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神奈川県藤沢市、㈱えと菜園訪問 報告

つくって売る」だけではない
多様な農の可能
性を拓く

 7月中旬、神奈川県藤沢市にある㈱えと菜園を訪問し、代表の小島希世子さんにお話をうかがった。非農家の出身ながら子供のころから農業に憧れ、生業にすることを目指してきた小島さん。その業態は一般にイメージされる生業としての農業、つまり生産・販売とはいささか趣を異にしているが、実は農が抱え持つ多様な可能性を示しており、とくに都市近郊における農業の展開に示唆するところを多く感じた次第である。


はじめに

 ㈱えと菜園のある神奈川件藤沢市は東に鎌倉市、西に茅ヶ崎市と接しており、南部にはビーチリゾートで知られる辻堂や鵠沼、さらに江の島も擁する、いわゆる湘南地方の中心都市である。グーグルマップで見ると、市の面積の大部分は住宅地が占め、大規模な工業団地も散見されるように、農業を連想させる要素は少ない。日本大学の生物資源科学部(旧農獣医学部)があることから、かつては広範囲に自然豊かな田園地帯が広がっていたのだろうが、現在では農地はもっぱら北西部に集中している。えと菜園が位置しているのも北西部の入り口、工場領域と農業領域が幹線道路で境を接するあたりである。

 ちなみに、『藤沢市地産地消推進計画(第4期)』(2019年4月)によれば、43万2000人を数える市の人口のうち農業就業人口は1487人、販売農家戸数は672戸とのこと。経営耕地面積は662 haで、内訳は畑が451ha(68%)、田と樹園地がそれぞれ106ha(16%)である。

 藤沢市自ら「本市の野菜生産は、温暖な気候と大消費地を抱える都市近郊という立地条件を生かし、農業経営の基幹部門をなしています」と述べる通り、畑作の比重が大きい点が目を引く。中でも、施設栽培の冬春トマトと露地栽培の春キャベツは国の指定産地となっているそうだ。

 えと菜園と小島さんについて知ったのは一昨年の12月、かつて当研究所で実施していた「よつ葉の地場野菜研究会」の取りまとめ役である綱島洋之さん(大阪市立大学)が主催したシンポジウムである。

 同シンポジウムは、農福(農業と福祉)連携の観点から大阪・釜ヶ崎における農業分野の仕事づくりについて考えることを目的としており、その中で小島さんはパネラーの一人として、自らの取り組みを報告された。内容については、シンポジウム全体も含めて本誌第180号(2019年12月)で簡単に紹介したが、現場を拝見した上で、さらに詳しくお話をうかがいたいと思ってきた。

 本来ならば、綱島さんの研究プロジェクトの枠組みの中でお会いする予定だったところ、折からのコロナ禍で見通しがつかなくなったため、このたび訪問し、お話をうかがう機会をいただいた。


ホームレスと農家をつなぐ

 小島さんとえと菜園の来歴については小島さんの著書(『農で輝く! ホームレスや引きこもりが人生を取り戻す奇跡の農園』河出書房新社 、2019年)に詳しく、また各種のメディアでも数多く取り上げられている。以下、ごく簡単な紹介にとどめよう。

■小島希世子さん
 小島さんは1978 年、熊本県合志市に生まれた。両親はともに教員で非農家だが、同級生のほとんどは農家という環境で育つ中、幼少期から農業への憧れを抱いていたという。小学校の時、飢餓に苦しむアフリカの子どもたちを描いたドキュメント番組を見て衝撃を受け、飢餓をなくすためには農業が重要だと思い至る。そこで、将来は農業関係の職に就こうと心に決めたそうだ。

 その後、大学入学を機に上京するが、生まれてはじめて路上で寝ているホームレスの人々に遭遇し、「日本にも飢えている人がいる」と気づかされたという。

 大学在学中から農産物流通の会社でアルバイトをはじめ、卒業後はその会社に就職。その後、有機農業系の会社への転職を経て独立し、起業に至る。最初に手掛けたのは、故郷熊本のこだわり農家と全国の消費者をネットで結ぶネットショップである。既存の市場を経由する限り、いかにこだわりをもってつくった作物でも、農家の存在は消し去られ、需給関係にもとづく評価しかされない。それでは農家も農業も浮かばれない。そこで、農家の存在が認知され、作物が正当に評価されるよう、市場とは別に、農家と消費者が相互に結びつく経路をつくろうとしたのである。

