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京都市長選をめぐる座談会 報告

市民と政治との接点を求めて
現れはじめた新たな動き

 2月2日に行われた京都市長選では、従来の「共産系対非共産系」の構図とは異なり、市民運動勢力と諸政党が連携して統一候補を後押しする新たな動きが現れた。結果的には現職の4選に終わったが、市民・市民運動が政治とどう関わるか、現状をどう変えるかという点で、貴重な経験だったと見ることができる。そこで3月21日、選挙に市民運動の側から尽力されたお二方と、当研究所と連携のある大阪の市民派議員との間で座談会を行うことになった。以下、その概要を紹介する。(文責は当研究所)


はじめに

 京都市長選の立候補者は、現職の門川大作氏(69)=自民、公明、立憲民主、国民民主、社民が推薦、福山和人氏(58)=共産、れいわが推薦、村山祥栄氏(41)=地域政党・京都党元代表の三名。選挙結果は、門川21万0640票、福山16万1618票、村山9万4859票となっている。

 もともと自民や公明は現職の4選出馬に難色を示していたが、ほかに有力候補が見つからないことなどから、推薦を決めたとされる。村山氏は京都市議を5期務めたベテランで、民営化による財政再建などが持論。弁護士の福山氏は2018年4月の京都府知事選にも出馬し、得票44%の健闘で、共産以外が相乗りする現職後継候補と接戦を演じた。

 知事選では、共産系の組織とされる「民主府政の会」のほか、市民運動関係者などが応援団体「つなぐ京都」を結成し、共同で選挙運動に取り組んだ。今回の市長選でも、再び福山候補を応援するため「つなぐ京都2020」が結成された。

 座談会は京都市左京区の市民環境研究所で行った。出席者は、「つなぐ京都2020」の関係者として、市民環境研究所の石田紀郎さん、会社経営者で選対事務長を務めた白坂有子さん。また、大阪方面からは豊中市議の木村真さん、高槻市議の高木隆太さんに議論に加わってもらった。司会は当研究所の山口協が務めた。


京都の市民運動のこれまで

 ――これまでの京都の政治構造がどんな感じで、いわゆる市民運動がそこにどう関わってきたのか、簡単に紹介していただければと思います。

 
【石田紀郎】私自身について言えば、1970年ごろの大学闘争の後から、関ヶ原以西の公害問題を中心に現場を歩いてきました。その中で、原因調査や解決に役立つことをしようと、被害者と一緒に運動してきました。だから、「市民運動」というのは、もう一つピンと来なかったんですよ。

 水質悪化で琵琶湖に赤潮が出たころ、槌田劭さんから、京都でもこの問題を市民運動としてやるから手伝えと誘われて、最初は「僕は被害者運動は分かるけど、市民運動は分からんし嫌や」と言うてたけど、槌田さんの呼びかけで「京都水問題を考える連絡会」が作られ、その事務方などをすることになりました。

 たしか1978年5月3日の憲法記念日に、河原町三条の鴨川の河原から円山公園まで、集会とデモをやることになりましたが、その時に初めて、常寂光寺の長尾憲彰さんが代表の「嵯峨野の自然を守る会」とか、槌田劭さんたちの「使い捨て時代を考える会」とか、佐伯昌和くんたちの「反原発めだかの学校」、それからベ平連(正式名称「ベトナムに平和を!市民連合」)の流れの人たちとか、党派とは無関係の市民運動と関係ができたんです。

 「京都水問題を考える連絡会」は合成洗剤追放運動をやっていたので、市民個人もそうだし、団体としては会員3000人以上を抱える右京区の婦人会も参加して、石鹸の普及運動をやっていました。

 琵琶湖に赤潮が出たのが1977年で、京都の水が最悪になったのが78年です。僕の家でも、臭くてお風呂に入入れなかったし、お茶を飲もうにも、かび臭でお茶の匂いがしない。そんな状態だったので、京都では水問題で横のつながりができて、空き缶問題、ごみ問題、それから反原発の運動やら反天皇制の問題とか、いろんな運動がつながっていった。そういうグループが年一回集まって、5月3日に集会とデモをやりだしたわけです。

■石田紀郎さん
 ところが、デモを一緒にやる段になって、右京区婦人会が「私らは合成洗剤は嫌やけど、原発はいると思っているから、反原発の人とデモをするのは嫌や」と言い出したんです。仕方なしに、婦人会はデモの先頭に行ってもらって、反原発のめだかの学校と反天皇制は一番後ろに行ってもらう、そんな感じで便宜的にまとめて2~3年やっていました。

 ただ、この対立はそのままにしておけない。なんとか乗り越えないといけないということで、市民講座「かざぐるま」という催しを企画しました。環境や社会、政治などいろんな課題について、鶴見俊輔とか日高六郎、飯沼二郎といった先生に来てもらって、勉強会をするわけです。ただし皆さん手弁当です。130回ぐらいやりました。その中で原発についても取り上げ、婦人会の人々にも「本当にいるかどうか、一緒に勉強して考えてくれへんか」と誘ったら、「それなら行く」と言って来てくれました。それで何回かの出席で「あれ(原発)はあかんわ」みたいなことになって、それ以降はモメることはなくなりましたね。これは結構意義があったかなと思います。

