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香港情勢から考える

地域を呑み込む国家の論理

国安法の施行から半年、香港はいま?


 2019年、逃亡犯条例の改定をめぐる反対運動から史上空前規模の民主化運動へと急展開を遂げた香港。しかし、翌20年に入ると事態は正反対の方向で急展開を遂げる。「香港国家安全維持法(国安法)」の制定を契機に、中央政府が直接的な介入に乗り出したのだ。50年は変わらないとされた「一国二制度」が危機に瀕する現在、香港はどうなっているのか、どこへ行こうとしているのか――。


 この間、本誌では第171号(2019年3月)、第182号(2020年2月)と2回にわたって香港情勢を取り上げてきた。1997年、およそ100年に及ぶ英国の植民地統治から中国に「返還」された香港。本来なら「元の鞘に戻った」にもかかわらず、香港と中国との関係は当初から危ういバランスの上にあり、両者のミゾは年を追うごとに深まっていった。

 言い換えれば、それは植民地という条件下ではあれ自ら形づくってきた地域のあり方を維持しようとする香港と、それを国家(共産党=国家システム)によってねじ伏せ、呑み込もうとする中国とのせめぎ合いだったと言える。

 その中でも、昨年6月の「香港国家安全維持法(国安法)」の制定は、これまで実質的にはともかく形式上は「一国二制度」の枠組みを前提に振る舞ってきた中国が、自ら一線を越える契機になったと捉えることができるだろう。


国安法制定に関わる問題

 国安法の問題点は多岐にわたるが、ここでは簡単に要点を押さえておこう。

 まず注目すべきは、制定にいたる経緯だ。同法は昨年5月、新型コロナ感染症の影響で遅れて開催された中国の全国人民代表大会(全人代)で提案され、およそ1ヶ月後、極めて性急に制定された。

 「一国二制度」の香港では本来、安全保障や外交などを除く「内政」に関する法律は香港立法会で決めることになっている。実際、香港の憲法に相当する基本法第23条では、香港特別行政区自らが香港の法制度の下で、今日の国安法とほぼ同じ内容を持つ「国家安全条例」を定めるとされていた。

 香港政府は2003年に条例を立法会に提案し制定を進めようとしたが、同年7月1日の50万人デモなど反対運動が拡大し、9月には廃案となった経緯がある。その後も香港政府は中央政府の圧力を受け、条例制定を模索するも、提案の機会すら掴めなかったのが実情らしい。まして、民心を失った林鄭月娥(キャリー・ラム)行政長官の下では、なおさらだ。

 ここに到って、中国当局は自らの手で「国家安全条例」に相当する国安法を制定するとともに、香港当局に対して法律の執行を監督・指導し、場合によっては自ら執行するための機関「国家安全維持公署」を設置した。名実ともに「一国二制度」の内実が掘り崩されたと言っていいだろう。(ただし、中国当局は台湾との関係を睨んで公式には「一国二制度」の枠組みを否定していない。国安法の制定も香港基本法の解釈によって合理化している。)

 制定過程で注目すべき2点目は、6月30日に施行されるまで条文が明らかにされなかったことだ。事前に条文が判明し、香港市民の反発を招くことへの配慮と思われるが、香港市民にとっては二重の意味で頭越しの決定に他ならない。翌7月1日は香港の中国返還記念日であり、予想される抗議活動に先んじて是が非でも施行する必要があったのだろう。


国安法の内容をめぐる懸念

 6章66条からなる国安法の内容をめぐっては、少なくとも以下の諸点が懸念されている(石井大智「抗議活動再燃で370人逮捕、香港国家安全法制の全貌」『日経ビジネス』2020年7月3日、参照)。

①超法規的な権力行使の恐れ
 先述のように、国安法に基づく中央政府の出先機関として「国家安全維持公署」が設置されるが、その業務は香港の法律の制約を受けないとされる。一方、同公署の監督・指導を受けるものとして、香港側にも「国家安全維持委員会」が新設されるが、同委員会の業務は非公開とされ、その決定は香港の裁判所による司法審査も受けないと定められている。

②三権分立の否定
 国安法違反の容疑で起訴され裁判になった場合、裁判所が担当の裁判長を決めるだけでなく、行政長官が指定裁判官を選出できるとされている。また、指定裁判官に選出された裁判官も、行政長官が国家の安全維持に相応しくないと判断した場合には、指定裁判官の資格が取り消されるとされてもいる。さらに、国家安全に関する問題で国家機密の要件が争点になった場合、それを決定するのは行政長官であり、決定は裁判で拘束力を持つと定められている。司法に対する行政の優越を公然と認めるものだ。

