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アソシ研リレーエッセイ
「不便」がもたらす豊かさ



 「変わらなければ一歩も前に進めない」――そんな状況に追い込まれることが、人生においては何度かある。これまで積み上げてきたメシの食い方、人間関係の作り方、生活スタイルが否定され、あるいは失われて、途方に暮れる。

 私も、生き方の転換を迫られた時期が何度かあった。その一つは離婚だが、これがきっかけでカウンセラー養成講座に通うようになり、実際のカウンセリングも受けた。

 当時は、まだカウンセリングや精神科医療が一般化するはるか以前だったが、何人かのカウンセラーを渡り歩くうち、ある女性カウンセラーと出会い、深い(と思われた)自己省察の機会を得た。彼女の専門はユング派の夢分析。

 「夢でいったい人間の何がわかるというのか?」と、不信半分、興味半分だったが、「夢分析」という思いがけない手法に出会ったことで、「無意識」の領域が可視化され、一気に自己理解が進んだ。

 また、深い人間関係・信頼関係の築き方に悩んでいた当時の私にとって「傾聴」の重要さを知ったことは、その後の人生をずいぶん生きやすいものとしてくれた。同時に効率主義に冒されて人間らしい「豊かな時間」を忘れかけていた自分を見直すきっかけともなった。

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 パンデミックの渦中にあって、今や保守派すら否定できない「システムチェンジ」。その分野は多岐にわたり、方向性も様々だが、深い自己理解こそが出発点となる。世界像の再構築だ。それはまず、人間が求めてやまない「豊かさ」を根本的に問い直すことだろう。

 パンデミックを経験して、さすがに大量生産・大量消費・大量廃棄を「豊かさ」と強弁するグローバルな生産システムは、意外と脆弱であり、より良き人生、人間的豊かさは得られないことに多くの人が気づき始めている。

 近代的合理精神が生み出した資本主義は、「利便性を求めて競争することで効率性が高まり、結果的に貧困を克服し物質的豊かさを得られる」と説いてきた。

 しかし、「便利」は良い面だけが強調されマイナス面が隠されがちだ。宅配便の時間指定、24時間営業、テレビの長時間放送等々、数えたらきりがないが、これらは言うまでもなく低賃金・長時間労働の裏返しである。倒れるまで働かせて成り立っている利便性=日本の奴隷的労働の状況が見えてくる。

 また便利さは、人間の生きる能力を奪う。ワープロ(年齢バレバレ)に始まるIT化によって、もともと劣悪だった私の漢字を書く能力は地に落ちた。スマホに搭載しているカーナビゲーションアプリによって、地図を読み、経路を考えて目的地にたどり着く空間認識能力も大幅に低下している。

 手間がかかること、複雑なことを避ける傾向が強まり、本当に必要なものが何だったかを忘れて、便利なものに刹那的、衝動的に飛びついていく。汗をかくこと、熟考すること、人とのコミュニケーションや実際に自ら動いて現場に向かうことなどを嫌うようになり、すぐに便利さを追求する姿は、「あまりにも哀れ」と感じるのは私だけではないはずだ。

 「自由」も切り縮められている。予め用意された5つ程度の選択肢を選ぶのがデジタル時代の「自由」だ。利便性や損得を度外視した自由や友愛は、選択肢には入らない。

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 一方で、便利さを優先した結果として得られたはずの時間や労力を私たちは無駄に使っている。貴重な日曜日は、疲労を取るための休養が優先され、スローな場面に出くわすと、イライラしてしまう。いつの間にか「豊かさ」の要素であるはずのスローが「ストレス」に転化しているのだ。ここには、手段(利便性)と目的(幸せ・豊かさ)の転倒がある。これが私が思う世界の自画像だ。

 システムチェンジの先は、コンパクトで循環的な生産システムだろう。多少の不便さがあった方が人間は謙虚さを保ちつつ、各々創意工夫をして生活するからだ。

 ――便利さやコストを求め続けた私がこんな説教臭いことを書いていることに、嫌気がさしてきた。

                         (山田洋一:人民新聞社)



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