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香港民主化運動を考える

「反送中」から「光復香港、時代革命」へ
激動の香港を振り返る


 昨年の本誌第171号で、改革開放から40年を迎えた中国について考える一環で、香港の様子を紹介した。さまざまな面で中国大陸の圧力が強まるとともに、それに抗する動きも存在する香港の現状をめぐり、現地在住の小出雅生さんからお話をうかがった。それから半年後、香港全土を揺るがし世界の耳目を集めるような事態が生じるとは夢にも思わなかった。今回、いくつかの転換点を踏まえながら事態の推移を振り返るとともに、改めて小出さんにお話をうかがった。前回のインタビューも参照していただければ幸いである。


第一部 昨年の経緯を振り返る

逃亡犯条例改定とは


 周知のとおり、発端は香港政府による逃亡犯条例改定案の提案である。2018年2月、香港のカップルが台湾に旅行した際、仲違いの末に男が女を殺害し、女の死体を遺棄して香港に戻った。台湾の捜査当局は香港政府に対して容疑者の引き渡しを求めたが、現行の逃亡犯条例にある引き渡し可能地域に台湾は含まれていない。そこで、香港政府は出し抜けに条例の改正を持ち出した。

 政治問題と化したのは、対象が台湾だったためだ。歴史的経緯から、台湾(中華民国)では中国(中華人民共和国)とは別の政治主体による統治が行われている。だが、中国にとって台湾は自国の領土に他ならない。「一国二制度」とはいえ中国の主権下にある香港は、台湾を中国とは異なる政治実体として関係を取り結ぶことはできない。

 他方、長らく英国の植民地だった香港には、中国とは別の法体系が存在する。そのため、中国の主権下にありながら、香港の現行の逃亡犯条例では、中国に容疑者の引き渡しはできないと規定されていた。つまり、ここで条例を改定して台湾に容疑者を引き渡すとすれば、それは同時に中国への引き渡しも可能にすることになってしまう。

 中国と香港の関係が良好なら、これほどの大騒動にはならなかったのかもしれない。しかし、返還後の22年を見れば、大国化する中国の勢いは「一国二制度」で守られるはずの香港の独自性を呑み込みつつある。とりわけ、中国政府に批判的な書籍を扱っていた書店の関係者が相次いで失踪し、後に中国内で拘束されていたことが発覚した「銅鑼湾書店事件」(2015年)は、「一国二制度」が掘り崩されている実態を強く印象づけた。香港の人々にとって、仮に逃亡犯条例が改定されれば中国の介入が合法化されてしまうとの懸念が高まるのも当然である。

 もっとも、懸念を抱いたのは、いわゆる「民主派」の人々だけではない。

 「逃亡犯条例の改定に最初に反対したのは、実は中国と商売をしている親中派の財界・産業界です。中国と商売する場合、純粋に商売の話だけで済むはずがないというのは、みんな知っています。役人に“袖の下”を使うことだってあるわけです。逃亡犯条例が改定されたら、賄賂を受け取った側だけでなく、送った側も処罰されて中国に送られてしまう。それは困るというので、中国とのかかわりの深い財界・産業界が最初に反対したわけです。

 そうした反発を受けて、政府は引き渡し対象となる罪名や要件などについて修正を加え、どうにか賛成してもらったんですが、にもかかわらず最終的には撤回に追い込まれました。財界・産業界からすれば、梯子をはずされたようなものです。」(小出さん)

 いずれにせよ、政府は2019年2月中旬に改定案を提案し、当初は立法会(国会に相当)での論議や攻防が中心だったが、内容と危険性が広く知られるにつれ、舞台は社会全体に移って行った。



大規模な抗議運動はじまる

 人々が本格的に動いたのは6月に入ってから。政府が6月12日から立法会で法案の審議を行い、20日に採決するとの日程を公表したことによる。これを阻止すべく、6月9日には大規模な集会とデモが呼びかけられ、主催者発表で返還後最多の103万人が集まった。しかし、政府側はこれを一顧だにせず、従来どおり法案の審議を行うと繰り返した。このため、抗議する人々は12日に立法会を包囲。一部が警察の阻止線を突破すると、警察は催涙弾やゴム弾などを乱射し、負傷者は多数にのぼった。警察は抗議運動を「暴動」と規定、政府トップの林鄭月娥行政長官もそれを追認した。とはいえ、立法会が開催できるメドは立たず、結局15日には法案審議の「一時停止」の表明に追い込まれた。

 だが「一時停止」である以上、いつ再開されてもおかしくない。そうした人々の危機感を示したのが、9日を上回る200万人(主催者発表)が参加した16日の大規模集会およびデモだ。集会では、運動全体の統一要求として、以下の内容からなる「五大要求(五大訴求)」が提起された。