③警察権力の権限強化
 国安法に基づき香港警察にも「国家安全維持部門」が新設されるが、同部門はネット上などの情報について司法の決定にかかわらず削除を求めることができ、令状なしに資料の提出を要求することも可能だとされる。さらに、これまで通信傍受や監視を規制してきた法規に縛られることなく、行政長官の承認の下で通信傍受や監視を行えるようになるという。

④メディアや情報への統制強化
 「国家の安全維持」を理由に、国家安全維持公署や香港政府による、外国組織・国際組織の駐香港機関、海外非政府組織の香港支部、外国メディアの香港支局に対する管理強化の可能性が規定されている。関連して、香港永住権の非保有者が国安法に違反した場合、刑事責任が認められなくても強制退去が可能だとされている。

⑤適用範囲や対象の曖昧さ
 国安法は「国家の分裂」「政府の転覆」「テロ活動」「外国勢力との結託」によって、国家の安全に危害が及ぶ犯罪を処罰するものとされる。しかし、具体的に何が犯罪となるのか判然としない。

 一例として、香港警察は今年1月6日、民主派の政治家や学者など53人を国安法違反容疑で一斉逮捕した。容疑の対象とされたのは、昨年予定の立法会議員選挙に向け、立候補者を絞り込むために実施した予備選だ。議席の過半数を獲得して政府予算案の否決を目指すとの目標を掲げたことが、国家や政権の転覆を図る行為に当たるとされた。

 だが、予備選の実施自体を違法行為とするのは難しい。当局側から見て問題なのは、政府予算案の否決を目指す「目標」であり、それが「政府の転覆」に当たるというわけだ。だとすれば、現在の政府を否定する思想信条そのものが犯罪となってしまうし、そもそも近代的な政党政治自体が成り立たない。

 一方で、国安法の対象は香港の永住権保有者、香港領域内で生じた行為に限定されず、世界のどこでも誰でも適用されると定められている。だから、法律上の論理に従えば、香港の民主化運動に共感を抱いた日本人が日本で支援活動に参加した場合でも、中国・香港当局から国家の安全維持の観点から問題だと見なされ、香港入境時に国安法違反容疑で逮捕されることもあり得るのだ。


国家の論理にどう対抗するか

 昨年を通して見ると、年明けからしばらくは、一昨年11月の区議会議員選挙における民主派の圧勝を受け、民主派としては香港政府の出方をうかがっていた模様である。しかし、ほどなく香港にも新型コロナウイルス感染症の流行が波及し、社会活動全般が閉塞を余儀なくされる。香港政府が感染拡大防止を理由に、状況に応じて一定人数以上の集まりを禁止したため、街頭デモなどは難しくなった。それでも、当初は9月に予定されていた立法会議員選挙に照準を合わせ、活動は継続されていた。その山場が、先に触れた7月の民主派による予備選挙である。国安法が施行されたとはいえ、民主派の勢いが削がれたわけではないことは注意しておくべきだろう。

 おそらく香港政府・中央政府はこうした状況を憂慮したのだろう、畳み掛けるように圧力を強めていった。民主派の予備選挙が行われた後、香港政府は立法会議員選挙の1年延長を決定する。コロナ対策が理由だが、額面どおりに受け取るのは難しい。続いて8月には、日本などでも著名な民主活動家の周庭(アグネス・チョウ)氏、中国共産党に批判的な論調で知られる香港紙『蘋果日報(アップル・デイリー)』創業者の黎智英(ジミー・ライ)氏らが国安法違反の容疑で逮捕された。

 ちなみに、周庭氏には12月に禁固10月の実刑判決が下されるが、これは以前に起訴されていた別容疑によるものであり、国安法違反での判決ではない。一方、黎智英氏は国安法違反で起訴され、度重なる保釈請求も棄却されている。国安法関連の容疑については、これまで原則として認められてきた保釈が原則として認められないからだ。

 11月には、中国全人代常務委員会が、香港独立を支持したり中国政府の香港への権限行使を拒んだりする香港立法会議員の資格を剥奪する方針を決定。香港政府は即日、この決定に従って民主派議員4人の資格剥奪を発表する。反発した民主派議員は抗議のために15人全員が辞職を表明した。 今年1月6日の53人一斉逮捕は、こうした流れの集大成と言えるかもしれない(さらに中央政府は最近、香港の選挙制度を見直す考えも示している)。

 状況の急変は、香港市民に選択を迫っている。その一つが海外脱出だ。報道によると、2020年に台湾に移住した香港市民は前年比2倍近くの1万人超となり、過去最高を記録した。しかも、急増したのは国安法の施行後だという。また、英国政府は今年1月末、香港からの移住者を受け入れる特別ビザの受付を開始したが、その後半月で申請者は約5000人を数えたという。

