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関西よつ葉連絡会の畜産をめぐって

能勢農場の目指すもの
日本の
畜産の現状と安全・安心な食べものとは

 関西よつ葉連絡会の畜産部門を支える㈱能勢農場は1976年に設立された。当初は畜産を目的にするよりも、自然と関わる中で自らの思想や価値観を捉え直し、社会を捉え直すための場として構想された農場だが、年月を重ねる中で畜産の専門性についても問われることになり、さまざまな試行錯誤を経て現在に至っている。そうした経験を踏まえ、畜産に対する農場の考え方、今後の方向性などについて、寺本陽一郎代表に語っていただいた。(文責:当研究所)


はじめに:畜産の歴史から

 これから、日本の畜産の現状はどうなっているのか、その点についてお話したいと思います。

 まず、みなさんは「牛」という言葉で何を連想するでしょうか。聞いた話では、70~80%の人が牛肉を連想して、残りの人が広々とした放牧場の風景などをイメージするようです。「牛=牛肉」つまり牛は食べるものだという発想です。これを畜産用語では「肉専用」と言います。ただし、この言葉の裏には、「肉専用」ではない牛もいたという意味が隠れています。肉専用ではない牛は「役用牛」と言います。役用牛は食べるものではなく、人間の生産活動を補助する役割をし、重労働の部分を代わりに務めていました。

 もともと、日本には明治のころまで食肉の習慣はほとんどありませんでした。ペリーが黒船で来航(1853年)したあたりから肉食文化が少しずつ広まり、明治時代になって正式に解禁されていくのです。その中で食べるための専用の牛が生まれ、「肉専用」という言葉ができました。今でも業界用語では「肉専用」と言います。だから、みなさんが「牛」と聞いて牛肉を連想するのも無理はありません。このように、畜産の世界では昔から使われていた用語なり基準が今でも使われています。

 ここで少し畜産の歴史に触れたいと思います。狩猟採集時代を経て、日本列島でも農耕時代が始まります。天武天皇が肉食禁止令を発動したのが7世紀。その頃から牛は農地の開墾や山林管理という役割を担うようになりました。事情は地域によってさまざまで、あまり文献にも残っていませんが、1200~1500年ぐらい前には、牛は日常生活に欠かせない役用として、飼養する基準が定められました。そこには、たとえば雌の子牛が生まれたら何年後に種付けをして母牛にするとか、哺育期にはどんな餌をどれだけやるのかということも定められていました。実を言うと、この基準は今の日本の畜産における飼養基準の元になっています。

■寺本陽一郎さん
 1964年、大阪府出身。1984年、関西よつ葉連絡会で配送の仕事を始め、複数の配送センターに勤務。2005年、能勢農場に入り、2006年に同代表就任。
 現在の日本の畜産では、国立研究開発法人「農業・食品産業技術総合研究機構」が出している「日本飼養標準」が飼養の基礎として使われています。そこでは、餌につかうフスマ(小麦製粉の際に除かれる皮の部分)やオカラ、大豆かす(大豆から搾油した後の残渣)などにどんな養分がどれだけ含まれているか、一つ一つ書かれています。対象となる家畜も乳牛、肉牛、豚、家禽と、それぞれ詳しく書かれています。この基準は国が定めているもので、こうして定められた飼料が餌屋さんを通じて僕らのところに入ってきます。外国の餌もこの基準に基づいて、振り分けられて入ってくるのです。この月齢にはこのぐらいの餌をあげなさいということが書いてあるのですが、1200~1500年ぐらい前の文献に書かれていた中身と、ほぼ一致します。脈々と引き継がれてきているわけです。それが今でも通用する、そういう世界です。


戦後に大転換を迎えた畜産

 とはいえ、日本における牛の飼育体制は戦後になって一変します。敗戦とともに、アメリカの畜産体系が穀物と一緒に入ってきたのです。それまでは、もちろん牛を食べることもありましたが、食べることが目的というより、まず牛は労力として家族の中で飼われ、田畑の仕事をしたりして、最後に老いて死ぬ前に、それを屠殺して村のみんなで食べるようなものでした。都市では一部、食肉として流通している部分もあったようですが。戦前ぐらいまではだいたいこういう状況でした。