 もっとも、ネットショップの場合、消費者と農家の距離は縮まるとはいえ、それは商品としての農産物(とりわけ品質)に対する関心が中心であり、必ずしも消費者が農業そのものに関心を持ち、農業の現場に近づいたことを意味しない。小島さんはネットショップの業務に携わり、農業に対する都市消費者の認識の齟齬に出くわす中で、実際に農業体験を通じて都市消費者が農業の理解を深められるような場をつくりたいとの欲求が芽生えていったという。

 こうして2008年、希望者を募り、週末に野菜作り体験を提供する家庭菜園塾「チーム畑」を設立する。現在のコトモファームの前身だ。この際、小島さんは平日に圃場を管理する助っ人として、ホームレスの人々に依頼しようと思いつく。以前の仕事やネットショップを通じ、取引先の農家と関係を深める中で、人手不足や後継者問題、耕作放棄地や空き家をめぐる困りごとを耳にしていたことも一因だ。人手が足らない農村と働きたくても仕事のない都会の路上生活者をつなぐことができれば、お互いの利益になるのではないか――。そう考えた小島さんは、即座に行動を起こす。

 もっとも、未だ「農福連携」という言葉もない時代、関連団体に声をかけては断られ、を繰り返す中で、ようやく3人のホームレス男性がやってきた。彼らとともに師匠にあたる農家に学ぶ中で、小島さん自身も自分なりの農業のやり方を見出すことができたそうだ。

 当時はリーマンショックの影響で建設需要も急減したこともあり、最初の3人も含め、参加者はすべて仕事にあぶれた日雇い労働者だったという。働く意欲はもちろん、それまで肉体労働に従事していただけに、体力もあれば農作業に必要なスキルも備えている。路上生活が続く中で自信や自尊心を失っていた人もいたが、ともに農作業をするにつれ、徐々に元気を取り戻していった。そうした中で、農業分野の就労希望者、実際に就農につながる事例も現れるようになった。


「地域にお互い様の場を作る」

 小島さんは2009年、㈱えと菜園を設立する。それから10年、事業領域は基本的に変わっていない。①農薬を使わない農産物の生産・販売、②ネットを通じた農産物の販売、③体験農園コトモファームの運営、④農福(農業と福祉)連携プログラムを通じた就労(農)支援――である。

 このうち、①は個人農家としての小島さんの領分だ。少量多品種で年間30品目の野菜を生産し、直売したり、近所のスーパーで販売したりしているという。栽培方法は無農薬・無施肥、雑草は刈敷きにして昆虫も生かす、自然農法の一種といえる。ただし、農家に弟子入りしたり、公的な就農支援の制度を利用したわけではなく、家庭菜園塾の設立過程で農家に学んだ以外は独学だそうだ。有機JAS認証をとっていないため、表示の面では一般野菜にならざるを得ないが、生産者名を見て購入してくれる固定客が中心だという。

 ②は先に触れたとおりだが、ほかの事業領域が拡大し、手が回らなくなったため、小島さん自身は2~3年前からほとんど関与しておらず、熊本に置いた事務所がもっぱら業務を担っているそうだ。事務所を取り仕切るのは実の弟さん。とくに農業分野に関心があったわけでもないらしいが、説得して「引きずり込んだ」という。

 ③は2008年にはじめた家庭菜園塾の発展形態である。のちに詳しく触れたい。

 ④はこの間最も変化の著しい領域である。先に見たように、小島さんは体験農園を設立し運営していく過程でホームレスの人々の協力を求めたことをきっかけに農作業を通じた就労訓練、さらには農家や農業法人への就労(農)支援活動へと展開していく。とはいえ、当初はあくまでえと菜園の活動の一環として、コトモファームの利用者が来園しない平日にコトモファームの農地や農機具などを活用する形で行われるものだった。この点について、小島さんは「『制度上の就労支援という福祉サービス』というよりは、『非公式な地域コミュニティにおける農家個人・農業法人としての役割』『地域にお互い様の場を作る』といった言葉がしっくりする」と述懐している(小島希世子「農作業を活用した就労困難者の就労支援」日本生命済生会『地域福祉研究』通算No.49、2021年3月)。