 とはいえ、当局の抑圧に対抗し、民主化を目指す動きがすべて封じられたわけではない。1月6日に逮捕された53人のうち、起訴された47人に対する3月1日の初公判では、逆風をものともせず数多くの支援者が詰めかけ、即時釈放を訴えた。日本で報道されないものの、街頭での情宣活動などは日常的に行われているという。

 地域の自律を認めない中国という国家の論理に対して、香港という地域がどのように対抗していくのか、引き続き注目していく必要がある。

                                        (山口 協:当研究所代表


香港現地の声
さらに国際社会の
関心を

 この間の状況変化について、香港の人々はどう受けとめているのか。現地在住の小出雅生さん(香港中文大学講師)にうかがった。


“ここまでやるとは……”


 ――昨年お話をうかがった際には、区議会議員選挙で民主派候補圧勝という出来事を踏まえ、「この後香港政府がどういう対応をとるのか、運動側は様子見の状態ではないか」と言われていました。しかし、そこから半年で国安法が施行されてしまいました。こうした事態の推移をどう捉えていますか。

 
【小出】“やるからには徹底してやった”という感じでしょうか。ただ、実は林鄭月娥行政長官は(昨年)6月30日の段階で、国安法の条文を知らなかったそうです。翌日の新聞には、行政長官が30日の深夜に法令を交付するために署名をしている写真が載っていましたが、その意味では(中央政府に対する)無条件降伏の調印書に署名しているようなものですね。香港の最高責任者であるはずの行政長官は事前に知らされず、中央政府が決めたことを後から「これは香港の自主的な判断です」と言っているに過ぎません。香港政府は以前から「中央政府の下請け機関」と批判されることが少なくありませんでしたが、この1年でますますそうなってしまいました。

 こうした事態の推移を予想していたかと言われると、たしかに“ここまでするか”という気はします。というのは、いかに中央政府といえども、国際社会との約束でもある一国二制度を本気で潰すとは思っていなかったんですね。それに関して言えば、最近、日本政府の外交文書が公開されて、天安門事件の後に日本政府がいち早く中国政府に肩入れしたことが明らかになりましたが、中国政府にとってはそれが一つの成功体験に映ったのかもしれないという気はします。つまり、一時的に非難されたとしても、中国の市場がある以上、最終的には下手に出てくるに違いないと固く信じているんじゃないでしょうか。

 ――事態の変化が非常に急速で、対応が困難だったとは思いますが、小出さんの周囲の皆さんは、どのように対応しようとされていたのでしょうか。

 
【小出】実際、対応のしようもない部分がたくさんあります。今まで香港でやってきたことは、一つはデモなどで社会にアピールする方法です。それは、新型コロナ感染症もあって、ほぼできなくなりました。もう一つは、議会の中での順法闘争、法律の枠内で政府に意見を伝えていくことですが、立法会の中にいわゆる民主派議員がいなくなってしまい、ある意味で翼賛体制が完結してしまったわけです。

●3月1、裁判所前での支援活動(小出さん提供)
 こうなると、香港の内部だけでは限界がある。私は香港返還以後の動きについて、例え話として「150年ほど行方不明だったお父ちゃん(中国)が帰ってきて、家の中で継子(香港)いじめをしている」と言ったりします。中国当局は「内政問題だから外部の意見は聞かない」と言いますが、ドメスティック・バイオレンス(DV)には外部からの介入が必要です。そういう意味では、国際社会にさらに関心を持ってほしいと思いますね。

 幸いなことに、香港では今のところ事実関係そのものの報道は可能です。「あったこと」を「なかった」と言うようになると、どうしようもありませんが、「あったこと」自体はまだ世界に報道できます。

 ただし、その解釈や評価に関しては、香港の中からは非常に声は上げにくい状態です。どんな理由で逮捕されるのか分からないし、逮捕されても以前はすぐに保釈され、保釈されて一定期間経つと何も言ってこない場合も少なくありませんでしたが、最近は、微罪で放置されていたのに2~3年ぐらい経ってから急に連行される事態も出てきました。そういう意味でも、香港の外から声を上げていただくことは助けになります。


支配のための「法治」

 ――国安法の問題点は多岐にわたるようですが、一番の問題は、そういう恣意的で曖昧なところが非常に多いことでしょうね。

 
【小出】そうですね。ただ、曖昧というか、中国大陸と香港とではそもそも法律に対する考え方が違うので、その違いが極めて鮮明に現れたような気がします。近代法の考え方からすれば、法律は権力を縛るものであり、それは三権分立として保障されています(注1)。ところが、中国政府は「法律は統治の道具であり、その法律を決めるのは政府だ」という立場です。だから、国安法の裏に、政府を制約する機構は極力なくすべきだし、法律は上から統治しやすいように構成されるべきだという中国政府の意図があるのは明らかでしょう。

