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震災・原発事故10年の福島訪問②

福島復興の現実と終わらない原子力災害
いわき市議・佐藤和良さんに聞く


 震災・原発事故10年を迎えた現在の状況について、いわき市会議員の佐藤和良さんにお話を伺った。佐藤さんは1988年以来活動を続けてきた脱原発福島ネットワークの世話人でもあり、また福島原発刑事訴訟支援団の団長としても活躍されている。現在、議会副議長を務めておられ、お忙しいなか、時間を割いていただいた。


福島原発と中核市いわき

 佐藤さんにまず最初に話していただいたのは、いわき市の概要と福島原発の立地自治体との強い結びつきについてだ。以下にかいつまんで紹介するが、東京電力福島原発事故におけるいわき市の複雑な位置関係を察することができると思う。

 いわき市は福島県で最大の人口と面積をもち、浜通りの中核市として発展してきた。戦前、戦後にかけては常磐炭鉱を抱えた首都圏へのエネルギー供給基地として栄え、戦後、1962年の全国総合開発計画(全総)では、磐城・郡山が新産業都市として指定され、重化学工業地帯として重点開発された。特に臨海部の小名浜には工業団地が整備され、小名浜港は重要港湾として発展した。

 火力発電所、原子力発電所が多く建設された双葉郡といわき市は境を接し、両者の結びつきは戦国時代にさかのぼる。当時は大熊町の境あたりまでがいわき領だったこともあって、地勢的にも歴史的にも深い交流があった。原発建設にあたっては労働力や技術者、様々な建設資源の供給地として原発建設と稼働を支えた。また一方では、隣接自治体として電源三法交付金の恩恵にもあずかった。

 3・11以降、いわき市には最大24000人の避難者が訪れた。現在も、15000人から17000人が県営の復興住宅や、あるいは自宅を新しく建築するなどして暮らしている。大熊町の役場は移転先から特定復興再生拠点として整備された地域に戻ったけれども、双葉町の役場は今もいわき市にある。現在、福島原発で働く作業員4000人のうちおよそ半分がいわき市民だ。

 つまり、現在に至るも帰宅困難区域を抱える双葉郡とは事情は異なるけれども、いわき市は福島原発の建設と稼働、そして水素爆発から放射能汚染、避難者の受け入れに至るまで複雑にかかわり、原発政策の恩恵も、また被害も深くその社会に刻んでいるのだと言えるだろう。

 福島第一原発事故は言うまでもなく、第一原発の増設や第二原発の建設に対する反対運動、プルサーマル計画反対運動など、立地自治体ではないが隣接する都市として、問題を福島県全域の課題とするうえで、あるいは全国的な課題とするうえで、いわき市の市民運動が果たした役割は大きい。また、多くの避難者を受け入れることによって、避難者の声を受け止め、発信する場にもなっている。いわば現地(立地自治体)と消費地(首都圏)との間にあって、しかも限りなく現地に近い都市として。


命を守るために、測定し検診する

 3・11直後のひどい混乱については「古滝屋」の里見さんのお話でも知ることができたが、あれから10年が過ぎ、原発事故の影響はいわき市では少なくなったのではないかと佐藤さんに尋ねてみた。しかし、佐藤さんは、そんなことはないと言下に否定するのだった。

 いわき市には民間のNPOいわき放射能市民測定室「たらちね」があり、現在も放射能測定、甲状腺検診、子どもクリニックなどを運営し、住民からは強い支持を得ている。放射能測定は、食品、土壌、海水について行っているが、特に食品に関して、住民たちは気軽にたらちねを利用し、その安全性を判断している。実際に、山菜やきのこ、猪・鹿などのジビエからは放射能が検出されている。土壌や海水の放射能測定は直接住民たちの健康に関わることはもちろんだけれども、自治体や国の政策を考える上で欠かせない基礎資料になるだろうと考えられる。

 また、福島県が行っている甲状腺検診については、小中、高校生についての二年に一度の学校検診をやめさせようという動きがある。福島県における小児甲状腺がんは3月19日現在275人が確認されているが、御用学者たちは、過剰検査によるスクリーニング効果であるとして、放射能被ばくの影響を否定している。口では被災者に寄り添うとか良いことを言っているが、やろうとしていることは子どもたちの健康を切り捨てることだ。たらちねでは震災当時18歳以下の子どもたちに、無料で甲状腺の検診を行っている。たとえば10歳の時に被ばくした子どもは、当時お母さんに連れられて検査に来たが、今は20歳になって一人で訪れたり、今度は妹を連れてやって来るということがある。甲状腺の検査については長い経過観察が必要なのだ。

 また、この10年というのは、除染がようやく一通り終わった年月でもある。仮置き場の除染廃棄物はほぼ中間貯蔵施設へ移送された。一見、放射能汚染は一掃されたかのように見えるが、場所によっては汚染残土が放置されていたり、山際や公園などにまだまだホットスポットがある。