 ただ、5月3日の憲法記念日といえば、かつては家にいる人が多かったのに、80年代中ごろを過ぎると行楽に出かけるのが当たり前になって、人が集まらなくなってしまった。それでも、5月3日の集会とデモは10年ぐらい続いたと思います。


フクシマ以後の大きな変化

 ――そうした市民運動の展開と、選挙や議員を擁立するような動きとは、なにか重なりがあるんでしょうか。

 
【石田】80年代はなかったですね。ベ平連をやっていた鈴木正穂さんが当選するのが、78年ですか。2回落選して、3回目に助けてくれと言われて、僕が初めて選挙に関わったのが彼の選挙です。ただ、僕は国家公務員でしたから、バレたらやばい。実際、選挙事務所の反対側で、対立候補となった共産党の関係者がカメラを持って立ってましたから、いったん事務所に入ったら夜中まで出ないように気をつけたり。そういう時代でした。

 しかし、それ以降は正穂さんの選挙も労働組合が仕切るようになったので、まったく面白くなくなって、みんな離れていきました。

 いずれにしろ、その頃は共産党と一緒にデモをするなんてことは思いもしなかったですね。90年代も2000年代も別個にやっていました。

 それが変わったきっかけは、2011年の東日本大震災と福島第一原発事故です。当時、僕はカザフスタンに行かなければならず、2週間後に日本に帰ってきたんですが、反原発めだかの学校の佐伯くんに「反原発だけでもいいからオール京都でやろう」と言って、翌年から3月11日の前後に共産党系の運動や市民団体も含めて、「バイバイ原発・京都」の集会をやるようになりました。そこには社民党も新社会党も、立憲民主党も来てくれた。初めてオール京都ができたんですね。

 2012年の集会で、僕は主催者の一人として共産党系の生協の元理事長と一緒にステージの上に座らされたんですが、お互い「あんたとこうやって並んで座るとは思わなかった」と言い合ったのが最初だったと思います。

 だいぶ様子が変わってきたのは、ここ数年です。「バイバイ原発・京都」のつながりで、2017年の衆議院選挙で共産党の穀田恵二さんの応援演説を頼まれ、翌2018年の京都府知事選挙では、今回市長選に出た福山和人さんの支援団体として「つなぐ京都」に加わりました。だから、原発事故はやっぱり大きかったですね。

 今度の市長選では、実際に頑張ってくれたのは白坂さんをはじめとする女性陣です。僕は市民運動と共産党系のつなぎ役みたいな形でやらせてもらいましたが、実質は白坂さんたちで、新しい芽が出てきたかなと思います。

 ただ、この市民環境研究所は会員が数十人しかいませんが、そうやって共産党系と組むと、石田が組むのであって研究所が組むわけではないんですが、会員を辞める人が少なからずいました。共産党系と組むのが嫌やからという理由です。これは仕方がないと思っています。新しい地平を開くためにはそういうことがある。

 ――京都は他所に比べれば市民運動も盛んだし、かつては政治的な運動も結構活発だったと思いますが、その割には鈴木正穂さんを除いて、自称他称問わず、いわゆる市民派議員はいませんでしたね。なぜなんでしょうか。共産党が強いからですか。

 
【石田】やはり、よくも悪くも蜷川府政(※)の政治体質で、そうなっちゃったんでしょうね。それが大きいと思います。それに政令指定都市は小選挙区だから、市民運動で議員を持つのは難しい。

 
【木村真】大阪でも、いわゆる市民派がいるのは郊外の衛星都市で、定数が20、30のところに1人、2人が潜り込むぐらいです。大阪市内だと、一つの選挙区で定数が4、5なので、基礎票のある政党公認候補にはなかなか太刀打ちができませんね。

 
【石田】結局、京都では無所属議員は誰も作れませんでした。伏見区で90年ごろだったか、市議会選挙に高橋幸子さん(※)を立てました。これは、僕は本気で選対の事務長をやりましたが、3200票とったものの150票差で負けました。それで、俺には選挙の才能がないと思ってやめたんです。選挙に精通した人とは決定的に読みが違う。選挙戦の最後の2日間、伏見区の有権者が多い大票田に選挙カーを入れたんです。でも、そこは圧倒的に投票率が低い。最後の2日間、地元でもっとやっていれば通ったんじゃないか。それと、やはり共産党が強い。

 ※蜷川府政:京都では1950年~77年、蜷川虎三知事の下、当時の社会党、共産党が主導する「革新府政」が続いた。
 ※高橋幸子:教育評論家、エッセイスト。1980年代、伏見区の団地の一室でオルタナティブな学びの場「みみずの学校」を開設。地域誌『京都TOMORROW』の編集にも参加。



