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新型コロナウイルス感染症をめぐって
感染症は世界秩序を変えるか
今回の事態に対する論点整理②



 昨年末に発生した新型コロナウイルス感染症は当初、発生源とされる中国・武漢市あるいは中国国内に限定されるものと見られていたが、今年に入って瞬く間に世界的な流行(パンデミック)となった。

 中国発祥の感染症としては、2002年~2003年に流行したSARS(重症急性呼吸器症候群)が想起される。たしかに、この時にはインド以東のアジア地域やカナダなどで感染拡大(アウトブレイク)が生じた。とはいえ、流行の度合いから見れば、感染者の範囲は中国南部と香港、台湾、さらに中国系移民の多いカナダなどに限定されていたと言える。それに比べて、今回は文字どおり地理的な偏りのないパンデミックである。

 こうした差異について、その原因をウイルスの性質に求めることができるかもしれない。だが、それがすべてではない。かりに同じウイルスでも、交通不便な地方都市で発生した場合、伝播の速度と範囲は大きく変わってくるはずだ。この点で言えば、武漢市は古くから北京、上海、広州の中間地点にあり、市内を長江が流れる交通の要衝であり、加えて、2000年代以降に急拡大した高速鉄道網や内外の航空網を通じた人の移動の拡大・激化が、短期間に感染症を拡大する重要な要因となったことは想像に難くない。

 言うまでもなく、こうした人の移動の拡大・激化は中国の経済成長が要請したものである。と同時に、それは中国がグローバルなサプライチェーンの中に組み込まれたという歴史的現実を示してもいる。つまり、パンデミックをもたらしたのはウイルスである以上にグローバル化した今日の世界の有りようそのものであり、「近代世界システム」の帰結とも言うことができるだろう。

 とすれば、当然にもパンデミックへの対応はグローバルに行われなければならないはずである。ところが、現実に生じたのはグローバルな対応や国際協力どころか、国家が一元的に権限を掌握することで、外に対しては国境を閉ざし、内に対しては人々の行動制限を通じて経済行為までコントロールしようとする姿だった。

 実は、これもまた当然の帰結である。というのも、「近代世界システム」は経済面では資本主義世界経済を軸とするとともに、政治面では分立する国民国家(Nation State)あるいは主権国家(Sovereign State)によって形成される国家間関係を統合の軸としているからだ。

 その意味で、今回の新型コロナ騒動は今日における国家の有りようおよび国家間関係の有りようをめぐるさまざまな論議を引き起こした。ここでは、そのうち後者の国家間関係について論点を整理したい。前者すなわち国家の内政面については別途検討する予定である。


WHOをめぐる米中対立の拡大・深化

 グローバルな感染症をめぐる国家間関係という点で世界中に強い印象を与えたのが、①米国と中国の対立の拡大・深化、②国際組織WHO(世界保健機構)の対応である。しかも、両者は相互に深く絡み合っている。

 きっかけを与えたのが中国であることは間違いない。武漢で最初に原因不明の肺炎患者の事例が報告されたのは2019年12月8日とされる。しかし、この件について中国側が初めてWHO中国事務所へ報告したのは、同12月31日になってからだ。

 一方で、すでにSNSなどでは患者の発生を問題視する情報が流通していた。そのうち、武漢市の眼科医・李文亮は12月30日、医療関係者として最初にSNS上で情報を伝達したところ、年明けの1月3日「虚偽の内容を掲載した」として警察から訓戒処分を受けた(後に自身も感染し2月7日に死亡)。

 中国メディアが初めて、肺炎患者から新型コロナウィルスが確認されたと報道したのは、ようやく1月9日になってからのことである。

 「中国の初動の遅れが世界的な感染拡大を招いたことは誰の目にも明らかであった。このような中国に対して、WHOは協力の姿勢を貫いた。感染症の抑制には発生国との緊密な連携が必要である。

 2003年SARSの際、対応の遅れと情報隠蔽という問題を露呈した中国に対して、WHOは二の舞とならないよう、友好的な姿勢でもってコミュニケーションを図ろうとした。そのようなWHOの姿勢は、高まる中国批判や米中対立と絡まり合い、熾烈な批判を浴びることとなった」。(詫摩佳代「WHO は保健協力の世界政府ではない」『Voice』2020 年6月号)