 それが戦後になって、肉食用として大転換しました。終戦後、アメリカでは大量の余剰穀物の処理が問題になりました。世界中に展開していた兵士の食糧として供給していたのですが、この余剰穀物を敗戦国に押し付けてきたのです。一方で、敗戦で焼け野原になった日本には食べものもないし、都市には人が溢れて住む家もない状態です。そこで日本は国策として余剰穀物を受け入れて、食糧として供給し始めたわけです。それとともに、その穀物を餌として肉食用の畜産体制が整えられていきました。敗戦から高度成長期を迎える時代には、行政が料理教室を開いて、食肉文化を普及させるということも行われました。学校給食ではパンを普及させました。そのようにして、小麦とトウモロコシを大量に消費する仕組みが作られていったのです。

 もう一つ、牛の役割が大転換するきっかけとなったのが、トラクターやトラックの登場です。それまでは農作業で、大きな犂を牛に引っ張らせて土を起こしたり、重たい物を運ばせたりしていましたが、これがトラクターにとって代わります。農業の機械化です。これによって、農業における牛の役割が一変したのです。

 さらにもう一つ、牛をめぐる環境の大変化がありました。これはあまり知られていないと思いますが、戦後、焼け野原には家を立てなければならないので、大量の木材が必要になりました。そのために造林業が国策として取り組まれたのです。もともとあった広葉樹中心の天然林を伐採して、針葉樹中心の人工林(育成林)に置き換える「拡大造林」が急激に進んでいきました。その結果、牛を管理する牧野がなくなっていったのです。牧野とは要するに放牧場ですが、放牧場と言うと一般には北海道の広々とした牧場を想像されるかもしれませんが、実は本州や四国などの中山間地にある山林の傾斜地にも牧野が作られていました。かつて農家は一軒に一頭と言われるように牛を飼っていましたが、農繁期は農作業をさせ、農閑期には牛を牧野に預けるのです。そういう場所がたくさんありました。そんな牧野をすべて潰して植林が行われたのです。

 いま能勢農場が放牧場にしている場所も、昔はずっと上まで段々畑だったそうです。後になって、こんなところで米をつくるよりも木を植えた方が儲かると考えて、造林に転換したんでしょう。それが50年後になって、ほとんど価値が出ないまま放置されることになってしまったのです。だから、段々畑の名残の石がいっぱい転がっていて、放牧場を作る際には石集めに苦労しました。

 とにかく、そんな時代の変化の中で、牛を預ける場所がなくなってしまいました。それとともに、牛舎を作って牛をそこに入れ、穀物を食べさせ、太らせて食用として出荷するという畜産の方法が受け入れられてきたのです。こうして、誰もが「肉専用」の畜産に走っていきました。こういう普及を後押しする上で、アメリカの存在が非常に大きかったということは押さえておきたいと思います。


霜降り和牛が体現する矛盾

 その後、高度経済成長とともに肉の需要もどんどん増えていきます。それに応える形で、牛舎を大きくして効率よく牛を飼う近代畜産の時代に入っていきます。人口も増えてくるし、その食を支えるためにも効率化はどんどん進んでいきます。とくに和牛でいうと、優秀な種を残してというような流れが加速していきます。

 実は「和牛」という言葉は世界共通です。ほとんどの国で「WAGYU」と言えば通じます。“WAGYU=日本のおいしい肉”というイメージが浸透しているわけですが、そんな和牛を特徴づけているのが「霜降り肉」です。

 でも、僕からすれば、霜降り肉を偏重するあたりから畜産はおかしくなっていったんじゃないかと思います。というのも、霜降り肉は筋肉である赤身の間に脂肪が網目状に入っている状態(脂肪交雑)で、体脂肪率は50%ぐらいになるわけです。人間で言うと超肥満体で、どう考えても健康とは言えません。でも、霜降り肉がおいしいということで、そちらの方向へ餌も含めてどんどん技術が開発されていきました。