組織の流儀と市民の流儀


 ――批判票が共産党に吸収されちゃうということですかね。では、選挙運動に関わられた経緯からお願いできますか。

 
【白坂有子】私は、これまでどんな組織にも入ったことがなく、自分一人で考えて動くという形で、とくに組織で活動していたわけではありませんが、デモを見て飛び入りで入ったり、ヘイトのデモがあったらカウンターに加わるといったことをしてきました。普段は会社や飲食店などを経営している一市民です。やっぱり3・11の後ぐらいから、もうちょっと積極的に動かないといけないなという気持ちになって、頼まれるままに選挙の応援演説をしたのが、選挙活動に関わる最初のきっかけです。地元の共産党の応援演説ですね。私は東山区に住んでいますが、市民運動って共産党系の人しかしていないんですよ。なにか運動があるなと思ったら、だいたい共産党が関わっておられます。

 2018年に知事選があって、その後、私自身も市議選で東山区から出馬したんですが、その前に、誘われて「市民連合ユナイトきょうと」に入っていて、野党共闘を進めていく活動をしていました。私は無所属で出て、支持してくれたのは共産党と新社会党と社民党です。京都で社民党が共産党と一緒に支持してくれたのは45年ぶりということで、私はとてもうれしくて、京都で野党共闘の道筋を一歩踏み出せたんじゃないかと思いました(今回の市長選で社民党が門川さんを支持したのは残念でした)。自分の経験から言うと、石田さんが言われたように、京都の市会議員選挙が小選挙区制だということが、市民派というか無所属議員が生まれにくい原因の一つじゃないかなと思います。
 ■白坂有子さん

 自分の選挙をきっかけに「関西無所属ネットワーク」というグループに入りました。宇治の佐々木真由美さん、西宮の田中あきよさん、近江八幡の西村静恵さんなど8人ぐらいのグループです。最初はもう少しいたのですが、何人かは立憲民主に行かれました。今も交流を続けているのですけれども、木村さんが言われたように、定数が20人とか30人の周辺都市では潜り込みやすいんですね。大きい政令指定都市では、ことごとく落ちてるんです、そこのメンバーも。

 この間、私自身が選挙に出たり、今回の市長選で福山選対の事務長を務めたりしましたが、そうした中で思ったのは、普通の市民が継続的に政治に関わったり、市民運動に関わったりするのは、よほどの熱意と体力、そしてお金もなければできないということです。基本的には、自分の空いている時間を使ってやるのが関の山です。だから、選挙運動の実務については組織の人に任せる、というか任せないとできないのが現実です。

 そう考えると、市民型選挙とは何なのか、市民が何を担うのか、そのあたりを整理する必要があると思います。フルタイムで仕事をして、普通に生活していると、それほど関われないのが現実なんですね。

 そうなると、どうしても政策の打ち出し方とか選挙戦の進め方とか、さまざまなものが組織や組合の流儀になってしまいます。一方で、私のように組織に属していないと、そうした流儀を知らないので、会議では「ちゃぶ台返し」を繰り返すことになります。組織というのは、会議の仕方一つとっても自分たちの流儀で運営しようとしがちですが、それでは新しいものが見えてこないんじゃないかとも感じました。

 そういう中で、私は事務長として一番苦労したのが、さまざまな人がバラバラに提案してくる意見ややり方をどうやって形にしていくのか、ということでした。ストレスでアトピーになるくらいでしたが、けれども、これは本当に試行錯誤の中から形にしていくしかないというのが実感ですね。

 それと、選挙関係者の中でも議論したことですが、市民運動の多くは、たとえば再開発に反対するとか、行政の計画を批判するといった要求運動が中心になりがちなんですね。往々にして、運動の外側にいる政治に関心のない人たちにどう見えているのかという視点が欠けてしまう嫌いがあります。だから、実際に票を集める段階になると、大きな集会をやれば票に結びついていると錯覚してしまう。

 この点は見直さないといけません。たしかに要求運動は必要だけれども、政治に関心のない人たちに対して訴求力のある打ち出し方を考えた時に、視覚的に浮かぶような街づくりビジョンのようなものを打ち出す力が弱いと思うんです。どうして箱モノや再開発が支持されるかと言えば、街がこんな風に変わるんだと、分かりやすいし見えやすいからです。これまでは市民派も共産党系も、そのあたりを軽視してきたのではないでしょうか。その点もこれからの課題ではないかと思います。


候補者選びから主導

 ――前の知事選と今回の市長選で、何か違うところはありましたか。

 
【白坂】知事選の時は、候補者選びの段階から私たちが関わっていたわけではありませんでしたが、今回は候補者選びの段階から関わりたいと提案しました。というのも、私としては、なんとか京都で野党共闘を進めたいと思っていたからです。共闘を進めようとするなら、候補者も共闘する党や市民と一緒に選ぶのでなければ筋が通りませんよね。この提案には、民主市政の会(共産党系)をはじめ組織の方も同意してくれました。

 ところが、実際にほかの野党にも共闘の要請に行きましたが、失望しましたね。立憲民主党の福山哲郎さんに話をしたとき、私は言いました。「京都の事情とか、中央と地方は違うとか、そんなことは一般の有権者にはなんの関係もない。そういう党利党略が政治に対する無力感や不信感を生んでいるという責任は感じないんですか」と。