 その後、利用者は生活保護受給者や引きこもりの若者などに拡大するとともに、就労に向けた農家とのマッチングの強化など、さらに活動を専門化する必要から、就農支援プログラムは2013年にNPO法人農スクールとして自立する。ただし、その際にも賛同する諸団体や市民の寄付・協力に基づいた、地域における互助活動という位置づけは変えなかった。そうした活動の中で、これまで30名以上が就労を果たしてきたそうだ。

 マッチングにあたっては、前職での経験が生きているという。

 「(農家の)現場も無数に見てきましたから、こういう規模の農園はどれぐらい出荷していて、何人ぐらい人を雇用していて、こういう仕事内容だっていうパターンが分かるので、この人(利用者)に向いているかどうか、ある程度想定できるんです。」

 もちろん、想定どおりにいく場合もあれば、想定が外れる場合もある。ただし、最近は正式に就労する前段階として、農水省の補助事業「農業インターンシップ」を利用し、複数の農家でインターンを経験できるようにしており、ミスマッチは少なくなくなったそうだ。

 「引きこもりの人たちの方が、そうした“お試し期間”に向いているんです。ホームレスの方たちは、“とにかく早く働きたい、仕事が欲しい”という傾向が強いので、選択肢に入ってこないんですね。」
 ■小島さんの著書

 インターンの受け入れは、ネットショップを通じて関係ができた熊本の農家、あるいは前職の取引先とのことだ。

 ちなみに、小島さんによれば、活動を始めた当初は「身体も動いて、メンタルもそれほどダメージがない」ホームレスの利用者が多かったが、2011年の東日本大震災を機に、そうした人々はほとんどいなくなったという。東北の被災地で復興関連の仕事が増えたためだと思われるが、そうした影響もあって、現在の利用者はほぼ引きこもりの若者が占めているそうだ。

 ただし、現場でやることに変わりはない。

 「皆さんと向き合って、一緒に作業して。楽しいですね、いろんな人と接するのは。たしかに、一般社会の基準で見ればしんどい人も多いですが、そんなしんどさも含めて人間なんじゃないでしょうか。避けるべきことではないと思います。」


広がりを重視し「公の器」に

 小島さんによれば、状況が大きく変化したのは、この2年ほどだという。

 「農スクールについては、この間のコロナ禍の深まりとともに失業した方や働きづらさを抱える方にシワ寄せが来ている状況を受けて、2年前ぐらいからいくつかの自治体と一緒にさせていただく形に変わりつつあります。本当に急展開という感じですね。」

 小規模な民間団体、しかも福祉団体ではなく農業関係の企業が独力で10年近くにわたって就労(農)支援活動に取り組み、少なからぬ成果を上げてきたことに対しては、これまで社会運動やメディアなどから注目を集めてきた。加えて、この間は自治体からの問い合わせが急増したという。

 この点に関しては、中央行政の動きが関連しているのかもしれない。たとえば、農水省は2015年度から「農山漁村振興交付金」の中で、農福連携に取り組む主体を対象とする交付金事業を開始している。農水省の事業ということもあり、当初は福祉系の活動領域まで情報が広がらなかったが、厚労省が広報したことを通じて次第に浸透していったという(濱田健司「農福連携はここまで進んだ!成功事例と課題から見る未来」『マイナビ農業』2019年10月3日)。

 それ以降、各地の自治体でも、地域の農業振興と福祉施策、雇用対策のパッケージとして農福連携の推進に乗り出したようだ。実際に事業を請け負い、実施するのは福祉系の諸団体であることが多いが、必ずしも実績やノウハウを備えているわけではない。そうした中で、えと菜園・農スクールの活動が脚光を浴びたのも当然と言えよう。

 「葛藤もあったんですよね。そもそもは地域の原資だけでやりたいという思いも強かったので、自治体と組むのは私の中では大きな決断でした。」

 農スクールの2020年度の事業報告書には、「今期は、委託や助成を受け、事業規模が広がることになった。藤沢市農業再生協議会から事業委託を受け、これまで自主事業として行ってきた都市に住む働きづらさを抱える方への就農支援プログラムを拡大し開催した」とある。事業委託の大もとは農水省の「地域の新規就農サポート支援事業」である。