 それでも生活上の環境が整えられてきたのは事実だ。これには行政による除染事業以外に、住民たちの粘り強い取組みがある。通称ママベク(TEAMママベク子供の環境守り隊)といって、小中学校・幼稚園・保育園の校(園)庭や町の公園などの放射能測定を行い、モニタリングポストだけでは管理しきれない子どもたちの生活環境を守る活動をしている。国や県がやらない土壌汚染についても、たらちねに協力してもらって測定している。いわき市内を二巡し、現在は三巡目に入っている。ホットスポットなど放射線の高い場所を発見した時には、市の除染対策課や教育委員会などと協力して対策をしているという。

■佐藤和良さん(ご本人のブログ『風のたより』から)
 佐藤さんの話を聞いて、改めて知らされたのは放射能やその被ばくを考える上での難しさだ。放射能は被災地に均一に降るわけではない。それは山林に滞留し、山菜を汚染し、それを食する猪などを汚染する。一部を除いて、山林の除染は手つかずのままなのだ。放射能はまた土壌を通じて植物や作物を汚染するが、その度合いは一様ではない。セシウムは土壌と強く結びつき、米や野菜にはほとんど移行しないと言われている。逆に大豆など汚染が移行しやすい作物もある。海洋の汚染は生物濃縮され、いまも基準値超えの魚種が報告されることもある。また、一時首都圏の河川について報道があったように、放射能は森林から川を流れ、河口や淀みに滞留する。雨どいの排水口などにも高い汚染が確認されることが多い。放射能は動き留まり、ある場合にはホットスポットを形成する。セシウム137の半減期は30年。除染が終わったからといって、それで白紙に戻るわけではないのだ。

 また甲状腺がんが年月を経て発症するように、放射能被ばくの影響はある程度の時間を経て現れる。甲状腺がんが御用学者や医者によって放射能の影響だとは考えられないと断じられているように、さらに長期の影響や、一般的な心臓疾患や癌などの原因は特定されず、うやむやになってしまう恐れが強い。放射能被害は時間経過とともにあるのだということを知っておく必要がある。

 行政がモニタリングポストを減らしたり、甲状腺検診をなくそうとする動きの中で、放射能測定や甲状腺検診、子どもクリニックを続けるたらちねや、子どもの生活環境を守るママベクの取組みは貴重なものだし、今後も持続していくために応援をしていかなければならないと、佐藤さんは言う。


代替国策による復興の問題点

 福島第一原発の事故によって国の原発政策はダメになった。それに代わるものとして福島イノベーションコースト構想が復興予算をつぎ込んで推進されている。日本版ハンフォードモデルによる復興創生が掲げられているのだと、佐藤さんは言う。

 米国ワシントン州南東部に位置するハンフォードは、長崎に投下されたプルトニウム型の原子爆弾や冷戦中に備蓄した核兵器に使われたプルトニウムが作られた場所だ。おびただしい量の放射性廃棄物が埋め立てられ、アメリカで最も汚染された土地だと言われている。1988年以来、放射能除染、環境浄化の取組みが行われ、政府から地元自治体に返還された地域では、サイトの浄化に関連する企業や研究機関が集積し、バイオ燃料に関する研究や水産物の養殖技術の開発などが行われている。巨額の国費をつぎ込んだ政策によって周辺地域は経済発展し、米国有数の「繁栄都市」となった。この国策依存の復興を福島のモデルにしようとしているのだ。

 福島イノベーションコースト構想では、原発の廃炉に向けた技術開発や、ロボット・ドローン産業、エネルギー・環境・リサイクル、農林水産業など6つの主要なプロジェクトが推進されている。エネルギーに関しては風力発電や水素ステーションなどが掲げられ、脱原発・脱二酸化炭素の一見地球にやさしいプロジェクトのように見えるが、原発が国策として推進されたのと同じく、その代替の国策であり、住民生活を豊かにするという発想から始まったものではない。国から押し付けられたものに県が乗っかっただけのもので、弊害も現れ始めている。

 典型的な例として佐藤さんがあげたのは、阿武隈山系の尾根伝いに150基もの風力発電を建設するという計画だ。この途方もない計画のために山が切り開かれ、道路が拡張されようとしている。台風や豪雨など災害が激甚化している中で、森林の伐採や開発に伴って土砂崩れや水害などを誘発することを懸念して、反対運動が起こっている。また、生態系の破壊をもたらすものとして、野鳥の会などが意見書を出している。やみくもに推進するのではなく、適地・不適地を評価するゾーニングが必要だ。現在、市や県に対して働きかけをしていて、一部で見直しや縮小の動きがあるが、全体としてはなかなか動かないのが実情だ。

 また、太陽光発電のメガソーラーが雨後の筍のように広がっているのも問題だ。田畑だった広大な平地に設置されてきたが、今は山肌を切り開いて設置されているものがいわき市でも問題になっている。景観上の問題もあるし、環境破壊、災害などの懸念もある。またFIT(固定価格買取制度)終了後は、ソーラーパネルの廃棄物処理が問題になるだろう。規制・条例化が必要だという声が上がっている。