 彼は「それはそうかもしれません」と言われましたが、責任重大だと思います。“市民には分からない、関係ない”で押し通すのは、とんでもないことです。

 ――僕は前回の知事選と今回の市長選は一続きの流れだと理解していて、市民運動の側が主導的に候補者を選ぶあたりまでは見えていませんでした。おそらく、京都の運動の外からは見えにくかったと思います。そのあたりが分かれば、もう少し違ったような気がします。

 
【白坂】結局は福山和人さんになったし、もともと選対に彼を推したい人たちが多かったのも事実です。でも、私たちとしては野党共闘でほかの政党が乗れる候補者を探そうとして、別の人にも打診しに行きました。

 実は、私たちが候補者を決める前に、村山祥栄さんから「僕は無所属になりますから応援してほしい」と打診がありました。それで、お会いしてお話をしたんですが、拠って立つところが全然違うので難しいと判断しました。考えてみれば、「無所属市民派」というのはどうにでも解釈できる言葉ですよね。

 
【木村】実は、僕は率直に言って、実質的には共産党系の候補者だと思っていましたね。相乗り候補を応援するわけにはいかないから市民運動も応援しているんだろうな、というイメージでした。例の謀略広告には、ここまでやるかと驚きましたが。


払拭されない旧式の構図

 
【白坂】知事選の時からそうなんですが、とくに今回はこれまでの「共産対非共産」という構図を変えようという市民の動きがあって、あの広告は、それに対する現職側の警戒というか、もう一度「共産対非共産」の構図を打ち出そうということだったのでしょう。


■現職側が出した新聞広告
■対して福山陣営側が出した新聞広告

 あまりにも酷いということで、京都と東京の女性6人で「公正な選挙を考える会」という団体をつくり、各政党に公開質問状を送っています。

 まず、広告主である「未来の京都をつくる会」(現職の確認団体)の構成団体であるかどうか。それと、この内容に関する会議に出席されたのかどうか。そして事前報告、事後報告はあったのかどうか。この広告に対して調査するつもりはあるかどうか。その4点について聞いたのです。

 反共広告は今までもチラシとしてはあったのですが、今回は公器の性格を持つ新聞という媒体を使って、しかも現職市長側がやっている。非常に問題だと思います。

 回答としては、「知りません、うちの党の見解ではありません」というのがほとんどです。自民党なんか「確認団体の見解であって……」と。ただ、実際には確認団体の会議で、構成諸団体みんなで決めたことは関係者から聞いていますけど。

 ――僕はあれを見たときに、ここまでやるんだから、かなり追い込まれている。だから、ひょっとしたら勝つかなと感じたんですが……。

 とはいえ、出口調査の結果を見ると、表向きの「共産対非共産」という構図は大きく崩れていますね。社民党の場合は支持層のほぼすべてが福山候補に入れている。立憲民主党でも45%以上ですからね。それなのに、現職に義理立てして何か意味があるんでしょうか。

 
【石田】僕は立憲民主党の福山哲郎は、彼が最初に出るときから知っていたし、知事選の時も話に行ったし、今回は東京の参議院議員会館で一時間以上話し合ったんです。しかし、彼が言うのは「共産党と手を組んだら政治生命がなくなる」と。中央では野党共闘ですが、京都では共産党対自公+諸政党みたいになってしまう。

 
【木村】「政治生命が終わる」というのは、自分が選挙で落選するという意味ですよね。

■木村真さん
 【石田】(労働組合の)連合が手を引くということでしょう。そんなに力があるとも思えませんけどね。僕はカネ(政治資金)だと思います。

 
【木村】連合も、自治労や教員組合は、いまはビビッて直接選挙にタッチできないし、民間労組も組織率は低いし、号令かければ動員できるわけでもない。だから、実際には自力でやれないことはないはずだけれども、やる気がないということでしょう。

 
【高木隆太】立憲支持者で、4割が福山和人さんに投票したとすると、6割が組合票で4割がそれ以外というふうに分けられませんか。

 ――出口調査によると、現職に24%、福山さんに45%、村山さんに29%という配分です。その意味では、「共産対非共産」の線引きより、「現職対非現職」という線引きの方が大きいと思う。非現職を合わせると現職を上回っているんで、非現職が割れたのが大きかったんでしょう。

 
【白坂】共闘の話をしに行った時、福山哲郎さんも前原誠司さんも同じことを言っていましたね。「最初に自分たちが立てた候補者だから、現職が出るなら現職を推します」と。じゃあ、現職が出なければ私たちと一緒に組めますかと言ったら、「それは無理です」と。どっちにしても、共産党が入っているから無理ということなのです。

 前原さんは共産党の批判は言わなかったですが、福山哲郎さんは、いままでどれだけ共産党に痛い目に遭わされたかとか、蜷川府政の時に邪険にされたという話をしていましたね。ご自身は年齢的に直接ご存知ないはずですが、連綿と受け継がれているんでしょうね。