 地域の原資に基づいた活動に比べ、公的資金の比重が高まれば、やはり活動の自由度は制約されざるを得ない。にもかかわらず「決断」に踏み切ったのは、「仮にこの地域ではできたとしても、それ以外に広げるのは大きなエネルギーも、それなりの原資も要りますから」との理由からだ。

 「もともと就農支援プログラムはえと菜園の事業の中で生まれたものですが、えと菜園は私が農家としてやっている農園なので、広がりがないんですね。拡大しようという気もありませんし。これまでは、私と同じように自分でやる方が増えればいい、そういう「点」が増えればいいと思ってきました。

 でも、就農支援プログラムの部分は「点」だけでは限界があって、広がりも必要じゃないかという思いもありました。自治体と連携することで「型」ができれば、もともと自治体はいろんなインフラを持っていますから、そこに農業と就労を結びつける水が流れればいいなということで、仕事の切り出しをしているところです。「公の器」になっていくためには、えと菜園の色が出ている部分は切り離さないといけないので。ある意味で、“子どもの独り立ち”という感覚ですね。」


体験農園コトモファーム

 ネットショップの拠点を熊本に移し、農スクールが巣立ちを迎えたいま、えと菜園の事業の柱は体験農園コトモファームである。業務の基本は貸農園だが、圃場だけでなく農業に必要な機器や情報・知識・技術をサービスするものだ。その内容は別掲のとおり。ホームページにあるように「手ぶらで気軽に」農を楽しむことができる。それだけに、費用は入会金を(8000円)を含め、半年契約で4万7000円、1年契約で7万4000円、2年契約12万8000円と、なかなか強気の料金設定に見える。

コトモファームのサービス
・7坪(22㎡)相当の専属圃場
・「作付計画のポイント」テキスト
・年間25種類の種・苗(自家採種ができる固 定種)
・自家製有機たい肥(原料から手作り)
・農機具レンタル(クワ、スコップ、移植ごて、 ハサミ、カマ、育苗ポット、支柱などの手道具)
・プロ農家による毎週日曜の野菜作り日曜講習 (自由参加)
・毎週発行の農家の豆知識メルマガ「コトモ通 信」
・バーベキューセットとバーベキューエリアの 利用
・「餅つき大会」「焼き芋会」などのイベント参 加権

 「そうですね。ただ、ニーズはあります。レクチャーの部分を充実させることで付加価値をつける形ですね。道具も完備していますし、毎週日曜日には講習をしています。あと、会員専用のメールマガジンを毎週発行してフォローもしています。」

 現在は230家族、500人ほどを受け入れているという。地元近辺の利用者が多いが、東京から1時間ほどの地の利もあり、遠方からの来園も珍しくないそうだ。

 3つある契約期間のうち、9割ほどを占めるのが一年契約とのこと。もちろん更新する場合も多く、長ければ7~8年継続している人もいるという。

 ちなみに、専属圃場については、農薬や化学肥料を使わない点は共通だが、有機肥料の使用・不使用、雑草処理の方法などでいくつか区分するなど、利用者のニーズに細かく応えている。

 その一方、職員は小島さんを含めて3~4人とのこと。それで対応できるのかと驚くが、杞憂に過ぎないようだ。

 「お客さん同士で情報や技術を教えあったりしていらっしゃるし、こちらとも単に「サービス提供者と客」ではなく、人間的な関係があるように思いますね。ホントにいいお客さんばかりです。」

 さらに、利用者からの要望を受ける形で、プログラムの内容も柔軟に対応しているという。

 「実は私たち、けっこう「待ち」の姿勢が強いんですね。いま上級者コース、スキルアップコースって農家になるための講座もしているんですが、これもお客さんから「こういうのをしてほしい」といわれて作ったんです。だから、皆さんが必要だと思うニーズに応えるのがポイントかもしれませんね。」

 少数精鋭でスキルアップを目指す「上級者コース」は2012年にはじまり、もうすぐ10年を迎えようとしている。新規就農や定年帰農のほか、いわゆる「半農半Ⅹ」など、受講生の進路もさまざまだ。