東電刑事裁判支援団長として

 一昨年、2019年9月に東電刑事裁判(福島第一原発事故刑事裁判)で、東京地裁は全員無罪という判決を下した。全国の14716人が集団告訴をし、検察庁による不起訴処分に対して市民からなる検察審議会が強制起訴を決定。業務上過失致死罪で禁固5年を求刑された東電旧経営陣3名に対して無罪判決を下したものだ。

 判決では、原発安全審査において原発事故の可能性を限りなくゼロに近づけるような対策は求められていなかったと判断。だが、国や電力会社は絶対に事故は起こらないとする「安全神話」を公言していたし、また1992年の伊方原発訴訟の最高裁判決でも、原発の過酷事故は万が一にも起こらないように安全確保されるべきだという判決を出している。安全性が求められるという判断を覆すものだ。
■裁判の経過を解説した『東電刑事裁判不当判決』冊子
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 地震調査研究推進本部(推本)が発表した長期評価により、東電は事故前に15.7mの津波を予見していた。東電内部で津波対策の議論が進んでいたにもかかわらず、被告の三人、武黒一郎元フェロー、勝俣恒久元会長、武藤栄元副社長は、対策コストの負担や原発停止を避けるためにこれを握り潰し、津波対策を見合わせた。裁判において、予見可能性と結果回避可能性がともに立証されたのだと、佐藤さんは強調する。立証されたものを無視する、政府の意図に基づいた判決だと言える。昨年、2020年の9月に指定弁護士によって、「原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認があるから、原判決は破棄されるべきである」という控訴趣意書が提出された。今後、反論の答弁書が被告弁護側から出され、この夏にも公判期日が入るだろう。

 長い闘いになるかもしれませんねと言うと、佐藤さんは、それともすぐに終わってしまうかもしれませんと答え、刑事裁判の場合はなかなか難しいのですと言葉を続けた。刑事訴訟に初期から関わり、訴訟支援団の団長として裁判を支える佐藤さんの思いがうかがわれた。


終わらない原発災害

 福島原発をめぐって、議会で今問題になっていることはなんですかとたずねた。

 佐藤さんはこの2月13日に福島県沖で起こったマグニチュード7.3の地震に言及した。地震によって、原子炉格納容器の水漏れが大きくなり、水位が1m下がった。また水素爆発の危険性を下げるために注入している窒素の圧力が低下した。おそらく原発事故による損傷部分が地震によって拡大したのだろう。それまで1日に2トンの水を注入していたのが3トンになり、今日(4月1日)さらに1トンが追加された。また3号機の地震計が壊れていたことも発覚した。この3月15日に終わった2月議会において、安全対策と情報公開の徹底を東電に求める決議を採択し、東電に提出した。

 今も10年前の地震の余震が続いている。原子炉格納容器の真上にあるシールドプラグが高濃度に汚染されているという報道もあった。壊れた原子炉とそのありかも分からない核燃料。一見平和な日常だけれども、不安や危険と隣り合わせなのだと、佐藤さんは言う。廃炉に向けた30~40年の中長期ロードマップが発表されているが、今、東電が取り組んでいるのは廃炉作業ではなく事故収束作業なのだ。その事故収束作業も行き詰っているのが現実だ。原子力緊急事態宣言は解除の見通しも立っていない。偽りの原子力政策と、偽りの廃炉だと言わざるをえない。

 東電は、原発から回収した燃料デブリを保管する施設のための場所を確保しなければならないので、汚染処理水のタンクはこれ以上の設置スペースがないと言っている。だから海洋放出だと。しかし、燃料デブリなど取り出せるわけがないのだ。あまりにも高線量でロボットもすぐにダメになる。燃料デブリには近づけないし、どこにどのような状態なのかも今もって分かってはいないのが実情だ。

 政府は汚染処理水の海洋放出を決定しようとしている(4月13日、菅義偉首相が決定)。しかし、2015年に政府と東電は全漁連(全国漁業協同組合連合会)との間で「関係者の理解なしにはいかなる処分も行わない」と約束している。いわき市を含む県内59自治体議会の7割が海洋放出に反対し、国に意見書を提出している。全漁連、県漁連はもちろん反対、県農業協同組合連合会、県森林組合連合会、県生活協同組合連合会も反対し、声明を出している。

 佐藤さんは、汚染処理水の海洋放出に反対する市民のネットワーク「これ以上海を汚すな!市民会議」の共同代表として、内堀雅雄福島県知事、福島県議会に要請書を提出。県議会がタンク貯蔵汚染水の海洋放出に反対の意志を表明し、また、トリチウム分離技術の実用化、大型タンクでの長期保管案、半地下でのモルタル固化保管案等を検討するように求めている。また、脱原発福島ネットワークなど県内10市民団体による東電交渉が継続的に行われている。

 震災・原発事故から10年。復興ということが声高に語られているが、原発事故は決して終わってはいない。今現在もまだまだ進行中であり、取り組みを強化しなければならないのだと、佐藤さんは締めくくった。私は、報道などを通じて知っていたつもりだったが、改めて現実のこととして、10年前の東日本大震災・福島第一原発事故からひとつながりの現在であり、将来にわたって持続する大災害であることを思い知らされた。

                                      (下前幸一:当研究所事務局)




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