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市民環境研究所から

謝罪の日々を過ごす覚悟


 新型コロナ禍は終わることはなさそうである。オリンピックを強行開催した上に、ワクチンの準備も大幅に遅れた菅内閣の責任は大きい。かくして第5次発生期は8月中旬に最大値となり、9月末にようやく収まったが、終息にはほど遠い。政治能力のない菅は退陣することになったが、政府の無責任さを追及し続けなければと、運動を続ける日々である。

 そんな気分から解放してくれるささやかな時が早朝にある。愛犬とふたりで、琵琶湖から京都に流れてくる琵琶湖疏水沿いの静かな山科の道を毎日歩くことである。夏は5時半前後に家を出て、三条通りを横切り、坂を登って疎水に行く。出会う顔ぶれは変わりなく、犬もお菓子をくれるおばさんを見つけると一目散に駆けて行き、おすわりをしてお菓子をいただき、「もうお終い、帰りなさい」と言われると一目散に戻って、また歩き出す。歩数は5000から7000歩で、健康維持のための大事な日課である。

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 それなのに、8月の末に大変な失敗をしてしまった。大事な本欄に書くのかと悩んだが、この1ヶ月の反省を知っていただこうと思い書き始めた。

 琵琶湖疏水沿いの散歩を終わって住宅街の坂道を降りてくると我が家まで250mほどの三条通と大石道の交差点がある。この三条通は山科区に住み始めた頃は国道1号線で、東京から京都までの全線中で最も狭く、事故の多い地帯だと言われていた。今では1号線はバイパスに回り、路面を走っていた京阪電車も地下に潜った。

 ここから我が家に帰るためには道路を横断する必要があり、横断歩道を渡るのが常なのだが、午前6時台には車も少ないから、三条通の11mほどを早足で渡る。犬も左右を見ながら、「よし行こう」と言うと即座につきあってくれる。この朝も左右の車が過ぎ去ったので渡り始め、中央線までのことは覚えていたが、次に記憶にあるのは救急車に乗せられて救急隊員と喋り、山科区東端にある総合病院に運ばれ、頭と耳の負傷の応急手当と脳の映像をとるCT検査を受け、ベットに運ばれた。

 3日間は目を開けるとめまいがし、食事もおかずを舐めるだけで過ごしたが、4日目からはめまいもなくなり、CTスキャン撮影でも脳表面の血液像も消えた。リハビリ担当者との歩行訓練ではリズムも良く、止まれ命令や差し出された指の数も間違えることなく答えられた。入院6日目で自宅に戻り、静養に入り、日常生活の中での回復に努め、退院4日後に市民環境研究所にバスに乗って出かけ、1週間後からは車で出かけている。

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 事故当時に現場から我が家に事故や犬のことを連絡してくれたのは誰なのかも知らず、救急隊員か警察官だろうと勝手に思っていた。自宅の電話番号はポケットに持っていた携帯電話から分かったのかと推測し、納得していた。ところが、退院後の4日目に家族に尋ねたら、思わぬ返事だった。「なに言ってるの、あんたが自分で電話してきたのに。犬は歩道にいると言ってきたのに」と呆れ顔で知らされた。

 本人には跳ねた単車の記憶もなければ、自宅に電話したことも、犬の所在も何も記憶がなく、病院に運び込まれるまでのことは覚えていない。家族が現場に駆けつけたとき、若い女性3人が犬を囲み、頭や背中を撫ぜてくれていたおかげでパニックにならず家に帰れたという。

 なぜ横断歩道を渡らなかったのと、孫から叱られた。少し言い訳をさせてもらえるなら、横断歩道を渡らない理由は、この交差点のいびつな横断歩道の構造にある。二本の道路が直角に交差する場合にはロの字型に横断道路が書かれるのが普通の交差点である。ところが、ここではコ字型に書かれており、歩道がない地点から向かい側に行こうとすれば3回も横断しなければならない。計ってみるとほぼ3分30秒もかかる。一方、横断歩道がないところを渡れば15秒もかからないから、走行車が少ない時間帯には多くの人が後者を選んで対面に行く。

 この三条通にはいくつもの交差点にこの形式があり、それで良いのだろうかと警察署でも話してはみた。もちろん事故の正当化にはならないが一考してみる必要はある。一昨日は、地下鉄車内で見知らぬ人から「身体は大丈夫ですか」と声をかけていただきびっくりした。これから謝罪の日々を過ごさなければと覚悟している。

                        (石田紀郎:市民環境研究所)

  


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