 小島さんの案内で、実際に現場を拝見した。幹線道路沿いにあるえと菜園の事務所からは徒歩で5分ほどだが、周辺には一挙に畑地が広がり、別世界に入ったような気分になる。藤沢市の生産緑地に指定されているそうだ。交通の便もよく、絶好のロケーションと言えるだろう。周囲の畑地がおおむね除草され、関東平野らしく褐色の黒ボク土が露出しているのと比べ、雑草と共存するコトモファームのある一角はひときわ緑色が印象的だ。

 圃場の総面積は1.5町歩ほどで、本来ならばコトモファームの耕作地が5反、小島さんの耕作地が5反、農スクールの耕作地も5反と三分割されているそうだが、現実にはコトモファームの利用者が増えたことで、小島さんの耕作地が浸食されている状況だという。
 ■緑あふれるコトモファームの圃場

 「最初は自分が作っているところに体験農園のお客さんを受け入れて、空いているところで就農支援プログラムや農スクールの活動をやっていたんです。手狭になると新しいところを借りて、しばらくするとまた借りて……という形でやってきたんですが、ここにきて借りづらくなってきました。去年も増やしたばかりなんですが……。」

 ところで、お話を聞きながら、何となく違和感を覚えた。もちろん、お話の内容ではない。なんだろう、その際には分からなかったが、帰路のバスの中で一つの事実に思い至った。そう、害獣除けの電柵がないことだ。畑地が広がる生産緑地とはいえ、やはり大都市近郊だけのことはある。中山間地では、さすがにこうはいかない。

 そう言えば、視界にはほとんど山らしい山が入らない。多少の起伏があるとはいえ、見渡す限り平地ばかりだ。近くに山がなければ、獣たちが里に下りてくることもない。単純な道理ではあるが、なんともうらやましい限りである。

 それはともかく、小島さんがこの間、集中して取り組んでいるのが、「農キャリアトレーナー」の育成だ。農業に関する技術や知識、農業経営のノウハウの習得といった上級者コースを踏まえ、さらに農作業を生かした就労支援プログラムの作り方、プログラム利用者への対応の仕方を学ぶことで、農スクールのような取り組みを自ら企画し、運営できる人材を育てる独自の認定資格である。これまでの自らの経験を体系的に整理し、共有可能な「ソフト」にすることで、多くの人々に伝え、活動の拡大を展望するものと言えるだろう。

 農スクールやコトモファームを担当する職員は、もちろん農キャリアトレーナー育成講座の受講生だ。それ以外にも現在、生活困窮者支援で知られるNPO法人「もやい」が、コトモファームの近くで農福連携の「もやい畑」という取り組みをしているそうだが、それを運営する「もやい」のスタッフにも講座の受講生がいるという。

 「いろいろと引き合いがあって、引っ張られるように仕事しているというのが実感なんです」。小島さんはそう語るが、臨機応変に対応できることも、これまで事業を継続できた大きな要因だろう。


農の可能性を拓く

 「農業って言っても、いまは作物をつくって売るだけで成り立つような状況ではなくなっていますよね。農家同士って先輩から無料で技術を教えてもらうし、後輩には無料で教えるし、困ったときには助けるし……。でも、いまの世の中、何か尋ねたらコンサルティング料が発生したり、モノが動く時にもお金が発生するし、全体がそうなってしまっています。そんな中で、私みたいに身一つではじめた人間が、どれだけできるかっていったら、つくって売るだけでは10年以上続けられなかったと思います。

■直売所も兼ねている㈱えと菜園の事務所
 逆に、いろんなことをやるから全体として成り立つんじゃやないかと思いますね。つくるだけじゃなくて、体験農園をやるからこそ、市民が参加されて、農業を意識されたり、買ってくださったり、地域の中で互助の関係もできていく。農業の問題は農家だけでやっていても無理というか、消費者と一緒になって取り組まないと。みんなの問題ですから。」

 考えてみれば、人々の大多数が自らの食べものを自らの手で生み出していた時代には、殊更に「農家」などという職業はなく、農はあくまで人間が生きていく過程の一環として存在したはずである。生きていくためには単に農作物をつくって売るだけでなく、生活にかかわる諸事万端をこなせなければならない。農に携わる者が「百姓」と称されたのは、そうした意味合いを込めてのことだと考えられる。とすれば、小島さんのやり方こそ本来の農のあり方に相応しいとも言えるのではないだろうか。