確実に進む新たな試み

 ――ところで、候補者選びも市民の主導で行われたということは、共産党側の対応もかなり変わったということですよね。

 
【石田】知事選の時も一緒にやりましたが、その時はまだまだ僕らの方も居心地が悪かったし、積極的に噛んで行けなかったというのが実情です。しかし、市長選になってからは大きく変わりました。

 本部の選挙事務所だけではなくて各行政区にも事務所をつくったし、そこへ行ったら、僕らみたいに地域でいろいろやっている人も独自の動きができるようになった。それは共産党も初めての試みだと思います。

 
【白坂】行政区ごとにいろんな市民の要求や運動があったら、それを各地で吸い上げて集約する形にしたいというのが狙いでした。実際には、たとえば東山区で市民運動をしているのは共産党系しかいなかったりと、狙いどおりにはなりませんでしたけど、それでもこういう試みは続けていった方がいいと思っています。

 私の実感では、知事選の時と比べて、もっと市民が中心になって動き出したとは思いますが、とくに共産党の対応が変わったという感じはありません。ただ、共産党は前に比べると自己主張せずに、後ろに引っ込んで縁の下で支えるような雰囲気は強くなっていると感じます。

 私は「引っ込まなくてもいいですよ」と言っていたんです。むしろ、どんどん前へ出てもらって、それに負けないように市民もいろんなところへ出て行くようにしないと、本当の意味で多様性のある運動にはなりませんから。

 
【木村】投票率はどのくらいでしたか。

 
【白坂】40.5%でした。前回と比べると5%ぐらい増えました。18歳、19歳の若い人たちの票を一番集めた(5割近く)のが、私たちの候補者でした。無党派も4割で最多です。これは希望があると思います。

 今回は、高校の校門のところで、どの政策に興味がありますかという、シール投票をやりました。わずかでも自分たちが参加したという意識を持ち始めたと思うし、クラス全員に呼びかけた子もいたりして、本当に若い子たちは色眼鏡なしに、素直に取り組んでくれたと思います。

 
【高木】アメリカでサンダースが若者から支持されているような状況も関係しているんでしょうか。

 
【白坂】あると思います。それとグレタさんの活動に影響されて、たとえば環境問題について各候補者にインタビューして、それを動画でツイッターにアップしたという高校生もいました。自分たちでできる形でやっていこうという動きが出てきましたね。

 ――福山和人さんは今回、子育て応援、若者、高齢者応援、地域経済支援という4つの政策パッケージを提示したそうですが、それに対する反応はどうでしたか。

 
【白坂】すごくよかったです。「子育て」は、子どもの医療費を中学校卒業まで無料にしたり、18歳まで国民健康保険の均等割りを免除するといった内容を盛り込みました。「若者」では、返済不要の給付型奨学金をつくるとか、すでに借りている分の利息免除とかですね。「高齢者」は、現行の市バスの敬老パスを維持するとか。「地域経済」は、公共事業などを中心に地元で仕事とお金を回す仕組みをつくるとか。

 そういう内容なら、みんな自分事と思うじゃないですか。もちろん、これで十分だったとは思いません。実際、「子供のいない独身の私たちはどうなるの」みたいなことも言われました。


「市民型選挙」とは何か?

 
【木村】そうした中で、組織関係者以外の市民の動きはどうでしたか。それこそ、選挙が近づくにつれて知らない人がどんどん加わってくるような感じだったんですか。

 
【白坂】そうですね。今まで見たことがない、なんの組織にも入っていないような人たちが各行政区の事務所や本部に「何か手伝うことはないですか」とやって来られたことは、何度もあります。たぶん、(福山候補の推薦を決定した)「れいわ新選組」の影響があったのかもしれません。「れいわ」が応援に加わることで幅が広がった面はあったと思います。

 
【石田】まだ推薦を決定していなかった時、この事務所に「れいわ」のメンバーが飛び込んできて、「れいわは何で福山さんを推薦しないんですか」と尋ねられたんですよ。「それは、そちらの本部に訊いて下さい」と言ったんですが、「れいわ」の人はよく頑張ってくれましたね。いままで市民運動で出会わなかった人たちが来ていました。

 
【木村】実際の“盛り上がり感”というか手応えはどうでしたか。だいぶ追い上げてきている実感はあったんでしょうか。

 
【白坂】ものすごい盛り上がり方でした。みんな“この勢いだったら行けるかもしれない”と。繁華街で街宣したら、数千人集まりましたから。もちろん組織動員もあるんですけど、それを見て通行人が加わって、あっという間に増えていく感じですよね。

 ただ、街中でたくさん集まるかどうかと実際の投票とは必ずしも一致しないんですよね。問題は、私たちが本当に動いてほしい人たちは誰なのかということで、そこのところ、もうちょっと焦点を当てるべきだったなと思っています。

 
【木村】組織選挙だったら、おそらく大きな選挙区を地域や団体ごとに、ここの商店会で200票、ここの○○の会で150票と細かく分けて、訪問して電話をかけてという形になると思うんです。結局、市長選挙でも市議選挙でもやることは同じなんですよね。