 脂肪交雑を求める飼い方は牛の体にかなりの負荷をかけますから、牛は病気になる確率が高まります。人間でも、体重が増えて糖尿病になって、悪化して関節がおかしくなったり、神経障害になったり、さらに悪化すると失明したりすることがありますよね。牛も同じです。しかも、肉牛の世界ではそれが普通なんです。むしろ、自分の脚で立てなくなる前に屠場に連れて行けるかどうか、そんな目利きがプロの腕の見せ所だと言われたりします。

 この事実を初めて知ったときに、「こんなことでいいのか」と疑問に思いましたが、業界ではそれが常識なんです。関節が腫れているのを見て、“脂肪交雑が進んでいるな”と見分けます。その上で、“そろそろ立てなくなるから、それまでに屠場に連れて行こう”と判断するわけです。日本の畜産はこんな世界なんです。

 牛も人間と同じで、肥満体になれば肝臓に負担がかかりますから、肝脂肪、肝炎などは当たり前。腸にも負担がかかるんで、腸炎もありますし、腸に穴が開いている状態で生きている牛もいます。そういう牛でも解体処理されて、枝を割ると、きれいな“サシ”が入っています。こういう肉が検疫を経て食卓に上るわけです。
■“WAGYU”と言えば霜降り肉だが…

 博労さん(家畜の仲買商人)から聞いたことですが、屠場に牛を持ち込む時には「歩いて入ったらOK」という基準があるそうなんですね。歩いて入る前に倒れたら「病畜」と判定されますが、「歩いて入ったらOK」と。ところが、歩いて屠場に入った牛でも、屠殺してみると内臓にかなりのダメージがあったりする場合があります。しかし、それでも「歩いて入ったらOK」。あとは保健所が検疫をして、大腸菌なんかで引っかかるところがなければ、ハンコが押されて食肉として世に出るわけです。

 そんな世界なんですが、でも、それに待ったをかけたら日本の畜産はほとんど不可能になります。とくに、世間でおいしいと言われている霜降り肉などはほとんど出荷できなくなります。もちろん、和牛でも個体差がありますから、霜降り肉でも病気になっていない牛もいます。とはいえ、生き物、食べものを扱う現場で、こんな現状がまかり通っているんです。こんなことでいいのかと思う人もいるでしょうが、ここに踏み込んで問題にすると業界全体が機能不全に陥る。だから踏み込めない。それが実情です。


畜産と農業の循環が壊れる

 やはり、それは大量生産・大量消費という方向が生み出した弊害だと思います。

 いま能勢農場には牛が400頭ぐらいいて、2ヶ所に分けて200頭ずつ飼っていますが、これぐらいの規模なら村の農家一軒一軒と付き合いながら牛を飼うことができます。たとえば、能勢農場では牛糞堆肥の地域内循環を行っています。地域の米農家からいただいた稲藁を粗飼料として牛に与え、牛が稲藁を食べて出したと糞尿を堆肥にして米農家に返す仕組みです。

 牛の糞尿を堆肥にして、それを畑や田んぼに入れて米や野菜をつくるなんて、昔はどこでも当たり前にやられていたことです。ところが、畜産の規模拡大とともに、地域の中で守られていた循環は崩れて行きました。

 日本全体で見ると、まだ四国の中山間地などでは牛糞堆肥の地域内循環が残っていますが、信州から北の方ではほとんど残っていません。規模が大きくなりすぎて、地域の農家だけでは処理しきれないからです。

 能勢農場のように400頭ぐらいなら、まだ地域内で循環できますが、これが4000頭にもなると、それだけの稲藁を地域で集めることはできないし、4000頭の糞尿からできた堆肥を受け入れる許容量もありません。その結果、大規模畜産から生まれる堆肥は全国のホームセンターにばらまかれ、農家はそれを買うしかない状況になってしまいました。

■能勢農場では2015年から牛の放牧を始めた
 こうした規模拡大の弊害は、畜産だけではなく農業にもあります。かつては米農家も裏作に麦を作ったり牧草を作ったり、二毛作が基本でした。しかし、米の増産を目的に農協の指導で稲の品種改良や稲作の機械化が進められた結果、米の作付けが早まって二毛作はなくなり、堆肥を入れなくても化学肥料で米が作れるようになりました。米作りは米作りだけに特化し、畜産とは切り離されてしまったわけです。