 以上を踏まえ、いささか強引かもしれないが、ここで「よつ葉の地場野菜」の取り組みに対する示唆について考えてみたい。

 大阪と京都の中山間地4地区で地域の農家から野菜を集荷し、消費者に直接届ける形ではじまった関西よつ葉連絡会の地場野菜の取り組み。40年以上が経過する中、当研究所では2017年から足掛け3年にわたって、現状を明らかにしようと研究会を開催し、2019年にまとめの報告を集約した。内容は既報のとおりである(本誌177号、2019年9月)。

 現状について留意すべき点はいくつもあるが、とりわけ重要なのは次の2点、すなわち作り手の全般的な高齢化と4地区における現れ方の違いと思われる。もちろん、40年も経過すれば高齢化するのは当然だと言えるかもしれない。だが、問題はそこではない。40年前なら親が農業を引退すれば子が後を継ぎ、やがては孫が田畑を受け継いでいく流れが存在したが、現在その流れが断ち切られつつあることこそが問題なのだ。

 件の報告によれば、現在4地区で営農を担っている中心的な年齢層は60~80歳の範囲だが、仮に10年後、この層の半分が引退したとして、60以下の年齢層すべてを合わせても、減少分を補うことはできない。歳月が進めば、そうした傾向にさらに拍車がかかるはずだ。

 一方、40年前はおおむね同じような状況にあった4地区も、地理的な条件や地域的な事情などから、現在では農家数や出荷量などの面で少なからぬ差異を呈するに至っている。

 例えば、大阪の能勢地区では、ここ十数年の間に若手新規就農者の定着が進み、出荷量で見ればすでに全体の半分以上を占めるに至っている。背景には、周囲に先んじて有機農業に取り組み、域外からの就農希望者の受け入れにも積極的だった地元農家が存在したこと、農業地帯だっただけに早くから圃場整備も進み、まとまった農地が借りやすかったといった要因が考えられる。

 他方、同じ大阪の高槻・原地区の場合、街場に近いこともあり、農村ではあるが必ずしも農業地帯というわけではなく、小規模な田畑が昔ながらの自然地形のまま、住宅の間に展開している。市バスでの通勤も可能なため、地域外への転出は少ないが、逆に新規就農者を地域住民として受け入れる余地も小さい。これまで営農を担ってきた層の高齢化とともに農家数は減少し、それに比例して出荷量も減少の一途をたどっている。

 すなわち、「作物をつくって売る」という点で見る限り、前者に比べて後者の展望が厳しいことは疑えない。

 だが、評価軸は一つではない。高槻・原地区の場合、街場に近いことは利点でもある。昔ながらの圃場の景観とも合わせて、都市生活者への訴求という点では、ほかの3地区より優位性が高い可能性がある。たとえば、体験農園を行うにあたって、分散した小規模な田畑は逆に使い勝手が良い面もあるだろう。

 同地区には、さらに地域的な資源もある。まず、関西よつ葉連絡会を構成する配送センターの一つ、北摂高槻生協の存在である。域外から都市生活者を呼び込み、地域内でさまざまな活動を行う場合、生協が緩衝の役割を果たすことが期待できる。地域内で圃場を有効利用する際にも、信用を担保することが可能だ。もちろん、人が集まることのできる物理的な場所も備えている。

 同時に、これまで同地区で生協を軸に歴史的に積み重ねられてきたネットワークが存在する。長年にわたって作物を作り続けてきた地域農家の存在は、それだけで大きな財産である。仮に高齢化で生産を拡大することは難しくとも、自らの経験を伝えることは可能だろうし、それは都市生活者が求めているものかもしれない。

 いずれにせよ、両者の潜在的なニーズは自然発生的には交わりにくいものの、生協という媒介が存在することで交わる可能性が高まるのだ。

 そう考えた場合、先に見たコトモファームの事例は、きわめて大きな示唆に富む。もちろん、同じことをすればいいという意味ではない。農には「作物をつくって売る」以外のさまざまな機能があることを踏まえ、各々の地域における農の可能性を問い直してみる、その重要性である。

                          (山口 協:当研究所代表)



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