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連載 ネパール・タライ平原の村から(110)

思い通りにならない牛と付き合う

ネパールの農村で暮らす、元よつば農産職員の藤井牧人君の定期報告。その110回目。


 コロナ禍ですが、いつもと全く変わりない様子の、山岳部バチャン村の牛飼いカカ(妻の叔父)に連絡しました。カカは暑季になると涼しい標高3200メートル近くで水牛を放牧し、寒季は寒さに弱い水牛を連れて2000メートル以下の自宅バチャン村へ戻り過ごします。放牧地と定住地を季節移動する移牧を40年以上黙々と続けています。

 2年前、村を訪ねた時にカカは、今7頭飼っていると言いながら、6頭しかいないので失ったのかと聞くと「牡1頭は一緒に戻らなかった」、高地の「どこにいるのかわからないけれども森にいる」と言っていました。「失った」のではなく「森にいる」と。「水牛は暑季に毎週、寒くなると月1回、定期的に塩を与えて馴じませているから、数か月いなくなっても必ず塩を求めて同じ場所に戻って来る」と言って、全く動じてない様子でした。

 去年訪ねたら「今年は一緒に村へ下りて来た」と、確かに7頭いました。それで「今年は?」とケータイで聞くと、寒さが増して「そろそろ村へ連れ帰ろうと思っていたら水牛が1頭もいなくなって…」「しょうがなく自宅へ一人で戻ってみると水牛たちはすでに家に帰っていた」と。

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 わが家も水牛を3頭飼っています。先日、深夜2時に36ヶ月齢の成牛が突然鳴き声を上げました。深夜でも鳴く時は、発情かヤギが小屋から逃げるなど周囲で何かあった時です。それですぐに察しがつき、飛び起きました。成牛は、隣の母牛が仔牛を産んだことを“知らせてくれた”のです。

 妻のティルさんには、そんな牛の話が尽きることがありません。「学校から戻ると耕作用の牡牛2頭と水牛を4~5頭連れて日帰り放牧が日課だった」。「誘導もするけどどこへ向かうか牛の後を付いていく」。「放牧した日は稲ワラや水をほとんど与える必要がない」。「牡牛が牝牛を探しにいなくなることがよくあったけれど必ず畜舎に自分で戻って来た」。「真夜中に戻って来る時もあり今頃帰って来やがってと母がよく怒鳴っていた」。

■バチャン村のカカ(2012年)

 「時々夢に出て来る」という耕作用コブ牛(在来牛)の牡2頭については、こう語ります。

 「口元へ刈草を持ち与えて馴じませた。私の声を覚えた牡牛は放牧中に大声で誰かと話をすると、草をもらえると勘違いしてすり寄って来た。そのうち1頭がある日死んでしまった、2頭だての耕作用牡牛の左側が居なくなり右側だけとなってしまった。左側に新しい牡牛を買おうと2~3年探したけれど、釣り合うサイズの牡牛が手に入らず。1頭だけになったのでこれを機に牡牛を飼うのを父はもうやめることにした。残った右側の1頭は売ってしまったけれど、後に屠畜されたと聞き涙が止まらなかった。水牛の出産や体調が悪く心配になる日の晩には、今も牡牛2頭の夢を見る」。

 ちょうど牛耕からトラクターによる耕耘に変わり始めた、1980年代後半の話です。

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 ここでは、水牛や牛と心を通わせる話が細々と、尽きることがありません。なぜなら、ここでの農家の生活とは、思い通りにならない牛と付き合い続けることだからです。

                                                (藤井牧人)



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