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大阪市・府における保健所の変遷とコロナ対応
住民の命と健康を守る保健行政とは
元大阪市保健師・亀岡照子さんに聞く

 新型コロナウイルス感染症の蔓延とともに、感染者と医療をつなぐ保健所の業務が逼迫している。厳しい状況下での対応を余儀なくされている保健師たちの疲弊が伝えられる一方、感染症対策の重点事項とも言える「積極的疫学調査」を縮小するという動きも聞こえてくる。破たん状態にあるとも言える保健行政について、長く大阪市で保健師として働いてこられた亀岡照子さんにお話をうかがった。以下、要点を報告する。

 公式には2019年12月に中国湖北省武漢市から始まり、瞬く間に世界に広がった新型コロナウイルス感染症(COVID-19)。1年半以上が経過したが、さらに感染力の強い変異株(デルタ株)のまん延とともに爆発的とも言える感染の拡大を示している。政府は緊急事態宣言やまん延防止等重点措置を発出する一方、ワクチン接種を急いでいるが、感染拡大に歯止めがかかっていないのが現状だ。

 8月13日現在、全国の感染者数は過去最多の2万365人となった。人工呼吸器や集中治療室などで治療を受けるなどしている重症者は1478人。また、自宅で療養している人は11日時点でおよそ7万4000人と前の週の1.6倍に増えたことが厚生労働省のまとめで判明した。東京都の13日の新規感染者は5773人、重症患者は227人で過去最多を更新。自宅療養者は2万1723人となった。受け入れ病院が確保できないため、救急搬送ができない事例も多く報告されている。

■新規陽性者の推移(厚労省ホームページより)

 一方、大阪府でも同日、1561人の感染が確認され、金曜日としての過去最多を更新。大阪府の吉村洋文知事は、感染拡大に伴い、軽症・中等症病床と宿泊療養施設が逼迫しているとして、患者の新たな療養基準を発表した。容体が安定した入院患者はホテルでの宿泊療養に切り替え、宿泊療養について入所基準を厳格化。40歳未満は軽症や無症状で重症化リスクがなければ自宅療養が基本となる。


疲弊する保健所と保健師たち

 病床の逼迫と医療崩壊が現実的なものとなっている中、感染症対策の第一線で感染者と医療をつなぐ保健所が疲弊し、限界になっている。保健師の業務は、感染が疑われる患者からの聞き取り、電話相談、医師の指示のもとで病状確認、PCR検査の調整、入院、宿泊療養、自宅療養の手配、積極的疫学調査(感染経路、濃厚接触者の調査)、自宅療養者の病状確認、症状急変者への対応など、多忙を極めている。

 大阪府関係職員労働組合(府職労)が4月~5月にかけての第4波時に府の保健師から聞き取りをしたアンケートでは、たとえば保健師Aさんは「4月半ば以降は(入院調整を行う府入院フォローアップセンターに)入院申請してから3、4日後にやっと入院先が決まるのが普通。自宅で患者さんが日に日に悪化していく姿が電話口からも感じ取れ、恐怖のあまり受話器を取る手や声が震えることもあった」「一人一人に寄り添いたくても、その日のうちに新規陽性者に連絡をしなければならず、常に時間との勝負。体調不良でも、小さい子どもが家で待っていても、ほとんどの保健師が総動員で毎晩夜遅くまで働いた」という。また、保健師Bさんも「1波より2波、2波より3波、3波より4波と、感染者数はけた違いに多く本当に疲れ切っている。このうえ第5波がやってくれば、いよいよ誰か倒れるのではないか。不安でしかたない」と答えている。(新聞『うずみ火』2021年8月号)

 大阪府会議員の須田旭さんは、コロナ感染によって5月19日に父を亡くした経験を語っている(『毎日新聞』2021年7月14日)。感染が判明した4月下旬には大阪府下では連日1000人を超える新規感染者が報告されていた。感染対策の起点である保健所の機能は目詰まりを起こし、体調が悪化した4月26~27日に父の入院を希望する電話を200回以上も保健所にかけたがつながらなかったという。自宅待機を余儀なくされ、入院が決まったのは感染が判明してから約1週間後。すでに肺炎の症状は相当悪化していたという。この事例は、残念ながら特殊なものではない。第4波では、自宅で療養したり、入院を待機したりせざるを得ない感染者がピーク時には府内で1万8000人以上に上っていたのだ。

