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市民環境研究所から
コロナより重い政治・社会の病
毎朝の日課は愛犬と琵琶湖疎水を散歩することから始まる。琵琶湖西岸の大津市の三井寺から県境の山をトンネルで抜けてきた琵琶湖の水は、山科あたりでは山裾を流れ、ふたたびトンネルをくぐって南禅寺あたりへと水を運ぶ。これが京都の命の水が流下する琵琶湖疎水である。
毎冬には一度や二度は積雪を踏みしめながらの散歩を楽しむのだが、今年は一度もなかった。おだやかに春となり満開の桜を愛でながらの散歩となったが、桜の季節があったかなと訝るほどに印象が薄い。桜のせいではなく、白いマスクで新型コロナウィルスを除けながらの春だったからだ。いろんなイベントや活動が目白押しで日程消化に体力気力を消耗するのではなく、「自粛、自粛」と安倍から言われるかと腹を立てながらの自粛生活である。
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安倍が人気回復のため思いつきで言い出した全世帯にマスクを2枚ずつ配る政策は、自民党も側近も止められずに始まった。予算額は466億円だが、マスクの質が問題になり回収したものもあるという。たしかにマスクは購入できないほどに品不足となった時期もあったが、アベノマスクが未だに配られていない状況で、「マスク、マスク」と言わなくてもよい状況になってきた。
筆者たちの事務所がある地区は、以前に「里ノ前中華街」と記したように、中国からの留学生がたくさん居る地域であったが、春節に中国へ帰郷した留学生たちはコロナウイルスのため、5月の今も帰って来ておらず、中華料理店にはお客はまばらであり、経営も困難な様子である。客の代わりに、各料理店の入り口には中国から輸入したマスクが山積みされている。アベノマスクとはなんだったのだろう。
それよりも、我々がもっとも安倍内閣に求めているのは、新型コロナウイルスに罹患しているかどうかを判別するPCR検査のことである。いっこうに検査件数は増加せず、安倍が言っている1日2万件の検査数には遠く及ばない日が続いている。諸事情で件数が増加できないこともあるだろうが、それならばその理由を述べ、国民を納得させるのが政治家の務めだろうに、理由を話したことはない。
件数を増やして感染者数が増えればオリンピックが飛んでしまうと思っていた1月、2月は過ぎ、オリンピックの1年延期が決まったあともPCR検査数は微増でしかない。“4日間37.5度以上の発熱が続いたなら検査してやるぞ”と言い続けてきた安倍政治のせいで命を落とした人がどれほどいるだろうか。コロナ騒動が一応治まっても検査数を増やさなかった安倍内閣の責任追及を続けなければ。
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もうひとつの問題があった。PCR検査はどこに相談に行けばよいのか分からないままに、京大の保健センターと学生部に電話をかけた。もちろん筆者のことではなく、現役学生の件である。大学ではいっこうに埒があかず、適切なアドバイスもなかった。京都市や京都府に電話をかけたがいずれの担当課も適切な返事をしてくれなかった。
相談の中味は「風邪を引いた学生はなんとか病状は回復したが、ほんとに普通の風邪だろうか。ひょっとしてコロナではないのだろうか。それならば保菌者であり、回復したからと言って研究室に出て行けない。なんとか検査を受けられないだろうか」というものだ。本人が悩んでいたので、なんとかやってみようと思って各部所に相談したのだ。
結論としてはどこも的確な指導はなく、「かかりつけの医者に相談しろ」と言われただけだった。“こんな事例もあるのだ”と他大学の教員に話したら、彼の大学でもあったという。他人のことを考えるやさしい若者ほど悩んでいるのである。
ひょっとしたら、大丈夫という検査結果もなく、引きこもりになっている若者もいるかもしれない。大学も行政も、どうしようもないほどに無責任病に罹っているのだろう。
コロナ感染に気をつけなければならない海外からの帰国者や医者が宴会をして菌をバラまいた事件もあったが、そうならないようにと気をもんでいる若者に向かい合うことさえしない組織人たちこそ、最も重病者かもしれない。新型コロナ病を克服したとしても、こんな政治家や大学人との闘いが続くのだろう。
(石田紀郎:市民環境研究所)