わったが、京都市の中心部から東山山系を超えて滋賀県に続く盆地である。昔は洛外だったので京都市に入れてもらえず、今ではそんな表現をするお年寄りも少なくなったが、20世紀の頃は「京に行く」はよく耳にする挨拶だった。
そんな山科に住み続けたが、毎朝、左京区の大学に出勤し、夜遅く帰ってくる生活だった。定年後も10年ほど働いたが、住居にいる時間が多くなったこともあって、山科区のことを知らなさすぎると自己反省が日々高まってきた。
自宅は大石街道と旧東海道の交差点に面しており、今までも日曜日にガレージ前で自家用車を洗っていると、東海道五十三次を何年もかけて踏破しようという旅行者の道案内役を務めることもある。
この交差点の少し先に五十三次の最後の休息所だったのだろうか、亀の水不動尊があり、東海道散策者には大事なチェック箇所のようでよく尋ねられ、案内する。もちろん単なる道案内でも少しは知識を身に付けていないとダメである。その隣に「酔芙蓉」が咲くので有名なお寺があり、花見に着物姿の女性観光客も来る。酔芙蓉が期待していたほどではなかったとグチを言われたこともある。
さらに、この交差点は小中学校の生徒たちの通学路であり、通学時間帯は交通量も多く危険である。専属的に交通整理をしていた近所の知人の代役として筆者も交通整理に努めたことがあった。地下鉄の駅にも近く、登校時には地域の児童数や公立校生と私立校生の比率もわかり、現代の児童教育の一端が勉強できる。もちろん勤め人の勤務地なども日常会話の中でおおよそのことが分かってくる。まさに山科区の区民模様が勉強できる。
とはいえ、山科区の社会の全体像はどんなものかと尋ねられてもほとんど答えることができない。これでは、この人口13万人の行政区社会のこれまでとこれからを考えるには知識不足である。
京都市は総人口が140万人の大都市で、11行政区で構成されており、山科区は中規模行政区である。京都市民である前に山科区民として日常生活を送っているのだが、京都市行政にはそれなりの関心を示し、行政交渉もしてきたものの、区民としてわずかでも区行政に関心を示し、時には発言し、行動してきただろうかと振り返ってみると、そのような関心も行動も示すことなく50年が過ぎ去ったと思う。
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今からでも遅くないと思い、山科区の伝統産業や暮らし、医療や福祉、公共交通や環境、子育てや教育、歴史や文化……様々なテーマを学び、交流しようと定期的な研究会や公開講座を始めた。
職業も市民活動の領域も異なる山科区民15人が呼び掛け人となり、筆者もその一人に加わった。それ以外にも、イベントの下支えをやってくれる団体関係者など多彩な顔ぶれで活動が始まった。
最小の自治単位である区を活動領域とする市民運動は筆者にとっても初めてのことである。既に6回の公開講座を開催し、宣伝もコロナ禍で控えめにしているが、30~40人が参加してくれた。
京都市内の市民講座では出会えない顔ぶれと終の住処で文化や自治を語り合い、新たな市民運動を構築した。コロナ禍でできたこの運動は、その禍を乗り越えていく人々の動きとなり、新たな山科文化を作り出せると思う。
既に公開講座の中から、岡田知弘さんの講演をまとめた冊子『コロナ禍の下で自治体とまちづくりの展望』を発行した。自分たちの街を基本に置いたこの運動は「人権と自治が尊重される生活圏」構築の基盤となると思う。
次回のテーマは「今どきの高校生と高校教育」である。
(石田紀郎:市民環境研究所)