 とはいえ、こうした中国の対応、それに追随するかに見えるWHOの姿勢を批判する米国トランプ政権の振る舞いも、かなり常軌を逸したものと言わざるを得ない。

 よく知られるように、トランプ政権は今年はじめの段階では、中国における感染拡大に対して完全に「対岸の火事」と決め込み、米国内で感染者が生じても「少し暖かくなればウイルスは奇跡的に消え去る」などと放言を重ねていた。

 しかし3月以降、ニューヨーク州を中心に感染が爆発し、死者数の拡大などで対応の甘さを批判されるや、中国もろともWHOに対する非難へと急速に方向転換する。内容も徐々にエスカレートし、当初は早期に情報提供をしなかった中国側の隠蔽体質を問題にしていたのが、ついには“新型コロナウィルスが武漢の研究所から流出した決定的な証拠を含む報告書を公表する”とまで言い出す始末である。

 またWHOに対しては、こうした中国の「中国の言いなり」になり、自らの役割を果たしていなかったとして、米国による資金拠出の停止を指示し、やがてはWHOからの脱退を宣言するに至った。


近代世界システムそのものの限界

 とはいえ、先に見たように「対応の遅れと情報隠蔽」はSARSの際にも見られた現象であり、共産党一党支配の権威主義体制が不可避とする宿痾とも言えるものである。むしろ、SARS時と比べて変化を指摘する意見もある。

 「SARS対応と比べると、中国側は今回、コロナウィルスの遺伝子の配列情報を公開(1月12日)し、台湾と香港専門家の武漢訪問も受け入れるなど、情報公開面では一歩前進した」。(岡田充「習指導部の統治揺さぶる新型肺炎 地方幹部切り、防戦に必死」『海峡両岸論』第111号、2020年2月20日、21世紀中国総研)

 実際、人々からの批判を逸らす目的とはいえ、その後の習近平指導部は果断とも言うべき対応を見せ、武漢市をはじめ感染拡大地域に対して徹底した都市封鎖と医療資源・人員の集中を実施し、比較的短期間で感染拡大を封じ込めた。感染拡大が続き、死者数も増え続けた欧州や米国と比較して、権威主義体制の優位を説く論調すら現れたほどである(それが欧米諸国からの非難に拍車をかけたのも事実)。

 他方、WHOの役割については、そもそも誤解ないし過大な期待が寄せられているとの指摘もある。

 「結局WHOとは、保健協力に関する世界政府なるものではない。保健協力の情報塔として機能しつつ、各国に必要な指針を与え、連携を促し、必要な支援を調整する組織である。いずれの機能も強制力をもつものではなく、加盟国の自発的な協力があって初めて円滑に機能しうる。このようなWHOの限界は国際政治の特質を反映したものであり、設立当初から埋め込まれたものなのである」。(詫摩、前掲)

 「WHOと加盟国の関係はいってみれば、車とガソリンの関係に似ている。WHOという車が存在しても、加盟国の協力というガソリンが注入されなければ走ることはできない。2003年SARSのときも、2009年新型インフルエンザのときも、そして今回の新型コロナも、WHOは発生国から報告された情報に基づき、状況を判断し、然るべき勧告を出すというまったく同じ仕事をしているにすぎない」。(同前)

 言い換えれば、今日の世界の有りようが分立する主権国家の形成する国家間関係を軸として統合されている以上、各々の加盟国が国際機関に対して自発的に情報を集約し、加盟国の中で指導的な国家がリーダーシップを発揮し、それによって全体を運営していくという方法以外に取りうる手段はないと言える。事実、これまではそうしてきた。

 ところが、現実にはそのようになってはいない。それは、これまでリーダーシップを発揮してきた米国が「米国第一主義」の下で自らの役割を転換しつつあり、だからといって近年台頭著しい中国も、少なくとも現状では、米国に代わってグローバルなヘゲモニーを担う立場に立とうとはしていないという現状の反映である。