 コロナ感染が爆発的に広がる中で、保健所の業務はパンク状態になっている。だが、そもそも保健所とは地域住民の保健・衛生、生命を守るために、どのような業務を行っている所なのだろう。とりわけ新型コロナのような感染症に対して、どのような対応が必要であり、そのためにどのような体制がなければならないのだろうか。感染症に対応しうる体制は整備されていたのだろうか。むしろ保健所は全体として整理され、削減され、その業務は縮小されてきたのではなかったか。恥ずかしながら、保健所の行う業務についてほとんど知識を持たないので、そのような者にも現在の状況が理解できるようにと、長く大阪市で保健師として働いてこられた亀岡照子さんにお話をうかがった。新型コロナ感染症が蔓延する中で、改めて問題が浮き彫りになった現時点で見えてきたことを確認し、共有したいと思う。


保健師の資格について

 亀岡照子さんは大阪市で38年間自治体労働者、保健師として勤務され、退職後の現在は大阪府茨木市の藍野大学をはじめいくつかの大学、短大、専門学校などで非常勤講師として後進の育成にあたっておられる。後に詳しく報告するが、政府による全国的な保健所の再編の動きに対して、市民の命と健康を守る立場から「保健所を守る大阪市民の会」として活動し、保健行政のあり方について一石を投じた。

■亀岡照子さん
 さて、まず「保健師」という職種についてお聞きした。どういう学歴をたどれば保健師になれるのか。というのも「医師」や「看護師」に比べて、一般的に接する機会も少なく、またその仕事の内容もあまり知られていないからだ。

 看護師が主に病気の治療をサポートするのに対して、保健師の仕事は地域に住む住民の保健指導や健康管理をおこなうことが主になっている。 公務員として地域の保健所や保健センターで働く「行政保健師」が70%で、他に企業の医務室や健康相談室で働く「産業保健師」、小学校や中学校などで働く「学校保健師(養護教諭)」などがある。

 保健師になるためには、保健師国家試験および看護師国家試験に合格しなければならない。亀岡さんの時代には4年間の専門学校卒で資格がもらえたが、現在は、4年間の大学を修めて保健師の資格を取るか、大阪大学などでは4年間で看護師資格しか取れないので、さらに修士課程で2年間学んで保健師の資格を取ることになる。亀岡さんが勤めておられる藍野大学短期大学部は、看護師の資格を持った学生がさらに1年間学んで保健師になるという、全国でも珍しいコースになっている。


保健行政の変遷

 現在の保健所体制は昭和戦前期にある程度整備されていた。保健所設置の法的根拠となる保健所法は1937年に制定され、戦時色が強まる中で、結核予防や乳児死亡率改善などの課題に加え、保健所は体力検査、健康づくり政策の場として重視されるようになり、1944年までに全国で計770ヶ所の保健所網が整備されるに至った。戦後、日本国憲法では、国民の生存権とともに、国の責務として社会福祉、社会保障、公衆衛生の向上及び増進を図ることが明記され、その下で1947年に保健所法は全面的に改正され、保健所法(新)が制定された。戦後の混乱の中で、食糧事情や衛生環境の悪化が問題となっていた。また、結核、赤痢、腸チフスを始め、様々な伝染病対策の必要もあった。上下水道の整備、衛生環境の改善、感染症に対する特効薬の開発などによって、そうした問題が克服された後、保健行政をめぐる状況は変化することになる。

 1994年に、保健所法は改正されて地域保健法が制定された。長らく公衆衛生上の中心課題であった結核は1950年代の後半には死亡理由の上位から姿を消し、代わって、脳血管疾患、悪性新生物(がん)などが疾病の中心となり、感染症対策は保健行政における主要な関心事ではなくなっていった。また生活習慣病など、新しいタイプの健康管理も必要になってきた。地域保健法では保健行政は整理され、専門的、広域的な業務を担い、都道府県、政令指定都市、中核市などに設置される保健所と、住民に身近な保健サービスを実施する市区町村の保健センターが設置されることになった。