 実は、こうした法律をめぐる考え方の違いについては、中国と英国による香港返還交渉の中で、当時のサッチャー英首相も当惑していたそうです。

 ――香港の場合、これまで裁判所は行政から独立した組織だったわけですが、国安法が施行されたことで、行政的な裁量が司法に持ち込まれているような事例が散見されるように思います。

 
【小出】そうですね。たとえば、今はコロナでマスクをしないと罰金になりますが、2019年の段階では、香港政府は緊急条例という植民地時代の条項を使って、デモに参加する際にマスクをしてはならない(覆面禁止措置)としました。それに関して運動側は基本法(注2)に反していると提訴し、地裁、高裁では勝ちましたが、終審法院(最高裁に相当)では一転して政府に軍配が上がりました。

 ただ、これについては、香港司法側の戦略と見ることもできます。つまり、仮に終審法院で政府側を違法と判断した場合、さらに国安法に基づく判断を迫られ、それが前例になってしまうこともあり得ます。こうなると、香港司法の側に判断の余地はなくなります。そうならないように、あくまで香港司法の判断だという体裁をとって、国安法に基づく介入を避けようとしたとも考えられるわけです。もちろん消極的な意味でですが。


引くことを知らない習近平体制

 ――なるほど。つまり、国安法の施行や運用に絡んで、中国政府が「自分たちに盾つく動きは絶対に許さない」と考えていることは、香港社会全体が了解しているわけですね。

 
【小出】もちろん了解はしていますが、決して容認しているわけではありません。中国側は無謬説、つまり政府や共産党が間違うことなどあり得ないという立場です。だから、無謬の党や政府が決めたことに対して異議などあってはならないわけです。それなのに、現実に中国の香港政策に対して異議が現れているとすれば、そこには何らかの理由が必要になってきます。代表的なのは、外国勢力が裏から支援している、といったものです。

 中国共産党でも、たぶん鄧小平とか趙紫陽とか胡耀邦ぐらいまでは、相手のある交渉ごとの中で押したり引いたりした経験もあって、場合によっては相手を立てて物事を進めるといった心得があったと思います。ところが、現在の共産党指導部にとって、自分が引くなんてことは考えもつかないようです。彼らは党内抗争のことしか知らないし、おそらく若い頃に文化大革命で農村に送られたり、親が吊し上げられたりといった経験もしているはずなので、少しでも弱みを見せたら自分の命が危うい、やるなら徹底的に、やりすぎるぐらいでないと自分の身も守れない、そんな発想のように思えます。

 ――国安法は唐突に提案され、急に可決されました。それだけに香港政府内部や親中派の中でも結構な葛藤があったのではないかと推察しますが、その点はどうですか。

 
【小出】あったとは思いますが、親中派政党で言えば、最大勢力の民建連(注3)の場合、メディアのインタビューなどについてはすべて党の許可を取らないとダメなので、一般的な報道を通じて表に出ることはないですね。

 ただ、例えば立法会の元議長だった人などが時々、興味深いことをフッと言ったりします。たとえば去年、香港が内戦状態になる前後に「行政長官は恩赦を出そうと思ったら出せるんだよね」みたいなことを言ったことがあります。おそらく、“何でもかんでも押せばいいわけではなく、引くところは引かないとダメだ”と言いたかったのかもしれません。その後も、何回か似たようなことを言っています。もし、彼に行政長官をやらせるような機会があれば、たぶんそうなった可能性はあります。でも、そうならなかったということは、おそらく中央政府の人たちはあまり関心がなかったんでしょう。


中央政府への異論など「あり得ない」

 ――昨年の段階で、民主派の基本的な戦略としては、立法会議員選挙で可能な限り存在感を示すことに勝負をかけていたように思いますが、それは非常に難しくなってしまいました。逆に言うと、そうした戦略を封じるための国安法だったと感じられますが、その点はどうでしょうか。
●「すべての政治犯を釈放せよ」(小出さん提供)

 
【小出】それはそうでしょうね。民主派が議席の86%まで取ってしまったのは、すごく衝撃だったとは思います。香港の親中派も中国当局も、そこまではいかないと踏んでいた形跡は、いろんなところから窺えます。

