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市民環境研究所から

新型コロナが問う大学教育


 40度を超す最高気温を更新する地方が次々と報告され、日本列島全体が熱帯のようである。この京都も39度にもなり、クーラー嫌いの筆者もクーラー稼働に同意せざるをえない。当研究所では、会議がない限り扉と窓を全開にして風を導けば、それほどの苦痛ではない。

 酷暑と新型コロナはこのちっぽけな団体の活動をも、ほぼ停止させてしまった。訪れる人々も激減し、一人でいることが多くなったが、コロナ社会が続くことを前提にした市民運動で、どのような課題とどのような様態で進めて行くのかの議論を始めてくれる仲間が現れた。まだまだ運動の出発にはならないが、新たな運動を支える存在になりたいものである。

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 当研究所の事務所は京都市左京区にあり、近くの交差点は里ノ前で、鞍馬や貴船方面の山間地域の人々が叡山電車に乗って「京の街」へやって来る終着駅だった。なので、商店街や公設市場もあり、今でも昔の面影が残っている。

 南へ300mほど下がると左京区で一番人通りの多い百万遍交差点があり、東側には広大な京大キャンパスがある。1学年3000人の学部生と大学院生を併せると2万人強、教員と事務職員で5000人と言われているから、3万人弱の昼間人口である。

 それほどの人々がいる大学構内に通じる百万遍交差点だから、いつもは混雑しているのだが、新型コロナ禍のこの頃は閑散としている。研究室と事務室と図書館は開いているが、講義も実習もないので構内にくる学部生は少なく、大学近辺で下宿している学生も実家に帰っている者が多いようである。

 その上、この交差点近辺にあるコンピューター専門学校の生徒の大半を占めていた中国人学生も、本国に帰って以降、日本に再入国できない者も多いとかで激減した。

 その原因はもちろん新型コロナ感染予防のため、講義や実習はオンライン授業で、下宿や自宅で受信する以外の教育活動がないからである。なんとか教育していると思えるのは講義だけで、実験、実習、ゼミは無理だろう。学生は「黙って聞いているのが講義」だと納得しているようだが、教える側の教員は学生の反応が見えず、一コマごとに疲れを増していると言う。

 筆者が京大勤務時代に始めて40年間、金曜日の夕方に開いている自主ゼミ「農薬ゼミ」も農学部のゼミ室の使用が禁止され、ZOOMで開催している。向かい合う顔をパソコン画面で見ても、皆の振る舞いはよそよそしく、出会う楽しみは半減以下である。

 それでも、4月から新入生3人がゼミ仲間になってくれた。2人は京大の農学部、もう1人はノートルダム女子大の1年生。よくぞ来てくれたと上回生も喜んでいる。しかし、パソコン画面だけの知り合いではつまらないと、6月に3人を市民研に招待して、しばし懇談した。そして、7月末と8月に省農薬ミカン園の病害虫調査と援農に一緒に出かけた。

 大学当局は集団活動を禁じているので、毎年なら農薬ゼミ全員で行くのだが、2回に分けてのミカン山行きとした。年2回(夏と秋)、害虫7種類、病気3種類の発生状況を記載する調査を40年続けている。1回生にとっては、理系で入学以来初めての生物学実習だろう。やっと理系学部に入ったことを実感したと感想をくれた。ただし、自主ゼミだから単位は出せないが。

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 各大学とも、正規のカリキュラムでの単位認定をどうするかに悩んでいる。学生からは、こんな不十分な教育しかできないのに学費を満額徴収するのかとの批判も出ている。コロナの状況は1年以上も続くと予想されるので、今までの単位認定原則をかたくなに守るだけでなく、このような自主活動も評価できる大学ごとの基準で運営しなければ、学生の勉学意欲をつぶしてしまうだろう。

 文科省も単位認定基準等は各大学に任せればよい。現行の大学運営は文科省の言いなりになっている。大学独自の「新型コロナ下での教育方針」を文科省に尊重させる動きを作らないかぎり、教育の実質崩壊は止まるところがないほどに進むだろう。

 今こそ大学人は、自分の大学特有の教育を創造し実現する機会と考えてほしい。それでなければ学生は定着しないだろう。

                                                 (石田紀郎:市民環境研究所)


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