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連載 ネパール・タライ平原の村から(116)
悲しみを表現する

ネパールの農村で暮らす、元よつば農産職員の藤井牧人君の定期報告。その116回目。


 いつまでも後ろばかり振り返っていても仕方がないと頭の中、理屈ではわかっていても、目覚めてから寝るまで、後ろばかり振り向いている毎日です。

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 夕方、トウモロコシ畑で一人水牛のエサに草刈りをしていると、亡くなった妻ティルさんが時に黙々と、時に楽しそうに草刈りしていて、2匹のハチ(犬2匹ともハチという名前)が草刈りが終わるまで待っている。そんな姿が思い浮かべ、これまで農作業が辛いとか、しんどいとか、考えたことも(書くことも)なかったのに、毎日泣きそうになりながら草刈りをしています。

 大地は僕の心を癒してなんかくれない――。そんなことを考えていたら、10歳の娘ロージがトウモロコシ畑の中で僕を探しながらやって来ました。

 「ババ(僕のこと)もう疲れたでしょ」「家に帰ろう」。満月の月明かりを眺めては「月も見えて来たことだし」「蚊にかまれてデング(熱)にかかってしまうと困るから早く帰ろうよ」「私も草担ぐから」と。

 本来、親が子どもに気を遣わないといけないのに子どもの方が親に気を遣っている。これでいいのだろうか、ダメな気がする。元気がないひとり親に元気な子を育てることなんかできるのだろうか。それでもいつも元気いっぱいに振舞うロージ。

 そんなロージが時おり部屋で静かに過ごすことがあります。心配になって覗くと大抵、絵を描くことに夢中です。そしてノートのページをめくっては、僕に必ず説明してくれます。

 「これはマミ(母ティルさん)これもマミ」「これはディディ(姉さんで姪のこと)でこれはマミ」と。大きく描かれた僕らの家の方をティルさんが見ている絵もありました。

 ティルさんが亡くなって2ヶ月ほど経過した時。ロージが捨ててあった細長いボードに色鉛筆で絵を描いて、持って来ていつものように説明を始めました。

 「これは私たちの家」「これは隣家おばあちゃんの家」「これはリアちゃん(クラスメート)の家」。

 「一番左端にあるこれは誰の家?」と尋ねると「これは病院」「赤い十字のマークがあるでしょ」。「一番右端の大きな家は?」と尋ねると「これは学校」とのこと。

 病院の絵は、すぐにティルさんのことだとわかりました。学校の絵は、行動規制下でしばらく休校だった小学校から最近、連絡があり新学年の教科書の準備や宿題をもらったところだったから描いたと思われます。病院と自分たちの家と山岳部からこっちへ来て、通うようになった大好きな小学校が木や花の咲く道でつながっている、やさしい色彩の絵でした。

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 先日もノートのページをめくりながら描いた絵を説明に来ました。

 「これはディディ(姉さんで姪のこと)でこれはおばあちゃん」「これはダイ(兄さんで甥のこと)」「これはババ(僕のこと)」「これはディディ」「これもディディ」という具合。
 ■病院と家と学校が道でつながるロージの絵

 いつも一番多く描く、マミ(ティルさん)の絵はありませんでした。

 「マミは?」と尋ねると「マミは今いないから」と。

 でも翌日だったか、ロージは一枚のページを切り取り、マミの絵を描いて見せては、遺影写真のそばに、一緒に飾っていました。
                                                         (藤井牧人)



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