 かつて保健所はおおむね10万人に1ヶ所の割合で設置されていたが、地域保健法下では30万人に1ヶ所との目安が示された。それに伴い、全国の保健所の数は1992年の852から2020年の469へと半分近くまで減少した。大阪府では2000年に61ヶ所あった保健所は18ヶ所に削減され、大阪市は24ヶ所からなんと1ヶ所に削減された。

 以下、亀岡さんが長く勤めてこられた大阪市について、地域保健法にともなって、保健所が1ヶ所に削減された経緯について見ていきたい。


保健所を守る大阪市民の会

 大阪市は、人口270万人、昼間人口400万人を抱える大都市である一方、全国一の「不健康都市」でもあるとされている。その大阪市で、それまで24区のそれぞれにあった保健所を1ヶ所に統合するというとんでもない方向が判明する中で、1995年に市役所労働組合などを中心に「保健所を守る大阪市民の会」が立ち上げられた。初代会長は元大阪大学医学部教授(衛生学)の故丸山博氏。丸山氏は「保健所は住民のいのちと健康を守る砦」であり「僕たちは保健所の応援団だよ」と言って、保健所の大切さ、各区の保健所の充実の必要性を訴えた。現在の会長は大阪府保険医協会副理事長の井上賢二氏で、「市民の会」は現在も活動を続けている。

 亀岡さんたち「市民の会」は大阪市各区の保健所を守るために活動を強め、65万枚のビラを配布し、16万筆の署名を集めた。市内各地でキャラバン活動を何回も行った。そこには東京や横浜、名古屋、京都など、全国の仲間たちが参加し、また「保健所を守る大阪府民の会」もともに訴えた。というのは、大都市の保健所をこのような形で削減するのは大阪市が全国に先駆けてのことであり、その影響は全国に及ぶと考えられたからだった。

 「市民の会」は大阪府医師会に問題の深刻さを訴え、また厚生省(現・厚生労働省)にも5回の直接要請行動を行った。大阪府医師会は懇談の場で、保健所の1ヶ所化に対して懸念を表明、また厚生省も同じく懸念を表明し、4~8ヶ所にするのが望ましいとの見解を示したが、「地方自治の時代、市議会で決めること」として文書勧告は行わず、責任逃れに終始した。大阪市交渉や申し入れも17回にわたって行ったが、磯村隆文市長の下、日本共産党を除くオール与党体制の市議会は1999年、「市民の会」の請願を自民党、公明党などの反対多数で不採択、保健所1ヶ所化の条例が可決された。2000年4月1日に大阪市の保健所は1ヶ所になった。

 地域住民の保健・衛生を守るとの観点から、保健所には大きな権限が与えられ、保健所長には医師が就任し、区長や消防署長と同等の行政権をもって運営にあたってきた。保健所の統合で各区の保健所は保健センターに編成替え、格下げされ、各区の医師は医務保健長という行政上の権限のない医師となった。その後、各保健センターは区役所の機構に入り、区役所の健康福祉サービス課と福祉事務所、保健センターを一体化した「保健福祉センター」になり、区長(現在は副区長)がトップとなった。保健福祉センターには専任の医師はおらず、健康局や保健所との兼務で週2回程度の勤務のため、感染症や食中毒が発生しても迅速な対応ができなくなった。また区民に身近な保健サービスを実施するという名目のもと、組織人員も大幅に縮小されることになった。


保健所削減で噴出する問題

 亀岡さんたち「市民の会」が危惧していた事態が1保健所体制になった直後に発生した。2000年6月の雪印乳業の集団食中毒事件だ。

 北海道にある雪印乳業大樹工場の生産設備で停電が発生し、工場内のタンクにあった脱脂乳に病原性黄色ブドウ球菌が増殖したことで、製造された脱脂粉乳内に毒素が発生した。汚染された脱脂粉乳は、大阪工場(大阪市都島区)で製造された「雪印低脂肪乳」や加工乳に使用され、スーパーマーケットを中心とした関西地方一円の小売店に出荷された。雪印の場当たり的な対応もあって、被害の訴えが関西一円に報告され、最終的に1万4780人という前代未聞の食中毒被害者の発生となった。