 一方で、仮に「市民型選挙」というものがあり得るとしたら、どういうやり方になるのか。やはり結局は同じやり方になるんでしょうかね。

 選挙活動では盛り上がっていたけど、蓋を開けてみたら予想外に票は取れなかったとか、“やっぱり一票一票拾っていくべきだった”みたいな反省はよく聞きます。それはそのとおりだと思いますが、そうなると組織選挙とは違った市民型選挙というものは考えられるのか、あるいは結局どんな選挙でも選挙である限り同じなのか。どうなんでしょうか。

 
【白坂】今回、私が最初にやりたかったのが、最初に開いた「市民のつどい」にたくさん来られた組織以外の人たちに政策アンケートを持ち帰ってもらって、自分のご近所でアンケートを取ってもらう取り組みでした。商店街とか、子どもの行っている幼稚園とか、ママさんコーラスとか、いろいろありますよね。そういうところで政策アンケートを取ってもらえば、日ごろ選挙に関わっていない人も巻き込んでいくことができるんじゃないかと思っていました。

 残念ながら、私の個人的な事情でその時期に動けなくなって、思うようにはできませんでしたが、ある程度はそういうのが集まって、今まで選挙を通じて関わったことのない商店街とか、そういう所が少し動いてくれたということがありました。

 ああいうことをもっと小まめにやれたらな、と思いますね。実際に組織がやっている票読みは関係する職種が中心なので、あまり広がらないんですよね。そこをなんとか突破したいと思って、自民党を応援している近所の自治連(自治会連合会)の会長さんのところに行って、「京都市長に望む意見を集めているので書いて下さい」と言って、書いてもらったりしました。そんなふうに、自分たちが当事者なんだという実感を広げていって、確実な票につながる線を増やしていくような活動をもっとしないといけないと思ったんです。

 実際に木村さんが言われたように、きちんと票読みをしないと全然つかめないし、盛り上がっていたのに蓋を開けたら全然違うというのは、市民派ではよくある話です。


日々の暮らしと政治の関わり

 
【木村】結局、市民が選挙や政治に関わる時に、どんなあり方が可能なのかという話になるんですが、いわゆる選挙だけの活動とか大文字の政治課題への関わりではなくて、自分の住んでいる町をどんなふうにしていくか、日常的に生活の中での要求みたいなものを出し合ったり、行政交渉をやったり、隣近所で話をしたりといったことがベースにならないといけないと思いますね。

 その延長線上で、どういう政策を優先したらいいか、たとえば子育て支援の内容をとりまとめて、それにふさわしい候補者を選んでいくとかですね。

 ところが、いわゆる市民運動をやっている人たちというのは、往々にして運動は外でやって、家には寝に帰るだけなんですよ。隣近所の付き合いもほぼない。選挙前になって、たとえば維新の会が候補者を立てると、負けてたまるかということで、とりあえず対立候補を応援する。それではちょっと無理でしょうね。

 ――唯一可能性があるとすれば、明確な争点があって、投票率が上がる場合ですね。

 
【石田】今度の選挙では、行政区ごとに事務所をつくった意味は大きかったと思います。実際、僕らは左京区とか中心街では勉強会をやっているんだけれど、自分の住んでいる山科区ではやれていない。一番の反省点は、それをちゃんとやらないといけないということ。それを反省して、さっそく山科で4年後に向けて動き出しています。

 
【白坂】私も自分の選挙が終わってから地元でなにかやろうかなと思っていました。一回選挙に出たら「あそこの水が溢れているけど何とかならへんか」とか、いろんなことを言われるんですよ。それは対応しますけれども、議員ではありませんから、できることは限られているんですよね。

 結局、私は地元で何がしたいかと考えた時に、近所の人たちを集めて在日韓国人の先生にハングル教室をやってもらうことにしたのです。秋祭りがあったら教室の人たちと一緒にブースを出したりとかしました。

 とりたてて政治的な取り組みをしないといけないわけではなくて、一市民として地元で生きることが基本なんだという気がするんです。私としては、地元で文化を吸収したような活動が、生活の一部であり豊かに生きていくことでもある。これまでできてなかったことをやろうかなという感じなんです。


争点をどうつくるか

 ――今後の展望などはどうでしょうか。

 
【白坂】『人民新聞』(2020年3月15日号)のインタビューでも言いましたが、政党には実務をしっかり担う姿勢が求められると思います。「つなぐ京都」は多様な住民の要求をすくい上げ、公約としてまとめ上げ、バージョンアップしながら、市民の意見を盛り込むことは一定できたと思います。

 その上で、こうした諸要求を、専門家の協力も得ながら「街づくりのビジョン」としてまとめ上げる力量が不足していることが課題だと感じています。

 恒常的な組織や事務所も必要だと思いますし、今回の経験を一から見直すことも必要で、集会で数千人集まることがはたして票につながるのか、浮動票を得るための活動と、着実に票を積み重ねる実務の役割分担と調整も必要です。市民型選挙を進めるための課題は山積みですけど、市民参加の新たな政治を創り出すためには、こうしたことは避けて通ることができないと思っています。