 「①逃亡犯条例改正案の完全撤回、②六月一二日の立法会外での衝突を「暴動」と称した政府の提案を撤回すること、③デモ参加者を逮捕・起訴しないこと、④警察の権力濫用の責任追及のための第三者委員会「独立調査委員会」の設置、⑤林鄭月娥行政長官の辞職」(⑤は後に「普通選挙実現」に置き換えられるが、それ以外は現在まで一貫している。)

 これ以後も集会やデモは継続され、21日には警察本部への包囲行動も取り組まれた。

 ちなみに、9日や16日の大規模な集会・デモは、いずれも各種社会運動組織の連合体「民間人権陣線」の主催で行われる一方、12日や21日の行動には明確な主催者が存在せず、個々人がSNSなどを通じて呼びかけを行い、それに応えて参加する形で行われたという。前者は平和的・理性的・非暴力を行動規範とする「和理非」の傾向が強いのに対して、後者は実力行使を含む急進的な行動も辞さない「勇武」の傾向が強いとされる。ただし、両者は互いの手法を否定せず、同じ目標に進む者同士として認め合う関係にある。これは、「和理非」と「勇武」の意見の相違を一つの原因として運動が衰退した雨傘運動の反省に基づくものでもあるが、中国大陸からの避難民を中心に自由放任主義の英国植民地下で形成された香港の歴史にも根ざしているという。

 「私の先輩の教員で、かつて中国大陸から密航してきた人がいます。マカオあたりから船三隻で出発したものの、一隻はイギリス海軍に見つかって攻撃され、それを見たもう一隻は中国に引き返し、本人の乗った船は転覆しながら、最後は自力で泳いで香港にたどり着いたそうです。その人に言わせると、「泳いでいる途中に他人を構う余裕なんかない。でも、幸運にもたどり着けたなら、一緒にうまいもんでも食おう」と。そういう連帯関係なんですね。今回の運動の中で「兄弟爬山、各自努力(各自が努力して同じ山に登ろう)」というスローガンが現れましたが、日本のような「護送船団」的な関係ではなく、もともと香港の人たちは徹底した個人主義でストラクチャー(組織)に対する信頼が低いんです。」(小出さん)

 「今回の運動でも、リーダー不在というのが現場ではよく分かりますよね。催涙弾が飛んできたらお椀をかぶせて水かけている人がいるかと思えば、その横では空のペットボトルを集めている人もいる。整然としているのかカオスなのかよく分からない。予め役割分担が決まっているわけではなく、状況に応じて自分にできることをやるということですね。」(小出さん)

 運動は7月以降も収束することなく、むしろ拡大していく。その過程で現れた、いくつかの転換点について触れてみたい。



立法会突入闘争

 香港が中国に返還された記念日の7月1日、民間人権陣線主催の集会・デモが行われ、主催者発表で55万人が参加した。一方、これとは別にSNSなどを通じて立法会周辺に集まっていた若者たちは、鉄パイプや鉄製の台車などを使ってガラス製の外壁を打ち破り、庁舎へ突入した。若者たちは議場を占拠し、設備や歴代議長の肖像画などを破壊した。壁面には「没有暴徒、祇有暴政(暴徒などいない、あるのは暴政だけ)」「是教我們和平遊行是沒用(平和的なデモが無意味だと教えたのはお前らだ)」などのスローガンが書き殴られた。

 日本では、たとえば「香港、若者ら立法会突入 数百人が暴徒化」(2019年7月2日付『共同通信』電子版)、「今回の暴力行為により、市民の支持が離れる可能性がある」(2019年7月1日付『産経新聞』電子版)など、もっぱら現象面に着目した報道が目立ったが、当の香港では若者たちに理解を示す意見が少なくなかった。

 参加者の中で唯一、公然と身元を明らかにし、議場で声明文を読み上げた大学院生、梁継平(25歳)は次のように述べている。

 「自由と民主主義の追求こそ、月曜日に何百人もの抗議者たちが立法会に集まった根本的な要因であり、これまで街頭でデモに参加してきた何十万人もの人々の目標と同じです。政府はこれまでのところ私たちの要求に目を向けず、実際の変化も実際の行動も提出されていません。」

 「明らかなのは、立法会の建物や設備に損害を与えただけで、他の誰にも、警察官にさえ被害を与えていないということです。…中略…現象的な「暴力」にとらわれることなく、人々とくに若い世代が実際に何を考えているのか、深く理解すべだと思います。」(2019年7月5日付『サウスチャイナモーニングポスト』電子版)