 この事件では、大阪市の保健所(阿倍野区)、届けた医師の勤務する区(天王寺区)、雪印乳業の工場(都島区)が別々の区であり、各区に保健所がないために迅速な対応がとれず、被害が広がった。また当時、市の監視指導対象施設(市内13万ヶ所)に対する食品衛生監視員や環境衛生監視員は少なく、十分な監視ができていなかったことが事件の背景としてある。1保健所体制にともない、各区に配置されていた監視員は保健所に配置換えされ、もともと不足していた監視員はさらに削減されていた。

 2002年にはユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ、此花区)で一連の不祥事が発覚した。賞味期限切れの食材使用。監査に対してラベル書き換えの隠蔽発覚。飲料水への工業用水の配管、冷水器6ヶ所で基準を越す細菌確認。3つのアトラクションの池から大腸菌群やレジオネラ菌が検出されていた問題。この事件も此花区に保健所がないために迅速な対応ができず、限られた監視員による監視は十分に機能しなかったと考えられる。

 2003年にはSARS(重症急性呼吸器症候群)、2009年には新型インフルエンザが発生し、大混乱となった。特に、新型インフルエンザは日本でも数多くの発症者が出たが、今回と同様に保健所への電話はつながらず、住民の不安は爆発した。保健所機能の脆弱さが露呈し、各区の保健福祉センターでは対応できないため、市は一括して電話対応をする部署を設置し、人員を集中して対処した。亀岡さんも対応にあたったそうだが、人員不足の中、電話相談には医療関係者以外の職員も配属され、ただマニュアルに従って対応するだけの人も多くいたという。亀岡さんは医療知識がある専門職に対応させるべきだと意見したが、聞き入れられなかった。

 ただ、新型インフルエンザの場合はPCR検査が比較的迅速に行え、医療機関との連携もスムーズで、そこは救いだったと言う。当時、亀岡さんも含めて、自治労連(日本自治体労働組合総連合)公衆衛生部会で厚生労働省交渉を行い、感染症に対する日頃の対策の必要性と、教訓を踏まえた人員確保をと訴えたが実現しないままだった。


研究機関の統合・合理化

 大阪府・市の保健所が再編、統廃合され、削減された一方で、2017年に大阪市立環境科学研究所(環科研)と大阪府立公衆衛生研究所(公衛研)が統合され、大阪健康安全基盤研究所(大安研)として独立行政法人化が強行された。大阪府・市の行政を牛耳る大阪維新の会が二重行政と攻撃したものだ。

 環科研は大阪市の保健所などと協力しながら検査・研究を行う機関として、公衛研は府下の保健所を管轄する立場として、それぞれ市民・府民の健康と環境を守るため、市や府の公衆衛生を担う部署として重要な位置を占めていた。特に環科研では、大都市である大阪市の特性から、PM2.5や光化学スモッグなどの都市環境問題の研究機能も持ち合わせていた。今回の新型コロナ感染のような事態に対しても、その原因究明や被害拡大防止のための行政措置の根拠となる研究も重要な役割の一つだった。

 府と市の研究所では、保健所では対応しきれない検査なども引き受け、保健所と連携して対応にあたっていたが、統合・独法化によるリストラで人員・予算は削減され、現場は混乱し、保健所との連携も後退した。今回の新型コロナ感染への対応についてもその影響は大きい。ただ、大安研は新庁舎が出来るまでの期間は従来通り、大阪市の検体は旧環科研、府の検体は旧公衛研で検査を行っている。その結果、不幸中の幸いではあるけれども、二つの施設で検査が行えたことでリスク分散ができたという。

 また、時期は少しさかのぼるが、2012年頃に当時の橋下徹大阪市長は、市立住吉市民病院について、近隣に「大阪府立急性期・総合医療センター」があることから「二重行政の無駄の典型」と主張し、住吉市民病院の廃止を決定した。住吉市民病院は、シングルマザーや未受診妊婦の出産など福祉的ニーズの高いケースの積極的受け入れや、重症心身障害児の短期入所を引き受けるなどの機能を併せ持った病院であり、多くの大阪市民が廃止反対の声を上げたが、その声に応えることなく2018年に閉鎖が強行された。医療崩壊とも言われる現在の状況の中で、もし住吉市民病院が健在であったらと、悔やまれる。