 それでも十分食べていけるだけの米価ならいいんでしょうが、米価はどんどん下がって、いまや作らない方がマシという値段でしか売れません。だから、米農家もますます規模を拡大しなければならず、畜産との地域内循環など気にする余地もない状況に追いやられています。


BSEという警鐘

 規模を拡大して、どんどん効率を求めていく。その結果なにが起きたのか。最たるものがBSE(牛海綿状脳症)の発生です。BSEの原因とされている肉骨粉は、効率よく搾乳したり、牛を太らせるために高たんぱくのエサを開発する過程で出てきたものです。ヨーロッパの酪農では、それまでも乳質を上げるために盛んに肉骨粉が使われていました。

 簡単に言えば、肉骨粉は死んだ家畜の肉をかき集めて、粉砕して粉にして、餌にしたものです。草食動物に動物性たんぱくを与えるのは不自然だというのは、立ち止まって考えてみれば分かりますよね。でも、感覚がマヒしてくるんです。効率性が良いということで、どんどん利用が広まっていく。死んだ家畜も肉骨粉にすれば金になるわけです。その結果、牛もおかしくなり、その牛肉を食べた人間もおかしくなりました。

 先ほどお話した「日本飼養標準」では雑食動物と草食動物を対象に、草食はA飼料、雑食はB飼料と飼料を区分していますが、そうなったのはBSEが問題になった頃からです。草食動物には動物性のものを食べさせたらダメですよと、国が改めて基準作りをしたわけです。そんなこと現場は国から言われなくても分かるはずですが、分からなくなってしまっていた。大量生産・大量消費の落とし穴です。

 昔、僕がよつ葉の配送をしていた時、大手製菓会社の菓子工場で働いている家庭に新規入会の説明に行ったことがあります。話をしていると、工場で働いているお父ちゃんが出てきて、「ウチで作ったお菓子を食べているか」と訊くんですね。どういうことかと不思議に思っていると、「食べたらあかん、あれは食うもんじゃない」と言うんです。

 要するに、添加物として、本来は人間の食べものではないものを入れている。でも、何万倍に薄めているから基準の上では問題はないという話です。

 入れないと日持ちがしないから保存料を入れる。その保存料は、原液をそのまま口に入れたら間違いなく人間が死ぬようなものです。でも、国が認めた濃度まで薄めて使えば大丈夫だということで普及しているわけです。BSEについても基本的に同じ構造ではないかと思います。


安全・安心な食べものとは

 ここから、「安心・安全な食べものとは」というテーマに入っていこうと思います。

 畜産や食べものをめぐって今までお話してきた状況は、裏を返すと、消費者が求めなければここまでは進まなかったのではないかと思います。消費者はただ素朴に安くておいしいものを求めますよね。それに対応して、低コストで良質な牛肉を追及するあまり、あるいは効率や経済を優先するあまり、牛の生物としての領域を越えてしまう。そのための技術を開発してしまう。

 それは単純に否定できない部分もあると思いますが、ただ、自然界では絶対にありえないことを、人間が技術を開発したからやってもいいというのはあまりにも傲慢です。たぶん肉骨粉もそのようにして開発されただろうし、短期的には問題がなかったから広まったんでしょう。結果的に消費者も容認したことになりますが、そのしっぺ返しは思わぬ形で来たということです。

 このように見てくると、国が安全を担保したから大丈夫だなんてとても言えませんよね。実際、これまで畜産に関わってきて思いますが、別に国は安全を担保しようとしているわけではありません。国が担保しているのは今の食のあり方であって、そのために現状を追認しているだけです。
■地域内循環のイメージ

 たとえば、霜降りの肉で言うと、屠殺して肝臓や腸に癌ができていても肉としては出荷できるんです。それを食べて、本当に影響がないのかどうか分かりません。あるいは、お客さんを招いて料理するときに毒かもしれないものを入れたりはしないはずですが、商品として大量に作る場合には安全基準をクリアーしているから大丈夫ということになってしまう。国としては、いろいろ検査しておかしな結果が出ていないから、それをもって安全だと言っているわけです。

 でも、これまでいくつも公害問題がありましたよね。たくさんの被害があって、安全基準が作られてきたわけですが、それは結局のところ、いずれも事件が起きた後のことなんです。事件が起きる前は、国は“安全は担保されている”と言っていたわけですよ。

