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コラム 南から北から
人工林の間伐で地域再生を



 8月の末を迎え、2020年の3分の2が経過しようとしています。5月に「混乱はいつまで続くのだろう」とこの原稿に書いていたコロナウィルス感染拡大の不安は、「ずっと続く」という諦めに変わりつつあります。つまり、感染拡大に対して半年以上の間、何ら有効な対策を講じない政府に、怒りはとうに過ぎ、諦めと慣れへと移ってしまったわけです。戦争を自ら終わらせることができず、原爆の被害を招いたこの国の度し難い「体質」を、この問題でも感じざるをえません。

 こんな中、7月は日本列島各地で豪雨災害が発生しました。白鷹町でも7月末、梅雨前線の停滞による大雨で、土砂崩落、田畑の浸水・冠水、道路陥没などが起きました。ここ数年こうした被害が各地で常態化しています。白鷹町でも2013年、14年の7月に2年連続で豪雨被害が発生しました。自然災害とはいうものの、地球温暖化が人間によってもたらされていることを考えると、人災と言うべきです。

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 6年前、豪雨で町のあちこちで杉が根こそぎ川に流れ込んだことから、町の荒廃した山林が被害の原因になっていることに気づかされました。東日本大震災の原発事故後に町の有志で結成した「しらたか地域再生ネットワーク」が地域住民に呼びかけて、手入れ不足で過密林と化している町の人工林の間伐事業に着手することになりました。

 白鷹町は戦後の拡大造林で県有数の造林率を達成した町です。私たちの親世代(80~90歳代)が、60~70年前に、国の補助金を使ってせっせと杉苗を植えたのです。町の西側では、ブナ林を部分皆伐してまで、東側では急傾斜地に至るまで造林に励みました。木材価格がピークとなる1980年代までは、個人の山主や財産区(地区住民の共有林)が熱心に手入れを行ったものの、90年代にバブル経済がはじけ、木材価格は低迷し、手入れをする人が減り、杉林は鬱蒼とした暗い森となっていきました。

 「再生ネット」の肝いりで4つの森づくりの会が結成されて以降、6年間で町の人工林の約200ヘクタールの間伐が行われました。といっても町の周囲を囲む森林面積は1万ヘクタール。そのうち人工林は約5700ヘクタールもあり、まだまだ先は続きます。4つの組織のうち、私が事務局をやっている「浅立森づくりの会」は、毎年春に、地区住民に呼びかけて「山見」に行きます。

 この6年間で約47ヘクタールの間伐を終えましたが、「山見」のときはこれまで間伐の終わった森とこれから間伐する森を見比べ、「山を見る」目を養います。鬱蒼としていた杉林に明るい光が差し、爽やかな風が通る様はとても気持ちのいいものです。

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 先日の夜、「浅立森づくりの会」を中心的に運営している肉牛農家のKさんから、「今、テレビでC・W・ニコルの森づくりの番組やってっから見ろ」と電話が入りました。長野県の黒姫山麓にトラストで作られた35ヘクタールほどの「アファンの森」(アファンとはケルト語で風の通るところの意)です。多種多様な広葉樹・針葉樹とフクロウが繁殖できる生物の多様さを誇るその森は、今年4月にニコルさんが79歳で亡くなったあとも、彼の遺志を継ぐ「アファンの森財団」によって運営されています。

■浅立森づくりの会で間伐した森
 「間伐するだけじゃだめだな。いろいろな樹木や動植物の住処となる森を作っていかないと」。「アファンの森を見に行くぞ」とKさん。コロナ禍の中で実現可能性はあまり高くはありませんが、いつか必ず。 

          (疋田美津子:山形県白鷹町在住)



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