 実際、区議会選挙の投票日にある親中派候補のポスター(香港では投票日もポスターを掲示できる)を見たんですが、“デモ隊が暴れるから催涙ガスが撒かれ、人々が迷惑する。これが政策を実現させる正しい方法だと思えない”といった文言が書かれていたんです。私からすると、この人たちは本当に社会の雰囲気を読めていないなと思いましたが、逆に言えば、親中派の内部では“一般庶民も抗議デモや民主派には迷惑しているに違いない”と信じていたことを意味しています。

 ところが、そうなるどころか、逆に民主派が8割越えで議席を取ってしまった。その意味でも親中派としてはショックだったはずです。

 もちろん、区議会と立法会では選挙の制度が違いますし、親中派の方が勝つような制度設計になっているので、区議会選挙とまったく同じ結果にはならないでしょうが、それでも、事によると立法会選挙でも民主派の方が多数を占めてしまうかもしれない、親中派にはそういう心配があったと思います。

 実際、立法会議挙では区議会議員枠として5議席が割り当てられているし、行政長官選挙でも1200人の選挙人枠の中で117人の区議会議員枠があります。だから、行政長官の選挙にも一定の影響を与える可能性があります。それはなんとしても排除したいということだと思います。

 ――“これが香港の民意だ”と示されると、中国当局としては対外的にも説明がつかないですよね。

 
【小出】そうですね。今までは辛うじて親中派が勝ってきたからよかったものの、今回は徹底的に民主派の方が勝ってしまった。中国側としては、“無謬の共産党が支持する親中派が勝てないような選挙は制度がおかしい”という発想になるんでしょう。

 ――国安法の施行以降、すさまじい逮捕・拘束が続いていますが、とくに衝撃的だと感じた出来事、その理由なども含めて教えていただければ。

 
【小出】一つは、今までありえなかった事態ですが、メディア関係者に対して容赦がなくなったということですね。おそらく日本では『アップル・デイリー』創業者の逮捕が大きく報じられていると思いますが、他にもRTHK(香港電台)という放送局への圧力が強まっています。RTHKは位置としては日本のNHKと英国のBBCの間ぐらいの感じでしょうか。公共放送という立場ですが、例えば香港政府や警察に批判的な政治風刺番組「頭條新聞(ヘッドライナー)」など、かなり独立した立場で番組を作り、人気を博してきました。

 ところが、昨年6月になって「頭條新聞」は打ち切りになりました。2019年の7月21日にMTR(香港鉄道)の元朗駅で白シャツ集団が乗客を無差別に襲撃した事件について、警察の対応などを含めて真相を探るドキュメンタリーを作ったディレクターも逮捕されています。その理由たるや、映像に映っていた車のナンバーから持ち主を調べた際に虚偽申告があったということですが、こんなのは親中派のメディアならお咎めなしの微罪です。

 つまり、本来は法律の前には何人も平等なはずが、そうではなくなってしまったわけです。その他にも、デモ隊の道路封鎖にキレたタクシー運転手がデモ隊に突っ込んで、3人ほど大ケガをさせた事件がありましたが、検察は起訴しませんでした。そこで民主派の議員が、日本で言えば検察審査会による強制起訴のように、裁判所に起訴するよう申請したんですが、あろうことか司法庁長官が日本で言うところの指揮権を持ち出して起訴を取り下げさせたんです。ところが、一方では同じタクシー運転手でも、デモ隊の後ろにくっついて警察がデモを追いかけるのを邪魔したような格好になったため、警察の進路を妨害したということで逮捕され、裁判で実刑を受けた事例があります。

●メッセージ入りのバナーを掲げる人々(小出さん提供)
 あと、うちの大学で卒業式の時に政府を批判するデモがありました。学生がステージでシュプレヒコールを叫んだりしたんですが、その際、大陸からの学生がナイフを持ち出してデモをしている学生にイチャモンをつけたんです。幸い実害はなく、学内の警備に取り押さえられたものの、彼は実質無罪となりました。ところが、デモの時にプラスチックのパイプを持っていた学生は、警官狙撃を準備したとかいう罪状で有罪になっています。

 だから法律の扱いがまったく変わってきている。立法会でもそうですね。民主派の議員が議事場の中に泥水を撒いて審議を遅らせた事件があって、その議員は議場侮辱罪で有罪になりましたが、一方で、民主派の議員に体当たりして怪我をさせた親中派の議員は起訴されない。国安法以降はその辺があからさまになってきています。


政治の話をするのも困難に

 ――先日、民主派立法会議員の大量逮捕に合わせてメディアもかなりやられました。『スタンドニュース(立場新聞)』にも家宅捜索が入ったそうですが、これまではやらなかった独立系ネットメディアに対しても、虱潰しにやるようになっているようです。

