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アソシ研リレーエッセイ
『家族を想うとき』を観てきた
正月に『家族を想うとき』という映画を見に行きました。カンヌ映画祭でグランプリをとったこともあるケン・ローチ監督の最新作です。物流に関わる人は必見といえるでしょう。切実で胸に迫って、涙なくして見ることができません!
責任感の強い主人公は逆境のなかにいますが、稼げそうな宅配ドライバーとして働くことを決意し、再び普通の生活に戻れるチャンスを掴もうとします。自らが率先して、へとへとになるまで働かなければいけないと思っている。
しかしそのことが逆に、自分と家族を追い込んでいきます。父親は一日14時間はたらき、母親もパートタイムで介護職。どちらも子どもとの接触がなくなり、無意識に不満を募らせた思春期の子どもは僕を見てほしいと言うがごとく、学校や路上でどんどん問題を起こしていきます。
「なぜ勉強しないで問題ばっかり起こすんだ!?社会に出て、負け犬になりたいのか?」
「負け犬って父さんみたいな?」
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いまどきの宅配ドライバーは、個人契約で自営業者扱いです。「労働者」でなく「人的資本を持つ経営者」とみなされます。「新しいタイプの働き方をする労働者」ともいわれますね。
しかし、配送車も自前。Amazonなどの大量のネット配送を無茶もいとわずに引き受けて成長している軍隊の鬼軍曹気取りの上司=「請負先」から「これが銃」と手渡されたのは、最新のITを駆使したトレーサビリティ(追跡可能)システム搭載の読み取り機械。
一つ一つは薄い利益を、IT化を駆使して儲けをたたき出します。そのため、配送手順はギチギチに詰まっています。実際の仕事の段取りやプロセス、そして仕事を素早く成し遂げることのプレッシャーは並大抵のものではありません。トイレに行く暇もない。労働仲間の最初のアドバイスは「尿瓶持っとけ、そのうち意味はわかる」です。
少しのトラブルがあって少しでも手順が狂うと、ドライバーは絶望的な気分になります。理論上は自分たちの請負ビジネスなので、もし何か不具合が生じたら、すべてのリスクを背負わなければいけない。配送がうまくいかなければ、ペナルティ。子どもが問題を起こして、学校から呼び出されても休めない。ギリギリのローテーションでやっていて、穴があくと損失が出るからです。迷惑そうに「わかった、しかしその分の罰金を払えよ」と言われます。
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ひとごとではありません。今では珍しくもなくなったIT化にも対応しないといけませんが、それではたして便利になるのか?
世間でもIT化・ネット販売で配送量が激増し、運送会社は悲鳴をあげ、次々と配送料の値上げに踏み切っています。流通は少子高齢化と激務による慢性的な人手不足で成り手がありません。高齢化による大量定年が迫っており、トラック運転手不足による“物流崩壊”が迫っています。
政府の試算では、2027年~28年になると、必要な運転手の人数に対して25%の人材不足が生じるとのことです。単純に考えると、企業は4回に1回は商品の輸送をあきらめざるを得ない計算です。あとたった7年でこれです。いくら「マーケティング、ブランディング、生産性」が大事といっても、モノが届かなければ事業になりません。
生産性の重視は、その分自然生産力(子育て、農、労働)の軽視につながり、その報いを今受けているとも言えます。有機農業運動はこの流れに異議を申したてるために始まったのではなかったでしょうか? 自然の生産物は、恵みものであり、数値では計れません。
「家族を想うとき」のキャッチコピーは「いったい何と闘えば、家族を幸せにできるの?」でした。
私のいる事務所の近くの仏光寺の掲示板に「地球にやさしく未来にやさしく快適さはそのままで、そんなエコは人のエゴ」と出ていました。その通りだと思います。
(吉永剛志:NPO法人使い捨て時代を考える会)