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アソシ研リレーエッセイ
「断捨離」と「ノマド」


 「断捨離」――懐かしいですね。『ウィキペディア』で言葉の由来をみると、なんと「ヨーガの行法」に基づいているそうです。

 「不要な物を「断ち」「捨て」、物への執着から「離れる」ことにより、「もったいない」という固定観念に凝り固まった心を開放し、身軽で快適な生活と人生を手に入れようとする思想である。」――スゴイ話ですね。

 あと、「ときめくかどうかの基準で残すものを決める」という片付けの方法論「こんまりメソッド」なんてものもありましたね。米国でも一時期「KonMari=片付け」が大ブームになったとのことで、世の中なにが起こるか分かりません。

 それにしても、つい20年ぐらい前までは、多くのモノを持っていることが豊かさの証だったり、精神的な充実を意味していたはずでしたが、いつの間にか不要なものを捨てることの方が積極的な意味を持つようになるなんて、皮肉なもんです。

 とはいえ、何でも手に入る世の中だけれども、それで満ち足りているかと言われると、たしかに疑問符がつくことも少なくありません。

 何でも手に入り、絶えず新しいモノ、便利なモノを獲得するよう迫られ、最終目的地は見えない。それよりも、むしろ身一つで風の向くまま気の向くままに世を渡っていく方が人間らしいのではないか、そんな想念に駆られることもしばしばです。

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 そこで頭に浮かんだのが、少し前に見た映画『ノマドランド』(クロエ・ジャオ監督)。アカデミー賞の作品賞と監督賞、主演女優賞を受賞し、日本でも話題になったので、見た人も多いと思います。

 舞台は米国の地方、ネバダ州とかのあたりです。主人公は、長らく連れ添った夫を亡くした後、リーマンショックの影響で働き口だった工場が潰れてしまったため、住んでいた家を手放さざるを得なくなった、60過ぎの女性ファーン。彼女は改造した中古のバンで車中生活をしながら各地を渡り歩き、季節労働で糊口をしのぐ生活を送っています。クリスマス商戦の時期にはアマゾンの倉庫を歩き回って商品をピックしたり、夏場はリゾート地のキャンプ場で清掃や管理に従事したり――。

 驚いたのはアマゾンの場面。ピック労働者はおおむねファーンと同じように車中生活をしており、敷地内にはそのためのスペースが備えられています。労働者たちは「駐車場代が要らないからありがたい」なんて言っていますが、寮ぐらい建てんかいや、と。いや、逆にスペース提供が福利厚生なのか、と。

 ただ米国らしいと感じたのは、たしかに車中生活は窮余の策ではあるけれども、一つのライフスタイルとして確立してもいる点です。車社会、かつ広大な国土面積を有するが故のことでしょうが。

 ファーンはそんなふうに一面で過酷な生活を送りつつ、同じように車上生活をしながら季節労働を渡り歩く人たちと交わる中で、過去の生活を想起したり、今後の生き方について思いを巡らしていく。これが映画の基本的なストーリーと言えるでしょう。

 見終わった後で知りましたが、ファーンを演じるフランシス・マクドーマンドともう一人の俳優以外、登場する車上生活の先輩たちはいずれも当事者とのことです。高齢の単身女性も少なくなく、中には病気を抱えた人もいる。当然ながら、各人が各人なりの来歴を持ち、各人なりの理由で車上生活を続けているわけです。正直、圧倒されました。

 ちなみに、一ヶ所に定住せず移動を繰り返す生活スタイルを「ノマド(遊牧民)」と言います。映画のタイトルは、ノマドの国としての米国の一面を浮き彫りする意味合いがあるのでしょう。

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 終盤、ファーンは貸倉庫に保管しておいた昔の生活の品々を処分する決心をします。新たな旅立ちを印象付ける場面です。

 残念ながら、日本では通年で車上生活をしながら過ごしていけるようなインフラは少なく、やたらと警察に職質されたり、うかうかしていると駐禁キップを切られたり、面倒なことの方が多そうです。

 いまのところは、せめて車に寝袋を詰め込んで、気が向いたときに人里離れた山に行き、車中泊を決め込んだりしていますが、でも、それって単なるレジャーですよね(苦笑)。

                           (山口 協:当研究所代表)




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