■バリケードで防御された立法会入口
 (2020年1月3日)
 小出さんも次のように記している。

 「この衝撃は忘れられない。…中略…彼らをそこまで追い詰め、命がけで危険なことをやらせてしまった大人世代の力不足を思い知らされたように思う。平和デモといっても彼らにすれば、ただ行進をして、政府に無視されることを繰り返すことは、初めから人々の気持ちに応える気がない政府の時間稼ぎにしか見えなかったのだろう。」(小出雅生「わたしの見てきた香港デモ」、『香港危機の深層 「逃亡犯条例」改正問題と「一国二制度」のゆくえ』倉田徹、倉田明子編、東京外国語大学出版会、2019年、所収)

 実際、参加者の中には、警官隊の制圧に自決を覚悟していた者もいたという。

 ともあれ、小出さんが「この事件以降、まさにパンドラの箱を開けたごとく週末ごとにデモが行われ、あらゆる世代が参加している」(同前)と記すように、抗議活動はこれまでのような香港島の中心部だけでなく香港全域に広がり(遍地開花)、警察との衝突も激化していくことになる。



元朗襲撃事件

 7週連続となる大規模な抗議デモが行われた7月21日夜、大陸との境界に近い新界地区にあるMTR(香港鉄道)の元朗駅周辺に、揃いの白シャツに身を包み棍棒や鉄パイプを手にした一団が現れ、駅構内に乱入するや通行人や乗客を手当たり次第に襲撃し、数十人が負傷する流血の騒ぎとなった。当日は香港島の中心部で抗議の集会とデモが行われており、デモ帰りの人々を狙ったと見られる。被害を受けたメディア関係者によって凄惨な現場の状況が拡散され、事態は香港内外に知れ渡ることとなった。
■「黒警」を罵るスラングの落書き
 (2019年8月31日)

 風体や行動から白シャツ集団の少なからぬ部分に黒社会(ヤクザ)関係者が含まれること、目撃者が通報したにもかかわらず警察がまともな対応をせず被害を広げたこと、親中派の立法会議員が現場付近で白シャツ集団の一員と握手する映像がネット上に流れたことなどから、事件の背景をめぐってさまざまな意見が飛び交った。なかでも香港政府・親中派・警察・黒社会の結託による抗議運動潰しとの見方が有力となり、これ以後「7・21」は権力の暴虐を象徴する記念日として記憶されることになる。

 すでに6月12日の段階で沸き上がっていた警察の過剰な暴力行使に対する批判と併せて、逃亡犯条例改定反対(反送中)運動は同時に警察権力への批判という色彩を強めることになった。黒社会と結託した警察への怒りを示す「黒警(ヤクザ警察)」の落書きが街頭の至るところで見られるようになったのも、これ以降である。

 ちなみに、7月21日には香港島中心部で民間人権陣線主催の集会・デモが行われ、主催者発表で43万人が参加した。デモの終了後、一部の参加者はそのまま行進を続け、中国政府の香港事務所である「中央政府駐香港連絡弁公室(中聯弁)」に到達、建物に生卵を投げつけたり、玄関口に掲げられた中華人民共和国の国章に黒ペンキを投げかけたり、塀に罵詈雑言を落書きするなどした。

■運動の転機となった記念日を挙げ、「忘れ砂、許すな」と呼びかける落書き
(2020年1月2日)
 これまで、抗議行動の中で幾度となく中国政府への批判が行われてきたとはいえ、正面から中国政府(その出先機関)に実力行使がなされることはなかった。中国政府は同日夜、「こうした行動は中央政府の権威への公然とした挑戦であり一国二制度の原則の限界ラインに触れるものだ。絶対に容認できない」との談話を発表したが、まさに「中央政府の権威への公然とした挑戦」を行った点で、抗議運動にとっても一つの画期をなす出来事だったと言える。


太子駅襲撃事件

 7月21日に加えて、警察への非難をさらに強めたのが、8月31日夜にMTR太子駅で起きた事件である。もともと、この日は2014年の中国全国人民代表大会で香港行政長官選挙の「普通選挙」を認めない決定(8・31決定)がなされ、雨傘運動のきっかけにもなった因縁の日である。警察は民間人権陣線が申請した集会とデモを許可せず、前日までにかつての雨傘運動のリーダーを含む複数の民主派の活動家を逮捕し、抗議運動の事前鎮圧を図った。