 
【小出】そもそも記者に対する警察の扱いも、これまでは自分が記者だと言えば記者と認めていたのに、昨年になってからは海外の有名なメディアとか政府が承認した香港メディアの記者でなければ記者と認めなくなったんです。

 ――社会全体の雰囲気も相当変化して、2019年のように問題を公然と論じることは難しくなってきているんでしょうね。人々の間で疑心暗鬼というか、こんなことを言ってもいいんだろうか、みたいな雰囲気が強まっているんじゃないかと思うんですが。

 
【小出】そもそもコロナで外出しづらいのも事実です。現在、外食は2人までならOKですが、それ以上は違法です。国安法以前にすでにそういう状態にありましたが、そうした状況を非常に利用している面もあります。感染症に関わる規制なので、本来は食品衛生所とか保健所などの機関でも“2人以上集まったらダメ”と違反切符を切ることができるんです。しかし、実際には違反切符の98%は警察が切っています。実際、よく街頭で区議会議員が自分たちの政策をハンドマイクで訴えていますが、すぐに警察が集まってきて、コロナがあるので密にならないように、と茶々を入れてきます。

 ――小出さんの周囲でも、これまで政治の話ができた人ができなくなったとか、そんな雰囲気はあるんでしょうか。

 
【小出】ありますよ。政治の話をしなくなったというか、相当腹を割って話せる仲でない限り、なかなか難しくなってきているなという感じはします。

 ――先ほど中文大学の卒業式での抗議行動について言われましたが、学生たちの中ではどうなんでしょうか。学校の中なので世間一般に比べれば、それなりに抗議の話とか政治の話もできるのか、それとも学内の中でも難しくなっているんでしょうか。

 
【小出】学生たちがどんな話をしているのか、正直なところ分かりません。ただ全般的に言えば、たとえば現在の警察長官は中文大学の出身ということもあって、学生から警察長官に公開質問状のようなものを出したりはしています。もちろん、質問は具体的な警察の行動をめぐってというより漠然とした内容にしたり、相手の反応を考えて言葉遣いを気にしたり、そういうことはやっています。

 ――この間、民主派の立法会議員に集中的な攻撃が加えられていますが、同じ民主派でも区議会議員に対してはどうなんでしょうか。先ほど街頭で警察が茶々を入れてくると言われましたが、活動自体を封じるような圧力もあるんでしょうか。

 
【小出】いろんなやり方がありますよね。たとえば数日前、日本でも報道されていましたが、千何百人におよぶ親中派の議員や警察官の個人情報などをアップしているサイト「香港クロニクル」が国安法に基づいて遮断され、接続できなくなりました。

 ちなみに親中派の側も、民主派の区議会議員、立法会議員、それから民主派寄りの記事を書くと見なされるリポーターとか記者の個人情報、家族写真、住所といった個人情報を集めたサイトを作っているんです。数ヶ月ごとに中国とかロシアなどのサーバーを移動していて、同じURLで接続できるものの、どこが本拠か未だ判明していません。

 なので、親中派の人たちにすれば、たとえば区議会議員の誰それが今日はどこそこで会議しているとか、相手の個人情報が丸わかりなわけです。たぶんそうした情報によるものでしょうが、私の知るところでは、民主派の活動家が車のタイヤに穴を開けられたとか、そういう嫌がらせがありました。

 あと、区議会議員の政策報告だとか、この時期には旧正月以降の一年間のカレンダーをよく配っているんですが、その中に2019年の運動の中でスローガンになっていたような漢字の文句、あるいは普通選挙の実施を求めるようなことを想像させる文句が入っていたということになると、例えば“政府の業務に対して忠実ではない”との理由で経費が落とせなかったりします。そういう嫌がらせもありますね。


状況打開の動きは見えず

 ――なるほど。詳細はともかく、香港の厳しい状況については折に触れて日本でも報道されています。一方で、そうした危機的な状況を打開しようとする動きについては見えてきません。そのあたり、差支えない範囲で紹介いただければと思います。

 
【小出】香港の構造的な問題もあって、状況を打開するという発想がないんじゃないでしょうか。中国大陸なら、身近な共産党員を通じて“それはちょっとやり過ぎでしょう”とか、意見を伝えるルートがあるんですよね。でも、香港の親中派は基本的に許認可とか利害関係が背景にあるので、直に意見を伝えるようなルートはないわけですよ。だから、そのへんのさじ加減みたいなことが伝わっていなくて、たぶん中央に「やれ」と言われたら、ものさしで測るがごとくにやっちゃう。香港の官僚機構というのは確かに仕事は早いので、やれと言われたら本当にやっちゃうみたいな部分はありますね。