 もちろん、背景にはここ数年にわたる貿易問題を契機として勃発した米中の政治経済的な対立があり、さらに根底には、百年単位にわたるヘゲモニー国家の交替、あるいはこれまでヘゲモニー国家を必要としてきた近代世界システムそのものの帰趨という構造的な問題が横たわっている。新型コロナウイルスのパンデミックは、そうした現状を明瞭に浮き彫りにしたと捉えることができるだろう。


新たな世界秩序への模索

 米中の角逐は、今後も容易に治まる気配はない。それどころか、ますます拡大・深化しそうな雰囲気である。そうした中で、今後どのような世界の有りようが考えられるのだろうか。

 国際政治学者の細谷雄一は詫摩佳代、鈴木一人との鼎談で、三つのシナリオを挙げている。

 「一つめは、WHOのような国際機関を中心に、機能的で非政治的、非地政学的で合理的な専門家による国際協調を回復する。この可能性は高くないと思いますが、必要性は高いと思います。二つめは、これまでのようにG7などの欧米の先進自由民主主義諸国がリーダーシップを発揮し、これからの課題に対して国際社会における必要な対応を示していく。三つめは、各国への支援や情報戦プロパガンダによって自国の優越を示している中国が、多くの人の信頼を得て世界の中心になるシナリオです」。(「鼎談 パックス・アメリカーナの終焉が来る? アフターコロナの地政学」『中央公論』2020年6月号)。

 鼎談参加者のいずれも、第一を望ましいとしながら、その実現可能性には疑問を示さざるを得ない。国際機関が主権国家間の利害対立から自由でない以上、「非政治的、非地政学的」な国際協調の回復は展望しづらいからだ。

 また、第二はすでに冷戦の崩壊によって用済みとなった枠組みであり、G8やG20などに変遷しながらも実質的なリーダーシップを果たせない状況が露呈している。なにしろ、その中枢を占めてきたはずの米国が現在のような状況になっているのだ。

 第三についても、たしかに中国は「自国の優越を示し」、国内の求心力については高まっているとは言え、対外的にはむしろ警戒心を拡大させる結果となっている。

 つまり、客観的には近代世界システムの限界が露わになり、新たな世界秩序の必要性を感じながらも、現在・近未来の時間幅で見る限り、これといったオルタナティブ(別の選択肢)の見えない、不安定で曖昧模糊とした状況が続くということだろうか。

 とはいえ、感染症にせよ気候変動にせよ、今後ますますグローバルな危機の頻発が予想されるのも事実である。むしろ、今回の事態を奇貨として、新たな世界秩序の有りようをめぐる論議がますます必要となってくるはずだ。

 この点について、社会学者の大澤真幸は「国民国家を超える連帯」および「そうした連帯を実質的なものにするグローバルな組織」の必要性を提起する。

 「重要なことは、この国際的な連帯と組織は、国民国家の主権を超える権限をもっていなくてはならないということです」。(「コロナ危機から『世界共和国』へ」NHK『視点・論点』2020年5月14日)

 もちろん、これは主権国家と国家間関係に基づいた現在の国連やWHOなど国際組織と同じであってはならない。とはいえ、それらとまったく別に、一から創り上げることも難しい。

 「いま私が提案している連帯や組織は、具体的には、WHOや国連の権限強化と改組によって実現するしかありません。こうした国際的な協調は、それぞれの国の国益とまったく矛盾しないところが強みです。現在の感染症危機は、「自国ファースト」の終焉になるべきです」。(同前)

 内容としては先に触れた第一のシナリオとほぼ同じで、理想的ではあるが、それだけ実現に疑問符が付くことも事実である。

 ただ大澤も触れているように、そもそも国連という組織も、各国が軍備という国家主権の要を平等に放棄することで、紛争解決の手段としての戦争を禁じるための枠組みとして構想されたものである。それはまた、うち続く戦乱がもたらした悲惨な現実を繰り返すまいとする、さまざまな思想や運動の歴史的な積み重ねの結実でもある。現実には十全に効力を発揮していないとは言え、そうした背景に注目することは重要である。

 今回の事態は、私たちの現在を深く規定している近代世界システムの限界を改めて可視化した。それを踏まえてどんな方向を目指すのか、私たちの対応が問われている。

                                            (山口 協:当研究所代表)



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