 これに対して、運動側は事実上の無届けデモを敢行、政府施設などが集中する香港島中心部では、勇武派と警察との間で火炎瓶や放水が入り乱れる激戦となった。

 九龍半島の繁華街・旺角に近いMTR太子駅では夜10時半ごろ、列車の中で抗議活動帰りの乗客と批判的な乗客との間で生じた口論をきっかけに、警察の機動隊が駅構内に出動。停車中の列車内で催涙スプレーを噴射し、若者を警棒で無差別に殴打したため負傷者が続出した。居合わせた乗客からの通報で救急隊が駆けつけるも警察は立ち入りを許可せず、現場が混乱し情報が錯綜した結果、「実は死者が出ているのに警察は隠蔽している」との説が広まることになった(その後、太子駅近傍には“弔問”の祭壇がつくられた)。
■破壊されたままの中国系銀行のATM (2020年1月2日)

 抗議運動の側は一貫して五大要求を叫び続けてきたが、政府は正面から向き合わず、警察に対応を丸投げしてきた。とはいえ、警察が政治決着などできるはずもなく、抗議運動を力ずくで抑え込むことしかできない。そうした警察の過剰な弾圧は抗議運動のさらなる急進化を招くとともに、一般市民からの批判を呼び寄せることにもなる。こうした悪循環によって事態はエスカレートする一方――。状況を俯瞰すれば、このように見ることができるだろう。

 実際、翌9月1日には主に勇武派が空港への進撃を呼びかけており、警察の事前警備によって進撃は阻まれたが、空港へ向かう道路やMTRなどが攻防の舞台となった。そのうち、いくつかの鉄道駅では運動側による執拗な破壊が行われた。

 「8月の半ばくらいまでMTRが襲われるような雰囲気はなかったですけどね」(小出さん)というように、転機は8月後半だ。中国政府系メディアに「香港鉄道は『暴徒』を輸送している」との批判記事が出て以降、デモ開催予定地近くの駅を封鎖し、列車を通過させるようになった。MTRは中国大陸でも事業を行っていることから、中国当局への配慮を優先して香港市民を裏切ったとの見方が広まった。これに太子駅襲撃事件が加わり、警察と並ぶ標的になったという。

 ちなみに、事態がエスカレートする中で、いくつかの企業も運動側に襲撃されるようになった。基本的には大陸資本の銀行やチェーン店だが、日本でもおなじみの元気寿司やスターバックス、吉野家も対象とされた。香港でフランチャイズ展開している企業の経営者が抗議運動を批判し、政府や警察に肩入れしているとの判断によるものである。後には、抗議運動を支持する食堂や商店=「黄店」、政府・警察を支持する食堂や商店=「藍店」と、シンボルカラーに基づく区別も行われるようになった。



実弾発射から大学籠城戦

 事態の沈静化を図ってか、林鄭行政長官は9月4日になって、ようやく逃亡犯条例改定案の撤回を宣言する。しかし、それはあまりに遅く、時機を逸したものだった。五大要求に示されるように、すでに焦点は逃亡犯条例に留まらず、むしろ香港の政治体制そのものへと移っていた。それを示すのが、抗議運動の新たなスローガン「光復香港、時代革命(香港を取り戻せ、時代の革命だ)」である。これは、もともと香港の「民族自決」を主張する政治組織「本土民主前線」の中心人物が2016年、立法会議員選挙の出馬に際して唱えたものだ。そのため、香港当局からは独立派のスローガンと非難されたこともある。しかし、現在では元の文脈とは切り離され、大陸からの圧力で奪われた香港らしさを回復するため現状を変革する指向として捉えることができる。

 いずれにせよ、9月以降も週末になると香港各地でゲリラ的に抗議のデモが取り組まれ、警察との衝突も繰り返された。

■光復香港、時代革命と大書した横断幕 (2019年9月2日)
 そんな中、抗議のデモ隊に向けて警察が実弾を発射する衝撃的な事件が発生する。70周年となる中華人民共和国の建国記念日「国慶節」の10月1日、香港各地では祝賀に異を唱える抗議行動が取り組まれていた。新界地区南西部のニュータウン湾の路上でも、デモ隊と警察が激しく衝突した。その際、警察は至近距離から実弾を発砲。男子高校生(18歳)が胸を撃ち抜かれ、路上に倒れ込んだ。この模様は現場に居合わせた学生メディアによって即座に拡散され、香港内外に大きな衝撃を与えた。8月以降、警察が威嚇射撃で実弾を発射する事例はあったが、一連の抗議活動で参加者が被弾したのは初めてのことだ(その後も2件の被弾事例が発生)。

 この件では被害者は一命を取り留めたが、11月8日には警察との衝突に関連して初の死者が発生する。亡くなったのは大学生の周梓楽(22歳)。新界地区東南部のニュータウン将軍澳で3日夜から警察とデモ隊が衝突、その渦中で、警察の放った催涙弾を避けようとして転落したとされる。