 ――民主派運動側としては、現在の状況に対して、今後どういう形で対抗しようとしているんでしょうか。現状はとりあえずサバイバル、長期的な展望までは立てられないということでしょうか。
●メディアも活動を続けている(小出さん提供)

 
【小出】その辺りも根が深い問題があります。たとえば、伝統的な民主派の中心である民主党(注4)は、かつて英国の存在感が大きかった時代は、それを背景にして大陸との間で一種の「愛国者比べ」をしていました。つまり、大陸も香港も同じ中国であることを認めた上で、大陸を統治している共産党よりも、民主を重視する自分たちの方が中国を愛しており、本来の中国の正統な継承者なんだという形で、共通のテーブルに着きつつ民主化に向けた働きかけをしようとしてきたわけです。これが、いわゆる穏健民主派の基本的な考え方で、今でも中国当局との話し合いが重要だと考える人は少なくありません。ところが、中国当局はそうした穏健民主派の人たちについてもかなり逮捕しており、その結果、何人か亡命者まで出しています。話し合いの相手として認めることは、考え方は違っても相手に一種の正当性を与えることになります。しかし、中国当局からすれば、無謬であるはずの自らを批判する相手に正当性などあり得ないわけです。その意味では、もはや穏健民主派と話し合う余地もないということでしょう。

 ――中国当局は主に若者の街頭行動を封じる名目で、伝統的な民主派も含めて異論の芽そのものを潰そうとしているようにさえ感じます。とすれば、そうした中国の支配にどう対抗しようとしているのか。そこがポイントになってくるように思います。

 
【小出】雨傘運動の頃までの運動のリーダーだった人たちの中には、国安法で逮捕されて牢屋に送られ続けることを通して、国安法や中国による支配の問題点を証明していくしかない、といった言い方をしている人もいます。もちろん、全体としてそうした意見だというわけではありませんが。

 ――そうなると、国際的な監視の目、中国に対する批判、そういうものをいかに集めるかが一つのポイントになってくるということですか。

 
【小出】ただ、集めれば集めるほど中国当局は頑なになる面もありますからね。実際に国際的な批判と連携すれば、それ自体が“外国勢力との結託”になってしまうということもあります。

 ――……。


コロナ禍を利用する当局

 ――では、話を変えて、新型コロナの影響についてうかがいます。

 
【小出】もともと香港は19世紀のコレラに始まって、歴史的にも地理的にも感染症に関して長い歴史がありますから、その辺りの対処は非常に迅速です。もちろん、香港政府としては中央政府が技術的にも人的にも香港を支援してくれた、その結果コロナを乗り越えることができたというシナリオに落とし込みたいようです。ただし、たしかに大陸から無料のPCRキットが何万人分も届けられましたが、香港政府の思うような反応にはなっていません。

 ――中国当局の初期対応に問題があったことは、香港でも報じられていると思います。早めに境界閉鎖すべきだという意見もかなり出たようですね。

 
【小出】国安法の成立以前だったこともあって、そうした点についてはまだ大っぴらに議論もあったし、早期の完全な境界閉鎖を求めて、医療関係者がストライキをしたこともあります。ところが、その報復であるかのように、医療関係者に対する昇給が見送られ、その分が警察関係者の昇給案はそのまま通ってしまいました。

 この間のような状態の中で警察関係者の給料を上げようとすれば、本来なら立法会で何時間も議論されたと思いますが、民主派議員が不在の状態なので、立法会では30分審議されただけで、原案のまま通されてしまったわけです。

 ――香港の人々は、そういう状況の変化をどう受け取っているんでしょうか。“コロナだから仕方がない”という感じですか。

 
【小出】これまでSARS(注5)などに対処してきた経験もあるので、新型コロナへの警戒、その対策を重視する気持ちは当然あります。ただ、それとは別に政府側の意図に対しては、それなりの敏感さも持っていると思います。たとえば、立法会の選挙が延期になりましたが、香港政府は“投票所に人が集まると感染症が拡大する恐れがある”といった説明をしました。ところが、政府が無料のPCR検査を行うための場所は立法会選挙の投票所とほぼ同じなんです。だから、選挙を延期した政府の意図について、辛口な意見も相当ありました。

 ――大陸・香港間の人の出入りはかなり制限されています。中国大陸から人があまり来なくなったことで、経済的な影響などはどうでしょうか。

 
【小出】日本のインバウンド問題と同じように、影響は大きいですね。私の実感として、2008年以前の香港にかなり近い雰囲気になっていると思います。街中で北京語を聞く機会が激減したし、大陸の人たちを主な客層にしていたドラッグストアがどんどん潰れて、客が集まるような場所でも空き店舗が目立っています。