 ということは、僕らが霜降りの肉を食べても、現時点では問題はないとしても、年をとった時、あるいは何代にもわたって食べ続けたら、なんらかの影響が出るかもしれません。魚を捌いたときに内臓が腐っていたら、さすがに“身は大丈夫だから”と言って刺身で食べたりしないでしょう。

 でも、それがまかり通るんです。検証してダメだという結果が出ていないからOKだ、と国が言うからです。しかも、そこを問題にして突っ込むと、業界全体がひっくり返ってしまう。そういう構造になっている。

 これが食をめぐる現在の状況、その一端です。そこから振り返ると、食の安全・安心は、単にそれを食べたら危ないか危なくないかという視点で見るのではなく、その食を支えているさまざまな関係を含めて捉えるべきではないか、僕はそう思います。


生レバーと貝割れ大根の事件から

 富山県の焼肉屋で2011年に、ユッケに付着していた腸管出血性大腸菌O111の集団食中毒で4人が亡くなった事件が発生し、これをきっかけに生レバーの提供が禁止されることになりました。事件が起きた焼肉屋は吊し上げられて潰れましたが、原因となった病原菌は焼き肉屋で発生したものではないとされています。

 では、どこで病原菌が付着したのか、それは闇の中です。僕としては、保健所と食肉業界の力関係が昔のまま色濃く残っていた結果として、原因の究明まで踏み込めなかったのではないかと見ています。不透明といえば不透明ですが、それが食肉の世界だったことも事実です。

 実際、それまで国は食肉の生食については、ほとんど指導していませんでした。国が基準を決めて、何日まではいける、何日を過ぎたからダメ――なんてことはなくて、安全を担保してきたのは、もっぱら現場で肉を提供してきた人たちです。しかし、事件が起きたことで、国は突如として「表示既定」や「衛生基準」を言い出し、生レバーを禁止したんです。

 1996年に堺市の小学校で発生した病原性大腸菌O157の食中毒事件も、当初は貝割れ大根が感染源だと言われましたが、結局のところ貝割れ大根から病原菌は検出されませんでした。原因は闇の中です。

 病原菌に汚染されていた牛の内臓を運んでいたトラックに貝割れ大根を積んだから、貝割れ大根が汚染されたという話もあります。普通、プロはそんな積み方はしません。そうした積み方をしたとすれば、それは効率を優先した結果でしょう。

 実際、牛の腸の中にO157がいるのは確かです。でも、基本的にホルモンを食べても僕たちは病気になりません。それは、内臓を処理している職人さんが切って捨てるところと食べられるところを見定めて提供しているからです。屠殺した牛の内臓をきれいに洗い、それをさらに加工して出荷していますが、そうした仕事の中で職人の技が吟味されていくのです。安心してホルモンが食べられるのはその結果であり、国が基準を決めているからではありません。


作る人と食べる人の結びつきを大切に

 いまスーパーに行けば、溢れるほど食べものがあります。手にとってパッケージの裏を見ると、原材料表示に目が回るほどいろいろなものが入っていることが分かります。これらを食べ続けたらどうなるかなんて、実はほとんど分かりません。先ほどから言っているように、国が安全を担保してくれるわけではないからです。

 最終的な安全の決め手になるのは、作る人と食べる人の感覚だと思います。食の安全は食べものだけを見てもダメで、生活全体の豊かさの中で担保されていくものだと言ってもいいでしょう。配達の現場から畜産の現場に移って、一番感じているのはその点です。僕たちの肉を食べてくれる消費者会員の皆さんに、どうにかしてこのことを伝えられないものかと、強く感じています。

 これは、例えば「霜降り肉は危険だ」と非難して済む話ではありません。世間では未だに霜降り肉は圧倒的に支持されているし、そんな現状の上で多くの畜産農家が食べていけるのも事実です。それを頭から否定してしまえば、畜産そのものが立ち行かなくなります。自分たちだけが安全だとして、それで本当に安全が担保されるんでしょうか。だから頭から否定するのではなく、そういう人たちと一緒に現状をどう変えていけるのか、そういう観点から問題を立てていく必要があると思います。

