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アソシ研リレーエッセイ
ジェンダー灯台下暗し


 小学校4年生くらいだったと思う。授業参観の日で、科目は国語だった。内容はうろ覚えだが、活発で物怖じしない女の子が登場する物語を音読したあとに、担任の先生から感想を求められた私は「女のくせに強いなーと思いました」と揶揄した。するとクラスメートや参観にきた保護者からちょっとした笑いが起こり、私は少し得意になって授業は終わった。

 「帰りの会」が始まってすぐだった。普段は茶目っ気があっていつも笑顔で接してくれる担任の先生が、目に涙をためて「みんなのあの態度はなんだ!」と怒鳴った。授業参観でクラス全体が弛緩し、おちゃらけていたことに怒っていた。つぎに先生は私のほうをキッとにらんで「あんたもや!『女のくせに』ってどういう意味や!」と私を問い詰めた。

「お母さん」と間違えて呼んでしまうほど大好きだった先生の、見たこともない形相と怒気に圧倒され、悲しさや恥ずかしさやらの感情が全身を巡って体が熱くなった。そのときに自分の言葉がひとを傷つけるものだったとわかった。しかし、担任の先生がなぜそれほどまでに怒ったのか、いままで真剣に考えてこなかった。

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 差別した側が頻繁に使う「差別をしようという意識はなかった」という言い訳と同じ感覚を、私も共有して生きてきた。しかし、この社会では男というだけで「下駄を履かされている」のだ。社会のあらゆる物事や制度が男性目線で、男性中心で形成されているなかで、自分は差別していない、するつもりがなかったというのはただ単に、下駄を履かされていることに、男性優位社会での女性の生きづらさに無自覚なだけだ。

「おれだってつらいんだ」とか「ウチはかかあ天下で女のほうが強い」というような個別の議論にすり替えて、構造的な問題から背を向けても何も変わらない。そのことに、最近になってようやく意識を向けられるようになってきた。と思う。

 政治の世界は男性中心社会の縮図で、それが当たり前のようになっている。私が所属する高槻市議会は議員34名中、女性は7名のみ。もう引退されたが、おっさんばかりの会派で唯一の女性議員はいつもお茶汲みをしていた。議場には3年前まで、女性議員用のトイレがなかった。全国的にも女性地方議員の6割が何らかの嫌がらせを受けた経験があり、その数は男性の2倍との調査結果も出ている(4月10日時事通信)。

 市役所も幹部はほとんど男性。一方で職員の4割ちかくを占める非正規職員は大半が女性だ。なぜ女性が多いのか、正規化すべきだと指摘すると、人事の男性課長は「女性は家庭との両立のために、非常勤の仕事を選んでいる」と女性が自ら非正規職を選択していると答えた。

 なぜ女性だけが家庭と仕事を両立しなければいけないのか、その観点が欠落していることに驚いた。物事を決定する場の男女比(LGBTQも含めて)で男が多いから、こんなおかしな認識が正当化されてしまっている。

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 だがしかし、灯台下暗し。私たちの身の回りはどうだろうか。ちなみに昨年のアソ研の総会の風景は、見事なまでに出席者がおっさんだらけだった。私も含めて。こういった我々の身近な現場にも厳然と存在する性的役割分担の状況について、問題意識がないことを問題にすべきだと思う。

                       (高木隆太:高槻市議会議員)




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