 これをきっかけに、11日には早朝から香港全土でストライキが呼びかけられるなど抗議活動がさらに激化。それに対して、警察は道路やMTRの運行を妨害しているとの理由で、デモ隊の拠点とされる複数の大学を対象に直接鎮圧行動に乗り出した。11日~15日にかけては新界地区北東部にある香港中文大学で警察とデモ隊が激しく衝突、衝突地点では火炎瓶や催涙弾が飛び交い、メイングラウンドにも雨あられのごとく催涙弾が発射された。
■10月11日に実弾が発射された現場
 (2020年1月3日)

 15日以降、舞台は九龍半島の繁華街に近い香港理工大学に移り、警官隊がキャンパスを包囲する中で往年の日本の大学闘争のような籠城戦が展開された。デモ隊側は火炎瓶やレンガを投げて抵抗するも、物量に勝る警察は催涙弾や放水で圧倒。逃げ道を塞がれ、追い詰められたデモ隊らの投降が相次ぎ、逮捕・拘束された人々は1400人近くを数えた。警察と消防がキャンパスに入り、現場検証を済ませたのは二週間後のことである。



区議選挙で民主派圧勝

 11月24日、香港区議会議員選挙が行われ、民主派が圧勝を収めた。2015年の前回選挙では、投票率は47%。直接選挙で選ばれた431の議席のうち親中派が292議席、民主派は120議席と、親中派が3分の2以上を占めていた。しかし今回、投票率は71%と大幅に増え、民主派が全議席の85%に相当する388議席を占める結果となった。

 もともと、香港の区議会議員は地域社会の日常生活にかかわる問題に対処する「地域の世話役」という面が強く、予算の承認や条例の制定といった権限は有していない。そのため、これまでは選挙戦に対する有権者の関心も低く、政府と連携する親中派が多くの議席を獲得してきた。ところが今回の選挙では、これまでとは異なる若手の民主派候補も多数立候補し、この間の政府の姿勢を選挙の争点に据えた。いわば、これまで非政治的だった選挙が一挙に政治化したものと言える。

 その背後には、香港の政治制度にまつわる問題がある。雨傘運動で象徴的に問われたように、香港では政治と直接関わる局面で普通選挙が存在しない。行政長官は有権者の直接選挙ではなく、各級議員、職能団体や社会団体から選出された定数1200名の選挙委員会によって選出され、立法会の議員も半数のみ直接選挙、残りの半数は予め割り当てられた職能団体の枠の中で選出される。そのため、香港市民の意思は制度の面で政治に反映されにくい。

 そうした制限の中で、今回の区議会議員選挙は機能としては非政治的ながら制度の上で民意を鮮明に示しうる場として位置づけられたのだろう。実際、選挙結果は現在の政府の対応、香港の政治体制のあり方に対して、圧倒的多数の香港市民が異を唱えていることの明確な意思表示になった。

 そう考えると、市民の政治的な意思表明が可能であり、それに政府が適切に対応する制度があったなら、6月から続く集会やデモ、警察との激しい衝突は生じなかった、あるいは生じてもさほど大規模にはならなかった可能性がある。それはまた、デモ隊の実力闘争がエスカレートし、日常生活に支障を来すような状況になりながらも、多くの香港市民がデモ隊よりも政府や警察を非難し、デモ隊の行動に理解を示したことの理由とも言えるだろう。

 年明け以降、昨年のような大規模な衝突は目立たなくなり、社会的には新型コロナウイルスの流行が喫緊の課題になっているとはいえ、問題そのものが解決したわけではない。抗議行動は持続し、衝突も散発的に生じている。引き続き香港の情勢に注目していきたい。     
                                         (山口協:当研究所代表)



第二部 香港から見た現状と今後

 さる1月4日、香港在住の小出雅生さん(香港中文大学講師)にお話をうかがった。

二つの大学での闘いをめぐって

 ――日本のメディアの報道では、8月ごろからデモ隊の行動が過激化し、中文大学と理工大学の衝突でピークを迎えたという認識です。理工大学の闘争で勇武派が大量検挙されたので、今後は行動も沈静化するのではないか、という観測もあります。

 
小出:香港市民としては、二つの大学での戦いがピークだとは思っていません。今も抗議運動は続いています。そもそも、警察側に大学を攻撃する理由など何もありませんでした。警察側は、「デモ隊側が大学内で武器を作っている」とか「隣接する鉄道を封鎖しようとしている」などと言っていましたが、いずれも警察側が攻撃を始め、デモ隊側にも闘う必要が出てきた結果です。

 警察の攻撃については、実はその後に予定されていた区議会議員選挙での親中派に対する応援キャンペーンだったのではないか、との指摘もあります。一般市民は大学での衝突のような事態を迷惑に感じ、デモ隊の実力闘争にうんざりしているに違いない、というのが親中派の認識でしたが、現実には痛快なくらい予想が外れたわけです。