大阪市のずさんなコロナ対応

 この間の新型コロナウイルス感染症への大阪市の対応について、簡単に振り返っておきたい。

 2009年の新型インフルエンザの時も大混乱に陥ったが、ただ今回の違いはPCR検査が迅速に受けられなかったことだと、亀岡さんは言う。2020年春頃には、患者はPCR検査を1週間からひどい場合には10日間も待たされることもあった。その理由は二つほどあって、実際に検査体制が整っていないことと、もう一つは検査を広げて感染者が激増することによる病院の受け入れ態勢の不安があった。他の都市と比べても、特に大阪市はPCR検査の拡充に消極的だった。変異株についても、今年初め頃に、国は4割ぐらい調べるようにと言っているが、大阪市ではようやく始まったばかりだ。

 亀岡さんたち「市民の会」では、今年3月9日に大阪市と話し合いの場を持ったが、新型コロナ対策について、大阪市には対策方針を相談する専門家のドクターが1人もいない状態だと判明した。またコロナの対策会議も、昨年の5月に開いてから12月まで半年間、開いていないことも分かった。その理由を問うたところ、大阪府と連携していて、府が月に1~2回やっているので、そこに参加させてもらっている、との驚くべき答えだったという。大阪都構想を先取りしているのだろうか。270万人の人口を抱える大阪市がこの状態だ。

 大阪市はまったくコロナ対策ができていない。昨年初めに、新型コロナ対応として、医師や保健師や事務員など含めて50人ぐらいのチームをつくったが、それを昨年5月に100人にして、9月に150人にしたという。しかし、一見2倍や3倍ということだが他の市町村からの応援や、各区から保健師を兼務で受け入れた数で、ほとんど人員は増やしていない。残業時間も186時間とか175時間とか、過労死ラインを越えている。

 このように大阪市が保健所を1ヶ所にしてしまったツケはいろいろな形で表れている。各区の保健福祉センターが以前のように保健所の機能を持っていて、人員も削減されていなかったら、もう少しまともな対策ができただろうと、亀岡さんは言う。270万人に1ヶ所というのは、余りにもひどすぎる。

 「かっぱの松井」と揶揄される松井一郎大阪市長の感染症に対する能力も疑われる。医療従事者の間で防護服が不足している状況に、松井市長が雨がっぱの提供を呼びかけたものだが、ほとんど役には立たなかった。行き先のない31万枚の雨がっぱは大阪市役所で保管せざるを得ず、消防署の指導が入っている。一時は病院関係者も喜んだが、アベノマスクと同じで全然有効活用ができていない。

 また、コロナの専門病院をつくるとして市立十三市民病院と阪和第二病院を指定したが、余りにも突然で、特に十三市民病院ではその方針を病院長も聞かされておらず、入院患者も転院させなければならず、大混乱だった。混乱の中で、多くの医師、看護師も職場を後にしたという。

 吉村洋文大阪府知事も、イソジンのうがいでコロナ感染症が抑制されるとの見解を表明し、一時は街中の薬局からイソジンのうがい薬が消えたように、世間を惑わしたことがあった。イソジンは感染症には効果はなく、逆に甲状腺障害のある人には害があるという。コロナワクチンについても、昨年の夏ぐらいには開発され、秋には接種できると言っていたが、場当たり的な発言で、端的に言って嘘だった。

 ■うがい薬の効能を語る松井市長と吉村知事
 新型コロナ感染の蔓延に対して、大阪市の取組みはお粗末なものだが、そこには以上のように大阪維新の会の政治姿勢が大きく影を落としている。実務関係者や専門家の声を取り入れたり、合意形成や対話・説得の努力を行うこともなく、トップダウンで独断専行する姿勢だ。それは国政レベルで安倍、菅政権の政治姿勢にも言えることだが、とりわけ大阪維新の政治姿勢に顕著だ。この間の大阪市における新型コロナ対策には、その弊害が露骨に現れている。

 今回のコロナ禍を受けて、橋下氏はツイッターで、「僕が今更言うのもおかしいところですが、大阪府知事時代、大阪市長時代に徹底的な改革を断行し、有事の今、現場を疲弊させているところがあると思います。保健所、府立市立病院など。そこは、お手数をおかけしますが見直しをよろしくお願いします」とツイート。新型コロナ感染パンデミックはいろいろなことを明るみに出している。