 そのためには、作る人と食べる人が同じく囚われている霜降り肉第一の価値観や意識を変えないといけない。さらに言えば、牛は食べるものだという価値観や意識も変えていくべきかもしれません。動物には食肉である前に、生き物としての一生があるわけです。そういうところも含めて安全は担保されていくものだと思います。

 僕たち関西よつ葉連絡会がやろうとしているのは、そうした仕組みを作ることではないでしょうか。作る人と食べる人(生産と消費)の関係で言えば、普通は食べる人が作る人よりも上になりがちで、「もっと安い牛肉を作れ」などと言われるものです。食べてもらえなければ作り続けることができないからです。

 でも、それだけならば、作る人は安い牛肉を作るために効率重視で危険なエサを与え、食べる人は安全性の不確かなものを食べざるを得ない、そういう不毛な関係の繰り返しにしかなりません。

 僕たちは、そうではない関係を作るために畜産のやり方を変えてきました。実のところ、僕たちが出荷する肉は、脂肪交雑を重視する世間の評価で言うと「中の下」ぐらいです。それでも、配送センターの皆さんがそのことの意味を積極的に理解し、消費者会員の皆さんに伝えてくれるからこそ、消費者会員は安全な肉を食べることができ、それに支えられて僕らの現場が成り立っている。
 繰り返しになりますが、安全を担保してくれるのは決して国ではなく、国が決めた基準でもなく、作る人と食べる人の結びつきだけだと思います。むしろ、作る人と食べる人の結びつきが食べものとして皆さんのトラックに乗っていくんです。

抗生物質とBSE以降の飼料について

 いくつか質問が寄せられているので、それに答えたいと思います。まず、飼料に添加するのを認められている抗生物質はどんなものか、という質問です。
 注射によって抗生物質を投与する場合、出荷日まで何日か間隔を開ける必要がありますが、飼料に添加する「モネンシン」という抗生物質は出荷直前までOKです。残留しないからという理由です。

 もともと牛は草食動物ですから牧草を食べます。ところが、一般的な肥育では、その牛にトウモロコシや麦、大豆などを熱処理した濃厚飼料を与えています。濃厚飼料を2キロぐらい与えれば、牧草10キロ分に相当する栄養(カロリー)が効率よく摂れるからです。

 ただし、牛は通常なら牧草を食べてそれを反芻することで、第一胃から第四胃まで、それぞれの栄養を吸収していきます。ところが、トウモロコシの場合は反芻などせず、第一胃から第四胃まで素通りするだけですが、反芻の場合と同じように胃酸は出てしまいます。その結果、胃に負担がかかって潰瘍になったり、胃の働きが悪くなる病気に罹ることもあります。最悪の場合、胃の中で飼料が異常発酵し、ガスが溜まって死んでしまうこともあります。こうした病気を防ぐための抗生物質がモネンシンです。

 ただし、最近では畜産の世界も少しずつ変わってきています。肉を扱う業者の中で、モネンシンを添加した飼料で育てた牛を敬遠する動きが現れているのです。消費者が危惧をするから、できたら扱いたくないということなんですね。

 これはなかなか画期的な動きで、本当に健康な肉を提供していこうとする肉屋さんが出てくれば、さらに状況が変わっていくのではないかと期待しています。こういう場面で消費者が声を上げるのは一つのポイントだと思います。国にゲタを預けてしまうのではなく、やはり足元から声をあげて少しずつ変えていくのが大事だと思います。

 もちろん、能勢農場では使っていませんよ。

 それから、最近はBSEについて耳にしなくなったけれども、現状はどうなっているのか、という質問もありました。

 これについては先ほど、BSE騒動をきっかけに飼料に対する国の基準が厳格になり、草食動物用にA飼料、雑食動物用にB飼料という形で区分が義務づけられるようになったと言いました。実際、牛にはA飼料しか与えてはいけないことになりました。

 以前は、豚の餌を仕入れて牛に与えていた人もいるぐらいでしたが、それはさすがになくなりました。牛の餌としてB飼料を売ると、餌屋さんは営業停止になります。飼料に関してそれぐらい厳格化されたので、BSEは問題にはならなくなりました。