 
――ということは、いわば警察によって大学に立て籠もるように仕向けられた、と。

 
小出:ただ、立て籠もるといっても中文大学の場合は市街地から離れていて、もともと自給自足できるような構造になっているし、立地条件も山沿いなので抜け道も多いんです。実際、11日に警察の攻撃が始まって出入りが制限されたため、12日は一時的に食べ物が不足しましたが、それ以降は学生の親やOBなどが人海戦術で食料や物資を運び込んで、むしろ余るくらいでしたね。一方で理工大学の場合は、キャンパスが包囲されやすい立地条件だったことは確かです。

 
――デモ隊側は「Be Water(水になれ)」(注1)ということで、それまで拠点を構えずゲリラ戦で臨機応変に闘ってきたのに、なぜ一ヶ所に集中してしまったのか、疑問に思っていました。日本のメディアでは、中文大学の場合はデモ隊側が大学に隣接するMTRと高速道路を止める戦術だったと解説していました。

 
小出:いったん警察を追い返した後でMTRも高速道路も一時的に止めたことは確かですが、すぐに中文大学の学生会が解除しました。ただ、警察側がその前後を封鎖していたので、結局交通は遮断されたままでした。学生たちが封鎖解除したというプラスのイメージを否定したかったんでしょう。封鎖解除をめぐっては、学生会と外部から応援に来た人たちとの間で意見の相違があったようです。一定の場所を占拠してしまうと、どうしても運営方法をめぐって意見の違いが出るというのが雨傘運動の反省で、だからBe Waterでやっていたわけですが。

■厳重に封鎖された中文大学の“激戦地”(2020年1月2日)
 これについては「仲間割れ」との指摘もあります。しかし、大学は大学構成員のためであると同時に公共性も帯びた場所です。しかも、警察に攻撃されているのを支援するために来てくれた人たちですから、大学関係者と部外者を線引きして「仲間割れ」と捉えるのは、私は違うと思います。ただ、日本のメディアはそういうのが好きですね。


警察の機構改革を求める民意

 ――理工大学の衝突の後は、デモ隊側の攻撃的なゲリラ戦は鳴りを潜めています。

 
小出:といっても、依然として週末はどこかしらで衝突もあります。そもそも11月の状況が激しすぎました。平日も月曜から金曜までずっと衝突が起きていましたからね。夜の8時を過ぎたらどこも店が開いていない状態でした。

 現実には、理工大学の衝突で勇武派が大量検挙されて事態が落ち着いたというより、区議会議員選挙で民主派が圧勝したことの方が大きいような気がします。つまり、解釈の余地もないほどはっきり示された民意に対して、今度は政府の対応が問われる段階になっているわけで、全体としてはその様子見ということだろうと思います。

 
――しかし、政府は積極的な対応をするどころか、従来どおりの対応を続けていますね。

 
小出:そのあたり、メンツを重んじる中国式の対応が前面化してきていると思います。絶対に負けを認めない。これまでの香港では考えられません。とはいえ、一方で何かやれることはないか模索しているような節も感じられます。12月に入ると、政府寄りのメディアの論調も、それまでのようにデモ隊に対して一律に「暴徒」と断じるのではなく、「示威者(デモ隊)」と客観的に表記するようになりました。最近また元に戻ってきたようですが。
■未だ焼け焦げの跡が残る理工大学校舎(2020年1月3日)

 
――1月1日のデモも、そもそも許可済みで、何か騒動が起きたわけでもないのに、警察は途中で中止命令を出し、無差別に催涙ガスを浴びせたようです。警察の対応としては、これまでと変わらないし、むしろ酷くなっているようにも見えます。

 
小出:警察がかなり煮詰まっているのは確かです。デモ隊との衝突は半年以上も続いているし、香港以外から応援が来るわけでもない。すでに「警察対市民」という構図ができています。地元紙『明報』の定期的な世論調査でも、7~8割の人が警察の機構改革を求めています。

 
――五大要求の中では、逃亡犯条例の撤回はともかくとして、残り4つのうちで可能性があるのは警察に対する独立調査委員会の設置だと思いますが。

 
小出:いや、むしろ一番難しいかもしれません。警察の上層部は、現場の士気の低下を最も気にしています。警官が過剰な反応をするのは、自分たちの行為に対する自信のなさの表れと見ることができます。そんな状態で独立調査委員会が設置されれば、現場の士気は一気に低下するはずです。