大阪府の状況と保健師たち

 このような大阪市の悲惨な現状は、大阪府についても言える。5月11日、市民連合高槻・島本の主催で開催されたオンライン学習会「維新府政のコロナ対策を考える」で、その一端を知ることができた。講師を務められた大阪府関係職員労働組合(府職労)委員長の小松康則さんの報告から、現在に至る大阪府の保健所の経過をたどってみたい。

 1997年の地域保健法の制定以前、大阪府には22の保健所と7つの支所があった(政令市・中核市の大阪市、堺市、東大阪市を除き、羽曳野市、泉南市以外の全市に保健所を設置)。それが2000年に地域保健法の趣旨に従って、7保健所(門真、大東、松原、狭山、泉大津、貝塚、尾崎)が支所に「格下げ」、15保健所、14支所に再編、職員40人が削減された。2001年には各保健所の栄養士を4ヶ所に集約し、14人を削減。2004年には14の支所を廃止、職員50人が削減された。中核市への移行によって、6保健所(高槻・豊中、枚方、寝屋川、八尾、吹田)がそれぞれの市へ移管され、現在、大阪府の保健所は9ヶ所(池田、茨木、四条畷、守口、藤井寺、富田林、和泉、岸和田、泉佐野)となっている。以上によって、2000年に大阪府下に61の保健所が設置されていたが、2020年には18保健所という状態になっている。ほぼ3分の1以下に削減されたことになる。

 こうした経過の中、府保健所の保健師は厳しい条件の下で新型コロナへの対応を迫られている。本報告の最初にいくつか紹介したが、府職労の小松さんが報告するアンケートの声をもう少し紹介したい。

 「病状急変の対応や救急車、病院の手配に追われて、帰りは深夜タクシーで、息つく間もなく明け方にコールセンターからの電話で起こされる」

 「昼食もとれず18時過ぎにようやく食べる」

 「子育て中でも休日出勤、大晦日も出勤で、電話対応をし、入院調整、宿泊療養の説明で、帰路は新年を迎えてから」

 「元日も朝から出勤、翌日への引き継ぎ業務を整理し終えたのは午前3時」

 以上のように悲痛な声が寄せられている。

 府職労ではこうした過酷な状況を踏まえ、保健師たちの声をツイッターで発信し、交流を行った。さらに、保健所への人員増を求める6万4000筆以上のオンライン署名を集め、大阪府と厚生労働省に提出、記者会見を行った。最初、保健師たちの間には行政に物を申すことに恐怖感があったという。この10数年間、公務員に対するバッシングが激しく、特に現場の保健師たちにとっては、声を上げることにかなりのハードルがあったからだ。しかし、現場の声を集めることによって、仕方ないと諦めるのではなく、今の状況を少しでも変えようと、みんなが立ち上がった。その結果、3月には各保健所の保健師の定数が1人ずつ増えた。それでも、保健所の人員不足と長時間勤務はあいかわらず深刻だ。

■大阪府の保健師による記者会見
 大阪では、松井一郎府知事、橋下徹市長の時代、2012年に、大阪府・市それぞれに職員基本条例が制定された。職員数の管理目標を5年ごとに決定することで、職員数を減らすもので、大阪府では1995年に1万7000人だった職員数は2017年には8500人と半減した。職員基本条例の下で府・市の職員は減らされ、あるいは非正規職員に置き換えられていったのだが、そのような逆風下で保健師たちが手をつなぎ、小さな一歩ではあるけれども成果を勝ち取ったことは特筆すべきことだと考える。


問題の背後にあるもの

 さて、大阪市や大阪府の保健所の統廃合と合理化・人員削減の背景には何があるのか。亀岡さんが指摘するのは、行政による公衆衛生軽視だ。たとえば感染症にせよ食中毒事件にせよ、事件としては日常的に起こるわけではない。それは火事が毎日起きないのに、消防署は日々消防の訓練を行い、また各所で防火訓練、防火指導を行うのと同じことだ。保健所は住民の健康と命を守るために、日々衛生の監視・指導を行い、また地域の様々な問題に対応して働いている。とても大事なことだが、成果として目には見えにくい。何も起こらないことが成果なのだから。その日常的な部分が確実に実施されてこそ、その上に感染症の発生・拡大といった事件にも対応することができる。これが理解されていない。

