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コラム 南から北から

  帰った私を受け入れてくれた島


 私は、種子島の農家に4人兄姉の末っ子として生まれました。幼い頃は、草取りしながら寝てしまうほど畑仕事が嫌いで、近所の牛舎や豚舎に一人で遊びに行くほど動物が好きでした。

 高校卒業後、野生動物や環境保護に関心があり大学へ進学。子どもたちに生き物の大切さを伝える仕事がしたいと思い、就職活動中に出会ったのが、能勢農場の「こどもどうぶつえん事業部」です。3日間の研修で、その仕事内容はもちろん、農場の雰囲気や働いている人たちに惹かれ、夢叶って働き始めて、あっという間に6年経ちました。農場に来てから様々な人に出会い、多くの刺激を受けていくうちに、自分にとって大切なものが少しずつ分かってきました。

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 そんな中、父の足の具合が悪くなったのをきっかけに、故郷について考えるようになりました。私の兄姉は家庭を持ち家を出ていて、農業を継ぐ者はいませんでした。種子島でも後継者不足で畑を手離す人が増えていて、最近では、土木の仕事が減ってきた建設会社が畑を借りて農業をするようになってきています。自分たちの畑も、そういう所に貸したらいいという話も出ましたが、本当にそれでいいのだろうか。自分を育ててくれた畑を守っていきたいと思い、島へ帰る決断をしました。

 もともと畑で寝るほど興味もなく、手伝いもしてこなかったので、ほとんど無知の状態で飛び込み、1年目は作業を覚え、体を慣らしていくことで精一杯でした。

 ある時、生産者が集まる飲み会で、おじちゃんと農業について話をしました。その時は、自分の想いを一生懸命ぶつけましたが、経験も知識も、農業に対する想いも中途半端なことに気づき、とても悔しい思いをしました。周りからは、ただの親の手伝いと思われ、一人前とは思われていません。まずは、しっかりと地に足をつけ、地道に取り組むことで、少しずつ認めてもらえるのかもしれません。それでも、帰ってきた私を受け入れてくれたことが嬉しかったです。

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 種子島の特色は、地元民だけでなく、多種多様なものを受け入れやすいことです。サーフィンの聖地としても有名なため、サーフィン目的で移住してくる人が多いのですが、いつの間にか農業や畜産がメインとなり、サーフィンする時間がなくなった人も少なくありません。そんな移住者に畑や牛舎を快く貸している人が多いことに驚きました。後継者問題の救世主なのです。また、地元の人よりも島の魅力に気づき、パワフルで柔軟に新しい風を吹き込んでくれている気がします。

 しかし、その元気な移住者以上に元気なのがお年寄りです。定年退職後に新規就農する人の多いこと。まだまだ若造呼ばわり。田んぼの季節になると、電動シニアカーが畔に並び、腰の曲がったおじいちゃん、おばあちゃんが鎌を片手に作業をしています。お茶の時間になると、みんなで集まり語り合う。この風景がとても好きです。どんなに機械化が進んでも、田んぼの管理は長年の経験に勝るものはありません。この風景も管理の仕方も大切に引き継いでいきたいです。

■サトウキビは12~3月が収穫期。今年は台風の影響も少なく、数年ぶりに生育が良い。作業をしているのは母。
 父の具合が良くなってきて、減らしていた田んぼを増やすことになりました。もう3月から田植えが始まります。今はまだシニアカーではなく、軽トラで田んぼへ通う日々が始まります。

                       (古市木の実:種子島在住)




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