 実は、2005年12月のWTO(注2)のとき、抗議闘争を行った韓国の活動家を中心に大規模な拘束を行い、起訴に持ち込んだにもかかわらず、法廷では完全に負けてしまったんですね。それ以降、香港警察はずっと定員割れが続いていました。



9月の立法会選挙が焦点に

 ――何にせよ遅きに失したわけですね。逃亡犯条例の撤回もそうだし、独立調査委員会の設置も、早い段階だったら、まだ警察内部の抵抗が少なかったかもしれません。そうなると、政府としては、このまま押し切るしかないという考えなんでしょうか。

 
小出:どうでしょう。現時点で政府の支持率は11%だそうです。そんな状態で押し切れるか、相当難しいと思いますね。その意味では、区議会議員選挙での民主派の圧勝は、むしろ政府にとって対話に踏み切る大義名分になるかもしれません。

 
――ただ、デモ隊側の立場は五大要求に明示されているわけですから、それに応えるような対応でなければ意味がない。とはいえ、五大要求の内容は政府にとって非常にハードルが高い。なかなか折り合いは見出せないような気がします。

 
小出:デモ隊側も、雨傘運動のときは運動全体のリーダー的な人が政府との対話の席についたことで、政府側に「対話したけどダメだった」との口実をつくられてしまったとの反省があります。内部で仲違いを起こさせ、分裂を誘うというのが政府や中国共産党の基本的な戦術です。だから、今回は意図的にリーダーをつくらず、落としどころも探らせない形にしたのでしょう。

 
――しかし、先が見えないまま運動が長期化するのは、デモ隊側にとってもしんどいですよね。いまは「中だるみ」の時期かもしれませんが、ここからどのように運動を再活性化させようとしているのでしょうか。

 
小出:正直どうなるか分りません。ただ、今年は9月に立法会議員選挙がありますから、それをめぐるやり取りが大きな焦点になるでしょう。

■教員労組による抗議集会
 (2020年1月3日)
 ――今回の区議選の結果は、香港市民にとっても予想外だったようですが、立法会となると選挙の仕組みも違うし、民主派にとっては圧勝しようがないわけですよね(注3)。それを踏まえた上で、運動全体が選挙に集中することになるんでしょうか。

 
小出:実は、今回の区議選でも、そのまま実施されるかどうか分りませんでした。まず、抗議運動全体の意思決定を行うような組織はありません。それに、香港の人たちは日本と違って、組織決定が行われても全員が従うことなどあり得ません。選挙の捉え方もすべて「この指とまれ」方式ですから、今回もデモ隊側から投票所を襲撃する人たちが現れる可能性は捨て切れませんでした。警察側が挑発して襲撃を誘う可能性もありました。それだけに、選挙が平和裏に行われ圧勝したことは、デモ隊側にとって大きな成果だったと思います。

 立法会の選挙には職能別の選挙区があります。教員や医師など中国大陸との関係が少ない業種はともかく、ビジネスを通じて深く関係せざるを得ない業界は許認可権などを通じて抑えられ、親中派でなければ当選できないのが現状です。そこをどう動かせるかがポイントになるでしょう。とはいえ動く可能性はあります。実は、いま香港の中で自主的な労働組合をつくろうとする動きが現れているんです。これまで伝統的に親中派の労働団体「工聯会」が組織してきた業界に食い込む動きを見せています。とくに公務員がいくつか労働組合をつくり始めたのが面白い動きですね。



統治機構としての正念場に

 ――ところで、いわゆる親中派の中にも、立場上難しいとは言え、この間の香港政府の対応や中国政府の圧力に批判的な人もいるのではないでしょうか。

 
小出:親中派が仲間割れしているのは事実ですが、表立った動きはないですね。23条問題(注4)のときは親中派の中でイニシアティブを発揮する人もいましたが、今回はそうした機能がなくなっています。その原因は、やはり習近平体制になって締め付けが厳しくなったからだと思います。習近平体制になってから、香港と中国の関係は、香港側が習近平の考えを一方的に拝聴するものに変わりました。

 だから、香港側で何か意見を持っていたとしても、正面切って言うのは難しいし、習近平も聞く耳は持たないでしょう。親中派の人たちからしても、この間は「あんなことしたら、絶対こうなるやん」と舌打ちしながら、みすみす事態の進展を見ているしかない状態だと思いますね。

 
――行政長官の任期はあと2年ですね。後釜はいるんですか。

 
小出:後釜と目される人は何人かいますが、この状況では誰も手を挙げないでしょう。誰がやっても統治機構としての正念場になるでしょうね。この半年、香港政府がやってきたことは、警察がやったことの追認でしかありません。いわば、警察長官が事実上の行政長官になっており、政府が本来やるべき仕事は放置されたままです。むしろ、この10年でますますひどくなっています。