 もう一つの要因としては、大阪市・府の財政の問題がある。1989年の大阪市政100年記念事業として推進された大阪ベイエリアの開発構想が大破綻した。現在の咲洲コスモスクエア地区と舞洲、夢洲に臨界新都心を開発する計画で、アジア太平洋トレードセンター(ATC)やワールドトレードセンター(WTC)ビルなどが建設された。橋、道路などインフラ整備にも多額の資金がつぎ込まれた。だが、甘い予測と安易な第三セクター方式の採用などで事業が次々に破綻し、WTCは大阪の負の遺産の象徴となってしまった。他にも都心部では阿倍野再開発などもあり、巨額の損失を出していた。大阪府に関しても、2008年に橋下知事が初登庁のあいさつで、「皆さんは『破産会社』の従業員であるという、その点だけは厳に認識してください」と述べ、異例の「財政非常事態宣言」を行ったこともある。このような大阪市・府の財政状況が保健行政にしわ寄せされたのだと言える。

 さらに国レベルの背景として、数十年にわたる国の行政改革(行革)路線がある。行革は多くは、行政組織の効率化と経費削減を目的として、様々な領域について推進されてきた。先に述べた保健行政の改革もその一環だと言える。大阪維新の会による行政改革は自民党主導の全国的な行革路線を大阪市・府において、さらに急角度で推し進めるものだ。

 公の組織を統廃合、あるいは民営化し、行政の機能を最大限削るという方向、その一つの極限とも言えるのが、大阪市の保健所1ヶ所化であり、大阪府の保健所削減だった。コロナ感染はその大阪を直撃した。人災の側面が強いと言わざるをえない。


地域における保健行政の状況

 さて、最後に、住民との接点として身近な保健・福祉に関する業務を担う保健福祉センターの現状について、報告しておきたい。

 各区に設置されていた保健所が格下げ・再編されて保健福祉センターとなった。その構成は各区で若干の違いはあるが、だいたい以下のとおりである。

 兼任の医師1人、保健師8~10人、薬剤師か獣医師1人(衛生監視員)、現業員で犬や猫、ゴキブリやネズミの相談を受ける動物の相談員2人、管理栄養士1人、事務職員6~8人ほど、運転手1人。食品衛生監視員は監視事務所に集約されたので、今は1人だけ。かつて保健所だった時代には人員は合わせて5~8人だったというから、大幅な人員減になっている。

 保健福祉センターは、社会福祉法に基づく福祉に関する事務所と地域保健法に基づく保健センターとしての機能を併せ持ち、それぞれ法で規定する事務を実施している。また、介護保険業務や高齢者・障がい者、虐待に関する業務なども福祉に関する業務として保健福祉センターで実施していることから、非常に多くの制度・事業を所管している。

 亀岡さんは保健師として、妊婦から産まれて亡くなるまで、あらゆる年齢、あらゆる人に関わっていると言う。難病、精神障害、結核・感染症、認知症、引きこもり、家庭内暴力など、どんなことでも、どんな人でも、どんな相談でも受けるのだと。そのために、保健師には家庭内に立ち入り、対応にあたることが許されている。たとえ不法侵入で訴えるぞと脅されても、命を守るために立ち入ることもある。そういうことが許されるのは、保健師だけだそうだ。しかし一方で、保健福祉センターではそれまで保健所として独自に行ってきた地域での支援事業などが行えなくなったと言う。保健所としての裁量が失われ、最低限の基準に統一されてしまったのだと。

 保健所が削減され、市や府の職員が削減されてきたように、保健師の人員も減らされてきた。保健福祉センターの保健師は区によって増減はあるが、1人が平均して1万2000人を担当している。亀岡さんが平野区(人口19万人)で勤務していた時には2万人を担当していたという。同僚が産休・育休の場合などは、多い時で4万人近くを担当していたこともある。臨時のアルバイトを頼んでも看護師しか応募がなく、看護師には家庭訪問ができない制約があるため、依頼できる業務は母子手帳の発行などに限られてしまう。地域の保健を担うと言いながら、顔の見える活動ができないのが実態だ。特に今回のような感染症が発生した時には、その対応に追われ、本来の活動がストップしてしまうことになる。

