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連載 ネパール・タライ平原の村から(102)
ヒマラヤンハニー社を訪ねる


ネパールの農村で暮らす、元よつば農産職員の藤井牧人君の定期報告。その102回目。


 海外からの旅行客で賑わうカトマンドゥのタメル地区に、「ヒマラヤンハニー」「ワイルドハニー」と描かれた容器が並ぶ唯一の小さなハチミツ店、ヒマラヤンハニー社(Himalayan Honey Suppliers Pvt. Ltd.)があります。

 もしかして……と以前、実家から送ってもらった関西よつ葉連絡会のカタログ『ライフ』(2017年、510号)の別チラシで多分一度だけ扱った、第三世界ショップ「チェパン族のローカルハニー」の画像と照らしてみると、同じデザインのロゴと容器。

 それで早速、お店を訪ねてみることにしました。隣町ジャワラケルの地元客向けにもう一軒あるハチミツの店で店番していた、代表のダンバー・グルンさんにお話をうかがいました。

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 20年前にハチミツ事業を始めたダンバーさんは、僕の妻らプンマガルの故郷ミャグディ郡の隣、パルバット郡出身のグルン人。山を隔ててあっちがグルンでこっちがプンマガルの村であったりしますねと僕が言うと、パルバット郡のグルンもかつてのプンマガルと同じく、父親世代の大半がグルカ兵で、タライへ移住したグルンも多いとの話。グルンもマガルもイギリスや香港に移住するなど、みな海外へ出て稼ぐことを常識としているとのことです。

 そんな時勢の中、20~30年前にダンバーさんがカトマンドゥで様々な商売をしていた頃は、商品化された「ハチミツのビジネスは存在しなかった」といいます。かつて(そして今でも)農山村では、牛やヤギを飼うのと同じくミツバチを飼っていたそうです。その当時、ハチミツとは、民家の屋根に置いた丸太巣箱で自然に採れる、少量しか採れないけれど腐らず保存がきき、滋養のある特別な食べものでした。また、町では、農村から分けてもらう土産物でした。

 それが、海外への出稼ぎ移住で故郷を離れる人が増えたり、所得が上昇し、都市が拡大して都市人口が増える中で、ハチミツは身近で手に入る食糧ではなくなったとのことです。

 一方で、より安いものを求めていた人たちが、今度は「より健康に良い食品を求めるようになった」り、「少々高くても品質を重視するように変わって来た」とのこと。そうした中で、自給的な食糧であったハチミツの販売を考えたことが会社設立のきっかけの一つだそうです。
      ■ヒマラヤンハニー社のダンバー・グルンさん

 その際、ダンバーさんは「ハチミツを採るということは花が咲いてなければいけない」とか、「ハチミツを採ることには自然を思う眼差しがあることに気が付いた」とのこと。

 さらに「本来ハチミツの質というのはいつも同じで、常に流行が変化する服や靴を買うのとは異なる」とか、「食べることで農村部の収入にもつながる」と思い至り、「商売ではあるけれどもいろいろな意味があることについて考えた」とのことです。

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 ヒマラヤンハニー社の主要なハチミツ産地は、少数民族チェパンが暮らすマクワンプル郡の山村100戸、巣箱数は5500箱。蜜源植物は全て無農薬で「地域まるごと」で取り組んでいるそうです。

 「まるごと」とはなるほど! 働くのは巣箱の持ち主の敷地を越え、あっちの畑こっちの畑と境界などお構いなしに、栽培植物からもジャングルの植物からも花蜜を集めてくるミツバチなのだから。

                                (藤井牧人)



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