 ただ、アメリカは心配ですね。アメリカは“BSEは餌が原因ではない”という見解ですから。


繁殖をめぐる技術の現在形

 繁殖の世界では、日進月歩で技術が発展しています。本当に行き着くところまで行く勢いです。それこそ、ゲノム編集の応用も試験的に始まっていると聞いています。

 和牛について言えば、たとえば但馬牛などはブランド牛として優良な系統を選別して残してきた結果、近親交配が進み過ぎ、肥育しても大きく育たなくなってきました。どんどん血が濃くなって、但馬牛の純粋種としては残せなくなってきていると聞いています。そのため、これまでは但馬牛の本筋のものでないと神戸牛とは名乗れませんでしたが、兵庫県は規制緩和しました。

 ET(受精卵移植)技術によって、雌のホルスタインに和牛の受精卵を移植して和牛を産ませ、これを兵庫県内で肥育し、市場に出して一定の格付けをクリアーしたものは「神戸牛」と名乗れるようになりました。

 技術的に難しい面もあり、受精卵の値段も高いのですが、若い人たちがチャレンジしています。うちにも“F1(和牛とホルスタインを掛け合わせてできた肉牛)の雌のお腹を貸してください”と勧誘に来ています。もちろん断っていますが。

 さらには、産ませるだけではなくて、卵子を採って売買するやり方もあります。雌が発情すると、卵子は最終的には一つしか出てきませんが、その手前の段階では20~30個ぐらい作られているんです。そこで、手前の段階の卵子をすべて採取し、顕微鏡で調べて優秀な卵子は売買に回します。それ以外の卵子はその場で和牛の精子を着床させ、F1のお腹を借りて和牛を生ませる。

 牛の出産は一年一産ですが、母体に相当の負担がかかります。しかし、卵子の段階で採取すれば負担ははるかに軽いし、発情そのものは21日周期なので、そのたびに卵子が採れます。そうなると、卵子を売る方が儲かる。子どもを産ませるなんて時代遅れ、今は卵子を採る時代です。精子は精子で雄から採って、別々に管理して、顕微鏡の中で受精させて腹に付ける。これが繁殖の最先端です。

 実際にやっている人たちからすれば、その方が出産に伴う事故も少ないし、母体の負担も少ないし、優秀な種が減っていく中では技術を開発してつないでいかざるを得ないということでしょう。

 しかし、決して自然にそんな状況になったわけではありません。生き物としての牛に無理を強いた結果です。そうした原因を問題にすることなく、技術開発の方に走るのはどうなのか。その是非がどこまで議論されているのか、常に考えざるを得ません。

■ET(受精卵移植)技術の概念図

 そんな状況の中で、安全だと思って牛を食べられますか。やはり少なからず抵抗がありますよね。消費者倫理からしたら、普通は受け入れられないと思います。でも、消費者から見えないために、事態はどんどん進んでいく。

 僕たちとしては、そうした流れと一線を画す畜産を作っていくべきだと思っています。そのためにも配送を担当する皆さんとの間で、これまでお話したことは共有しておかないといけない。正直、僕らもいつそういうところにはまり込んでしまうか、分からないのが実情です。能勢農場を続けていくためには、ある程度は稼がないといけない。しかし、稼ごうとすれば、世間一般の畜産に近づいてしまいかねない。

 もちろん、まず僕ら自身が、なぜこういう畜産の事業をしているのか、そもそもの目的に立ち返っていくことが大事です。でも、気づかないうちにそうなってしまうこともある。むしろ、その方が多いかもしれません。そうならないように、配達の皆さん、あるいは消費者会員の皆さんから働きかけてくれる関係をつくることが、関西よつ葉連絡会の目指すべき方向だと思っています。

 そうした意味で、今日の僕の話を受けて、現在の畜産、現在の食をめぐる状況はどうなのか、生き物・食べものを扱う自分たちの価値観はどうなのか、そうした観点から自分たちがやっている仕事を振り返ってほしいと思います。できれば配達の現場でも、そういう話がされることを期待して、僕の話は終わりたいと思います。  (つづく)

 
※本稿は、関西よつ葉連絡会の職員研修企画「よつばの学校・全職員講座」(7月10日)における講演録を加筆修正したものです。


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