 O157やノロウイルスによる感染症はよく起こっている。特にノロウイルスの場合、食事の後2、3日で発症するので、問題が発覚しやすい。保健師や食品衛生監視員は、たとえばノロが出た保育所に行って、給食を調べ、症状のある子は検便、子どもたちの手洗いの状態や食品加熱の加減などを調べる。これも本来は保健所の仕事だが、今は区の保健師が、監視事務所から派遣される食品衛生監視員とともに行くことになる。以前の保健所だと、所長の医師がいて、監視員が5、6人いて、保健師が10人ぐらいいて、何かあったらすぐに会議を開いて、担当を決めて対応ができたが、保健福祉センターになってからはそれができない。二度手間になってしまっている。夜に連絡があった場合などは、体制をつくるのに本当に大変だと、亀岡さんは言う。また、保育所や焼肉屋などは、定期的に衛生指導に入るのが理想だが、それもほとんどできていない。

 エイズの検査も本来は保健所の仕事で、大阪府は保健所でやっているが、大阪市は北区と中央区、淀川区の保健福祉センターがやっているだけだ。亀岡さんが平野区の保健所にいた時は月に2回検査を行っていたが、合理化でやらなくなった。当時は、採血し、結果が陽性なら病院を紹介し、自殺予防のカウンセリングも行い、各種の相談にものっていた。今は、難波にHIVの検査センターをつくって、そこに集中している。その検査センターの業務は大阪市の保健所が丸投げして、採血から結果説明まで、大阪府や市の保健師のOBが運営するNPOが請け負っている。21ヶ所の保健福祉センターがHIV対応を止め、その分をNPOに合理化・集中した状態だ。

 保健所が保健福祉センターに格下げ・再編されたことによって、最低限以下の人員編成になり、現場の業務は薄くなっている。以前ならば、赤ちゃんの健診も大半は正規の職員が運営していた。しかし今は、ほぼ丸投げの状態だ。受付と、大事なところだけを現場の保健師と管理栄養士・事務職員が行う形になっている。また、レントゲンなど検査は、そのたびに診療放射線技師や臨床検査技師などの派遣を受けることになる。

 保健所だった時代には現業を担う職員が多くいて、たとえば犬・猫やスズメバチの対策にも結構迅速に対応したりしていたが、今は、たとえばネズミが問題になっても、業者を紹介するとか、せいぜいネズミ取りのカゴを貸し出しするぐらいの対応しかしていない。狂犬病の予防注射も以前は保健所で実施していたが、いまはほとんど民間の動物病院でやってもらう形になってしまった。いろいろな場面で、業務の中身が薄くなってしまっている。

 生活習慣病の予防のため、40歳から74歳を対象に1年に1度無料で受けられる特定健診も全部丸投げで、保健福祉センターが関わるのは場所の確保だけで、あとは当日、担当者が様子を見に行くぐらいだ。保健福祉センターの姿勢がそういう状態なので、検診を受ける住民も少なくて、国は国民健康保険に加入している人の6割を目標に掲げているが、大阪市は2割しか受けていない。特定保健指導というメタボの指導も、全部丸投げ状態だ。

 コロナ感染症対策の失敗の根本には保健行政の問題がある。日常的な保健行政を担うべき保健所、保健福祉センターの業務がどんどん痩せていって、保健師をはじめ職員が疲弊している現状があり、それがコロナ対応の失敗につながっている。コロナ以前に、保健行政は行き詰っていたと言えるだろう。正常な保健行政を凌駕するコロナ危機が襲ってきたわけではなく、コロナ危機は保健行政の現状を明るみに出したと言うべきだろう。保健福祉センターは、住民たちの健康と命を守るために人員とその機能を拡充し、保健所に戻すべきだろう。あるいは大阪市では少なくとも30万人に1ヶ所程度に再編し、抜本的な改革をはかるべきだろう。コロナ禍はまだ終わってはいない。SARS、MARS、新型インフルエンザ、新型コロナウイルス、そして、次は?

 保健所という住民の命と健康を守るところにお金を使っても無駄ではないと、亀岡さんは言う。「備え」が大事なのだ、と。38年間、保健師として働いてこられた人の言葉だ。保健行政の本質は「備え」にあるのだということを、頭に刻み込んでおきたい。

                                               (下前幸一:当研究所事務局)



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