 
【木村】首長選挙は特別ですよね。たとえば衆議院は小選挙区なんで選挙区で当選するのは1人だけですが、それでも衆議院全体で見れば465人の中の1人なわけで、首長とは立場が違います。465人の中の1人だから、かなり極端な主張であっても全然かまわない。他のことはともかくこれだけは誰にも負けない、というのもアリだと思うけれども、首長はあらゆることについて満遍なくやらないといけない。これは大変です。

 
【高木】大きく市民の意見が分れるような問題があれば、また展開が変わってきますよね。高槻市の隣の島本町で3年前に町長選挙があって、選挙公約に高槻との合併を打ち出して、維新が出ることになりました。これはまずいということで、町民の中から対抗馬を立てる動きが現れました。
 ■高木隆太さん

 島本は人口3万人ぐらいのコンパクトな町で、町民どうしのつながりも濃いんです。絶対に合併させないということで、32、3歳の、本当は町会議員選挙に出る予定だった人を町長候補に担ぎ上げて、短期間でしたが地べたを這った選挙をやりました。なかなか維新に勝つのは難しいと思っていましたが、勝ったんですよね。

 対抗馬を応援していた町会議員も、今まで真ん中か下ぐらいで当選していたのがトップ当選しているんです。分かりやすい選挙だったのも確かですが、コンパクトな町だったのも大きな要因でしょう。それが政令市ぐらいになると人間関係はかなりぼやけるし、よっぽどのことがないと分かりやすい選挙にはなりにくいと思います。

 
【白坂】そうですね。今回もそれなりに争点づくりはしたんですが、あまり批判が強くなりすぎると引かれるんじゃないかとか、考えすぎた面もあったと感じています。

 たとえば、効率化と称して行政サービスをリストラして財政再建しようというのは、福山さん以外の候補者はだいたい同じです。こちら側は、行政サービスは住民にとって命綱にもなり得るから、損得勘定だけで判断したらいけないという立場です。実際、今回のコロナ問題ではっきりしましたけど、以前は京都には十何ヶ所もあった保健所が、いまは一ヶ所になってしまったんですよ。

 そんな状況についてもっと取り上げて批判すればよかったのに、あえて“私たちはこうします、ああします”というポジティブ路線で行くことになって……。だけど、そういうはっきりと差別化できることは、やっぱり打ち出すべきだったんじゃないかと思います。


オール与党体制に風穴を

 
【高木】以前は外から見ていて、現職がどういう人かなかなか分からなかったんですけど、今回は福山さんが立ったことで際立った感じがしますね。

 
【白坂】門川さんは高校時代にベ平連をやっていたこともあって、当初はリベラルなイメージで見られていました。いまだに変節を知らないで応援を続けて人もいると思います。でも、彼は教育長時代に学校で素手でトイレ掃除する運動を始めた人ですから。素手でトイレ掃除って、日本会議系の人たちが推進する活動じゃないですか。

 現状では門川さんを支えて選挙で票を取ってくるのは実質的には自公なんです。だから自公の候補者になってしまっているのが現状です。

 
【石田】立憲民主の福山哲郎さんも国民民主の前原さんも、門川さんを支援するのは「製造者責任だから」と言っていました。だから僕は、「製造者責任があるんだったら、むしろ下ろすべきだ」と言ったんです。「自公の後で万歳するとは何事か、恥ずかしくないんか」と。

 
【木村】分からないですよね。地方議会は国政ほど与野党はっきり分かれていないけど、選挙で応援したかどうかで、ある程度色分けできるかも知れません。僕の場合、いまの市長は選挙で維新に勝ったから、積極的ではないけれども現市長を応援している形になりますが、与党会派になったことはありません。ところが、与党会派の人たちを見ると、とにかく与党であることが絶対なんですね。地方議会って国政に比べて会派が流動的で、改選期には会派構成が多少変わることもあるんですが、とにかく与党会派に入ろうとする。

 
【高木】高槻は大阪で唯一公営バスがあって、高齢者は70歳から無料なんです。ところが、市長が70歳から74歳まで一部有料化するという提案が出されました。市会議員として反対して運動しているのは、僕ら市民派と共産党です。立憲民主の人たちも当然一緒にやってくれるだろうと思っていたのに、全くやってくれない。むしろ、賛成のための集会を開いたり、「あれは共産党が主導している運動」なんて噂を流したり、邪魔をしてくるんですよ。あの人らは絶対に市長を支えると、市長与党だというのをずっとアピールしていて、そこまでするのはなんなのだろうかと思います。

 
【木村】立憲民主なんか、自分らの要求が通るどころか議員定数も削られているし、市の事業もどんどん民営化されて職員組合も弱体化させられている。何もいいことなんかないにもかかわらず、なにがなんでも与党の立場を守ろうとするんですよね。

 
【白坂】やっぱり、首長の推薦で選挙に出ると確実に票を集められるということもあるし、地方議会というのは地元の利益団体みたいな性格が強くありますから、そこから外れると支援者が離れるということもあると思うんです。だから、自分の政治的な思想信条では動いていない人が多い。