 ――中央政府としては、国安法という「ムチ」を振るう一方で、香港に対する「アメ」として、コロナ不況に対するテコ入れを行うことが予想されます。その点で、以前言及されていたグレーター・ベイエリア計画
(注6)が機能する可能性はありますか。

 
【小出】今のところ、中央政府が香港の民心を釣るような動きは見られません。これまでは、大陸からの観光客を拡大し、盛大に消費してもらうというのが一つのパターンでしたが、現状ではできませんから。たぶん、「アメ」を出してくるとすれば、コロナが落ち着いてからだと予想しています。

 グレーター・ベイエリア計画は現在も進められています。香港政府としては、これを利用して経済をテコ入れし、中国大陸との一体化を図りつつ雇用を生み出すことで、若者たちをつなぎ止めようとする意図は感じます。ただ、逆に当の若者たちは中国との一体化が進むことに強い警戒心を持っています。


海外脱出の動きも

 ――海外へ脱出する人もかなり増えているそうですが、小出さんの実感として顕著に感じられますか。

 
【小出】はい。とくに子育て期の友だちが多いですね。私からすると、幼い子どもを抱えて生活の拠点を移すのは大変そうな気がしますが、イギリスに行ったり台湾に行ったり、いろいろなところに行っています。新聞の広告などでも、“海外で不動産を買いませんか”といったキャッチフレーズに加えて、“子どもの教育環境にピッタリ”とか、“有名な小学校・中学校が徒歩圏内”みたいなことが書いてあって、そういう移民が前提なのかもしれません。

 日本も移住先の候補になってはいますが、ただ、香港人にとって日本は“憧れの国”ではあっても、実際に働いてみると二つ壁に直面するようです。一つは、アジアの諸外国と比べてあまりに給料が低い。もう一つは、にもかかわらず日本の税金はものすごく高い。それで音を上げて香港に戻ったり、別の国に移民し直したりすることもあります。

 ――小出さんはこれまで日本に向けて香港の状況を発信されてきたわけですが、この間、身の回りで何か異変を感じることはありますか。

 
【小出】自分自身としては、とくに感じませんね。雨傘運動の頃から、大陸の学生さんが私のフェイスブックを、かなり過去に遡って見ていたりして、“どういう意図で見ているのかな”と思ったりはしますが、具体的に何か言われたりとかはないですね。

 ただ、職場関連で言えば、そろそろテニュア
(注7)になるはずの友人が何人か契約を打ち切られたりしています。抗議運動をめぐって積極的に発信していた人たちなので、その関係だろうとは思います。

 あと、大学では現在オンラインの授業がありますが、教員仲間の間では、大陸の学生はZOOMでカメラをONにしないとか、質問を振っても答えない、大陸側で何をモニターされているか分からないといった話はよく聞きますね。

 それから、ここ何週間かで香港のソーシャルメディア環境が大きく変わっています。昨年12月2日に周庭さんの裁判が行われましたが、彼女が使っていたソーシャルメディアの「テレグラム」について、判決文の中で香港警察がイスラエル企業にお金を払って解読を依頼していたとの記述があったそうです。

 テレグラムはソーシャルメディアの中でも機密性が高いと言われ、抗議運動の関係者もかなり使っていましたが、これは危険だということになって、現在は「シグナル」というソーシャルメディアの方に大量に移行しています。「ソーシャルメディアでも移民ラッシュ」なんて話も出ています。

                                                                    (1月17日、リモートにて。聞き手:山口 協)


 
(1)林鄭月娥行政長官は昨年9月1日の記者会見で「香港は三権分立ではない」と明言、行政長官をトップとする行政主導の三権体制との認識を示した。
 (2)香港特別行政区基本法。「一国二制度」下の香港の法的位置を定めたもの。外交と軍事に関する規定を除く香港の最高法規として、「香港ミニ憲法」とも呼ばれる。
 (3)民主建港協進連盟(DAB)。1992年、労働組合などを背景に設立され、中国系企業や中国本土と関係するビジネスを行う商工業者の支持も受ける。
 (4)1994年に設立。普通選挙の全面的な実施を主張し、一国二制度の厳守、基本法に則った法治を重視し。
 (5)重症急性呼吸器症候群。2002年~2003年にかけて中国南部を中心に流行した感染症で、広東省や香港を中心に8,096人が感染し、37ヶ国で774人が死亡した。
 (6)広東省を流れる珠江デルタを囲む9つの都市を統合した地域発展計画。中国では、香港(港)・マカオ(澳)・広東省(粤)にまたがる「粤港澳大湾区計画要綱」と呼ばれる。中国国務院によって2019年2月に発表された。
 (7)大学など高等教育の教職員の終身雇用資格。



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