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コラム 南から北から

農業も農産加工も政治的関心も



 町の西側に連なる葉山の雪が下から徐々に消えてゆき、ブナの新緑がその後を追いかけるように昇っていって「ブナの峰越え」となりました。田植えの5月です。同居している上の息子の手伝いも得て、あちこちに散在する田圃6枚(全部で3町歩)のうち5枚が終わりました。

 「晴天の霹靂」ともいうべき新型コロナウィルスの感染拡大で、世の中が一変しました。政府の失策が拍車をかけて東京など大都市の混乱は一体いつまで続くのだろう、と不安はつきませんが、東北の農村の時間は例年とあまり変わりなく過ぎています。

 5月に入って、フキの収穫にはじまり、ウドや筍採り、大好きなコシアブラは山好きの友人からいただいて、食卓の品数を増やしています。アク抜きをして煮物にするのが定番ですが、ウドやコシアブラの我が家のお決まりは「切り和え」。ゆでた後、細かく刻んで、味噌と少々の砂糖と炒りゴマを加えたら、さらに刻みながら混ぜていきます。「なめろう」を鯵ではなくウドやコシアブラで作ると言ったら分かるのでは。毎日食べても飽きない我が家の春の味です。

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 5月半ばに、農産加工の仲間たち(しらたかノラの会)の5人で山の沢づたいにヨモギ摘みに行きました。今年の冬からノラの餅リストに「ヨモギ餅」を加えようと考えています。沢の中州や両岸に繁茂したヨモギの新芽は、5月の陽射しに柔らかく輝いて、芳香を放っていました。5人で2時間を2日やって50㎏。採ったヨモギは茹でて包丁で刻んで冷凍庫へ。ヨモギ摘みは楽しさばかりでしたが、刻み方は腱鞘炎になりそうで、来年からは機械の導入を検討すべきと考えています。

 しらたかノラの会は2006年に発足した農産加工グループで、男性5人と女性6人の11人で始まった会でしたが、その後、長年、有機農業を実践してきた年長の加藤秀一さんが亡くなり、2年前には会の縁の下の力持ちだった大内文雄さんを亡くしました。若手の男性2人と女性1人も別の仕事に就き、今では男性1人と女性5人の零細企業です。それでも事業規模はそれほど縮小せずに、現在でも、生協への製造・販売のほか、個人顧客への漬物、餅、菓子、惣菜の4分野50品目の宅配による注文販売も行っています。

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 2ヶ月に1度、個人へ郵送する「注文販売のお知らせ」の巻頭文はみんなで持ち回り。畑の様子や環境問題、農業問題、国政のことなど、それぞれの関心事や思いを1000字の言葉に込めますが、原発事故や安保法制の時に掲載した文章に対して、消費者の方から「農業者が政治のことに頭を突っ込むと農業がおろそかになる」と言われ、がっかりしました。

 そんなことにはめげずにその後も相変わらず、農業にも農産加工にも政治的関心を持ち続けることにも邁進していますが、目下、政府の火事場泥棒的動きに抗議の声をあげた芸能人の方々に「芸能人のくせに政治に口をつっこむな」というネット上の批判の声に同じ視線を感じます。

 政治に口を出さない人々の存在が、今の日本社会の惨状を許してしまったという事実を今こそ直視する時です。

(疋田美津子:山形県白鷹町在住)


■葉山の登り口の沢づたいに繁茂するヨモギ



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