 
【高木】国会で言えば、今はだいぶ減っていますが、自民党でも首相に批判的な派閥があったりするじゃないですか。そんなのは地方議会ではほとんどありませんね。市長を応援するといったら、何をやられても支える。多少の条件闘争はしても、基本的には市側の提案には全部賛成するし、闘わない。


地域・職場から変革へ

 
【白坂】本当に地方から変えていかないとだめだと思うんですが、でもそれは議会の中だけでは難しい。それこそ、自治連とか町内会とか、そういった私らの身近なレベルから変えていかないと議会も変わらないんじゃないでしょうか。

 
【木村】あと職場ですね。僕は地域ユニオンの活動もしていますが、今は職場に労働組合なんてほとんどない。だから、ほとんどの人は会社に言われるまま働いているわけです。大部分の時間を過ごす職場が民主主義とは無縁だとしたら、社会にも民主主義なんてありえないと痛感します。賃金生活者としては、労働者の意見が反映される職場でないとだめだし、地域の生活者としては、地域の問題を地域のみんなで決める地域でないとだめです。

 
【白坂】市民が選挙に関わるといっても、元をたどっていけば一人一人の生活ですよね。やっぱり、家庭とか職場とか地域とか、そのあたりから変えていかないと、本当に市民型の選挙はできないのかもしれませんね。

 
【木村】そういう意味では、市民が日常的に政治に関わるのはハードルが高いという気がします。それに比べると、市民運動の場合、言い方は悪いですが、日常性に関しては無責任というか、やりたいからやるという気楽さがあります。そこが楽しいところでもあるし、逆に日常的な家庭や職場や地域の中に入っていると見えにくい問題を明らかにする役割もあるんじゃないでしょうか。

 
【高木】高槻でも市バスの運動をやっている中で、市長が提案したんだからちゃんと市長を批判すべきだという意見が出ました。一方で、市長を支持している市民もいるんだから、批判を前面に出すと広い支持がなくなるという意見もあって、結局折り合わずに中途半端な主張になってしまいました。

 木村さんの言うように、ある意味無責任で言いたいことを言えるのが市民運動のいいところなのに、なぜそれを貫かなかったのかと、先輩の元議員は怒っていました。

 
【白坂】実は、私も今回の市長選挙で、選対に入らないで勝手連的に動いた方がよかったんじゃないかという思いもあります。一緒に選対でやるよりも、ゆるく連携しながら勝手連的に動いてもらった方が伸び伸びできたんじゃないか、そういうグループはいくつかあったんですね。そういう動きがいろんなところにあって、それを政党なり組合なりの組織が吸収してしまうのではなくて、勝手にあちこちで起こるのがいいと思います。


「その先にある未来」をどう示すか

 ――今後のことを考えると、やっぱり若い人たちとどう接点をもって、その人たちが主体的に動いていくかということが重要です。今回の選挙の中で、若い人たちが積極的に参加したということでしたが、今後も期待できそうですか。

 
【白坂】そうですね。私はやっぱりずっと種まきを続けていくことが大事だと思うんです。出る種もあれば、そのまま養分になる種もあるけれど、少しでも芽が出たらいいので、継続的に種まきをしないと仕方がないと思います。私たちから見ると、今の若い子たち、たとえば20代が持っている一種の「非常識」にはすごく期待しています。私たち自身が気が付いていない私たちの常識のおかしさを変えてくれる要素はあると思います。

 
【高木】今日のお話を聞くと、大阪の状況と比べて、まだ可能性があるという気がします。大阪は絶望的です。

 
【木村】現状では、維新が何をやっても選挙では通る。維新的な価値観も社会に浸透しているのが実情です。ただ、少ないながらも疑問に感じている人がいるのは確かなので、まずはそういう人たちにコツコツ呼びかけるしかないですね。

 
【白坂】結局、維新もそうだけれども新自由主義の言っていることって、本当に目先のことだけで、選挙で勝てばいい、勝てば何でもやっていいということだけですよね。その先にある未来を見せているわけではないじゃないですか。

 だから、やっぱり、どういう社会にしたいのか、どういう世の中にしたいのか、私たちの街をどうしたいのか、そのあたりの話が今後ますます重要になってくると思います。この政策でこういう街になりますよとイメージできるような、視覚的なものを含めたビジョンの打ち出しというのは、とても説得力があるはずです。

 ――現状の他に選択肢がないということになってしまうと、手持ちの駒の中でどれだけ効率よくやるか、あちこち削って成果が出ました、という話しかなくなるけれども、ビジョンというか別の選択肢を展望する視点を持てば、やれることはいろいろあるということですね。

 今日は、京都市長選挙をめぐってお話をうかがったわけですが、具体的な経験を通じて市民と市民運動、市民と政治の関係を含め、たくさんの論点が出されたと思います。今後とも、それぞれの持ち場で、こうした論点をめぐる模索や議論が深まることを期待しています。

 皆さん、どうもありがとうございました。


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