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コラム 南から北から
自然と触れあう日々に変わりなし


 桜の花もあっという間に散り、新緑の美しい季節となりました。早場米の産地である種子島の季節の巡りは早く、3月末に田植えが終わりました。昨年は、山から流れてくる水に苦しみ、稲刈りがとても大変だったため、今年は、山際をぐるっと鍬で溝を切りました。少しでも効果が出るといいのですが……。

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 そんな田んぼの作業をしていたある日、隣の休耕田に一人の女性がやってきました。その女性は50代で、3年前に鹿児島から移住し、冬季は製糖工場で働き、それ以外の季節は、島の植物を活かした物づくりをしながら、気の向くまま島暮らしを満喫しているそうです。今年は、黒米を作ってみたいということで、親戚の休耕田を復活させようと見に来たところでした。

 しかし、その休耕田は竹山になっていて復活させるには相当な労力がいるので、私たちの田んぼの一部を貸すことになりました。これから田んぼを維持するのも難しくなってくるなと思っていた矢先、明るい出会いとなりました。

 その方は、「シャニン」という植物を編んで、コースターやマットを手作りしたり、竹かごや蜜蝋、椿の実を拾って椿油を作ったりもしています。「種子島は宝の山だ」と、地元に住んでいる私たちより島の魅力に気づき楽しんでいる姿にハッとさせられました。

 しかし、老後は鹿児島に帰るようです。一人暮らしするには年をとると買い物・病院など不便な事が多く、高齢になると子どもがいる島外へ行く方も増えています。

 その上、隣接する馬毛島の基地問題があります。形だけの説明会、決行ありきの説明会。移住してきた人、残ろうとする若い人、Uターンを考える人にとっては大きな壁となるでしょう。しかし、今の高校生は私たちの頃より物事をしっかり考えており、説明会にも積極的に参加するなど、馬毛島問題にも高い関心があるようです。結果はどうなるか分かりませんが、自分たちの故郷のことを自分たちが考えていくことが大切だと思います。まだまだ希望はあると、明るい未来を期待しています。

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 種子島に戻って3年と少し経ちました。まだまだ島の農業をこれからという時だったのですが、この度結婚することになりました。相手は、以前からの知り合いで、高知県で山地放牧をしながら土佐あかうしの繁殖をしている方です。

 「自分を育ててくれた畑を守る」――その気持ち半ばで島を出ることに迷いはありましたが、何事も意欲的で一生懸命取り組む方なので、一緒に牛を飼いながら少しずつ畑もしていき、一緒に自分たちの守りたいものを築き上げていけると思い、決断しました。

■毎日、軽トラいっぱいに草を積んで牛舎に帰ります
 これからは高知から連載を続けさせてもらうことになりました。現在は牛の餌となる牧草を作り、放牧地の木を切り、芝を植えています。場所は変わりますが、毎日土と触れ合い、牛と触れ合う日々に変わりはありません。新しい生活の様子や集落の様子を少しずつお伝えしていけたらいいなと思います。

 前号の本欄を読み、種子島の砂糖が疋田さんの元にまで行っていることが嬉しかったです。これからも新たな繋がりができることを楽しみにしています。   

                 (古市木の実:鹿児島県種子島→高知県室戸市)


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