 公営病院は医者不足で、恒常的に長い間待たされるのが問題となっていますが、まったく解決に手がつけられていません。住宅不足、地価や家賃の高騰への対策も、なかなか追いついていない。さらに、教育関係予算も削減されています。返還前なら奨学金は基本的に給付でしたが、いまは貸与が増えて返済に悩む学生も結構います。

 中国返還以前からの取り決めで、香港政府は他の地方政府のように中央政府に上納金を出す必要はありませんが、その代わり高速鉄道(広深港高速鉄道)やマカオとの連絡橋(港珠澳大橋)の建設費用を負担しており、それが財政に重くのしかかっています。

 高速鉄道の建設費は当初予算の1.6倍ほどに膨らんでしまいましたが、当初の予算額でさえ長年論議されている政府所管の年金を設立することは可能だと言われていました。にもかかわらず、政府は頑として首を振りません。



「攬炒」に込められた意味

 ――今回の運動の背景として、経済的な格差や香港経済の衰退などが影響しているとの指摘があります。

 
小出:香港経済の衰退といえば、若者たちはむしろ衰退を望んでいる面があります。確かに中国資本の流入で香港に雇用が生まれているけれど、美味しいところは大陸から来た人たちに取られて、香港人はいいように使われているという認識だからです。むしろ、中国資本が減ってくれた方が自分たちの望むような働き口が増えると考える人も多い。

 つまり、経済の衰退が今回の運動の要因になったかと言えば、必ずしもそうではありません。若者たちにすれば、政府を支えているのは経済が衰退すれば困るような連中だから、経済の苦境をつくりだすことで打撃を与えようとしているわけです。

 一時期、人民解放軍による鎮圧の可能性が取りざたされましたが、やがて来ないだろうという結論が大勢になりました。というのは、仮に人民解放軍が来た場合に一番困るのは香港ではなくて中国なんですよね。海外との貿易決済ができなくなるし、中国の高官の隠し資産なんかもあります。それに、東南アジアの経済を握る華僑の経済活動を支えているのも香港なんです。人民解放軍が鎮圧に来れば、華僑も海外企業も投資も香港から出て行くでしょうし、そうなると大陸の経済活動にも大きくブレーキがかかるはずです。

 
――数字の上では深の経済規模が香港を抜いたそうですが、香港が果たしている機能は依然として代替できないでしょう。それとの関連で、若者たちが経済の苦境を望んでいるとの指摘は、「攬炒」(注5)という抗議運動のスローガンとも重なりますね。報道で知った際には非常に悲壮なニュアンスを覚えましたが、お話では、むしろ戦略的な含みがあると感じました。

 さて、では香港の人たちは今後の状況をどう見ているのか。各々違うとはいえ、大枠で共通する部分は。


 
小出:オプションはいろいろ考えられるでしょうが、習近平体制のうちは状況の変わりようがないと思いますね。強い権力がなければ国内をまとめられず、国外からの影響を跳ね返すこともできない――。そういう発想や危機感も分からない訳ではないですが、若いときに文化大革命を体験し、共産党の党内抗争しか知らない世代なので、たとえば胡耀邦や趙紫陽のような人間的な魅力、幅のようなものは感じられません。「対話」の意味を理解できない限り、事態は打開しようがないんじゃないでしょうか。

 かつてNGO(非政府組織)の仕事で中国内の農村復興に関わった経験からすると、次世代を担う共産党の青年組織・共青団が腰砕けになっています。個人的には今も尊敬できる人はたくさんいるし、頑張ってほしいんですが、非常に心配な状況になっています。かつては共産党や共青団の中でも、それなりに自由な議論が行われていたようです。外には出せませんが、「ぶっちゃけた話では……」と。今はそんなことができなくなっているのは心配ですね。
                                (香港九龍油麻地にて、聞き手:山口協)

[注]
 (1)往年の映画スター、ブルース・リーが自らの武道の哲学として述べた言葉。固定した組織や拠点をつくらず、臨機応変こそ上策とする。
 (2)世界貿易機関(WTO)の閣僚会議が行われ、韓国の農民団体を中心に激しい抗議が展開された。
 (3)立法会の定数70のうち直接選挙で選ばれるのは35議席のみ。残る35議席は職能別の代表枠で選ばれるが、うち30議席は親中派に有利とされる間接選挙である。
 (4)香港基本法(憲法)の中で、政権転覆や国家分裂を禁じた23条。これを具体化するため、香港政府には条例を制定しなければならないと規定されている。2003年に条例制定が試みられたが、市民の反発で撤回された経緯がある。
 (5)日本語で「死なばもろとも」を意味する広東語。



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